第18話



「え、ちょ、アレ?」


 有紗がソファの前に、所在無さげに立つアキを抱きしめていた。


 勢い余ってフローリングの床に腰を落としたアキは、驚いて言葉が見つからない。フローリングの冷たさが、妙な現実感を与えてくる。


「有紗、さん?」


 ただの幼馴染だ。だから、これはただのスキンシップ。ほかに理由は無い、はずだ。


 アキはそう自分に言い聞かせる。だけど、アキの胸に顔を埋めたまま動かない有紗に、確かに妙な感覚が沸き起こってしまう。


 だからアキは無理矢理別のことを考えた。

 例えば、今着ているパジャマがわりのスウェットは何日着てるかな?とか、意外とぽっちゃりなのがバレるな、とか。


 でもそろそろ限界だ。アキだって健全な思春期男子なのだ。このままだと頭と顔から火が出そうだ。


 有紗サマー!と、心で叫ぶ。


 すると有紗が顔を上げた。目が合う。大きな茶色がかった瞳に、涙をいっぱいに浮かべ、オマケに上目遣いで。


 アキの脳裏に、数々のライトノベルから得た情報が駆け巡る。


 つまり、これは典型的なシチュエーション。フラグだ。


 そう思い至るとアキの頭はパンク寸前まで追い詰められる。アキはこんな状況を打破するスキルなど、全くもって持ち合わせていないわけだ。


 しがみつく有紗の身体にわずかに力がこもる。ゆっくり、本当にゆっくりと、有紗の桃色の唇がアキのそれ目掛けて近付いてくる。


 アキの心境を文字にするなら絶対に、あわわわわ、だ。ライトノベルを読んでいて、あわわわわってどんなだよ?と笑っていた事が悔やまれる。


 まさか自分が体験するなんて…


 だけど、ラブコメにはありがちな展開が存在する。


 主人公とヒロインの関係が発展する場面になると、十中八九ありえない邪魔が入るというやつだ。


 有紗との距離があと数センチというその時。


 アキの予想は、良くも悪くも的中した。


 家の外で、ガシャーン!!とガラスの割れる音が轟いた。続いてけたけたたましく鳴り響く車の警告音。


「な!?」

「え!?」


 驚いた二人が同時に窓の方へ顔を向ける。

 アキが内心ホッとしたのは、言うまでもない。


「事故…かな」


 何事もなかったかのようにアキから離れた有紗が、レースのカーテンをめくって窓の外を伺う。


「ちょっと見てくる」


 パッと踵を返して、有紗はリビングをかけていく。


 アキも慌てて後を追った。


 玄関から飛び出すと、家の正面の電柱に高級外車が衝突していた。


 見覚えのある真っ赤な高級外車だ。三軒隣の、歳の割に小綺麗な格好をしたおばさんの車だった。


「おばちゃん!」


 運転席から転がるようにして出てきたおばさんが、うう、と呻く。そこに有紗が駆け寄った。


「大丈夫?アキ、救急車!」

「あ、ああ、わかった!」


 こういう時の女子は本当に強い。アキは改めてそう思う。自分などただ突っ立っているだけだ。


 有紗に言われた通り、アキはズボンのポケットからスマホを出した。慌てていたため、手元からスマホが飛び出しそうになる。必死で掴みながら、通話ボタンを押す。


 119番にはすぐに繋がった。当たり前だ。単にアキの準備ができていなかったために、繋がった途端に慌ててしまう。


 なんとか通話を終え、スマホをポケットに戻す。有紗の元へ近づくと、有紗に地面へ寝かせられたおばさんは、苦しそうな息を吐き出している。それ以外に特に心配なところはなさそうだ。


「おばさん、もうちょっと待っててくださいね」


 有紗の力強い声に、おばさんが微かに頷く。


「なんでこんな所で事故ったんだろ」


 首をかしげるアキに、有紗は答える。


「そうだね、一本道なのに…」


 すると、おばさんが苦しげな声で何事か呟いた。


「急に、女の子が…」


 アキは有紗の顔を伺った。有紗もアキを見て首をかしげる。


「女の子?」


 問い返してみるが、おばさんはすでに意識を失ってしまっていた。


「おばさん!しっかりして!」


 有紗が遠慮がちに肩を揺する。


 その時、アキ達の周りに一陣の風が巻き起こった。


「うわっ!」


 アキは咄嗟に顔を腕で覆う。


「アキ!」


 有紗の叫び声がした。


「あらぁ、いるじゃない、若い女の子」


 突然聞こえてきた声。アキは顔を上げてその声のした方を向いた。


 有紗が宙に浮いていた。いや、女が有紗を抱えて、宙に浮いていたのだ。


「有紗!!」

「有紗ちゃんって言うのね。よろしくぅ」


 そう言った女は、ものすごく露出の多いメイド服のようなものを着ていた。真っ赤な長い髪が、日差しを反射してキラキラ輝いている。神々しくもある容姿だっが、その顔には下卑た笑みが浮かんでいた。


「有紗を返せ!」


 立ち上がって叫ぶアキに、女は、さらに歪んだ笑みを返す。


「ムリムリ。やっといい生贄見つけたんだもん。返してやーらない」

「クソ、てか誰だよお前!?」


 そう言いながらも、アキにはなんとなく正体がわかっていた。というより、逆にそれしか思いつかない。


「わたしは魔族の王家に使える次女悪魔、エミリエール。この街を魔族の支配下にする為先鋒として参りましたのぉ」


 やっぱりだ、と思うと同時に唇を噛む。悔しいが、魔族と聞いて向かっていけるほどアキは無謀ではない。


「あらぁ?おどろかないんです?この世界の人間は、魔族なんてこれっぽっちも信じていないのでしょう?」


 エミリエールが不思議そうな顔をアキに向けた。


「そうだけど…」


 ここでもしアキが魔族を知っていると言えば、有紗に今までの出来事を話さなければならなくなる。それにブラド達の正体を、例え自分が創り出したキャラクターだとしても、勝手に話すのは気がひける。


 言葉に詰まっていると、エミリエールが肩を竦めた。


「ま、なんでもいいわ。わたしは今重要なお役目をいただいているんです。だから、この女の子は頂いていきますわぁ」


 エミリエールが有紗を抱えていない方の手で、スカートの裾を摘んだ。一変して淑女の笑みを浮かべる。


 ザアア、と、またも強烈な風が吹き、エミリエールが姿を消してしまう。


 最後に、アキ!助けて!と、有紗の声が耳に届いた。


「クソ!」


 アキは、何も出来ない自分に心底腹が立った。


 所詮自分はただのいじめられっ子の高校生だ。かりに今日自分が学校に行っていたら、有紗がここに来る事もなかった。


 そう思うととてもやりきれない。


 とりあえず、だ。


 アキに出来ることは、レオに協力を求めること。


 そしてまず、ブラドに謝ることだ。


 アキはキュッと唇を噛み締めて覚悟を決める。


 ちょうど、様子を見に近所の人が家から出てきた。救急車のサイレンも、もう近くまで来ている。


 おばさんには悪いが、と思いながら、アキはその場から駆け出した。


 ひとまず目指すはブラドのカフェだ。


 そう思って、アキにしてはかなりのスピードで通りを駆け抜けて、角を曲がったその時。


 思わぬ人物と正面からぶち当たった。



 ★

「おわっ!!」

「いったぁ!?」


 山川は、突然向かいの角から突然飛び出してきた少年と衝突した。驚いて声を上げると、衝撃で尻餅をついた少年に、慌てて手を差し伸べる。


「すまん、大丈夫か?」


 その手を無視して立ち上がった少年を見て、市井が声をあげた。


「あ、キミは…」


 そう言われてよくよく見てみると、山川にも見覚えがあった。


「確かカフェにいた?」


 少年がビクッと身を震わせて、山川と市井を交互に見やる。そして、あからさまに、あっ!という顔をした。


「奇遇だねぇ」


 と、ニコリと精一杯の笑顔を浮かべてみせる。市井が山川のそんな顔を見て眉根を寄せた。


「あ、えっと、ちょっと急いでるんで」


 どもりながら答えた少年が、さっと踵を返して走り去ろうとする。


「おい、待てってコラァ!」


 咄嗟に手が出てしまった。背を向けた少年の片腕を取り、後ろに締め上げる。


「アイタタタタ!!!!」


 少年が身をよじって悲痛な声を上げた。


「おっとすまん。つい…」


 逃げようとする奴には、ついこうしてしまうのだ。刑事の悪い癖だなあと苦笑いを浮かべて謝罪する。


「ついってレベルじゃないでしょ!?」


 両腕の肘関節をさすりながら少年が叫ぶ。


「だって逃げようとするからさ、な?」

「な?じゃねぇよ!今急いでんの!後にしてよ」


 少年はイライラを隠しもせずに言う。


 正直山川は驚いていた。


 自分が刑事だとわかっているはずなのに、少年は臆することなく睨みつけてくる。


 普通、この年頃の少年は、刑事という名前におっかなびっくりするはずだ。


「まあまあ待てって。この先で事故があったようだが、知ってるか?」


 少年はちょっと眉を寄せて、それからチッと舌打ちをした。


「知ってる。ぼくんちの目の前だ。で、それがなに?」

「おじさんたちが何を調べてるかしってるよな?そんな時に、事故現場から逃走する奴を見たら、止めない訳にいくまい?」


 少年は一瞬考えるような顔をして、それから取り繕ったような笑顔を浮かべた。


「ぼ、ぼくはべつに関係ないよ!家の前で事故があっただけで、ぼくはなにも見てない!それに、救急車を呼んだのはぼくだ」


 確かに、本部からきた連絡の中に、通報したのは少年の声だったという情報があった。


 それに刑事の勘だが、少年が嘘をついているようには見えない。


 ただ、なにをそんなに焦っているのかが気になった。


「そうか。ただ、おれたちもお前のこと調べてんだよ。いじめられてたんだろ?」

「そうだけど、だからってぼくが殺人なんかするわけないでしょ」


 少年がウンザリしたような表情で言った。


「でもよ、お前と一緒にカフェにいた他の三人は、成瀬ハルト以外いくら調べてもなにもわからなかったんだがなあ…あやしいよなあ?」


 成瀬も名前と生年月日と、まっさらで単純な経歴しかわからなかったのだ。


 それを聞いて、みるみる青ざめていく少年の顔。


「だからおれらはこの辺調べまわってんの。わかる?」

「……わかります、けど」


 少年がぐっと拳を握りしめた。視線がアスファルトを見つめ、それから山川の顔へ向く。


「ぼくを今行かせてくれたら、真実がわかると思いますよ。ただ、信じるかはあんたたち次第だけど」


 随分挑戦的な目だった。どうせあんたは信じないだろうけど、と見下されている感すらある。


「いいだろう。もし何もらわからなかったら、お前を署に引っ張って行って事情聴取するからな」

「横暴な……せめて理解する努力はしてくださいね」


 少年はそれだけ言うと、目的地目指して走り出した。


「いいんですか?」


 冷たい瞳の市井が問う。


「ああ。あの少年は確かになにか知ってそうた」


 山川がニヤリと笑みを浮かべて答えると、市井は、はぁ、とため息を吐いた。

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