明日の黒板

英知ケイ

明日の黒板

「春子……お、俺、お前のことが……」



 ここは、とある高校の教室。

 そして今日は卒業式。

 もう昼下がりの時間帯とあっては、二人の他にいるものはいない。


 だから夏男は狙ったのだ。

 今日この時を。


 MMOでは、狩人としてパーティの攻撃役ダメージディーラーとして活躍し、FPSでは凄腕スナイパーとして名を馳せた彼である。

 狙った獲物は逃さない。


 しかし、それが、幼馴染の春子ともなると、どうにも調子が狂うのだった。


 この13年間、彼としては、ずっと狙って来たといっても過言ではない。

 スマートフォンの壁紙はいつでも彼女に変更できるようになっているし、部活動も一緒で登下校だって共にしてきた。

 これはストーカーではない、あくまで狩人としての、獲物を追いつめる、尊い行為なのである。


 だが、これまで、自分の想いを伝えることができないでいたのだ。


 春子は、セミロングの黒髪に眼鏡をしていて、その外見も身長もクラス女子の真ん中くらいな、所謂どこにでもいそうな一見真面目タイプである。クラスの他の男子から見てもけして高値の花などではない、ないのだが、そういうものではないのだ。


 当然、接触する機会は多いから、これまでだって隙を見て、何度も言おうと試みた。呼吸を止めて、さあ言うぞ、と自分を奮い立たせ……そこで終わる。怪訝な顔をする春子。そんな繰り返しだった。


 彼女は面倒だからと、LYNEをしていないので、気軽にLYNEで告白というわけにもいかない。

 今回、卒業というタイミングが背中を押してくれて、ようやくさらに一歩を踏み出せたのだ。


 なんという時間のかかる狩りであったことか。


 そんな彼が、さあ、もう一歩と、大きな一歩を踏み出そうとしたとき、――



「ダメ」



 今まで黙って夏男の様子を伺っていた春子の口から突如発せられた台詞。

 夏男は踏み出そうとした足場が無くなったような感覚にとらわれた。

 意気をくじかれた彼が何とか返すことができたのは――



「は、春子さん? ど、どうしてですか?」



 「さん」付けなのは普段からそう呼んでいる訳ではなく……いや呼ぶときも無くはないが、それはこういった夏男には突拍子も無いと考えられる事態限定である。



「私、行かなければならないの」


「へっ? ど、どこへ」


「異世界アメリカーナ」


「……」



 語感から何となく察せられるが、海外に行く、それもアメリカに行く、ということだろうか? そうでは無いとすると……次元の違う話になっているとは思いたくない夏男は、後者の考えを打ち消した。


 そういえば、夏男が志望校を何度聞いても、彼女は教えてくれなかった。

 そして狩人は獲物を愛するがゆえに、それ以上は踏み込めなかった。

 黙々と英語ばかり勉強しているので、どこか私大の英文科だとばかり思っていたのだが、まさか海外とは……。



「私としては、抵抗レジストしたいのだけれど……この召喚魔法はどうしても無理……わかって……」


「春子……」


「ごめんなさい」



 うつむく春子、

 夏男は、その場では、もうそれ以上は、何も言えなかった……。




――――――――――――――――――――――




「よし、こんなもんかな……」


 夏男はひとりごちた。

 おなかいっぱい、いや逆だ、全力、すべてを出し切ったという感じがその一言には表れていた。


 ここは、あの教室。

 夏男が春子に告白したあの教室。

 しかし、窓の外が真っ暗闇なのが違う。もう夜なのである。


 やるせない気持ちに、ゲームをする気にもなれず、家でいてもたってもいられなくなった彼は、昼のこともあって春子の家に行くわけにも行かず、思い立って夜の教室に忍び込み、スマートフォンを灯り代わりに、黒板に、自分の思いのたけをとにかく書いたのだ。



 黒板には、こんな感じの内容が書かれている。



  異世界アメリカーナは どんなところですか?


  異世界アメリカーナは 遠いのですか?


  異世界アメリカーナに行く方法を 教えてください


 :                       』



 とても多くの疑問。

 まっすぐな疑問。


 誰に対してのものであるのか、応えてくれるものがいるのか、それはわからない。

 これは敢えてそうしているのだから。


 原動力は、夏男から春子を奪った召喚者への怒りなのだろうか。

 これは書いている本人ですらもわからない。


 消して書いて、書いて消した。何度も何度も。

 その必要があるのか、無いのかも、わからないままに。


 しかし、書く、という行為は、夏男の中のもやもやしたものを外に出してくれたのは確かだったようだ。

 これも、魔法なのかもしれない。

 教壇近くの床が湿っているのは、水属性魔法を誰かが使ったのだろう。



「そうだ……最後に、これも書いておくか」


 夏男は一行追加すると、満足げに頷き、ピストルに見立てた右手を黒板に向けて放った。




――――――――――――――――――――――



「まったく俺って奴は……」



 夏男はつぶやきながら学校に向かって急いでいた。

 なんと、昨日教室に、スマートフォンを忘れてきたのだ。


 卒業式の後は、3年生は教室に来ることはないだろうから、クラスメートだった者達に見つかることはないだろうが、なんとも情けない。


 最後のカーブを曲がり、校門が見えた。

 そこからダッシュで校門に辿り着くと、そこに居合わせた用務員さんに軽く会釈をし、中に入る。


 下駄箱で、上履きが無いのに舌うちをする。昨日家に持ち帰っていたのだ。

 まあ、いいだろう、一日いるわけではないのだから。


 そんなこんなで、ようやく彼は教室に辿り着き、扉を開けた。



「?……!、……!!」



 目の前の黒板には、まだ、夏男が昨日書いた、なぐり書きなのか、詩なのか、そもそも誰に向けて書いたのか、わからない代物が残っていた。

 いや、正確には、書き加えられて、作品として完成していた。



  異世界アメリカーナは どんなところですか?


  →東西南北に広くて 様々な人が住む世界です

   そこであなたは多くの人に出会うでしょう



  異世界アメリカーナは 遠いのですか?


  →近くはありません でも、遠くもありません

   すべてはあなた次第です



  異世界アメリカーナに行く方法を 教えてください


  →これは 召喚される必要があります


 :                       』



 いったい誰が書いたのだろう。

 期待はあるのだけど、そうとは限らない。

 ライトノベル好きな人間はクラスメートにも少なからずいたのだから。


 しかし、彼のそんな考えは、最後に付け加えた一行の下を見た瞬間に、どこかへ飛んで行った。

 まるで魔法にかけられたかのように。



  異世界アメリカーナに行っても 俺のことを

  忘れないでください。


  →忘れるわけが ありません

   むこうで可能になったら 召喚します

   それまで 私のことを忘れないでください   』



 教壇近くの床が湿りはじめたのは、水属性魔法を誰かが使ったのだろう。

 彼は、しばらく、この最後の部分から目を離せなかった。




 ……だが、その状況は打ち破られた。



 鳴り響く彼のスマートフォンが、メールの着信を知らせたのだ。

 教卓の中にあったそれを彼は手に取る。



「!」



 メールの差出人は、春子だった。

 タイトルには「昨日の黒板」と書いてある。

 高鳴る鼓動を抑えつつ、選択して内容を広げる。そこにはこうあった。



 黒板のメッセージ、気づいてくれたかな?


 実は今日これからアメリカーナへ召喚されます


 そう、あと5分後くらいに


 でも最後にこれだけは伝えておきたいと思ったの


 ピストルに見立てた右手で何かを撃つのはやめてね


 はずかしいから                 』




 気が付くと、飛行機の音がしていた。

 窓の外を見ると、すでに、かなり離れて、遠くへ向けて、飛んでゆく。


 春子が召喚されつつあるようだ。



 ……英語だけ勉強していたとはいえ、彼女の魔法の成績は勉強するまでもなく、常にトップだった。

 夏男が彼女に召喚される日も、そう遠くは……ないだろう。



 これは、技術と魔法が融合する世界の一場面。


 彼女と彼は、後の「暁の大魔法使いハル」と「守護者ナッツ」なのだが、それは、別の物語である――。

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