第1.5話 天地鳴動・後編

「ござござ……ござる?」

「あ、ううん。ちょっと考え事をしてただけ」


 私は福寿を抱き上げると、もちもちした感触はぬいぐるみのようだ。女子中学生が雪だるまのぬいぐるみを抱きかかえ、狐たちをお供に通学路を歩く。傍から見たら異常だろうが、周囲は田んぼと連なる山々に囲まれており、人の姿はない。見かけるのも稀だ。

 ちなみに狐たちの本体は神社の境内──狛犬ならぬ狐として鎮座ちんざしているらしい。


「ござる~♪」


「トモリ、自転車は乗らない?」と、小首を傾げる向日葵たちに、私はつやつやの紅茶色の毛を撫でる。この手触りは温かく心地よい。向日葵たちはくすぐったそうに眼を細めた。


「きゅう?」

「あー、うん。でも師匠がね……」


 学校まで徒歩で一時間以上かかる。そのため自転車かバス通学も考えたのだが、師匠いわく「足腰を鍛えるのにちょうどいい。歩け」とか言い出したのだ。


「トモリ、風で、飛ばす?」

「ダメだよ、天一に、天空」


 ふわふわと風に乗る一反木綿いったんもめんたちが、私の傍に浮遊していた。半透明の長さ約十メートル、幅約三〇センチメートルの反物たんものの姿をしている。

 《アヤカシ》とで契約を結ぶと、人は少しだけ特別な力を借りることが出来る。と言っても出来る事は微々びびたるものだし、《アヤカシ》に頼りすぎるのも良くない。それに、私にとって名前で結ばれた《アヤカシ》たちは、主人としてでは無く、友人としての証だ。


「風、気持ちいいよ。また凧に掴まって一緒に空、飛ぼう」

「うん。あの時は糸が切れて大変だったけど、またやりたいね」

「ござる。ござる」


 《物怪》の討伐や浄化で手伝ってくれるのは、私をあるじと見定めた変わり者式神と、龍神ぐらいだ。

 龍神は冥界の神であり《十二の玉座》──その十二のうちの一柱。


「なんで、私なんだろう。……いつか教えてくれるかな」


 少し聞くのが怖いが、来年の春には答えが聞けるはずだ。

 私が《物怪》の討伐やら浄化に駆り出されるのは、人間の《祈り》が足りないからなのだろう。神々の力の根源は《人々の祈り》と《願い》。純粋に万物を、人を愛する想いだ。人は万物に祈りを捧げ、世界平和へいおんを願い続けてきた。

 しかし時代が下がるごとに神への祈りは減り、願いは人間個人の欲望へと変化していった。そして《MARS七三〇事件》を皮切りに怨嗟えんさの声と呪いが、世界を歪ませた。


『──人は地獄の中であろうと、新たな社会を構築し成長を続ける。《異界》の脅威に対して各国の政府は、それぞれ秘密裏に対策を図った』


 その声は唐突に、けれど当たり前のように私の耳に届いた。珍しく黙っていると思ったが、どうやら会話に入るタイミングを見計らっていたようだ。彼が私を主と呼ぶ式神──そして保護者みたい存在である。


「…………えっと、×××?」


 からかうように、けれどよどみなく国家機密をペラペラと語る。誰もいないからいいけど……。


『義手や義足などの医療の飛躍、化学技術の発展に貢献したのは、各国に降り注いだ流星群だった』

「それってアレでしょ、一九九九年を境に定期的に降ってくる隕石……」


 私の言葉を待っていたかのように、×××は喉を鳴らして笑った。


『然り。その隕石は野球ボールほどのつぶてだったが、それ一つで国内の消費エネルギー数百年分に匹敵することがわかった』

「わかったらしい」「らしい、らしい」「らしい?」と狐たちも歌うように話す。


 あ、うん。それ民間人に一番バレちゃダメな情報ヤツ……。

 私は嘆息たんそくした。世界政府はあえて情報を遮断して、殻を作り上げるとこに尽力したのだ。それが最善だと信じて。


『これによって各国は隕石の情報を秘匿ひとくし、回収に尽力じんりょくした。無限ともいえるエネルギーは、《異界》から溢れ出た《物怪》と対抗するために当てた。……と、まあ、各国の要人たちはそう考えたが、上手くはいかなかった』


「そりゃあね。豊かな食生活と充実した医療技術、《物怪》と対抗するための警察組織、そして戦力を着々と備えていった。私の所属している《対策室》もそうだし、各国の政府の完璧な計画によって、《異界》の問題は解決すると信じていた」

「信じていたらしい」「らしい?」「らしい、らしい」と狐たちは小首を傾げる。うん、可愛い。


 ──と話が逸れたが、政府はそれなりに努力したのだ。

 人類はただ怠惰で、慢心していたわけじゃない。貧困を減らし、人々の心にゆとりを作り、戦争する理由を意味消失させようと本気で実行していた。

 だが、そんな理想的な《幸福紀》は訪れなかった。理由は簡単だ。社会の豊かさに反比例して

 つまり人の心に巣食う闇が、新たな《異界》を魂の内に作り上げてしまったのだ。


「そりゃあ、誰も神に畏敬いけいの念を持たず、利己的で腐敗ふはいした欲望ばかりを願うんだもん。おまけに神さまたちに対して立派でぜいを凝らした社を建ててまつっても、そこにかつての祈りが無きゃ意味なんてない。自らの利益と自分勝手な解釈による願いしかないなら、こうなって当然でしょ」


 私が頬を膨らませると、木霊たちも真似をし始めた。その可愛さに口元が緩んでしまう。《アヤカシ》たちはどこまでも優しくて、純粋だ。良くも悪くも。そして人の基準では動かない。だからこそ、私は《アヤカシ》たちが大好きなのだ。


『ま、それを正したところで変わらん。心根では自分勝手な願いを想っているのだから、致し方あるまい』


 ──その結果、真っ先に新たな《異界》を作り上げたのは、《MARS七三〇事件》の生き残った人たちだ。彼・彼女らは後に《神の祝福者》と呼ばれるようになる。


 それは意味は幸運だとか、奇跡的だったからという意味ではない。生き残った者の大半は精神が病んだ末──

 意識不明となる《未帰還者みきかんしゃ》、

 ある日忽然こつぜんと姿を消す《神隠者かみいんじゃ》、

 ある日突然この世界を呪い、恩讐おんしゅうに身を焦がし爆破テロを起こす《復讐者アベンジャー》この三種類に分かれるらしい……。

 そうして負の連鎖は新たな被害者と加害者を生み出し、増加の一途をたどった。


とは、皮肉が聞いておる。元々はがあったのにのう』

「私、あの《呼び名》は嫌いだから良いの!」と、燈は再び頬を膨らませた。影の中にいる式神は『かかかっ』と笑い声をあげる。

『そうか。……しかし、我が主は《神の祝福》のどれでもないのう』

「まあね……」


 私はどれにもならなかった。きっとそれは──単に運が良かったからだ。


(そう、運が良かっただけ……)


 私は天をあおぎ見た。晴れやかな青空と悠々ゆうゆうと流れる雲。そして半透明ながら宙を漂う《アヤカシ》たち。山間には巨大な大蛇が眠たげに蜷局とぐろを巻いていた。

 稲の収穫が終わった田畑では、二足歩行をしている兎と狐とカエルが鳥獣戯画ちょうじゅうぎがのようにわらわら集まって、蓮の葉を的に見立てて当てる賭射のりゆみを楽しんでいる。


(うん、いつも通り!)


 私にとって賑やかな日常。違うと言えば今日は××××が家に帰ってくることだ。

 任務の要請もないフツーの日。

 私は式神や友人でもある《アヤカシ》たちと他愛無い会話を楽しみつつ、学校に向かった。


 学校に行って、そう──

 家に戻って──なんの変哲も無い一日になるはずだった。











 ***









 逢魔が時おうまがどきだっただろうか。

 暗がりの中、赤黒い光が空に映える。暗くて、空気がやけに張り詰めていた。

 学校の帰り道。私は何かに追われるかのように、足を速める。気づいた時には駆け出していた。


 いつもなら街灯が道を照らすのに、今日に限って暗い。よく見れば黒い霧が周囲に満ちていた。


(まずい。この嫌な感じは──)


 そう思った瞬間──赤銅色しゃくどういろの火柱が空に穿うがたれた。ついで爆発が至る所で炸裂し、轟音が耳をつんざく。

 私の住んでいた家が、その周辺が一瞬で灼熱の炎に包まれた。


「×××、私は師匠に応援要請を出すから、その間に状況確認を──」


 私はポケットから携帯を取り出し、連絡しかけて異変に気付く。

 ×××の返事がない。でも、それは遅すぎる反応だった。


「×××──」

 

 獣に似た咆哮ほうこう──

 マグマが吹き出すような炎と、灼熱をまとったつぶてが吹き飛ぶ。

 絶望がそこにはあった。地獄が産ぶ声を上げたのだ。

 私は空を見上げながら、彼らの本来の姿を目にした。


「嘘でしょ……」

 

 声が漏れた。

 冗談だったら、どれだけよかっただろう。


 今朝まで仲間だと──大切な家族と思っていたモノたちが、本来の姿に戻って、


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