第2話 秋月燈という少女


 紅焔こうえんふちで、炎と闇だけがそこに健在していた。地面にはマグマが吹き出し、瞬時に大地を焼き焦がし、家や田畑──その全てを破壊していく。


 人ではないモノ。それは山一つ分ほどの巨大な《黒い狐》。ゾッとするような金色の瞳、逆立った漆黒の毛。鈍色にびいろに煌めく牙。三日月に開いた口からは、殺意と怨讐おんしゅうにまみれた呪いの言葉を撒き散らす。

 対して制空権を維持するのは、《白銀の美しい龍》だ。黒い狐より巨大で空一面に蛇に似た胴体が、果てなく広がっている。雲の上から地上を見下ろし、その酸漿色ほおずきいろの瞳は爛々らんらんと輝いていた。

 そして狐を抑え込む《巨人》。黒い霧をまとっているせいで、特徴らしいものは大きさだけだ。互いに周囲の被害など気にも留めず暴れまわる。


 なにをそんなに怒り狂っているのさ。

 なんでこうなったの?

 二人とも物凄く仲が悪かったけど、殺し合いをするほど酷い関係じゃなかったでしょ!

 私は彼らに向かって叫んだ。


「×××、××××、二人ともなにやってんのさ!!」


 が私に向けられた。まるで探し物を見つけたかのような驚きと、喜びと──明確な殺意があった。


「……其方を……救う」

「主、今すぐ……逃げろ」

「姫──逃げて……くだ……」


 三つの声が私の頭の中に響いた。凄まじい大音量に、頭痛と眩暈で意識が飛びかける。


(つぁ……。こんな所で気を失ったら最後……)


 彼らと五百メートルほど離れているが、一撃でその距離は埋まる。

 なんなんだか。

 私は苦笑を漏らした。「逃げろ」だの、「救う」だの言っておきながら、黒い狐と白銀の龍は、

 喉元からこみ上げる炎が息吹と共に吐き出される。ざっと見て私を中心に半径二百メートル圏内は全て焦土と化すだろう。

 

 私の身体は怖くて震えているのに、頭はどこか冷静だった。「今すぐ逃げろ」と本能は叫ぶ。


(この時代でも結局、


 私はそんな諦めにも似た感情を振り払って、拳を強く握った。



 怖い。

 逃げたい。

 でも──このままじゃダメだ。

 私は×××の主人で、××××の隣に居たいと決めたのだから。

 私は私にできることを最期までしよう。

 全員が生き残る可能性はとても低い。

 勝負は一度だけ。


 火花が肌をちりちりと焦がす。足場はぐらつき、もうすぐここに火砕流かさいりゅうが流れ込んでくるだろう。

 逃げ場など最初からどこにもない。

 けれど



「トモリ、いいよ。一緒にがんばってあげる」


 その声に振り返るが、誰もいなかった。《アヤカシ彼ら》はもう姿を保つことができない程に力を失っていた。

 私の大切な友だち。妖怪や《アヤカシ》と呼ぶ人もいるけど、私にとっては同じ世界に住む友人たちだ。

 誰一人、攻撃的な力を持たないひ弱な存在。


「ござる、ござる」


 目には視えない。けれど友人たちは自分の存在が消えかけているのに、私の元に集まってくれた。

 私は今にも泣きそうになったが、グッと涙を堪えた。


「ありがとう」


 私は弱い。

 力もない人間だから。


「六儀」

「朱さん」


 少しだけ力を貸してもらう。

 脚力の強化により、スピードの加速。

 最短距離で駆け抜ける。


 あと四〇〇メートル


「六合」

「青ちゃん」

「白ちゃん」

「玄ちゃん」


 ほんの少し、彼らの元に行くまで──

 防御と身軽さを得て、空へと跳ぶ。

 腕や足に痛みが、私は走るが構わずに進んだ。


 あと三二〇メートル


「天一」

「天空」

「天后」

「勾陳」


 彼らのたもとまで、もってくれればいい。

 つむじ風が私の背中を押して、一撃目の炎を回避する。

 次の瞬間、爆風で私の身体は木の葉のように吹き飛んだ。


 残り一〇八メートル



「太さん」

「太陰」

「騰蛇」


 追撃の炎に対して、そのまま重力に任せて落ちていく。

 即席の加護で炎の耐性を付けたものの、セーラ服のスカートが僅かに焼け焦げた。

 着地の瞬間に誰かがクッションになって……消えた。光の残滓ざんしが宙に漂う。

 右腕の火傷で痛みが走る。

 泣きたかった。

 けど、まだダメだ。


 残り十……。


福寿ふくじゅ


 彼らの元に辿り着いた。玉のような汗を流し、私は彼らを見上げる。

 福寿の持つ防御なら数秒は持つだろう。

 周囲は紅炎に包まれ、逃げ場などない。


 私は両手を組んで、とっておきを使う。

 まずは×××の暴走を止める。そうすればもう片方も抑えこめる筈だ。

 全てを賭けた。

 持てる限り全てを。



















 賭けて──私は失敗した。



 ***



 砕かれたくさび

 《厄災》が大地に散らばり、空は禍々しく黒煙が至るところで立ち昇る。


「……痛っ」


 身体は血まみれで生きているのが不思議だった。「ひゅう、ひゅう」と自分の吐息が聞こえた。

 もう起き上がる力なんて何処にも残っていない。


 失敗した。

 全て賭けると言っておきながら、私は……。

 ………できなかった。


 ごめん、ごめんなさい。


 私は泣いた。嗚咽おえつを漏らし、子どもみたいに大粒の涙を流した。


「なにを諦めておる。まだ、生きているなら間に合う」


 ××××が告げた。その背は巨大な槍──いや爪が深々と突き刺さっていた。


「ぐはっ……!」


 吐血とけつしながらも××××は倒れない。死の間際でさえ堂々と前を見ていた。

 ああ、そうだ。今日帰って来ると言ってたのを、私はぼんやりと思い出した。


「まだお前に教えておらん、奥の手じゃ」


 しわがれた声で、口の中の血を吐き捨てて私に告げる。その背中が急に小さく見えた。


「…………できるか?」


 そう問うた。

 その覚悟に。

 もたらす代償に。

 そして××××の言葉に私は泣きながら、頷いた。


「よいか。我らの扱うは《術式》にあらず。《心》と《言の葉》による極々当たり前の力……」


 もう唇は動いていなかった。

 私は、今度こそ本当に私自身の──を賭けて言葉を編む。

 想いを紡ぎ、形にする。

 これを託すのは、何も知らない私だ。


 失敗したら絶対に許さないんだから──


「うん。……絶対に許さない……」


 絶対に繋ぎ合わせてみせる──


〝隠れるモノ、怒りと転じれば、贄の泉を求めん。

 恐ろしき黒き神が、名無しの地で眠る。

 隠れた神の 真名を思い出せ〟


 視界は金色の輝きに覆われ──そして焼き切れた。

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