第2話 秋月燈という少女
人ではないモノ。それは山一つ分ほどの巨大な《黒い狐》。ゾッとするような金色の瞳、逆立った漆黒の毛。
対して制空権を維持するのは、《白銀の美しい龍》だ。黒い狐より巨大で空一面に蛇に似た胴体が、果てなく広がっている。雲の上から地上を見下ろし、その
そして狐を抑え込む《巨人》。黒い霧を
なにをそんなに怒り狂っているのさ。
なんでこうなったの?
二人とも物凄く仲が悪かったけど、殺し合いをするほど酷い関係じゃなかったでしょ!
私は彼らに向かって叫んだ。
「×××、××××、二人ともなにやってんのさ!!」
「……其方を……救う」
「主、今すぐ……逃げろ」
「姫──逃げて……くだ……」
三つの声が私の頭の中に響いた。凄まじい大音量に、頭痛と眩暈で意識が飛びかける。
(つぁ……。こんな所で気を失ったら最後……)
彼らと五百メートルほど離れているが、一撃でその距離は埋まる。
なんなんだか。
私は苦笑を漏らした。「逃げろ」だの、「救う」だの言っておきながら、黒い狐と白銀の龍は、
喉元からこみ上げる炎が息吹と共に吐き出される。ざっと見て私を中心に半径二百メートル圏内は全て焦土と化すだろう。
私の身体は怖くて震えているのに、頭はどこか冷静だった。「今すぐ逃げろ」と本能は叫ぶ。
(この時代でも結局、
私はそんな諦めにも似た感情を振り払って、拳を強く握った。
怖い。
逃げたい。
でも──このままじゃダメだ。
私は×××の主人で、××××の隣に居たいと決めたのだから。
私は私にできることを最期までしよう。
全員が生き残る可能性はとても低い。
勝負は一度だけ。
火花が肌をちりちりと焦がす。足場はぐらつき、もうすぐここに
逃げ場など最初からどこにもない。
けれど
「トモリ、いいよ。一緒にがんばってあげる」
その声に振り返るが、誰もいなかった。《
私の大切な友だち。妖怪や《アヤカシ》と呼ぶ人もいるけど、私にとっては同じ世界に住む友人たちだ。
誰一人、攻撃的な力を持たないひ弱な存在。
「ござる、ござる」
目には視えない。けれど友人たちは自分の存在が消えかけているのに、私の元に集まってくれた。
私は今にも泣きそうになったが、グッと涙を堪えた。
「ありがとう」
私は弱い。
力もない人間だから。
「六儀」
「朱さん」
少しだけ力を貸してもらう。
脚力の強化により、スピードの加速。
最短距離で駆け抜ける。
あと四〇〇メートル
「六合」
「青ちゃん」
「白ちゃん」
「玄ちゃん」
ほんの少し、彼らの元に行くまで──
防御と身軽さを得て、空へと跳ぶ。
腕や足に痛みが、私は走るが構わずに進んだ。
あと三二〇メートル
「天一」
「天空」
「天后」
「勾陳」
彼らの
つむじ風が私の背中を押して、一撃目の炎を回避する。
次の瞬間、爆風で私の身体は木の葉のように吹き飛んだ。
残り一〇八メートル
「太さん」
「太陰」
「騰蛇」
追撃の炎に対して、そのまま重力に任せて落ちていく。
即席の加護で炎の耐性を付けたものの、セーラ服のスカートが僅かに焼け焦げた。
着地の瞬間に誰かがクッションになって……消えた。光の
右腕の火傷で痛みが走る。
泣きたかった。
けど、まだダメだ。
残り十……。
「
彼らの元に辿り着いた。玉のような汗を流し、私は彼らを見上げる。
福寿の持つ防御なら数秒は持つだろう。
周囲は紅炎に包まれ、逃げ場などない。
私は両手を組んで、とっておきを使う。
まずは×××の暴走を止める。そうすればもう片方も抑えこめる筈だ。
全てを賭けた。
持てる限り全てを。
賭けて──私は失敗した。
***
砕かれた
《厄災》が大地に散らばり、空は禍々しく黒煙が至るところで立ち昇る。
「……痛っ」
身体は血まみれで生きているのが不思議だった。「ひゅう、ひゅう」と自分の吐息が聞こえた。
もう起き上がる力なんて何処にも残っていない。
失敗した。
全て賭けると言っておきながら、私は……。
………できなかった。
ごめん、ごめんなさい。
私は泣いた。
「なにを諦めておる。まだ、生きているなら間に合う」
××××が告げた。その背は巨大な槍──いや爪が深々と突き刺さっていた。
「ぐはっ……!」
ああ、そうだ。今日帰って来ると言ってたのを、私はぼんやりと思い出した。
「まだお前に教えておらん、奥の手じゃ」
しわがれた声で、口の中の血を吐き捨てて私に告げる。その背中が急に小さく見えた。
「…………できるか?」
そう問うた。
その覚悟に。
もたらす代償に。
そして××××の言葉に私は泣きながら、頷いた。
「よいか。我らの扱うは《術式》にあらず。《心》と《言の葉》による極々当たり前の力……」
もう唇は動いていなかった。
私は、今度こそ本当に私自身の──を賭けて言葉を編む。
想いを紡ぎ、形にする。
これを託すのは、何も知らない私だ。
失敗したら絶対に許さないんだから──
「うん。……絶対に許さない……」
絶対に繋ぎ合わせてみせる──
〝隠れるモノ、怒りと転じれば、贄の泉を求めん。
恐ろしき黒き神が、名無しの地で眠る。
隠れた神の 真名を思い出せ〟
視界は金色の輝きに覆われ──そして焼き切れた。
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