とある少女の日常 四

 私は抗う力もなく吹き飛ばされた。そしてその背後にそびえたつ巨木がもう目の前に──


(間に合わな……)


 ぶつかりそうになったところで、ぽよん、と弾力のある何かが私と巨木の間にクッションとなって飛び込んできた。


「今のは……」


 私が振り返ると──


「ござる」

「わー、わー。トモリ、へーき?」

福寿ふくじゅ、木霊!」


 巨木の上に雪だるまのような姿の木霊と、饅頭まんじゅうのような木霊たちがクッションとなって私を助けてくれた。


「ありが……って、わあ」


 安心したのもつかぬ間。私の体は二十メートルほどの高さから落下して、地面に叩きつけられる──はずだった。落下の速度を緩めたのは、宙に浮く半透明の反物だ。私の両腕に巻き付いていた。

 アヤカシの名は一反木綿。


天一てんいち天空てんくう!」

「トモリ、もっと飛ぶ?」

「ううん、大丈夫。ありがとう」


 半透明に浮遊する一反木綿、森の木霊たち。みな私の家近くに棲んでいるアヤカシたちだ。


「言っただろう。森は繋がっているとー」


 巨大な白蛇土地神様は、私の傍へと歩み寄る。五メートルを超える蛇はとぐろを巻いて、私と同じ目線へと首を下げてくれた。


「土地神様。……うん、そうだね。めちゃくちゃ心強い」


 すでに《クロサキ》たち武装集団は撤退したようで、龍神と式神、そして師匠が鳥籠の中で戦っている。

 巨大なきじ相手に臆することなく──というか、容赦なく両翼を切り裂き、地面に叩き落とした。


(うわぁあ……。っていうか、これなら武装集団いなくても良かったんじゃ……?)


 今回の相手は苦戦はしているが、戦闘力に関してなら《ゼロ課》のメンバーだけでも事足りる。……となると《対・物怪》専用兵器が、一般兵でも通じるのかの実験だったのかもしれない。


「それだけじゃないよー。……というかウチが基本的に協力してなかったから、三四回は失敗しているんだよねー」


 土地神様は、さらっと恐ろしいことを言ってのけた。


「え、なんで!?」

「ウチの話を都合のいいように解釈して、自滅したんだよねー。会話にならないし。案の定、ウチじゃないマガイモノの言葉を信じて、自分から失敗してたよー」


 マガイモノ。アヤカシ古き神々ですらない、《物怪》に近い、人の欲望が塊となった何か。


「あー、なるほど……。でも、《失踪特務対策室》以外でも、《物怪対策部隊》は少なからず配備されているはずなんだけど、その人たちも?」

「まあ、厳かな神社にお布施してもウチは動かないからねー、ってかそこにいないし」


 神様の原動力は人の《祈り》であり、万物の恩恵に対しての《感謝》。しかし今日における人々の参拝は、ご利益目当ての私欲がほとんどだ。それは《願い》ではあるが、《祈り》でも《感謝》でもない。


「もうさ、自分ばっかの願いって《呪い》に近いからね、あんな怖い所にいられないよー。その点、キミは真っ先にウチを見つけたよねー。こんな森の中の小さな祠なんて、誰も気づかないし。ここに来る前にある程度目星を付けていたっぽいけど」

「それはですね──」

「私の力です」


 突然、龍神が私の前に現れた。


「ふぇ、龍神!?」

「仕上げです。行きますよ、姫」と言うなり、私を抱きかかえて駆け出す。

「へ? ふあああああ!」


 龍神が一気に跳躍すると、私の視界から大蛇は消えて白銀のなびく髪と彼の横顔が映り込む。


「戦い中に談笑など、気を抜きすぎです」

「それは……ごめんなさい」


 私を抱きかかえる龍神は、蔓を無視して鳥籠の中に突っ込む。

 巨大な雉は、式神の生み出した無数の黒い刃で貫かれて、身動きが取れないように抑え込んでいる。あとは──


「お話はしてましたけど……、ちゃんと《物怪》が何かは判明したから、大丈夫です」


 私はにっこりと笑って親指を立てた。が、龍神の表情は一ミリも変わらない。むしろ冷めたような視線を返す。


「…………えっと」


 龍神は無言だった。心なしか怒っているようにも見えなくもない。


「あの、龍神……」

「それよりも今は任務を終わらせることが第一です。姫、準備を」

「あ、うん……って、ふああああ!」


 ふわりと浮いていたのが、一気に速度を増して地に伏している雉めがけて落下していく。


 竜神は巨大な雉の前に私を宙へと放り投げた。普通なら、このまま雉に突っ込むだけで終わりだ。だが、雉の上には式神がいる。彼は私の影を一時的に具現化させ、空中に足場を作る。

 《物怪》との距離は十メートルを切った。


「《天探女あめのさぐめ》」


 ──キェエエエエン──


《物怪》は最後の足掻きとばかりに、奇怪な声を上げた。

 私だけに的を絞って、黒い塊が襲い掛かる。だが、それを浅間と、式神が断ち切って道を切り開いてくれた。


「行け、馬鹿弟子」

「主よ、決めてしまえ」


 私は、危なげに落ち葉の多い地面に着地をすると、そのまま雉に向かって駆け出す。その距離はわずか五メートル。


「貴女の名は《天探女》──、天佐具売神あめのさぐめのかみ。天邪鬼の原像。名鳴女ななきめとも呼ばれる」


《言の葉》によって、巨大な雉の黒々とした邪気を吹き飛ばす。

 私は刀を鞘から抜き取り、刃を雉に向けて突進する。鈍色に煌めく刀──邪気だけを切り裂く《退魔の刃》。


 刃先に黒い煙が触れた瞬間、白い結晶となって雪のように砕け散る。


「貴女は《古事記》において、天稚彦あめわかひこを貶めた悪女とも記された天津神の使徒。でも、実際は雉の鳴き声を聞いて占う巫女が神格化された存在。そして矢によって命を絶たれた巫女」


 私は柄を強く握りながら、雉の頭を貫く。


「大丈夫、


 アヤカシが最も求める言葉。

 負の感情とアヤカシを結びつけるのは、《望む言葉》であり《願い》に起因する。

故にその力を絶つには《物怪》となったモノが望む《言の葉》を導き出すこと。



 ***



 真っ黒な空間の中で、ある女人は逃げまどい、叫ぶ。

 走って逃げても、繰り返される怒号と、鋭い矢が胸に深々と突き刺さる。

「違う」と、何度告げても「不吉な結果をもたらした女」「死をもって清算すべきだ」「悪女」「裏切者」と罵られ、長い髪を引きちぎられていく。

 何十、何百、何千と同じ瞬間を繰り返す悪夢。

 ぐるぐると繰り返す闇の中で、白刃の煌めきが闇を割いた。


「あ」と、女人は声が漏れた。

 まばゆい光に、闇にうごめく気配が消えていく。

 真っ白な肌の美しい女人は、恐怖と絶望で表情が死んでいた。

 女人は真っ白な光に目を見開く。絶望しかなかった瞳は、ぼんやりと光を見上げた。


 ────


 涼やかな声。まるで春風の如く花びらが舞い吹き荒れる。

 女人の目に生気が宿り、目じりに涙が浮かんだ。それはずっと望んでいた言葉。誰かからの肯定の言葉だ。


「ああ……」


 否定され続け、呪われ続けたモノが砂糖菓子のように溶けて消えていく。

 誰かに抱きしめられたかのように、女人は大粒の涙をこぼして消えた。

 雉が空に羽ばたくように、一緒に真っ白な光へと──

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