とある少女の日常 三

 あわあわする私に肩にいる白蛇は、空気を読んで目を伏せている。龍神はというと──先ほどから固まったままだ。


「あの、龍神……」

「……そう、デートです。冬が近いですから、マフラーを買いに行きましょう。その時に貴女に伝えたいことがあります。いいですね」

「は、はい……!」


 きっかり三十秒。龍神は一方的に話を終わらせ、暗がりの山を駆けていった。所定の位置に向かったのだろう。

 けれど私は嬉しさと頬の熱で、それどころではなかった。


(え、え、ええええええ!?)


 眩暈が仕掛けたが、ちょん、と私の頬に白蛇の口が触れて──次いで額めがけて、ぶつかってきた。

「い、痛っ……!」と私は額をさすった。


「ほら。気を引き締めて、始めるとしようー」

「あ、うん。はい!」


 土地神様の言葉に私は気持ちを切り替えて、《言の葉》を唱える。


「古の盟約により、力を貸したまえ

 祈りと この地の繁栄を願い

 悪しきものを 祓うため 解放されたし

 術式展開──鳥籠とりかごの陣」


 《物怪》だけに適応され、この京都全域に存在する全ての《物怪》だけが、嵐山に陣取った森の中に転送される術式だ。


 私の肩にいた白蛇は、本来の姿大蛇に戻る。それと同時につるが蛇のごとく動き、巨大な鳥籠へと形成される。

 半径八百メートルほど巨大な鳥籠の中に転送されてきた《物怪》は、一か所に群がっていた。うごめく人影に似た何かは二十、いや三十はいる。


「照明をつけろ」


 師である浅間の声が山に響いた。

 刹那、上空の航空機と、地上の大型照明器具のスイッチが入り、鳥籠を照らし出す。この周辺一帯には、防音と巨大な光学迷彩。そして人除けの術式とあらゆる工作を行っている。


(作戦内容は武装集団、龍神、式神、師匠の四方向からの同時攻撃。……と言っても、武装集団の彼らは鳥籠の外から銃撃戦のみ。その間に龍神と式神、師匠は鳥籠の中に入って《物怪》の力を削いでいく……)


「時間だ。そんじゃ行くぞ、お前ら!」


 リーダー格の《クロサキ》の合図と共に武装集団は、鳥籠の中にいる《物怪》に向かって引き金を引いた。銃声が山に轟く。


 ──オオオオオッ!──


 《物怪》たちは、耳障りな悲鳴を上げ──黒い煙を上げて霧散する。

 ここまで大掛かりな作戦があっても、民間人には知らされない。

 記事も乗らない。なぜなら── 戦う相手は《物怪》。。なにより────


「…………」


 土煙と硝煙の匂いが鼻につく。


 この事実を公表すれば恐怖と絶望で、ほとんどの者が事実に耐えられずに《物怪》になる、というのが心理分析班の見解だった。

 けれど、と私は思う。いつか人が気づかかきゃいけない、と。このまま誤魔化せば、状況は悪化する。そんな予感があった。


(確かに《物怪》は怖いし、人間だけならどうにも出来ない。……でも、周りを見渡せば手伝ってくれる存在アヤカシがいる)


 今も戦っている龍神や式神、師匠。土地神様、武装集団の面々。

 私は一人じゃないと、それだけで力が湧いてくる。


 《物怪》を倒すには、いくつかの方法がある。術式を駆使した力による排除。これが一番手っ取り早い。けれど、その場合、《物怪》の力を一時的に無力化するだけで、時間が経てば元に戻る。先送りするだけで根本の解決にはならない。


 だからこそ《失踪特別対策室》ゼロ課が存在している。《物怪》となった原因そのものを叩く。それが本来の役割だ。

 私は式神が倒した《物怪》から記憶を得ることができる。それを通じて、《物怪》となったアヤカシが何かを特定する。


「ふう」と小さく吐息を漏らすと、目を閉じた。

 時間はあまり無い。特定が遅れればその分、《物怪》の放つ狂神現象精神攻撃に見舞われる。下手をすれば廃人となる可能性があるのだ。私も例外じゃ無い。


「…………」


 私は流れ込んでくる感情を辿り、意識を集中させた。



 ***



「嘘つき、本当はそんな事を思ってないくせに」

「お前さ、なんでバレバレなことを言っているのさ」

「面倒な性格だな、そこまでして人の気を引きたいのか?」

「からかわないでよ。根性がひねくれてんじゃない?」


 声。

 聞こえてくるのは、野次や罵倒に近い。これは《物怪》の表面に着いていた負の感情。言った側ではなく、だ。些細な言葉も人を傷つける刃となる。

 アヤカシは自分と関連する言葉や、心に惹かれる。


(嘘つき、捻くれいる、素直じゃ無い。それなら鍵となりそうなアヤカシは天邪鬼あまのじゃく……)


 リン、と脳裏に鈴の音が響いた。アヤカシの特定は知識があれば難しくはない。


「《天邪鬼》は河伯かはく海若かいじゃくとも呼ばれている。けれどそれは、中国の水鬼と習合したもの。また人間の煩悩を表す象徴とされた」


 私の告げる《言の葉》に、黒い塊の《物怪》が過剰に反応を見せる。向こうも気づいたようだ。


 ──オオオォオオ!!──


 黒い塊の《物怪》が獣に似た咆哮をあげて、私へと突貫してくる。

 《物怪》の姿は、四天王や金剛神に踏みつけられている悪鬼に近い。


 ──ギャアア!──


 耳障りな威嚇に、《クロサキ》の率いる武装集団が青ざめていた。眼前に迫る恐怖に、引き金を引くことも忘れてしまっている。


「式神、龍神。正面のフォローをお願い。師匠はそのまま適当に蹴散らしてください。土地神様、手前の鳥籠の強化を」


 私の言葉に合わせて、全員が自身の役割を果たすために動く。そこには一切の打ち合わせなどない。あるとすればスタンドプレイのみ。

 それでも式神と龍神は互いに背中を合わせて、小鬼の姿となった《物怪》を蹴散らしていく。


「《クロサキ》さん、戦意喪失した人たちをここから撤退して、森のふもとに待機している医療班に従ってメンタルケアを受けてください」

「いや、だが……!」

「戦況が変わりました。固まったままの人がいたら気絶させてもいいので、離脱してください。……早く!」


 私はそれだけを言うと、鳥籠へと視線を戻す。


(《天邪鬼》だけなら、龍神たちが切り伏せてしまえば終わる。でも……もっと深い何かまで取り込んだ?)


 私はもう《物怪》の記憶を探る。





 ──違う。違う。そうじゃない。私は伝えに来ただけなのに……どうして──


 誰かが泣いている。女の人だろうか。鳥の鳴き声にも聞こえてくる。


 ──あの鳴き声は不吉だ。災いをもたらす。射殺してしまえ──




 アヤカシは人が作った善と悪という枠組みとは異なるモノ。負の感情ワルイモノが近くにあれば、それに染まってしまう。


「《天邪鬼》の元となったのは、《天逆毎あまのざこ》。スサノオが体内に溜め込んだ気を吐き出して生まれたとされる。それともう一つ。この女神の名は《天探女あめのさぐめ》」


 鈴の音が高らかに鳴り響く。

 《物怪》の姿も小鬼から姿をかけて巨大なきじいへと姿を変える。その姿は禍々しく、不吉な鳴き声を上げた。

 鳥籠を壊しかねないほどの巨大化。全長は三百メートルはあるのではないだろうか。

 凄まじい風圧に、周囲の木の葉が吹き荒れる。私は大蛇にしがみつこうとするが──遅かった。ふわりと体が浮き──


「って、嘘でしょ。ふわっあああああああ!」


 案の定、私の体は木の葉と同じくらい軽々と宙を舞った。

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