第69話 式神の目的

「ぐっ……!」


 式神から吹き出す邪気と禍々しく歪んだ気配に、冬青そよごは鳥肌がたった。人の負の感情を何千倍も煮詰めたような、怨嗟の嵐が吹き付ける。


(しかし、この程度なら──)


 冬青が無理やり体を動かし、反撃に転じようとした刹那──

 轟ッツ!

 死角となっていた真下の地面から無数の槍が、唐突に飛び出し──冬青の体を貫く。


「がっ!」


「自分が不死鳥だからって、警戒が緩すぎるだ。たしかに負傷させても復活するのは面倒だが──お前、攻撃を受けるたびに復活までの間隔インターバルに時間がかかっている事に、気付いていなかったのか」


(つぅ……、この男戦い慣れしている。それも至って冷静。式神とは主人の危機に対して多かれ少なかれ、動揺なり激昂するはず……)


 冬青は冷徹な式神の存在に、恐れ慄いた。


「ああ、不思議そうな顔をしているようだが、怒っているぞ。それもかなりな。その証拠に、ほれ、そろそろ来るぞ」


 まるで示し合わせたかのようなタイミングで、冬青の体を貫いた刃が、黒い炎へと転じた。


「ぐッ……がああああ!」


 冬青の悲鳴と共に、あらゆる身体の骨が砕ける音が響いた。内側から神経や骨をズタズタにしていく。緻密に計算された二段構えの攻撃。それも彼の傷が完全に塞がる前という絶妙なタイミングをわざわざ選んだ狡猾さと残忍さ。


「某は龍神や武神ほど、優しくはないのでな。死ぬまで何度も激痛に悶えろ」




 ***



 暗転。

 深淵というよりは、光の届かぬ深海を漂う感覚に似ていた。


(……椿?)


 燈は夢見心地の中で、椿の戦いをどこか俯瞰的ふかんてきに眺めていた。


(椿は……いつも傍に居てくれる。でも、その理由を聞いても、はぐらかされてきた。それに私を主と定めた理由も、過去も……教えてくれない。このままじゃ駄目だ……。椿にばっかり背負わせたら、いつか椿にしわ寄せが来てしまう……そんな気がする)


 燈は式神椿根源ルーツを探ろうと、意識を同調させる。

 なにを見て、何を想い、どのような経緯を経てになったのか。《物怪》であったのなら、強い感情と意志がなければ、自我を維持し続ける事は困難だろう。

 どんな崇高な願いがあったとしても、その願いは歪んでしまったのを、燈は知っている。大切だった筈なのに、自らの手で壊してしまった、狂ってしまった人たちを見てきた。


(後で椿に怒られるかな……。それでも、私は椿のことが知りたい……)


 放っておいたら、陽炎のように消えてしまいそうな気がしたからだ。傍に居るのが当たり前すぎて、大切な人を見失わないように──

 、誰も欠けずに生き残れるように──

 祈るように燈は目を伏せて、眉間に皺をよせて願う。


(音が聞こえる。これは……雨の……?)


 激しく降りそそぐ豪雨のような感情の中、一瞬だけ断片的な映像が脳裏によぎった。

 宵闇の中、僅かな篝火かがりびが森を照らす。

 豪雨、背を向けて座り込む男がいた。

 白銀色に染まった長髪が乱れる中で、

 恐らく抱きかかえられた者は、亡くなったのだろう。


(ああ……。この出来事……。前に、も……)


 人目もはばからず叫ぶが、誰の名を呼んでいるが燈の耳は届かない。前はもっと上空から俯瞰ふかんしている立ち位置だったが、

 

 白銀色の髪の男──その背中が見える。

 式神の意識を同調しているからだというなら、これは彼の視界だろうか。


 どんな関係だったのか。

 悲痛と後悔。

 抑えられない殺意、膨れ上がる狂気、憤怒が身を焦がす感覚。

 怨嗟の声に燈は飲み込まれかけた、その時──


 ──嗚呼■■嗚呼■■■嗚呼嗚呼嗚呼──


 耳を抑えても、頭に入ってくる絶叫。


(なっ……!)


 深い闇が大波となって、少女の意識を飲み込んだ。

 息が出来ぬほどの流れに逆らえず──少女の意識は深淵と落ちていく。








 ゴゴゴッ、と地鳴りと共に吹き荒れる火山。その大音量と、怒号に意識が引っ張られる。もし、これらの感情に名を付けるとしたら、憤怒だ。

 復讐に身を焦がし、殺意に満ちた──

 轟々と燃え上がる炎。

 どこかの集落だろうか。弥生時代のように古い。

 逃げ惑う人々と、血飛沫が飛ぶ。

 喧々囂々けんけんごうごうとしたどこかの集落。


 夜の中でも、山火事よりも燃え上がった悪意ある炎。

 赤黒い──炎。

 先陣を切って人を殺しているのは、を持った鬼だった──


「先に仕掛けたのは、お前たちだろう。これは報いだ。誰も逃さぬし、許さん。全ては灰となり、土に還れ」


 憤怒に燃えるその鬼は叫ぶ。それなのに、燈にはなぜか泣いているように見えていた。




 ***




 旧暦二〇一〇年三月二十八日──冥界、《常世之国》、《青龍の鳥居》周辺。


 山岳地帯、その崖の上に《青龍の鳥居》がある。式神は緋色の甲冑音をガチャガチャとならしながらも、大股で駆ける。

 雄々しく反り立つ三つの角。顔つきはより険しく、歯がより鋭く牙が伸びる。双眸も猛禽類のように強張っていった。


 紅の甲冑はひしゃげて、その中から黒い炎が体に纏う。その炎は椿の顔半分まで覆いつくし、轟々と吹き出すように甲冑に合間から吹き出していた。すでに式神の姿は人間から逸脱しつつある。


(ぐっ……。限界か……、これ以上、影に戻るのが遅れれば──主の体に負荷が……)


 式神は歯噛みした。意識を失った燈を残して彼が影に戻れば、次にいつ顕現できるか分からない。無理に出てくれば、主である少女の肉体に響く。

 故に式神は駆けた。自身のことなど捨ててとにかく最短で《青龍の鳥居》へと急ぐ。


 だが──《青龍の鳥居》が肉眼で見える距離まで着た瞬間、式神の体が硬直した。いな、実際には動きを封じられた、というのが正しい。


「新手か──!?」


 黒い炎が燃え滾る中、弦を弾く音が耳に入る。

 式神は良く目を凝らすと、周囲一帯に目に見えにくい糸が幾千と張り巡らされていた。蜘蛛の巣に飛び込んだ、という表現が的確なのかもしれない。


「新手──とは、なんとも失礼な奴じゃな」


 鈴の音色を響かせ、霧を従えて現れたのは灰色の長い髪を靡かせた美女だ。気品に溢れ、白い衣を纏った姿はゾッとするほど美しい。


 灰色の長い髪は、宝石が煌めくかんざしによってまとめられ、紅の散りばめた彼岸花と黒の着物。どこか遊女を彷彿させる妖艶さがあるが、《物怪》ではない。その纏う気配が如実に表していた。八百万の神々──

 漿が、式神の抱き上げている秋月燈へと向けらえた。


「……久しいのう、八葉やは


 その名を聞いた瞬間、式神の気配がガラリと変わった。眼前に現れた女人に対して、殺意をぶつける。

 爆発的に生じた憎悪に、周囲に張り巡らせた糸がブチブチと音を立てて切れていく。


?」


 式神はいつになく冷たく、低い声を女人にぶつける。絶世の美女の雰囲気や口調は異なるのだが、式神の中ではあの人間榎本佳寿美に似た何かを感じていた。

 だからこそ、注意深く相手の出方を見定める。


「知っているも何も、八葉は妾の大切な友人だからのう。そなたこそ、なぜこの名を知っておる?」


 そう告げたのち、女人はあることに気付き口端を吊り上げた。


「ああ、そなたが


「!?」


 完全に予想していなかった発言に、式神はビクリと肩を僅かに揺らした。それを気づいているのか、女人はさらに言葉を続けた。


「しかし、どうして八葉が妾との約束を違えたのか。気になっておったが、なるほど、なるほど。これで合点がいった」


「…………」


「──妾の用立てた眷族椿を食ったのは、そなただな」


「なっ……。では、あの眷族はお前が……」


「然り。そなたが八葉を見殺しにしたあと、死にかけておったのを妾が気まぐれで助けたのじゃ」


「!?」


「それから暫くして……ある《役割》を果たすために妾が眷族を仕立てた。八葉の影──つまりは、魂の一部を抜き出し、花を触媒に顕現させた。というのも、なにぶん無粋な輩が多かったからのう。その眷属の名が《椿》」


「…………」


「それを食らって取り込んだのか」


 式神は黙したまま、何も語らない。女人は構わずに言葉を続ける。


「《物怪》いや《鬼神》となり果てて自我を保っておるのは、そなたの自我ではなく八葉の魂の持つ特性ゆえ……」


 美しい女人はその美しい容貌を歪ませ、式神を睨んだ。そこには式神にも劣らぬ殺気が含まれていた。


「のう、そなたの目的はなんじゃ? あの時、見捨てた事への贖罪ゆえに八葉の傍におるのか? それとも八葉の魂の味を知って、?」


 式神は歯噛みし、言葉を飲み込む。何を言おうと、言い訳にしかならないような気がして──そして声に出すことを恐れた。


を知れば、我が主は恐らく全力で止めに入る。それだけは、避けなければ……)


 沈黙。それは肯定ともとれる行動だった。ゆらりと女人の袖が揺れる。すう、と細い腕が式神へと向けられ──二人の間で火花が散った。

 次いで黒い炎と緋色の大袖ごと、式神の片腕が吹き飛ぶ。


「ぐっ……!」


 どくどくと赤い鮮血が舞う中、もう片方の腕で抱き上げている燈をしっかりと抱きかかえる。

 それは「何が何でも腕に抱く少女だけは守り抜く」と、いう意志の表れだった。血走った人ならざる双眸。けれど、理性を持った覚悟ある男の顔。


(こやつ……。わざと防がなかったのか)


 その迫力に、さしもの女人も僅かにひるんだ。


「ああ……。そうだ、どのような経緯があったとしても、某は我が主の魂──眷族である《椿》を取り込んだモノだ。化物で、ここにいることも贖罪といえば違いはない」


 地面を赤黒い血が染める。吹き飛んだ腕がじくじくと痛んだが、式神は歯を食いしばって叫ぶ。


「だが、某の目的は────────」


 風が凪いだ。


「なっ……」


 その言葉に女人は全身が凍り付いた。冗談でも揶揄やゆでもない。本気で実行する気なのだと、直感でわかったからだ。


「それを八葉が許すとでも……思っておるのか? 誰よりも情の深いこの娘に──」


「許してもらおうなどとは思っていない。恨まれても構わない。……それでも、


 それは去年の事件のことを指しているのか。

 それとも一九九九年の《MARS七三〇事件》か。はたまた生前──


(おそらく八葉の傍に、もっとも傍に居た存在なのであろう。それでなお、自身の幸福を望んでおらんとは……。いや、こやつにとって、その目的こそが自身の幸福なのかもしれん。それは、あの武神とも似た理由なのだとしたら……。満足する終わり方を求めて歩み続けたモノと、自身の命の使いどころを求めて傍で支えていたモノ)


 緊迫した空気の中、女人は目を伏せた。


(今、現世と冥界、そして《異界》のバランスが崩れている。《空白の黒幕化物》となる可能性があるのがこやつ式神と、八葉の武神とは随分と残酷じゃな)


 女人は指先を滑らかに動かすと、式神の体に絡みついた糸をほどいていく。


「まあ、よい。最終的に八葉を食らうつもりだったのなら、殺しておったが──違うのならば妾が口を出すことではない。好きにするがいい」


 女人は、ゆらりと踵を返す。その仕草もまた無駄な動きがなく、ほかの者ならば見惚れていただろう。


「……………」


 式神は女人を一瞥すると、《青龍の鳥居》へと急いだ。片腕の負傷による激痛を堪えながら駆けた。


(鳥居まであと少し、主をくぐらせれば──!)


 急な傾斜を跳躍し、山岳地帯の崖の上に青白く光る鳥居が目に入る。

 千段はある階段を駆け上がる中で、足の踏ん張りが効かなくなってきた。それと同時に、燈の左指の黒い痣がジクジクと広がっていく。


(ああ、そうだ。……某はまがいもので、偽物で、化物だ。そんなことは重々承知している)


 歩くたびに骨が軋み、肉が悲鳴を上げる。

 だが、それでも式神は歩みを止めない。

 肉体の激痛など、あの時の絶望に比べればへでもなかった。


(某が関わらなければ、ならなかったのかもしれん。だが、出会ってしまった。気づいてしまったのだから……、止められるはずもない……)


 どんな形でもいいから、傍にいたい。

 今度こそ最後まで、傍にいたい──愚かにもそう願ってしまった。


(××、多岐姫、八葉……。あの時とは違う。今ならば少しは主の役に立てる……)


 十数年という式神にとっては瞬きほどの時間。それは宝石よりも高価な得難いもの。まばゆい太陽の日差しの中で、燈の傍にいると自分がまともな何かモノだと錯覚してしまう。

 歪な嘘だらけの主従関係が、本物だと誤認してしまうほどに──


(某がいなくとも……、戦う術を……。いや、主が戦わぬように……。某に出来ることは戦う事だけだ。だからこそすべての厄災を……食らいつくす……)


 式神の想いと決意が、限界を超えて体を突き動かす。


 ***


 声が聞こえた。

 深淵の怒号や絶叫の中で、聞き覚えのあるダミ声。

 深い後悔と、底知れぬ怒り。

 それらの声が燈の心を揺さぶる。


(声……。椿の……ずっと傍にいてくれる大切な……)


 いつも傍にいることが当たり前だと思えるほど、燈にとって椿は身近な存在で──家族に近い。

 本当の家族の記憶はない。だからだろうか、式神が真っ先に家族として浮かび上がる。

 父というよりは、年の離れた兄がいたらこんな感じだろうか。

 いや、どちらかというと親戚の叔父さんの方がしっくりする。


(椿にはいつも助けられてばかりだ。椿が主として……私を認めてくれているなら、私はそれに相応しい人にならないと……!)


 深淵の中で身動きが取れなかった燈は、拳を強く握りしめると、上へ上へと体を起こしていく。


(元気がなかったり、謝っている声より、いつもみたいに笑てほしい……。うん、私をからかっているぐらいが一番生き生きしている気がするし!)


 燈は浮かび上がる意識の中で手を伸ばす。大切な人がいなくならないように──


 ***



 鳥居まであと五メートルのところで下半身が崩れ、影に引き込まれる。

 術式による強制退去。

 六条院焔が施した式神との契約時における楔のようなものだ。


(チッ……! あと一歩だというのに……!)


 式神の体が傾き、それによって彼は燈の体を手放してしまう。

 慌てて手を伸ばそうとするが、その指先も黒い炎となって形が崩れ落ちる。


「と……っ、主っ……!」


 燈、と呼ぼうとして式神は躊躇った。

 その一瞬が、決定打となりその手は届かない。

 このまま気を失った少女を残して、式神は影に強制的に消える──かに見えた。


 だが──


 だん、と力強くたたら場を踏みしめ──燈は式神の肩を担ぐ形で、彼が倒れるのを抑えた。


「椿、平気!?」


 燈が目を覚ましただけではなく、力強くたたずんでいることに式神は目を見開いた。









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