第70話 約束の果てに


「主……」


 燈は冬青との戦いでボロボロだった。それでも少女は式神を担いだまま、ゆっくりと鳥居に向かって歩き出す。


 弱々しく、すぐに倒れそうだというのに、その一歩一歩進もうとする姿勢は、力強さがあった。


「大丈夫。誰も置き去りになんかしたい。全員で戻るの」


 愚かだと式神は思った。戦えぬを、後生大事に抱えて歩もうとする自らの主に。使い物にならない足手まといならば、切り捨てていくべきだ。

 でなければ生き残れない。どこかで足元をすくわれる。


 式神はそう何度も思って、忠告しようと口を開く。だが、声にはならなかった。


「みんなで帰る。例外なんで許さないんだから!」


 人だろうと、アヤカシだろうと燈には関係ない。一度決めたら貫き通す。

 少女の言葉に式神は、歯噛みし──脱力しきって笑ったのだ。


「ああ、そうだな」


 彼の声はか細く、切れ切れだった。


「そう言ってのけるからこそ、某が選んだ、ただ一人の主だ」


「あははっ。椿に褒められると照れるね」


「褒めてはおらん。事実を言ったまでだ」


 ぷい、とそっぽを向く式神に燈は口元を綻ばせる。


「椿って本当に褒め上手だよね。こうなんというか、嬉しくさせる天才?」


「なんと今頃、某が天才だと気づいたのか」


「うん、気づかなかった」


 バチッ、《青龍の鳥居》の向こう側が青白い光を放つ。稲妻に似た煌めきを放った瞬間、空間の狭間に亀裂が入る。

 亀裂は膨れ上がり、吹き出すように何かが飛び込んできた。


「あ……」


 空間の亀裂から姿を見せたのは、巨漢の男だった。

 本来であれば身構えるのだが、燈と式神はその姿に安堵する。漆黒の軍服、深緑色の斜めに切りそろえられた前髪、長い髪を後ろで束ねている。

 相当激しい戦いがあったのか、黒のロングコートの裾はボロボロで、褐色の返り血がこびりついていた。

 

「…………」


 いつにも増して浅間の纏う空気が重い。しかし、燈はあまり気にせずに浅間に声をかけた。


「ししょ……じゃなくて、浅間さん! 合流できてよかった。龍神がまだ戦って──」


秋月燈あきづきともり、一つ聞く。龍神との《封印術式》は解かれたのか?」


 唐突な質問に燈は、目を見開いた。

「何かがおかしい」そう直感するも、気力体力も限界に近かった少女は、思考を巡らせるのがいつもより鈍かった。


「えっと、半分は解除できたらしいです。あとは、時間がなくて《封印術式》についての話を聞いたのち、ある言葉を私が告げれば解けるとか……」


「そうか。それはよかった」


 俯いていた浅間の口角が吊り上がった。


(……なんだろう、浅間さんらしくないような。でも、何がと聞かれたら分からない……)


「ところで、龍神から何か預かってはいないか?」


「浅間さん、それよりも龍神を助けに──」


「俺の質問に答えたらだ」


 明らかな拒絶に、燈は声を荒げた。


「そんな……、今は一刻を争うんですよ……!」


「俺にも引けぬ事情がある。……早く答えろ。貴様が答えれば、その分、話が早く進むのだからな」


(浅間さんが……焦っている? ううん、苛立っている、が近いのかな)


 燈は浅間の表情を読み取ろうとするが、強い感情──殺気が表立っているため、その奥にある本質や考えが見えない。黙っていても話が進まないと思い、少女は口を開いた。


「烏天狗の柳が詳しく知っているらしいのですが、彼は今気を失っていて聞き出せる状態では──」


 浅間は目を伏せたのち、小さくため息を漏らした。


「そうか。ならば仕方がない。手荒な真似はあまりしたくはなかったのだが、そうも言ってられんからな」


「え?」



 ゾッとするほど平坦な声だった。

 次いで、浅間が手を翳すと赤黒い閃光が迸る。その閃光から形成されたのは、滑らかな曲線を描いた刀剣。なぜ、ここで武器を生み出したのか、燈は頭が追いつかなかった。

 鞘から抜かれた鈍色の刃。それが向けられたのは、侵略者ではなく──


「ちっ、主。にげ……」


 キィン、と金属音がなる。まるで音色のような響き──


「がっ……!」


 ほんの一瞬だったが、燈は鈍色の刃が式神の肩に深々と刺さるのが見えた。

 止める事など、少女の技量では不可能だった。


「椿!」


「ほお、その状態で二撃防いだか。だが……」


 見えない斬撃が燈を襲う。それを庇って式神は腹部、頭、片腕、両足が切断され──少女の担いでいた体が細切れとなって、石畳に転がり落ちた。


「浅間さん! どうして椿を!」


「がはっ……、否。主……逃げよ。こやつの狙いは──」


 式神の緋色の甲冑はボロボロに砕かれ、長い黒髪と整った顔が地面に叩きつけられる。

 燈は式神へと手を伸ばそうとするが──それすら許されなかった。

 刃は深々と燈の胸、否。心臓の下に突き刺さる。


「かはっ……」


「あ、あああああ!」


 叫んだのは式神だ。刃が抜き取られる瞬間、鮮血が燈の視界いっぱいに広がった。しかし、少女の頭に思い浮かんだのは、純粋な疑問だった。


(え……なんで……?)


 燈は両足に力が入らずに、その場に崩れ落ちる。その少女の体を支えたのは、斬った本人──浅間だった。彼は片手でそっと少女の体を横に寝転がした。


(浅間さんが……)


 浅間の酷く冷めた双眸には、動揺も躊躇いも微塵もない。ただ目的のために行動したというところなのだろう。


「主!!」


 細切れにされた式神の体は、修復され鎧武者の姿へと戻っていく。しかしその速度はあまりにも緩慢で、遅い。

 それよりも、少女の体から赤い液体が地面を濡らしていく。


「武神、これはなんのつもりだ!」


 烈火のごとく怒りをぶつける式神に、浅間は固く閉ざしていた口を開いた。


「これは龍神が掛けていた保険。万が一にも秋月燈が傷を負った──命の危機にかかわる場合のみ、《封印術式》が強制的に解除され、龍神の力がコイツの傷を癒す」


「ひゅっ……ひゅっう……」


 燈の真上に、金色の幾何学模様が幾重にも生み出されていく。それは巨大な時計台の機械のように、ぐるぐると歯車は規則性をもって動き出す。


 幾何学模様は回り続け、金属音がした瞬間──歯車が止まり、主人公にかけられた《封印術式》が砕け散った。

 燈の負った傷が金色の光によって、ゆっくりと治癒していく。


「これで致命傷による傷は塞がる。他の怪我も一緒にな。これで第一段階は終了。貴様は少しずつ、自分の記憶を取り戻すだろう」


「かはっ……つうっ……、ああ……」


 激痛が緩和されたのだが、それでも少女は眉を寄せて体を縮めていた。


「武神、一歩間違えば死んでいたのだぞ!」


「貴様らがのらりくらりしているかだろう。その決定権や権利が自分にある、時間はまだあると、勘違いした愚か者どもが招いた結果だ」


 式神は拳を地面に叩きつける。


「ふざけるな。それを貴様にどうこう言われる筋合いまでは無い。これは主が覚悟を決めて臨むものだ!」


「吠えるな。……状況が変われば嫌でも選択を迫られる。秋月燈はそれが今だったというだけのことだ」


 浅間は刃についた血を払うと、鞘に収めた。その隙を見て、式神は攻撃に打って出ようとするも、


「おい、秋月燈。聞こえているか? たった今、《封印術式》は解除された。これ以降、貴様が記憶を取り戻す前に死んだ場合、圧縮された龍神の力が暴走して半径数キロの爆発する。また一度封印術が解かれれば途中で投げ出すことは不可能。数か月以内に記憶を取り戻さなければ、圧縮されたエネルギーが熱を持ち、同じく爆破する。まぁ、前者と後者で規模は変わるだろうがな」


「………ひゅっ、はぁっ……つうっ」


 燈は呼吸が乱れ、痛みで意識が飛びそうだった。浅間の言葉が、ぐるぐると少女の頭の中で何度も繰り返される。


(封印解除……された? それが……浅間さんの目的?)


「思い出すのを拒絶すれば、死ぬ。過去と向き合わなければ、貴様に未来はない」


(過去……私の……)


 必死に頭を働かせるが、思考がまとまらず、激痛によって意識が遠のいていく。


「次は式神、貴様だ。ここで秋月燈と本契約を行わなのであれば、貴様はここまでだ。ここで死んでもらうとしよう」


 浅間は目を細め、どこか声を弾ませて式神に告げる。それはまるで戦いを渇望する狂戦士にも似た瞳だった。

 背筋が凍るような殺気、しかしその双眸は轟々と烈火の炎が滾っている。


「……!」


 浅間の全身から、黒い炎が猛々しく吹き出した。怨念と邪気に塗れた殺意が、式神へと向けられる。


「先ほど、秋月燈を貫いた時、体の中に《紅血石こうけつせき》を埋め込んでおいた。貴様なら、この石が体内にあるだけで何が起こるのかわかるだろう?」


「武神っ! アレが何だかんだ分かって──」


 声を荒げる式神に対して、浅間は淡々と言葉を返す。


「ああ、人工的に人を《物怪》にさせるものだろう。まあ、正確に言えば負の感情をより体内に蓄積させやすいもの、か」


 式神は歯噛みし、紅の瞳がより色濃くなって浅間へと睨んだ。


「武神っ!」


「ほら、俺に殺意を向けている場合ではないぞ。本気で契約を執り行わなければ、貴様の主が《物怪》になるだけだ」


「自分の弟子を──」


「弟子だからだ」


 浅間は式神の言葉を遮った。

 低く、けれど信念のこもった声が響いた。


「コイツはこの先、向き合わなければならないものが多すぎる。だが時間も世界も待ちはしない。理不尽に現実を突きつけ、選び間違えれば大きな代償を支払う。それよりは多少危険でも勝負に出た方が増しだと思わないか?」


 がん、と拳を地面に叩きつけて式神は体を起き上がらせた。切り刻まれた体も修復し、紅の甲冑を身にまとう。


「それは、お主が決めることではない!」


「ああ、そうだな。だがそうも言っていられなくなったのは、俺自身の都合だ。だから、あの時の《約束》を一方的に果たしてもらうことにした」


 式神は《約束》という言葉に、ピクリと反応を見せた。


「コイツは俺の弟子になる代わりに、俺の願いを叶えると言った。それも俺の願いを聞いたうえでだ」


「だが、それは記憶があったころ──」


 式神はそこで初めて浅間の意図に気づく。そして彼の目的も。


「《約束》と《契約》では、拘束力が違う。《約束》は当事者間の責任によって任意で結ばれるものであり、契約自由の原則がある……。だが、はなくなりはしない。一度交わした《約束》は魂に刻まれる。子供同士の他愛のない取り決めだろうと、命をかけたものだろうと大小関係ない」


 浅間は告げる。《約束》とは希望であると同時に、絶望である、と。そして祈りでもあり、呪いでもあるのだと。

 片方が約束で何かを支払ったのならば、そのツケはどこかで巡ってくる。


「式神、貴様は何を選ぶ? ここで主と本契約を結ぶか、それとも──」


「……」


「俺がコイツと本契約を交わして、貴様に変わる式神になるのを見てから死ぬか。好きなのを選べ」



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