第68話 必死の抵抗


 連続的な爆発。その威力は人間ぐらいなら、体が吹き飛び肉塊になるレベルのものだった。爆炎は赤々と燃え、直撃であれば即死だと烏天狗の柳は思った。


 黒焦げに焼かれる人影は、灰となって崩れ落ちる。同じ烏天狗の冬青そよごは確かな手ごたえを感じ、唇を歪ませる。


 誰もが秋月燈の死を確信した──はずだった。


「げほっ、かはっ……」


 咽るような声に、烏天狗たちは同時に声へと見やった。竹林──それもかなり奥。土煙に塗れながら燈が転がっている。


「爆発の……手ごたえは、あったんだけどな」


 冬青は口から血を吐いて崩れ落ちる。それと同時に柳は刀を抜き取ると、刀を振り払ってから燈の元へと駆けた。


(痛っ……。咄嗟にで私自身の体を吹き飛ばせたけど……思ってたより痛い)


 ──当り前じゃないの。いきなりだったんだから調整なんて無理よ──


 燈の脳裏に別の声が響く。キンキンと耳につくが、菜乃花の明るさに少女は口元が緩んだ。


(うん、でもおかげで助かった。ありがとう)


 ──べ、別にアンタが死ぬとアタシも困るだけよ──


「ふん」と鼻を鳴らす声は、思いのほか照れ隠しだとすぐに分かった。改めて礼を述べようとしたが──


「秋月燈、無事か!?」


「あ、はい!」


 烏天狗の柳は、燈が五体満足である事を確認したのち、大きく溜息を吐いた。


「流石に今のは肝が冷えた。……とっさの判断としては、よかった」


「ありがとうございます。それに助かりました」


 あまりに素直に礼を述べる少女に、柳は眉を顰めた。


「貴方に礼を言われる筋合いはない。これは我が王の勅命であり、仕事だ」


 燈はコクコクと素直に頷く。その仕草も腹立たしく思えてしまった。


 誰もが燈の道を支えようと現れる。それがどれ程の奇跡なのか、柳は知っている。普通、助けなど来ない。奇跡など、そう何度も起こるはずがないのだ。だというのに、彼女の何がそうさせるのか、傍で見ていても柳には分からなかった。


「本来であれば記憶を封じたまま、一生を終えてほしいと小生は思っている。しかし、我が王はその決定権を貴女に委ねた。王が決められた事ならば異存などない……。だが、貴女に王と同じ覚悟があるとは、小生には思えない」


 柳は歯を食いしばり、複雑な心境を燈に語った。そこには忖度そんたくなど微塵もなく、あけすけな本心が込められていた。

 燈はごくり、と唾を飲み込む。


「小生は他の者ほど甘くはないし、あくまで王の為に動く。命をかけて貴女を守るのは、貴女だからではなく、王のためだ」


(率直な上に容赦ない。……でも、この人は任務で私を守ってくれているんだから、言われて当然だ。そう考えると、やっぱり椿や龍神は特殊なんだろうな……。それに私を助けてくれた《木霊》さんたちも……)


 柳の言葉に、燈は改めて周囲の助けがあることに感謝した。再び龍神たちにあったら感謝を述べよう。そう少女が決意を胸に秘めていると──


「とにかくにも、ここを離脱する。早く乗れ」


「わ、わかりました!」


 竹林の笹が揺れる音が耳に届いた。宮廷の空は白銀色の美しさは欠片も残っておらず、赤々とした戦火と土煙──そして爆音と轟音が続いている。

 燈は柳が手を差し伸べたのに反応して、手を伸ばす。が、

 すでに冬青は地にしている。脅威は去った──だというのに、少女の中で胸がざわつく。

 粘りつくような、嫌な予感。警戒しつつ、柳の手を取ろうとした刹那。


「!?」


 先に勘づいたのは柳だった。

 咄嗟に振り返るが、遅かった。紅蓮の炎が刃となって、竜馬と柳の背中に突き刺さる。ついで、少女の視界いっぱいに真っ赤な炎が広がった。


「がっ……!」


 竜馬は小さく嘶き、その場に崩れ──柳もまたバランスが取れず、地面に転がり落ちる。


「ヤナギ!」


 燈は柳の体を慌てて支えた。


「あまり騒ぐな……。傷は……そこまで深くはない」


 柳は燈から離れると、落ちた刀を拾った。「炎の剣によるダメージは見た目ほど酷くないのかもしれない」と少女は判断しかけたが──攻撃を受けた背中は服が破け、酷い火傷を負っていた。


(こんな状態で戦うなんて……。でも、撤退するにしても、私の足じゃ追いつかれる。竜馬なら……だめ、さっきの子は逃げて行方が分からないし、ヤナギのは火傷で動けない……)


 ジリジリと押し寄せる圧迫感に、燈は額から汗が流れ落ちる。竹林の周囲は炎で囲まれ、逃げるのも容易にできない。その上、柳の負傷は戦力的に致命的だった。


「ああ~、だから……忠告したのに……」


 轟々と炎が燃え盛り、周囲の竹林までも燃やし尽くす圧倒的な熱量。火だるまになっている──いやこの場合はというのが正しいのだろう。楽し気に笑っている冬青を燈は睨んだ。


(燃えているのに傷が癒えている。炎を宿す系の……烏天狗。ううん。どっちかと言うと不死鳥フェニックス系統のアヤカシ……?)


「秋月燈。……先に行け。貴女がいては戦いの邪魔にしかならない」


「でも、ヤナギ。その怪我じゃ……!」


「そうそう~、無理をするのは良くないな。なんでも一人で背負い込もうとするのは、本当によくない~」


 紅蓮の炎が燃える中で、柳は肌がチリチリと痛みが走った瞬間──あえて前方に駆け出す。だが火傷の傷のせいで、動きが通常時より鈍い。それでも無理を通して柳は叫んだ。


「秘技・凪か──」


「させるとでも?」


 冬青は電光石火の如く、燈の眼前に現れる。


「!?」


 冬青は燈に身構える隙を与えず、腹部に掌底をあて竹林奥へと吹き飛ばす。ついで柳の背後をとっていた冬青は、彼の片翼を掴んだまま岩境へとぶん投げた。


「ぐうっ……!」


「そーーーれーーー」


 柳は地面に叩きつけられたのち、岩境にぶつかった。


「がっ!」


 柳は今の衝撃で、力が尽きたのか人の姿から一羽の烏へと戻ってしまった。非力な烏になった体は、勢いが止まらず二、三度地面に身体を叩きつけられてから倒れた。じわりと赤黒い血が大地に滲んでいく。


「この程度で姿を保てなくなるとは、本当に無様ですね~」


 ***



 竹林奥に吹き飛ばされた燈は地面に叩き落ちる寸前、《何か》に包まれてから転げ落ちた。


「っつ……」


 掌底の痛みもそこまで酷くなく、どちらかと言うと遠くまで吹き飛ばされたようだった。


(痛くはない……。あの烏天狗冬青が手を抜いた? うんん、あの殺気は殺すつもりだった……。じゃあ、誰が?)


 ──トモリ、平気? 痛くない?──


 涼やかな──耳に心地よい声だった。

 しかし、周囲には誰もいない。ふわふわと何かが浮いているような気配だけがある。先ほど消えてしまった《木霊》は違う。


「痛くはない……大丈夫。ありがとう」


 ──風で、飛ばせるよ。逃げる?──


「…………!」


 少女は周りを見渡すと、轟々と竹林の飛び火した炎が嘲笑するように揺らいでいた。炎の中心には冬青がおり、岩境の傍に柳の姿はなく、一羽の烏が倒れている。


(……って、もしかしてあれがヤナギ!?)


 燈は唇をキュッと噛み締めた。現実的にどう考えても冬青との力の差は歴然だ。今、燈が無傷にすんでいることは奇跡に近い。


(でも、だからって……このままじゃ……)


 逃げるという選択肢は間違いではない。戦力差を見極めた上での撤退なら──


 ──ちょっと、変なこと考えていないわよね。あんな化物相手に戦おうなんて無理に決まっているでしょ──


 式神である菜乃花の言葉は正しい。だが──


 ──トモリの、好きにしていいよ。後悔するの、よくない──


「!」


 少女は振り返る。

 轟々と燃える炎。

 白銀の竹林が悲鳴を上げるかのように、笹を揺らす。その中で、鈍色に光る刃が一羽の烏へと振り下ろされる。

 怖い。その恐怖が本能的に少女の体を動かした。

 燈の震えた足は、一度後ろに下がり逃げ出す。

 背中を向けて──足を踏み──



 ***



「この程度で姿を保てなくなるとは、本当に無様ですね~」


 冬青は炎を纏った翼を広げ、落ちている柳の刀を掴んだ。


「ああ、そう言えば現世で傷を負っていたんでしたっけ~。……ほんと、我が王の臣下の癖に、ここまで弱いと恥ずかしい限りですよ!」


 冬青は白刃を振り下ろした。――が、響いたのは刀を弾く金属音。

 青白い火花を散らし、燈は大きく後退した。


「ぐっ……!」


 今の一撃だけで燈の両手は痺れ、相手の実力差に絶望的な気持ちになる。


(本当に強い……!)


 少女は歯噛みしつつ──剣を構え直す。気迫で圧倒されるかと、柄に思わず力が入った。


「少しだけ予想外ですね。てっきり逃げるのかと思いました~」


「なっ……、なぜ……逃げないっ」


 燈の背後で烏が呻く。血を吐きながら蠢くも、人の姿に戻る力はないようだ。

 少女は眼前に佇む冬青を睨んだまま、柳に向かって叫ぶ。


「そ、そんなの私に聞かないでください……。勝手に身体が動いたんだから!」


 燈は震えを押さえ込んで呼吸を整える。両膝が恐怖で震える中、少女の黒刀が鈍色に煌めく。

 刃長六二センチ、反りは一・三センチ、腰元から茎にかけて強く反り返っているが上半身に殆ど反りがない。鍔も柄もさほど趣向を凝らした様子はないが、実戦で使い込まれている。


第一級特異点夢の中》で振るった時とは、刀の重さや形も変わっている。

 だが、今の燈にはそれを気にしているほどの余裕は無かった。


「まったく。……自己犠牲ですか? ただの人間が私を倒せるとでも?」


 相変わらずのんびりとした口調だが、邪気と憎悪、怒気を孕んでいた。

 傲慢で軽薄。

 人を虫けらのように見下す。彼は本当に龍神の臣下なのだろうか──と、燈は疑問を抱いた。


「……貴方は人間が嫌いなの?」


 真っすぐに見つめる少女の双眸に、烏天狗の冬青は口元が緩んだ。それはどちらかと言えば嘲笑に近い。


「あはは~、君は面白いことを聞くね~。……じゃあ君は迦楼羅焔、または迦楼羅天を知っているかい? 本来は毒龍や悪龍を喰らって、人々を護り、祈雨や止風雨の利益があるとされて人々から信仰された存在。それがどうだい、時代が変われば我らの立ち位置は真逆になった。人々は龍を信仰し、尊ぶようになった。私はいつの間にか迦楼羅天から天狗へと降格し、威厳も力も信仰も弱まった。私を知るモノなど現世にどれほどいるか……」


 眼は充血するほど赤く、怒気に反応して両肩の羽根が赤黒い色に染まっていく。それは憎悪に近い。けれど、その感情の本質は人に裏切られた──忘れられた所から来ているのではないか。

 燈は眼前にいる烏天狗を見つめた。自然と唇が動く。


「迦楼羅天は、インド神話に登場する炎のように煌めき、太陽のような熱を発する神鳥ガルダが発祥だって聞いた事がある」


「……な」


 まさか燈が知っていたとは冬青も予想していなかったのか、驚きの声をあげた。


「……日本に流れてきた貴方も、貴方自身でしょう。たしかに忘れてしまった人が多いし、人のエゴだとも思う……」


 口をついて出る言葉に、燈自身首をかしげた。一つは少女自身の記憶に、迦楼羅天の知識は無かったこと。

 もう一つは単なる疑問だ。迦楼羅天は確かに一般的には聞き慣れない名だが、神鳥ガルダは他国ではかなり知名度が高いはずだ。だが冬青の口からは、神鳥ガルダの名が出てこなかった。


「……神鳥ガルダ。それは私にとってはじまりであり、迦楼羅天を象る為の鋳型でしかない。神の名は異名があればあるほど、生み出され人間の信仰の衰えにあわせて習合し、同化していく。いくつもの神の名を習合した私の存在意義も、大きく変わりました。私という自己同一性アイデンティティが形骸化し、自分が何者か見失うほどに……。しかし、我が王は……古来から様々な名称と習合してなお不動であられた。人間社会がどう変わろうとも、俯瞰して己のすべき事をなさっていた」


 口元には笑みが浮かんでいるのに、燈を見つめる瞳は酷く冷たかった。


「ですから、またあの方のお力になる為に……」


 冬青は両肩の羽根を羽ばたかせる。たったそれだけの動作で、周囲の木々が波風を立て木の葉が宙を舞う。


(この人も龍神に憧れていた?)


 浮かび上がる疑問と違和感。

 敵対する理由。言葉の意味。

 埋もれた名前。捨てられた神様、または上書きされ零落した存在。人間は勝手だと言われたら、そうなのだろう。燈には冬青に対する反論などできなかった。

 それは人間である少女には言える資格がないと、無意識に理解していたのかもしれない。


 ──名前ちがっても、忘れ去られても、いいよ──


 涼やかな声が燈の耳に届く。


 ──それでも、トモリみたいに、忘れない人も、いるって知ってる──


 ──だから、人が、すき──


 浮遊する《何か》の言葉に燈は頷いた。ぼんやりだけれど、彼らが揺れたのが見えた気がした。


「うん、ありがとう……!」


「良いですね。本当に羨ましい……」


 燈は柳を庇い風圧に耐えるが、鎌鼬のような鋭利な風の刃が柔肌に食い込む。擦過傷がじんわりと痛みとなって、少女の動きを鈍らせた。


 燈は焦る感情を抑えながら、頭をフル回転させる。


(考えろ、考えろ。こんな時、こんな時はどうしていた!?)


 敵の戦力を見極める。

 恐ろしいほど強大で、膨れ上がる殺意に燈は身がすくみそうになった。


「こんな状況でも逃げないのですね~」


 翼を動かすだけで、燈の身体が吹き飛ばされそうだった。本気で刃を交えれば一撃は防げても二撃目で殺されるだろう。

 それほどの差が、神と人と間には存在した。

 普通ならば、だ。

 燈は呼吸を整えると、地下室で放った一撃の感覚を思い出す。あれは燈の力ではなく、周囲に浮遊する邪気や霊気を吸収して自身の力へと変換させるものだ。幸いにもここは冥界、《常世之国》。霊気に溢れている。

 少女は後方に下がると刀を鞘に戻し、抜刀の構えをとった。


(怖い……。けどゴールデンウィークの時の浅間さんに比べたら遅い!)

 

 燈は刀に集まった力の全てを放った。

 爆音が周囲の木々を揺らし、オレンジ色の火花が中に舞った。燈はダメもとでもう一撃を見舞うと、わざと土煙を起こしてその場を離脱。

 全速力で烏の姿になった柳を抱きかかえて、竹林を走った。


「なんて無茶を……!」


 柳は信じられないと叫んだ。だが少女は耳を貸さずに次の手立てを講じる。そこにいる《何か》に向かって唇を開く。


! 私たちを飛ばして」


 それは燈の知らない名前。

 けれど口をついて出てきた名だった。

 告げた瞬間、つむじ風が竹林の笹の葉を揺らす。


 ──うん、トモリ! 行くよ──


 ──トモリ、トモリは、やっぱり、すごい──


 少女は見えない何かに強く背中を押され──大砲のように竹林から吹き飛んだ。少女が飛び出したのは山岳地帯だった。ここからでは目立つ上に急な傾斜の坂ばかりだ。しかしここを超えない限りは《青龍の鳥居》はない。


「無理だ……。すぐに追いつかれ──」


 柳の声は、連続的に爆破する音によってかき消えた。白銀色の竹林が赤々と炎に染まっていく。


「あれは……」


「菜乃花に爆発する鱗粉を撒いてもらったの。少しでも時間を稼げるように」


 そう、燈が言った矢先、背後からゾッとするような殺意をあてられた。


「あらら? 万策尽きた感じかな?」


 冬青は踊るような足裁きで、少女の間合いに入る。急所を正確に狙った乱撃が続いた。何十合と打ち合い、そのたびに燈の肌は斬られていく。


「痛っ……!」


 今、燈が互角のように冬青と相対できているのは刀と、白のロングコートのおかげだ。

 迫る冬青に燈は叫ぶ。


「菜乃花!」


 ──本当に、人使いが荒いわね! もう!──


 数千の蝶が菜乃花の指示によって、冬青へと一斉に襲いかかる。

 赤紫の鱗粉が舞い、まるで霧のように視覚に映った。


「これが奥の手なんて、なんて陳腐な。全て焼き払ってあげましょう」

 

 冬青が指先で炎を出した瞬間、鱗粉に着火し連続的な爆発を起こした。


 ──リア充幸福人は爆死しろ!──


 爆風によって燈は吹き飛ばされて、地面に転がった。だが安堵すること無く、その場からすぐに離れた。


「菜乃花、ありがとう。……にしてもすごいネーミングだね」


 ──うるさいわよ! さっさと逃げなさい。殺されたら許さないんだから!──


 言うまでもなく少女は、一秒でも冬青から離れようと足早に駆ける。今も背後から殺気が肌に突き刺さるように感じられた。

 爆炎がさらに轟き、火柱が空を穿つ。


「遊びは終わりです……」


 燃えさかる炎の塊が、燈に襲いかかかる――

 今度こそ逃げる術はない。片手で掴んだ刀で炎の塊の軌道を外すのが精一杯だった。


「ぐっ……」


「もういい、小生を捨てて逃げろ」


 火傷を負いながら燈は片手に抱いた柳を離さない。


「絶対にいやだ!」


「なっ──そんなことを言っている場合か!?」


 喚く柳に少女はこんな絶望的な状況の中に、「まだ希望がある」と言わんばかりに不敵に笑って見せた。

 ある意味、賭けだ。


 風の刃が燈の背後に迫る。


(椿、力を少し借りるね!)


 少女は自分の影に右手を当てると──蠢く炎に似た強大な何かを、深淵から引きずり出す。酷く冷たく──けれど禍々しくも爆発せんとする怒号が燈の耳朶に響く。


「ぐっ……、おおおおぉ!」


 少女の腕に黒ずんだ炎が纏わりつく。ついで、深淵の闇が一瞬、天を穿たんと吹き出し、大地から巨大な漆黒の刃が突如顕現する。


 轟ッツツ!!


 地盤が揺らぎ、岩盤からマッハ二十の刃は周囲の竹林ごと冬青を串刺しにした。


「なっ……」


 凄まじい破戒力に一番驚いているのは、燈自身だった。だが、固まっていたのは一瞬だけだ。すぐさま《青龍の鳥居》に向かって駆け出す。


 ジクジクとに痛みが走った。それでも燈は、一羽の烏を抱きしめたまま駆ける。


(痛いっ……。で、でも、大丈夫。耐えられないものじゃ……)


 僅かに安堵した瞬間──

 燈の脳裏に見知らぬ映像が、飛び込んできた。





 痛いほどに強い感情。叫び、悲鳴だろうか。

 鬱蒼と生い茂る森の中、血で濡れてた大地と木々。

 死屍累々と転がる死体。

 深い霧が立ち込める中で、誰かが叫んでいた。

 泣いていたのかもしれない。

 絶望と憎悪と──後悔。

 緋色の、血のように赤い彼岸花。





 深い悲しみが、燈の中に流れ込んでくる。

 まるで自分が体験したかのように、胸が痛い。涙が溢れ出てきた。以前見たのとは感覚が違う。場所も異なるようだったが、今の燈にはその差異に気づく余裕などなかった。


「あ、がっ……」


 少女はあまりの激しい感情に、眩暈を起こして倒れてしまう。

 呼吸を取ろうにも、うまく息が吸えない。


(逃げなきゃ……。あの烏天狗……は、不死鳥の力があるなら……追いかけて、くる……)


 燈は猛烈な睡魔に襲われつつも、這って距離を稼ごうと動く。

 しかし、その努力は亀の歩みに近い。

 そうしている間に、冬青は動けるようになっていた。


「それが奥の手ですか~。いや、確かに。我が王の言う通り、貴女をいささか侮っておりました。……が、次はそうはいきません」


 轟々とその場に太陽が生じたかのように、巨大な炎の球体が空に浮かんでいる。

 まだ距離があると言うのに、ジリジリと肌を焼く熱量が感じられた。


(……ここまで、なの……。みんな、がんばってるのに……私だけ……)


 燈は視界がぐにゃりと歪んだ。悔しくて、あまりにも自分が非力で──それを理解した上で出来る策を講じた。

 けれど少女の攻撃など児戯に等しかったのだ。

 涙がポロポロと零れ落ちる。


(駄目だ……! まだ終わってない。終わらせちゃダメ……)


 巨大な火の玉が燈目掛けて放たれた瞬間──

 燈は叫んだ。


「菜乃花! !」


 その言葉と同時に蝶が燈の胸元から溢れ──爆ぜた。その爆発の威力と風圧で少女は木ノ葉のように空を舞った。火の玉を擦れ擦れで避けることに成功する。


「な、あれを躱しましたか……!」


 諦めの悪さか、それとも予想外の行動に驚嘆したのか、冬青は溜息を漏らした。


「痛っ……!!」


 上空で宙を舞う燈の体は全身が爆煙に包まれ、ところどころ火傷を負っていた。それでも、少女はあの絶望的な状況中で足掻いたのだ。


 だが、少女の必死の抵抗も、ここまでだった。

 宙に舞い上がった──それもただの人間に次の作戦など皆無だったからだ。


 そして敵は両翼を羽ばたかせて、秋月燈の首を掴んだ。


「ぐうっ……」


「正直、ここまで抵抗されるとは思ってもいませんでした~。でもここまでです」


 そう冬青が告げているというのに、少女の瞳は闘志を熱く燃やしたまま。その心を絶望に染めることも、挫くことも出来ていなかった。腕に抱いた一羽の烏も手放さない。


「ひゅっ……。まだ……あきらめ……ない」


「状況が見えていないのですか? 誰も助けになんか来ませんよ。誰もがみな自分のことで精一杯なのですから」


 冬青は少女の首にほんの少し力をこめる。もがきながら、それでも燈は言葉を紡ぐ。


「ぁあ……、それ、でも……それを、あきらめの……、できな……」


「ん? なんて言ったんですか? ……まあいいでしょう~。これで──」


 刹那、冬青が予測しなかった──否、気づいていても対応できない速度で、金色の斬撃が彼の両翼を貫いた。


「がっ、なっ!?」


 羽根が血飛沫と共に宙を舞う。

 激痛が冬青を襲うのだが、何がおこったのか瞬時に理解できなかった。

 いや、ありえないと思ったのだ。

 宮廷からここまでの距離、それも正確に冬青だけを狙った正確さ。一撃で追撃を封じるだけの攻撃力──

 他の神々を相手に油断など出来るはずもないというのに、それでもは躊躇いなく一撃を放ったのだ。


 烏天狗の冬青はバランスを崩し、燈の首から手を離した。

 重力に逆らって真っ逆さまに落ちていく少女。本来であればそれだけでも十分即死に値するものだった。

 だが、それを救ったのは──


「よく耐えた。さすが我が主だ」


 が地面から吹き出すように噴出し、先手を打って冬青の追撃を潰しにかかった。


 轟ッッツツツ!!


 甲冑の物々しい音と共に、式神は漆黒の炎の中から顕現すると、燈の負担が増えないようにそっと抱きかかえる。


「……つば……き……?」


 意識が途切れかける刹那、燈はよく目にした紅の甲冑が目に入る。安堵したからなのか、それとも限界だったのか、少女は重い瞼を閉じた。


 しかしそれは幸いだったのかもしれない。

 式神──椿の姿が随分と様変わりをしていたからだ。二十代頃で筋骨隆々、背丈は高く百八十。それは変わらない。だが、獰猛な双眸に、雄々しく反り立つ。紅の甲冑はひしゃげて、その中から黒い炎が体に纏わりついている。その炎は椿の顔半分まで覆いつくし、轟々と吹き出すように甲冑に合間から吹き出していた。その姿はという方が近いだろう。


 唯一人間らしい形がとれた片腕で燈を抱きかかえたまま、地面に着地する。式神は自身の変貌に頓着せず、主へと視線を落とす。


「まったく無茶をする……。《厄災》の一部を攻撃に転じるなどよく考えついたものだ。……いや、考えても普通はできぬよな」


 式神は主が無事だったことに心から安堵していた。


「……まさか、貴方が現れるとは、……想定外でした……」


 周囲に広がっていた漆黒の炎の勢いが弱まると、その中から冬青が現れた。漆黒の槍に左肩や太ももを貫かれているが、痛覚がないのか平然と歩み寄る。


「おいおい、まだ諦めないとは……。引き際が分かっていないのか?」


 挑発的なダミ声が癇に障ったのか、冬青の体から紅蓮の炎が凄まじい熱量を放出して具現化する。


「私は迦楼羅天……。炎の攻撃など……」


「炎? 某がいつ、炎の攻撃だと言った?」


 口元に下卑た笑みを浮かべていたが、途端に凍りついた。


「な……」


 漆黒の炎に見えたソレは黒い粒子が群がり炎を装っていた。禍々しくも深淵に近い炎は冬青に体を燃やし尽くす。


「主が世話になったな、迦楼羅天」

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