《幕間》 貴方は、誰?

 浅間龍我は《七福之神》を形だけ模倣した──呪いの集合体。《七禍之神》の姿が灰となって散っていく。その中で、紅一点──浄化と昇華のエキスパートである鋳型彼女に向けて、浅間は唇を開いた。


「いつまで遊んでいるんだ、さっさと起きろ」


 それはかつての友人に向けて──浅間なりの鼓舞だった。



 ***



 潮の匂い、寄せては引く波の音。燦々と降り注ぐ日差し──

 どぼん、といきなり水中に落とされ彼女は困惑した。慌てて目を見開くと、コバルトブルーの水中にいることに気付く。海に放り出されたわけではなく、見る限りプールの中に突き落とされたようだ。


「ぷはっ……!」


 顔を出すと眩い日差しに、彼女は眩暈を覚える。頭が重く、眉間に皺を寄せる。


「ああああーーーー。もう、いい夢見てたのにーーーー、龍我め。ホント、容赦ないなぁ!」


 水中から拳を出してグッと、力を入れる。

 沸々と煮えたぎる感情に身を任せ──ふと周囲を見渡した。


「……ってか、ここどこ?」


 長い栗色の髪をかき上げて、プールから上がった。二十代半ばだろうか、童顔だが、ほっそりとした肩に滑らかな体つき。身軽なダンサー並みに無駄な贅肉はない。

 蓮のガラが入った白のワンピースは、びっしょりと濡れていたが、プールから上がると、春風が花びらと共に舞って服を乾かした。


「んん~~~」


 彼女は伸びをすると、周囲を見渡す。その仕草はあまりにも自然体で、まったくもって危機感がなかった。

 揺蕩う海の上。白亜の巨大な豪華客船──そのデッキに装備されたプール。周りに客らしい人影はいない。ただ、船内から漏れ出るのは、けたたましい音楽と乗客たちのにぎわう声が響く。


「あー。もしかして、集合意識の海の中?」


 ──驚いたな。まさか、キミが真っ先に夢から醒めるなんて──


 その声は子供にも、大人にも──はたまた老人のようにも聞こえた。

 彼女が振り返ると、そこに何かが顕現する。それは人ではないモノ。一気に周囲の熱が跳ね上がる。太陽が生まれたかのような熱量で、彼女の色黒い肌をジリジリと焼いた。


「なんだ《■■■■》か。……ってことは、やっぱり私たちは失敗したのね」


 彼女は眼前に現れたソレに向かって、肩をすくめた。己の不甲斐なさに、怒りを通り越して呆れてもいたようだ。


 ──そうだね。一九九九年に君たちが計画した《MARS七三〇計画》というのは、最悪の結果で幕を閉じた。様々な因果律や業を増して、世界に呪いを振りまくこととなり、結果的に《異界》を増長させることに協力してしまった──


「みたいね。まあ、夏姫なつきちゃんにも忠告されていたのに、踏み止まることが出来なかった私たちの責任だわ。……はぁ、龍我に、隊長に怒られるぅ。絶対三時間説教コースで、その後みっちりしごかれるぅう」


 ソレはクスリと僅かに笑みを漏らした。いや、正確には笑ったような声がしたというのが正しいだろう。

 彼女もまたとある神の転生者であり、■■■■■■■七福之神だ。人間として警察庁、《失踪特務対策室》専属特殊部隊・零所属しており、名は未登波琉みとう はる。つまりは次いで零に配属となった秋月燈にとって、彼女は先輩にあたる。浄化と昇華を行う能力は人一倍高い。


 ──ああ、そうだ。キミが眠って十一年が経過している。当時キミは十五歳だったから、実年齢は二十六歳だね──


「うわぁ。タイムロスが十一年って……。巻き返しのハードル超高すぎない!?」


 彼女もまた前向きで、それでいて気持ちがいいほど裏表のない人格者だった。だからこそ《理》は嬉しそうに、声を弾ませた。


 ──たしかに。それに一手間違えれば人類が滅亡する感じかな。ああ、でも《あの魂》は頑張っているよ──


 パチン、と指を鳴らす音が聞こえると、空に秋月燈の姿が映る。ちょうど冥界──《常世之国》に滞在しているころだった。波留は空を仰ぎ見ながら、成長した後輩の姿を目の当たりにする。


「うわぁ。燈ちゃんじゃん!?」


 驚愕の声を漏らすも、その映像を見ただけで波留はある程度の状況を把握する。その口元がキュッと閉じると、真剣な眼差しで今後の展開を推測し、演算を繰り返す。

 その切り替えの早さと、判断力と観察眼は専属特殊部隊・零でピカ一だった。


「なるほどね。じゃあ、私の《役割》は豪華客船ここにいる《未帰還者みきかんしゃ》を、何とかするところから始めるとしますか」


 ──下手をうてば《物怪》になる可能性もあるのに、キミは躊躇わないね。豪快というか、思い切りが良いというか──


「別に。何を選ぶのか聞きに行くだけだよ。ここがいいなら居ればいい。でもどうするのか、選ぶのは自分でして欲しいだけ」


 ──手厳しいね。まあ、でもその辺は、あの現人神と似てるね。彼と並んで戦っていたんだから、当然と言えるのかも知れないけど──


 船内には百人を超える者たちが、遊び惚けている。

 彼・彼女らは醒めぬ夢に囚われたモノたち──《未帰還者》たちの魂と意識の覚醒。波留は《理》との会話を終わらせると、船内へと向かう。


 ──■■■■■■■、応援しているよ──


 それを静観しながら、《理》は彼女の背中に向かって呟いた。




 ***



 都内・山手線内側の結界中──

 《七禍之神》を屠った後、有象無象に溢れ出る深淵は、様々なものに形を変えて浅間に襲い掛かる。その中でも百足ムカデが最も多く、虫特有の甲殻が蠢く音は歪で不気味だった。


(チッ……天敵を差し向けるとは、悪くない判断だ)


 相手が悪かろうと浅間は引かず、戦法を変える。自身の力ではなく、手にしている刀の特性を十分に発揮させた。


「百足……毘沙門天の眷族か。確かに龍や蛇神相手なら有効打だったろうが、残念だったな」


 浅間が片手を掲げると《切り札》を出す。


「──御璽解放ぎょじかいほう


 それは手のひらサイズの立方体の箱。金塊にも見えなくはないが、それは代々天皇が所持することを許可された印である《御璽》だった。


(この気配は……。追ってきたか)


 二つの影が浅間のすぐ傍に駆け寄る。深淵の闇が充満する中で、Artifactアーティファクト knightsナイツ試作九号機・通称ノインと、《双頭の魔女》の片割れ、宇佐美楓が結界の中に飛び込んできたのだ。

 ノインは飛行型ドローンに乗り込んでいた。大型のクワッドローター式による四つのプロペラを使用したドローンの見た目は空飛ぶ絨毯に近い。一・五メートル弱の絨毯に見える足場はしっかりとしており、操縦は彼の眷族であるヤマツチが憑依する形で独自に動く。

 楓もまた箒に形を似せた飛行型ドローンに乗って浮遊していた。今回は機動力を優先させるためノインと楓は事前に調整を整えていたのだ。


「貴様ら……。俺は《現世を任せる》といったはずだが?」


 金色の輝きは、深淵の闇を優しく溶かし──それにより百足は姿を保てずに霧散する。手のひらサイズの印から溢れ出るのは、万物のエネルギーとは異なる煌めきを放つ。だが、その差異にノインたちは気づかない。


「それでも、心の友その壱と合流できると聞いたなら、待ってなどいられない」


「そうそう、ノインの言う通り!」


 強情なノインと楓に、浅間はため息が漏れた。最初から同行するつもりで事前に準備を整えていたのだろう。その行動力、強い意志。怒号で意見を変えるような性格でないことを浅間は良く知っていた。


「はあ、まったく……」


 根負けしたと言わんばかりの言葉に、ノインと楓は互いを見やった。浅間は片手に翳していた《御璽》を宙に放つ。結界内に溢れる深淵の闇をしていく。それを見やったのち、浅間は金色の刀を鞘に戻して構えを解いた。

 彼は自身の影を足場に立っていた。影からは大蛇の頭が窺える程度だが、紛れもなく顕現している。扱えるエネルギーの量がノインたちと異なるのは、彼が元から人ではないからだ。


「室長。あの印は《御璽》……。代々天皇の称号と共に得られる印を……なぜ貴方が所持している?」


 黄金色の煌めく印は宙に浮遊し、深淵の闇と共に消えていく。そうやって少しずつ印の形が曖昧模糊あいまいもことなって崩れていく。


「ん? ああ、この印は第八十一代、安徳天皇あんとくてんのうの命を助けた際に、一度限り使用許可をもらった借り物だ。いつかの有事の際にとっておいて正解だったな」


「なっ……」


「誰それ?」と、楓は己を無知さを露呈させた。ノインは彼女の反応に、やや冷静さを取り戻す。


「この国の天皇として名を連ねた方だ」


「えーーーっと? いつの人? 日本の歴史複雑でみんな似た名前で憶えづらいんだよね……にひひ♪」


「平安時代末期。……一一八五年、壇ノ浦の戦いで平氏と源氏が激突し、平氏が敗北。一門は滅亡に至った。その時、最期を覚悟した母方祖母の二位尼は安徳天皇と共に海に身を投げ──死んだとされている。当時、八歳で崩御したとされているのが《平家物語》に綴られた歴史であり、一般常識だ」


「ヘイアン? ダンノウーラ? んー、……室長の話だと、その天皇って人、助けたことになっているけど?」


 楓の指摘に、浅間は面倒ながらも答えた。


「ああ、身を投げたところまでは合っている。そこから《宝剣草薙剣》と安徳天皇言仁を回収して、徳島県阿波祖谷山三好市へと逃がした。従者も何人かな。助けた対価として《御璽》を一部借り受けた。これは《祈り》を蓄え、一度きりの解放を可能とさせるから、どうしても必要だった」


 必要だった。世界のため、滅び行く者のためではなく──浅間自身の目的のためだったと、堂々と言い切った。

 そしてその《祈り》は浅間が一一八五年から歩いてきた旅路の中で得たものであり、人の想いだ。長い年月をかけて紡ぎ集めた淡い光の残滓は緩やかに、けれど確実に深淵の闇を浄化していく。

 それもこれも全て──浅間の目的であり、願いを叶えるためのもの。


「さて、──行くか」


「はい!」と楓は大きく頷いた。ノインは浅間の言動に目を光らせていたが──〇・二秒、いやコンマ何秒だっただろう。彼が瞬きをした刹那──


「!?」


 間合いの外にいた浅間が目の前に現れ──

 次の瞬間、ノインの視界はぐるりと反転し、自分が吹き飛ばされていることに気付くのに数秒かかった。

 さらにその後、楓もノインと同じ末路を辿る。


 何が起こったのか。ノインは瞬時に検索──分析を開始。だが、そんなことをするまでもなく、いたって簡単だった。


 浅間がノインの間合いに滑り込み、軍服を掴んで結界の外に投げ飛ばした。楓も同様の手口だ。

 ただ尋常ではない速度と凄まじい力によって行われた一連の流れは、一切の無駄が削ぎ落とされていた。まさに神業。


「言っただろう。、集合場所に向かうのは貴様らでは無理だ」


 ノインは結界の外に放り投げ出されてなお、諦めていなかった。空飛ぶ絨毯、もといドローンに憑依しているヤマツチが彼を拾い上げる。


 ──主よ、行くのか──


「無論だ」


 ノインの揺るがぬ言葉に、ヤマツチはご機嫌な声で「了解」と答えた。四季冬樹による術式の再構築が終わりつつある中、塞がっていく結界の中に彼は突貫する。


(あと一〇メートル……、八……、これなら!)


「甘い」


 浅間の放った金色の雷が、ノインに直撃する。黒い煙と爆発によって彼は意識が飛んだ。


「ぐっ……!」


 しかし、執念というべきか。はたまた威力がさほどなかったのか、ノインは手を伸ばす。


「室長……、行けば貴方は……!」


 言い淀むノインに浅間は一瞥すると、背を向けて軽く手を振った。


「だから何度も言わせるな。任せたぞ」


 ノインの手は空を掴み、紙吹雪が舞う中で再び結界が再構築していく──



 ***



 時は一カ月前に遡る。

 二〇一八年──


 都内警察病院のとある廊下。

 薄っすらと廊下の灯りがついた中、迷いなく真っすぐに進む靴音が一つ。赤い短めの髪、いつも着こなしている軍服ではなく、黒いシャツとジーパン。ただし腰回りにはホルスターを下げ、レベッタM92を二丁装備している。

 彼の名は、五十君周いきみあまねであり、現在はArtifactアーティファクト knightsナイツ試作九号機──通称ノインと名乗っていた。


 彼は新しい義体の調整の為、都内警察病院に入院している。正確には病院の地下に彼専用の研究施設ラボが常備されており、ついさっき専属技師ウィリアム博士から解放されたところだ。彼は足早に、待ち合わせをしている病室へと向かっていた。


(不可解だ。なぜ、こんな時間に俺だけ呼び出した?)


 ──それはアレなんじゃねえ? 主だけに話したい案件があるとか──


 ノインの影が波紋のように揺らいだ。彼の影には眷族である牛鬼ことヤマツチが潜んでいる。以前は歩行戦車に憑依していたが、破損したので、新しい機体が完成するまで主の影に間借りしているといった状態だった。


(俺だけ?)


 少々引っかかりを覚えたが、ノインは目的の病室の前についたので考えをやめて──扉を二度ほど軽く叩いた。


「開いている」


 低く冷たい声が返ってきた。ノインは「失礼します」と言ったのち病室へと足を踏み入れた。

 至ってシンプルな個室だった。白い清潔感のあるカーテン、ベッド、戸棚。だが、一点だけ病室だというのに、違和感を覚えた。


「…………」


 最初は部屋が暗い為、気づかなかったのだ。またノインには暗視、熱感知、顔認証、声紋認証などの機能が搭載しているので、本人かどうかの確認はできる。だが、服装やその色までは気が回らなかった。いや、病院に入院している格好ではないと、早い段階で気づくべきだったのかもしれない。

 なにせ彼はいつも通り、黒い軍服にロングコートを羽織っていた。深緑色の長い髪が窓から入る風によって僅かに靡く。


「時間通りだったな。五十君周──いや、ノイン」


 向けられた殺気に、ノインは反射的にホルスターへと手を伸ばした。だが、収まっていたはずのレベッタM92はない。


「こんな所で、躊躇なく発砲しようとするとはな」


 眼前の男はレベッタM92の銃口をノインへと向ける 。いつ奪ったのか、それすらノインはわからないほどの早業だった。


「……疑問」


「いいだろう、何が聞きたい?」


 ノインは背筋が凍るような感覚に見舞われ、喉が渇くような錯覚さえ起こした。それほどまでに目の前にいる存在に気圧され──いや、驚愕に打ち震えたのだ。


「貴方は、誰ですか?」


 それは少なくともノインの知る男ではない。姿は全く同じものでも、まるで違うように感じた。その疑問に、男は豪快に笑った。


「はははっ、可笑しなことを聞く。貴様は良く知っているだろう」


 暗がりに佇む、漆黒を全身に纏った男。ゾッとするような殺気と、さらに低くなる声。


「……つぅ」


 ノインは喉がカラカラに乾き、声が上手く出せずにいた。義体だと言うのに、脳内では警鐘が繰り返し発せられていたが、全て無視して彼の名を告げる。


「……俺の知る《浅間龍我》という男は、そこまで味方に殺気を向けませんよ」


 はっきりと断言するノインに、浅間の肩眉がピクリと動いた。


「ほう、そうだったか」


 浅間が一瞬だけ銃口を下げた瞬間、ノインは腕に内蔵されたワルサーP99を抜いた。口径九ミリ、生産国はドイツ、ポーランド、アメリカ、日本。装弾数十五発。全長百八十ミリ、重量は七百五十グラム。軽量化使いまわしが楽で、フォルムも美しい。互いに銃を構えたままジリジリと緊張感が増した。

 引き金を引いたが最後、銃撃戦が始まるのは確定事項だった。それでもノインは眼前の男に問う。


「もう一度、伺います。──貴方はです?」







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