第65話 神代闘乱

 その国の冥府は、白銀に彩られた緑豊かな土地だ。その名を《常世之国とこよのくに》。忘れ去られた神々、そして死した者がたどり着く最果ての地──

 隣国の《黄泉之国よみのくに》によって魂と肉体と精神が分離し、魂だけがここにたどり着く地でもある。

 神々の息吹と大地にあふれる生命豊かな緑が今、爆炎と怒号に包まれていた。

 白銀色の空は黒々とした煙が空を汚し、双方のぶつかり合いは凄まじく、その度に周辺の地形が崩れ、轟々と爆音が鳴り響く。

 災害レベルの、否──神代の戦いが繰り広げられていた。空を駆けるは、馬に似て金の冠をかぶり、翼とさそりの尾を持つ怪物──ヨハネの黙示録に記述がある奈落の王アバドンだ。


いなごが神格化された災害。……五番目の天使がラッパを吹く時に現れる《深淵》、《底なしの穴》とも言われていましたね。確かに人間相手であれば、死よりも恐ろしい苦痛を与える。現世に顕現させるのならば、この上ない人選といえるでしょう。しかし……)


 龍神の生み出した《龍王》たちは、白銀の武器を掲げ《奈落の王アバドン》を軽々と屠っていく。いくら神格化された災害であろうとも、龍王は《万物》から形成された鋳型であり──人ではない。その力は、蝗ごときでは止められるはずもない。


 龍の硬い鱗は熱はもちろん、稲妻も水も通さない。万物によって編まれた鋼鉄の甲冑が傷つくことなどなく、白銀に煌めき武具もまた刃こぼれ一つない。


 ──我らは万物の化身。人の願いであり、希望。幾多の尊い魂により、かの地を洗い流し清める者───


 彼らは一丸となって吠える。声は重なり、合唱とも呼べるほど龍王は高らかに叫ぶ。荒々しく、力強く。

 龍神と共に流れゆく世界を見続け、時に恩恵を与え、厄災を等しく施した眷族たち。その一人一人の体格や性格は千差万別だが、みな一騎当千の猛者だ。


(私の眷族が、この程度で折れるとでも思っているのか?)


 龍神は堂々と宮廷の前に佇んでいた。周囲が爆音と怒号──そして凄まじい気のぶつかり合いの中で、彼は冷徹にそして毅然とした態度を崩さない。


「……die die


 影から敵影が次々に龍神の前に姿を見せる。黒い外套を羽織り、フードで顔を隠した者たちは人間の見てくれをしていた。しかし、そのスピードは、常人の目では捉えることは出来ず──殺気を乗せた攻撃も鋭く、よく磨き上げられた技だった。人間では回避不可能な一撃。


die die……draco dei龍神!」


 同時に深淵の闇のような黒い馬に騎乗する騎士、北欧神話に登場する番犬──ガルムたちが龍神に迫る。だが──


春雷しゅんらい


 龍神が手を掲げ、唱えた瞬間──時間差タイムラグはなく、敵影全てに雷が降り注ぐ。その熱量はすさまじく、絶叫を上げる前に黒焦げと化した。焼き焦げた匂いは、彼がはためかせた袖に薫る白檀の香りによって上書きされる。

 圧縮させた稲妻の一撃。それも正確に敵の急所を狙い、内側から打ち砕く音速の攻撃は、半径五十メートルの敵を軽々と屠る。敵影はその圧倒的な力に飲まれ、後ずさる。


 ──オオオオオン!──


(新手ですか……)


 空から厄災の火種をまき散らすは、四つの邪悪な種族。天堯の時代に顕現した四凶しきょう。本来は《泰山国たいざんこく》に幽閉されていた邪悪なモノたち。

 巨大な犬の姿を模した《混沌こんとん》。

 半身人面で頭に角があり、全身は毛に覆われた獣の《饕餮とうてつ》。

 翼の生え、鋭い牙を持つ《窮奇きゅうき》。

 奇人面虎足で猪の牙、長い尾を持つ《檮杌とうこつ》が中心に顕現していた。


 ──オオオオオン!!──


 獣たちの咆哮が重なり合い、凄まじい衝撃波を放つ。周囲にいた龍王の軍勢も、その勢いと脅威に後退する。

 さらに饕餮は口から凄まじい炎を吐き、《常世之国》の大地を焼き尽く。白銀の美しい木々が一瞬で焼け焦げ、灰と化した。その光景に気を良くした四凶は、自身の力を誇示すべくえた。

 高らかに上げる声は衝撃破となり、大地をずたずたに引き裂いた。


(ここに四凶がいるということは、《泰山国》そして隣国の《羅鄷山らほうざん》が陥落したか──敵になった。どちらであっても、私がすべきことは変わらない)


 龍神は先ほどより強力な雷を放たんと、手に力を籠める。周囲に漂っていた雷が一瞬で膨れ上がった刹那──


天雷てんらい


 龍神は稲妻を無数の槍へと具現化させ──それは音よりも早く、その槍は獣たちの体を貫く。目に捉えられぬほどの速度。


 ──グァアアアアア──


 瞬時に四凶の動きを封じると、止めの一撃となる紅蓮の炎を手のひらに生み出す。


不知火しらぬい──おく


 白い炎が膨れ上がった瞬間──ビー玉ほどに圧縮された炎の球が、銃弾の雨のように空へと穿たれる。

 空を旋回していた四凶はそれぞれ反撃──もしくは回避しようとするが、それよりも早く、弾丸は彼らの体を貫く。銃弾による速度からさらに途中で加速。いくつもの銃弾同士が弾かれ、跳弾することによって軌道による予測をさらに複雑に変えた。


(やはりこの程度の速度と計算なら、力を抑えながらでも潰していける)


 龍神だけは不規則な軌道を読み切っていた。恐るべき演算能力と正確な狙いによって銃弾の檻を作り、逃げ場をなくしたのち必ず仕留める。その戦法は神というよりは人間の戦術に近い。



 ***



 戦闘はやや優位を保っているが、龍神は楽観視していなかった。彼、彼女らの目的は単なる襲撃ではない。《十二の玉座》全てを空席にする。そして彼以外の神々はその《役目》を放棄した。ならば他国からの援軍はない。まして貧困しつつある天界からの後方支援などは望めないだろう。


(それに天界の一勢力は、姫を殺そうとした!)


 龍神の中に湧き上がる憤怒の怒りに身を委ねかけて、頭を振った。制御できない感情に飲まれぬように、理性が一気に熱を冷却させる。

 《常世之国》に攻め込んできている敵戦力を見極めようと眼を凝らした。数万の龍王眷族の目を通して知覚を共有する。


(……《ニヴルヘイム国》及び《ヘル》、《泰山国》、《九幽地獄》……それ以外にも、冥界の名のある者達が一同に蜂起し、《常世之国我が国》に進軍している……。しかし、それにしては数が少ない……)


 龍神は顎に手をやりながら、冬青の計画に引っ掛かりを覚えた。彼が熟考している間でも空では火花のように双方の兵たちがぶつかり合う。苛烈にして神話のような大規模な戦いの中でも、彼の涼しげな顔は変わらなかった。

 ふと、神楽殿に人影が墜落してきた。黒い羽根を散らした烏天狗──すでに背中と脇腹に黒い鎌が刺さり息絶えている。


(冬青の配下……?)


「王……。拝謁がおそくなり……申し訳ありません」


 頭上から息絶え絶えに、烏天狗の柳が神楽殿の傍に下り立った。足に力が入らずに、片膝を突きながら龍神に頭を下げた。


「柳……。お前は冬青の計画を知っていたのか?」


 主従の間に張り詰めた空気が流れた。 玉座の間に訪れた天狗の話では《玄武の鳥居》は破壊され、《天鵞絨びろうどの山》は壊滅。周辺に存在する《天狗の里》は、早々に戦場を離脱との情報だった。

 柳は呼吸を整えると、龍神の問いに唇を開いく。


「冬青……? そうです! あの者は禅正台でありがなら、小生に《天狗の里》への使いを頼まれ、こちらを我が王に……」


 柳は懐にしまっていた書簡を龍神に差し出す。龍神はその書簡を手にすると、封を解いた。


「これは、天狗の起請文きしょうもんか」


「その通りです」


 人が契約を交わす際に破ってはならないことを神仏に誓う文書──鎌倉時代後半では、社寺で頒布はんぷされた牛玉宝印ほおうほういんが護符の裏に書くのが通例となった。

 というのが一般的に認識されるが、実際──古き神アヤカシの中では、書かれている内容を違えたら最期、全身の骨が砕かれ、血反吐を吐いてする。という強烈な呪詛が込められている。


「八大天狗様は自らの里を守る為、こたびの戦には参戦しないと……。ただ、怪我人や非戦闘員であれば、受け入れると申しておりました」


 里の長であれば、その選択は正しいだろう。なによりその英断と覚悟に龍神は感心した。


「たしかに八大天狗の意志は受け取った。……それで、柳。お前はまだ動けるのか?」


「無論です。小生は貴方の臣下になったその時から、その命を捧げております。……いかような命令であれ、喜んで引き受けましょう」


 柳は萎縮することなくハッキリと答えた。彼にとって龍神こそが、世界の中心だと固く信じている。そして龍神は一拍ほど間を置いた後、懐に入れておいた巾着を柳に投げてよこした。


「王、これは?」


「姫を連れて、ある場所までの護衛を命じる。詳細はその巾着に……。私が許可したモノしか封を破れなくなっていますが……、扱いには細心の注意をするように」


「はっ、承知いたしました。……必ずや姫は小生がお守りいたします」


 柳の告げる声とその双眸には確固たる意志が伺えた。それをみやって龍神は小さく頷く。口を開きかけて、彼は王らしく臣下に告げる。


「姫は木霊の先導によって、地下の隠し部屋にいる。また目的の場所までは竜馬で向かうように手配はしているので、後は──」


 龍神は戦力的にやや不安があったが、柳に護衛の任を託す。迫りくる敵兵の数はさらに増え続けているのだ。迷っている暇はない。


「お前に任せる」


「はっ!」


(まったく……龍神わたしであり、四季××でもあると自覚すると感情だけではなく、言葉遣いも崩れやすくなる……。今後は気を付けなければなりませんね……)


 頭の痛い話だが、幸いなことに龍神のポーカーフェイスは健在だった。


「我が王、ご武運を」


「お前も」


 柳は踵を返すと、迷わず焼け落ちた宮廷に向かって突っ込んでいった。先ほどの疲労など吹き飛んだのかその足に迷いはない。

 それを龍神は見送ると、腰に携えた刀を抜き放つ。その一振りは圧倒的な破壊力を持ち、数千の軍勢も、戦術も通用しない純粋な力のみで薙ぎ払った。


 轟──!!


 龍神の一撃によって、《真朱の宮廷》から東南に位置する《水縹みはなだの山》の地形が一瞬で崩れ去る。そこに陣取っていた一個軍隊ほどの敵が壊滅して金色の光へと還った。


「すまないが、お前たちの相手は私がしよう。……なに、もともと私一人を殺しに来たのだろう? ならば、私以外に目を向けないことだ」


 酸漿色の瞳が敵影を鋭く捉えた。


「ふふふっ、確かに。我らの目的はそなたの首ですからね」


 蠱惑的な吐息と、甘い声に龍神が視線を向けると──湖の淵から異臭を放ち物怪が出現し、白銀の世界を汚泥で染めていく。

 先導するのは《ニヴルヘイム国》、海の死の女神ラーンだった。青ざめるような白い肌に、唇と瞳は石榴のような鮮やかな色合い。魂を奪う妖艶な女神。


 他にも湖の中から姿を見せる黒い外套の者たちが姿を見せる。みな黒い外套とフードで姿を隠しているが、その気配は今までの敵兵とはあきらかに桁が違う。


(冥界のが自ら動いたか──まあ、そうしなければ埒が明かないと思ったのでしょうね……)


 龍神は感知能力を使い、敵の戦力と位置を再確認する。これならば燈が脱出するまでの時間は十分に稼げるだろう。その後は超巨大範囲攻撃を繰り出せばいい──冷徹に、あらゆる状況を分析し先読みする。


(この戦場で姫が無事に、脱出してくれれば……。ん?)


 宮殿周辺を取り囲む北西に位置する《鸚緑おうりょくの森》、南西の《織部おりべの森》は煉獄の炎に燃えさかり、白銀の世界が煤のように黒い闇へと染まっていく。

 ぶつかり合う戦場は地獄以外のなんでもない。白銀の明るい空も今は夕闇に溶け込み、冥界の終焉を望んでいるように思えた。


(気のせいか……?)


 しかし、それは龍神の気のせいではなかった。

 膨れ上がる力──それも神々のものでも、古き神アヤカシでもない。宮廷のから目映い光が、空へと穿かれた。


「…………まさか」


 今まで顔色一つ変わらなかった龍神は、声を荒げた。

 宮廷の地下から溢れ出す光は空を穿ち、火山が吹き出すように真っ白な光が宮廷の奥から解き放たれた。


 光の閃光と共に空へと飛び出す人影が二つ──いや三つ。


「ふ、あああああああああああああああああああ!」


 白亜のロングコートに身を包んだ少女──秋月燈が空の、戦場のど真ん中に姿を現した。




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