第64話 龍神の戦い

 ***


 四季××は車椅子に押されて、燈のいる個室へと案内された。

 消毒液の臭い、何もない簡素で真っ白な六畳ほどの部屋。そこにちょこんと体を起こした幼女がいた。だが、それは××の知る彼女ではなかった。


「…………」


 思わず目を疑った。何も映さない瞳、彼女から表情が消えていた。痛々しい黒い痣が左腕に広がっており、首元と手首へと侵食している。生きているが、呼吸を規則正しく息をしているだけ──

 六条院は席を外すと部屋を出ていった。重苦しい沈黙。

 数分の間、少年はなんと声をかけていいのか分からないほど、動揺をしていた。また会えたら、泣いて、怒って──それでも最後に笑う彼女を想像していたからだ。


「……ひ、姫?」


 少年は、遠慮がちに声をかけた。しかし、彼女は××を見ても反応が希薄だった。


「だれ? また私を食べようと、はいりこんだ《物怪もっけ》?」


「ちが……」


「じゃあ……ひとなの?」


 もう、彼女の目には《物怪》も人間も、同じように真っ黒に見えていた。それは心と目を閉ざすことで、自我をギリギリ保っている自衛行為に等しい。


「我──ボクは、四季××だよ。やっと目が覚めて──」


「だれ?」


「え……」


 幼女の真っ黒な瞳は、光を失ったまま××を見返す。失ってしまった記憶。それとも、辛すぎて封じてしまったのか。

 少年は頭を振った。ゼロに戻ってしまったのなら、またゼロからやり直せばいい。××も燈もどちらも生きているのだ。まだ手遅れじゃない。


(今度はボクが、トモリの心を開く番だ……)


 少年は真っすぐに幼女を見つめる。そして慣れない笑みを浮かべた。


「トモリ、ボクの名前は……四季××。これからは病室に遊びに来てもいいかな?」


「しき……××……? ××……。××!?」


 その名を聞いた瞬間、黒い痣が一気に幼女の頬に広がった。彼女はそのままベッドに寝転がり、苦しそうに喘ぐ。


「トモリ……!?」


 燈に駆け寄ろうとしたところで、××は自分の体に両腕がないことに気付く。豪快な音を立てて床に転がった。ベッドの上で悲鳴を上げずに、苦痛にもがく彼女に、少年は何もできないでいた。


「ああああっ!」


「トモリ!」


 ××は自分の体よりも、悲鳴をあげる幼女の傍に歩み寄ろうと足掻く。


 ──まったく、見ておれん──


 突如、ベッドの影から鎧武者が姿を見せた。緋色の鎧は黒く変色しつつある。二メートルを超える巨体の出現によって、病室が一気に狭苦しくなった。


「お前は……たしか、ツバ──」


 鎧武者は少年の襟首を掴み軽々と持ち上げ、言葉を遮る。


 ──その名を呼んでいいのは、主だけだ。お前ごときが口にしていい名ではない──


 鎧武者は乱暴に少年を車椅子に戻すと、彼は燈の前に膝をつく。その臣下たる姿勢は真摯なもので、喘ぐ燈の小さな手にそっと触れた。


 ──月桂げっけい十六夜いざよい朔夜さくや──


 名を告げた瞬間、燈の小さな手首に三つの勾玉が赤い革紐で結ばれ、ブレスレットとなった。


「ああ……、椿……?」


 幼女は体の痛みが和らいだのか、ゆっくりと呼吸を繰り返す。額には玉のような汗が吹き出し、白いベッドに零れ落ちた。


 ──少し休むがよい。なに、悪い夢を見ただけだ──


 鎧武者は××が燈の視界に入らないように、幼女をそのままベッドに寝かしつける。


「ねるの……こわい。くろいのがずっと、おいかけてくるの」


 ──だが、眠らなければ回復もしない。あとで某が本を読んでやる。眠っている間は傍にいる……。それで我慢してくれるか?──


 燈は小さく頷いた。


 ──ほれ、一人が怖いなら、このヌイグルミを抱きしめておけ──


 鎧武者は影の中から、黒い狐のぬいぐるみを取り出す。それは幼女と同じぐらい大きいものだった。


「うん……。ありがとう」


 ギュッ、と狐のぬいぐるみを抱きしめて幼女は頷いた。けれどその表情は動いていない。辛そうなのに、泣きもせずに心を凍り付かせていた。



 ***



 鎧武者は燈を寝かすと黒い狐を傍に置いたのち、素早く××の車椅子を担いで病室を飛び出す。

 警察病院の中庭にある樹齢五百年を超える枝垂桜しだれざくらの木の下まで連れてくると、鎧武者は少年を睨んだ。


「つっ…………!」


 凄まじい威圧に、××は全身から汗が噴き出す。鎧武者の頬当ての奥に宿る緋色の双眸。その殺気が、少年に向けられる。


 ──お前の覚悟と決断は評価する。……だが、半端な覚悟なら、今すぐに我が主の前から消えろ──


 荒々しい口調に殺気立った声は、今にも少年の喉元に刃を突き付けんといった勢いだった。枝垂桜についた葉は、その覇気に気圧されて舞い散る。


「なっ……!」


 ──お前も我が主も大馬鹿者だ。後先考えず、勝手に自滅して……! 何のためにお前は人間に転生した!? その様はなんだ! その両腕で、片足で──


 ××は鎧武者を睨みつけた。彼我の戦力差だろうと関係ない。


「関係ない……! この怪我はボクが自分で決めて、負ったものだ……! だからってトモリの傍に居ちゃいけない理由にはならないだろう!」


 ──では、その両腕と片足を失ったお前は、我が主に何が出来る? どうして腕を失ったのか、と主に聞かれた時にどうするのだ? お前が傍に居て、また発作をおこしたら? 四季××。お前の存在は、我が主にとって有害でしかない。これ以上、主の心を潰すな──


「ボクは……」


 ××の前には二つの道があった。××としての人生。そこには自分の力を理解する家族がいる。しかし──そこには燈の姿はない。

 ××という存在を捨てる道──そこにあるのは、欺瞞と贖罪。茨の道であり、報われるかどうかも分からない。拒絶されるかもしれない壊れかけの幼女がいるだけ。


「それでも、同じ世界が見える彼女の傍に──」


 ──同じ?──


 鎧武者は吹き出すように豪快に、腹を抱えて笑い──先ほどとは比較にならない殺意を、少年にぶつけた。

 轟!!

 枝についた木の葉までが、一気に消し炭になって消えた。


「!?」


 肌に突き刺さる殺意。否、その視線だけで、少年は胸を貫かれた感覚に陥った。それほどまでに、剥き出しになった殺意。


 ──何を勘違いしている? 我が主はお前のように、アヤカシか見える体質ではない──


「え……」


 その衝撃的な事実に、少年は目を見開いた。


 ──我が主は、呪われているからだ──


「呪い? 誰に……」


 ××は眉を顰め──そして少年の記憶ではない、はるか昔──龍神としての出来事が脳裏に過った。


 呪い。魂に刻まれた──


「まさか、多伎姫の時の……」


 ──ほお。曲がりなりにも龍神としての記憶は多少残っているのだな。なら、もう一つ補足をしておこう。キッカケはその時代だったが、決定打となったのは九尾を封じる時だ。その封印は代々、ある一族が守っていた──それが六条院家の《役割》。我が主はその血を継いで生まれてきた──


 生まれながらにして、呪いを課せられた魂。封印を見守る一族……。少年は背筋が凍り付いた。自分の見ていた世界は灰色だと思っていたが、あの幼女は灰色どこか真っ暗な世界を笑って歩いていたというのだ。


「なんで……。そんな状況で、あの子は笑って……いたんだ? おかしいだろう。耐えきれるわけない……」


 ──おそらく生前の記憶をいくばくか……覚えていたのだろう。でなければ、某を自由にするなどと言わないからな──


 そこで少年は燈のラクガキを思い出す。公園で遊んだ時に言っていた言葉、いやそれ以前に、彼女が口にしていた言葉一つ一つの意味に気付く。


「だから、我──ボクに……」


 魂の記憶。わずかながらもそれが残っていたから、彼女なりに繰り返さないように足掻いていた。


「じーさま好きだし、××や、××のおにーさんも好きだよ。それに、なつきも好き」

「××は? 世界が好きになった?」

「んとね。××となら、どこでもいい!」

「好きっていっぱい、言わないと伝わらないから、いっぱい、いうの」


 少年の頬に涙が零れ落ちる。燈の言葉が溢れ出てるたびに、涙が大きな雫となって地面を濡らした。


「あの日、お前と我が主が出会わなければ、主の心は潰れていただろう」と、鎧武者は口を開きかけて、その言葉を飲み込んだ。結果的に燈を追い詰めたのは、眼前の少年ではなく、その家族──四季柊次だったのだから。


「よくも弟を! この人殺し!」

「お前のせいだ!」そう言って、ありったけの罵詈雑言を並び立てて、追いつめた人物。それも警察病院に無断で入り込んで──

 静養中の燈の心を折った。もし、その前に××の意識が戻っていれば、違ったのかもしれない。だが、全てが遅すぎた。


 ──小僧、お前の道は二つだ。我が主を忘れて生きるか、それとも──


「いいや。その二つじゃダメだ」


 ××は涙を乱暴に拭いながら、眉を吊り上げて鎧武者を見つめ返す。


「我──は、四季××であることを捨てない。それを捨てれば、彼女の心に暗い影を残したままになる。だから、私が本名を名乗るまで《龍神》として、傍にいて彼女の心を取り戻す」


 ──第三の選択、か。出来るのか? 両腕と、片足を失ったお前が──


 少年は不敵に笑った。先ほどまで泣いていた子供らしさは消え、雰囲気もガラリと変わる。それは龍神に近いものがあった。


「幸いなことに、私はやろうとして、出来なかったことは何一つない。それに政府は非公開にしているけど、義手や義足技術も発達している。なら、警察上層部に交渉をしていけばいい。それに……六条院焔の脚は義足のようだったからね」


──ほう、よく気付いたな──


「初めて出会った時に、右と左の脚とバランスが若干変だった。それに政府は、そこまで《物怪》に対して悠長に構えてはいない。なら、国民に知らされていない秘匿情報と、対抗するための組織があると考えるのが、当然の流れ。それなら、私の力は十分に役に立つ」


(こいつ……。子どもだと思っていたが、頭の回転、観察力にどこから得たか不明な知識──まあ、あの龍神の転生者ならば、そのぐらいできて当然か)


 鎧武者は××を改めて見据えた。


──ならば、成し遂げてみろ。だが、我が主を傷つける真似をすれば、某の刃がお前の喉元を貫く──


「お前には誓わない。私は──自分の魂にかけて誓う」


 少年は龍神のもつ情報、そして頭の回転を駆使し、彼は彼自身の戦いに身を投じる決意をした。


(ふん、あの頃に比べれば幾分かはマシになったか)


 その決意を鎧武者は少しばかり感心し──構えを



 ***



 中庭から戻った××は、再び六条院焔と対峙する。

 人を食ったような笑みを浮かべる老人を少年は睨んだ。すべて知っていながら黙っていた老人に、沸々と怒りがこみ上げてきた。


「あなたは、全部知っていながら……トモリをあの状態になるまで放っておいたのか」


 もし両腕があったなら、老人の胸倉を掴んで一発殴っていたのかもしれない。だが、今はそれすらできない。


「《MARS七三〇事件》で、いろいろあってのう。孫は式神の力を使いすぎて、静養をしておったのじゃ。だが、不法侵入したある愚か者が、我が孫に罵声を浴びせた結果──《物怪》になりかけておる」


 六条院は鎧武者があえて言わなかった事実を、少年に告げた。ねちっこく嫌味な言葉に××は眉間に皺をよせる。


「…………父が何か言ったのか?」


「いや、お主の父親は行方不明──《神隠者》だそうだ。それで四季柊次だったか、お主の二番目の兄が余計なことを言ったんじゃよ。……孫は家族をあまり好いてはいなかったが、目の前で死んだ。少なからずショックはある。その上「四季××を殺した」などと言われれば、心が壊れるのも無理はなかろう」


 ××は初めて身内の行動に憤りを覚えた。そして、殺意を──

 自分のことを思っての行動だったとしても、だから何をしてもいいとはならない。なにより、完全に八つ当たりではないか。少年はグッと怒りを抑え込んだ。


「……あの事件で《物怪》が溢れておる。孫もワシも呪われておるから、昼夜関係なく《物怪》に襲われる。式神がついておるが、今もギリギリの所で自我を保っているというのが現状じゃな」


「……取引です。私は貴方の部下になります」


「ほほう」


 どこまでも、人を食ったような卑下する笑みに、××は歯噛みしながら言葉を続ける。


「その代わり、貴方の使用している物と同等の義手と義足を用意してください。それと戸籍の登録。私はトモリの心の傷がいえるまで、四季××を捨て《龍神》として、彼女の傍で支えていく」


 少年の決意に、老人は微苦笑する。


「ほお、《失踪特務対策室》に加入するつもりか? お主の父はそれを望んでいなかったはずだが?」


「それは父の願いで、私の決断ではありません」


「かかかっ、そうじゃな。そうしてもらえると助かるが、それは早くとも二年か三年後で構わん。今は、孫を死地から救うことが先決じゃ」


 老人のその双眸は力強く、常に数手先を読み相手を小馬鹿にしている態度が目立った──だが彼は、決して自身の利益のために動いていた訳ではなかった。

 ××がそれに気づくのは、もう少しあとの話──






 ***







 旧暦二〇一〇年三月二十八日──冥界、《常世之国》王都。

 焼け焦げた宮廷、灰となった臣下──迫りくる敵兵。そんな中で龍神はため息を吐いた。


(ああ、そうでした。いや、そうだった……)


 深く呼吸をすると、失っていた記憶がようやく繋ぎ合わさっていく。思い返すと微苦笑してしまった。


(……結局、逃げだったんでしょうね。彼女の心を救うことばかりで、その先のことを──式神との本契約で彼女がやろうとしていた事を、は気づいていながら、結局あの約束の日まで、《四季×× 》と《龍神》は同一人物だと名乗り出なかったのですから……)


 去年──燈が術式に失敗した原因。術式を編んでいる時に、四季××との記憶を取り戻したのだろう。その動揺が術式を崩壊へと導いた。

 龍神は──忸怩たるものを感じながらも、己の至らなさに痛感する。


「……今は目の前の敵を迎撃しなければなりませんね。反省会は、その後としましょう」


 ふと、龍神は殺気を感じ、空を仰ぐ。

 星の数にも匹敵する敵兵を視界に捉えると、龍神が空に向けて手を翳す。


「限定解除──龍王将軍ロン・グオワン=ジアンジュン──降臨ジャリン


 バリトンの低く──けれど決意に満ちた声が響く。その刹那──宙に様々な達筆な文字が躍り出る。

《龍神》とは総称であり、真名ではない。

 それは内に数千、数万、数億という名の龍、蛇、竜を内に宿す。それ故に龍を司る神として存在している。それはもはや存在そのものが概念という方が近い。霊脈そのものに最も近く、尊き存在──龍神の号令一つで上空に数千、数万の武力が揃う。


(この場は私が抑えるとして、姫の脱出経路及び避難場所は用意してある。問題はその場まで誰が護衛するか……)


 思考を巡らせながらも龍神は空に、数万の龍の化身龍王を出現させていた。龍という紋様に近い文字が人の形へと変わっていく。全員が鋼鉄の鱗に似た甲冑と白き外套を身につけ、各々の象徴とも呼べる武器を携えて迎え撃つ。

 ここに数万の《龍王将軍の軍勢》が顕現された。


──……龍神様──


 龍神に直接、涼やかな声がかかる。周囲に該当する存在はおらず、その声は念話によるものだった。


「その声は……」


──千年以上前、竜馬として神徒に加わったものです。私めに名をつけて下さった《姫》のため、護送の機会を与えて頂けないでしょうか──


 タイミングの良い言葉に龍神はやや危ぶんだが、その竜馬が燈と縁があることを思い出す。


「ああ、お前は……。そうであったな。いつか、姫をその背に乗せることが、夢だと……」


──はい。弾正台によって蓬莱に飛ばされましたが、今ならすぐ宮廷に馳せ参じます──


「そういえば数年前に移住区を大幅に移動させたことがあった。その申請を出したのは冬青だったか……」


 すべては冬青の計画だったのだろう。ならば、龍神は臣下の意図を汲んで首肯する。


「竜馬、これは王としてではなく私個人として、姫を頼めるか」


──謹んで……謹んでお受けいたします──


 声が途切れ、空を見渡せば数多の招かざる客が、目視できる距離まで迫っていた。その圧倒的な数に気圧されることなく、龍神は佇む。


「ここから先には行かせるものか」


 龍神の背後には燈がいる。そしてその少女の生きてきた世界がある。

 彼は未だ世界を好きだとは思えなかった。だが──守りたいものはハッキリしている。だからこそ、龍神は何の迷いもなく、こう命じた。

 

「迎撃せよ」


 短く、それでいてハッキリとした言葉に、数千の《龍王将軍》は一斉に迎撃を開始した。

 怒号の如く咆哮が《常世之国》に響き渡る。

 花火よりも苛烈で、爆発的な煌めきを放つ空中戦が火ぶたを切った。

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