第五幕 ~東京編~ 「幸福の在り方」

《幕間》 浅間龍我の役割・前編

 ***


 二〇一八年──

 都内警察病院、屋上。


 夜明け前だからか、今日はやたらに覆われていた。そのため病院の屋上に姿を現した人影はその光景に眉をひそめた。人影は全部で二つ。

 一人は三十代男性──黒い軍服姿の浅間龍我。深緑色の長い髪は後ろで一つに結っている。その斜めに切りそろえられた前髪も変わらない。二メートルを超える巨体の偉丈夫は不意に立ち止まった。

 後ろについて来たもう一人は五十代だろうか、上質なスーツ姿を着こなした男は国防長官、五十君雅也いきみまさやだった。彼はノインの実の父親でもある。

 SPは待機を命じており、今屋上にいるのは浅間と五十君だけだ。


 浅間は官房長官五十君から受け取った資料ホログラムに目を通していた。彼の目線に合わせて、腕時計から映像が浮かび上がる。こういった悪天候の場合でも、何の支障もなく読めるというハイテクな代物だ。これらの装備品は《特別災害対策会議・大和》の職員なら全員に分配されている。

 また職員一人一人階級に別けてのアクセス権限があり、該当者以外にはバーコードの羅列にしか見えない。官房長官が差し出したのはSSSランクの機密情報だ。そしてその内容は──


(……。道理で俺も龍神も答えに、辿り着けないわけだ)


 六条院焔ろくじょういんほむらが生前行った術式により、関係者のほとんどが記憶を上書きされていたからだ。いや正確に言えば、彼に関わる出来事の除法の全てが|希釈され、その事実すらさほど重要に感じられなくなるという。

 厄介な点は、記憶を上書きされた、本来の記憶は戻らないということだ。

 浅間が一通り見終わったころ合いを見て、官房長官は口を開いた。


「──以上が一九九九年に決行を予定していた《MARS七三〇計画》の全容だ。そして過去の失敗を繰り返さないため、二〇一〇年に《Operation Absolute ZeroOAZ》が執り行われる予定だった。それにより現世に漏れ出していた《異界》の何割かを浄化、または消滅させるはず──だった」


 浅間は改めて計画発案者の名を見て──僅かに目を細めた。そこには見知った名前が記載されていたからだ。

 企画発案者──警察庁、《失踪特務対策室》初代、木下総一郎きのしたそういちろう。二代室長、六条院焔ろくじょういんほむら──《理》との交渉によって存在そのものが希釈され、記憶にも記録にも残らない。だが、その中で僅かな爪痕を残していた。


「ここまで、俺の記憶が上書きされるとはな」


 浅間はホログラムを閉じると、煙草を口にくわえて火を付けた。


「それは私も驚いたよ。……この二つの案件は、どちらも不測の事態によって計画そのものが頓挫とんざしたのだ。成し遂げるには何かが足りなかったのか……、それとも《理》による干渉が入ったのか……。もっともではわからないがね」


「ふう」と浅間は煙草に火を付けると、紫煙を口から吐き出す。


「俺も人の事は言えん」


 浅間は素っ気なく官房長官に言葉を返した。二人の立場上、病院の屋上こんな所で呑気に話せるような関係ではない。だが国防長官は気にした様子もなく、浅間の言葉に首肯する。


「………ふむ」


 官房長官──五十君は、隣の男を見やって目を伏せた。もう数十年以上の付き合いになるが、浅間この男の姿は昔と全く変わらない。自分だけが老いていく──そこに僅かながら寂寞の念を抱くも、すぐに胸の内に溶けてしまった。五十君雅也としての生き方──それも悪くないと思えたからだだろう。


 ある武神の末端である五十君は、人間に生まれたことを悲観してはいなかった。人間である以上、浅間のような力はない。単に神として僅かな記憶と知識があるだけの一般人だ。だが、人の善悪を間近で見てきたからこそ、今の世を何とかしたいと思った。


「……それで、怪我はもういいのかね? この後は激務が待っているのだろう」


「ん、ああ……」


 浅間は三カ月ほど前の《柳が丘高校テロ襲撃事件物怪の襲撃》で負った怪我を癒す為、この警察病院に入院していることになっている。しかしこの男はただの人間ではなく、数千年を生きる《現人神あらひとがみ》であり武神。重症だった怪我も事件の三日ほどで回復していた。入院というのは表向きな意味合いが強い。


「まあな。……たぶん、俺にとって次がの《役割》になるだろう」


 そうハッキリと浅間は断言した。《荒御霊》を取り戻した今、浅間は人間よりも神としての存在が大きい。いずれは六条院の施した術式の効果も切れて、姿だろう。その前段階として、彼の右腕には蛇のような鱗が出来つつあった。


「……と、そうだ五十君。アンタに一つ聞いておくことがあった」


「なんだね?」


「古来より《政府関係者国の運営者》は、《異界》はもちろん、《物怪》や《黒い濃霧》が何なのか知っている。だからこそ《MARS七三〇計画》と《Operation Absolute ZeroOAZ》を立案したというのも理解しているつもりだ」


「ふむ、それで?」


「……二〇一〇年に異界の浄化に成功する可能性が高いなら、なぜ《特別災害対策会議・大和》の設立をその後にしたんだ?」


 浅間の鋭い言葉に、一陣の風が吹き抜け彼のロングコートが翻る。夏の季節でも夜明け前は少しばかり温度が下がるものだが、二人の間には氷点下ともいえるほどの寒さと、緊迫感があった。


「何を言うかと思えば……。いくら《Operation Absolute ZeroOAZ》が成功としたとしても、《物怪》の脅威を考えれば組織編成は当然の流れではないかね。それに計画の失敗も鑑みれば──」


「いや、それならまず組織強化を急ぐべきだろう。俺でも考えつくはずのことを、あの妖怪狸爺六条院が見落としていたとは思えん」


 浅間はより真実を見出そうと言葉を紡いでいく。五十君はそれに対して唇を固く閉じていた。


「……最初から《Operation Absolute ZeroOAZ》は、失敗する可能性があったんじゃないのか?」


 もし秋月燈があのまま二〇一〇年を迎えて、契約が進むとしても成功しただろうか──?


「私も立場のある人間なので、詳細は述べられんが──確かに、その可能性が高かった。まあ、その話は少し後でするとしよう」


 浅間は眉を寄せて考える。ここで誤魔化す理由などあるのだろうか。言及すべきか眼が得るが──


「はははっ、そう睨まないでくれ。このことは君に連絡を入れていたのだから。元々、《特別災害対策会議・大和》は《失踪特務対策室》をさらに拡大させたもの。それも二〇一〇年に訪れるであろう、本当の厄災に対して用意してきたものだ」


 浅間と龍神が真相に辿り着けなかったのは、単に六条院焔のことだけではなく、秋月燈による術式、そして四季××の存在抹消という様々な要因の中心にいたからだ。

 唯一全てを覚えていたのは式神だけ──

 歯噛みする浅間を一瞥して、五十君は言葉を続ける。


「しかし二〇〇九年十月中旬、例の事件によって一気に状況が変わったのは本当だ。それによって数年越しの計画を、こうも駆け足でする羽目になったのだからね」


 五十君の言葉には妙な言い回しが加味されていた。

 それが何を意味するのか、それともミスリードのつもりか──浅間は眉をひそめる。


(まあ、政府には、高確率で未来を予知が出来る人間がいる。ただしあくまでも自然災害や厄災に関わることだけだ。……だとしても、木下とあの狸爺が練り上げた計画が、あっさりと打ち砕いたモノがいる? 《荒御霊》の要因だけではなく、まだ俺の中でも思い出せていない──事実があるということか?)


 いくら知恵者と未来予測をする人材がいても、未来はその時が来なければ確定しない。木下総一郎、六条院焔、どちらも顔に似合わず、世界の行く末を憂いていた者たち。そして、悲劇を繰り返さないように、奔走して早死にした愚か者たちでもあった。彼らをことを思い出し、浅間は口元が僅かに歪んだ。


「……なにが血を見ない意識革命だ。絵空事を宣った奴らが先に逝って、武に秀でた俺たちが生き残っているんだからな」


「まったくその通りだ」


 浅間のその言葉は、亡き二人を卑下したわけではなく、尊くも偉大だったかつての仲間への賞賛だった。それを理解しているからこそ五十君もまた笑ったのだ。



 ***


 五十君は空を仰ぎ見る。今日は「夏晴れの心地よい天気になるだろう」と予報では言っていたが──東京都内、それも警察病院の前に見えるのは、十メートル先も見えない《白い濃》だ。太陽が昇り僅かに光が差し込む。それによって夜と同化していた《黒い濃霧》が明確に見え始めた──


 五十君はこれから始動する作戦を考え、一度目を伏せた。少しばかりひんやりとした風が彼の頬を撫でる。


「この国は明治元年、一八六八年から一四二年を数えるが、明治維新以降の歴史の中でエネルギー開発及び利用には様々な過程があった。第一次オイルショック、混乱を避けた第二次オイルショック……。それらの経験を踏まえエネルギーの供給安定政策が打ち出された。その結果、昭和五五年、一九八〇年に石油代替エネルギーとして石油ではなく、太陽、地熱、石炭、水素エネルギーによって進めた。中でも原子力発電は画期的だった」


「ああ、そうだったな。……だが原子力発電には、極めて高い危険性があった。放射性物質はもちろん、事故が起こった時の修復時の危険性。だがそれを回避する術の持たないまま、建設は進んだ」


 一九六六年に日本初の発電所が、茨城に設立された。しかしそれは愚行とも言える行為だった。あの地に、気づかなかったのだから。

 巨大なナマズを押さえつける武神の姿──武甕槌タケミカヅチは有名といえるだろう。


 あの地に何を封じているのか、五十君は。だからこそ──


「しかし、現在は解決している」


 五十君の言葉を奪ったのは、二人の後ろに現れた青年だった。


「父の言う《厄災》は、結界の綻びを防ぎ封じたままになっている。なにせ二〇〇三年に電子発電所そのものは封鎖され、電力は隕石から生じるエネルギーによって賄われているからだ。国民にその事実は伏せられたままだと記録している」


 堅苦しい言い回しで話に参加したのは、五十君雅也の息子──あまねだった男だ。今は全身義体化によって《特別災害対策会議・大和》特殊迎撃部隊所属しているArtifactアーティファクト knightsナイツ試作九号機──通称ノインと名乗っている。


 彼もまた先の事件で、損壊したボディの修復および最終メンテナンスが終わり、黒い軍服姿で現れた。整えられた赤髪が僅かに揺れる。すでにいつでも出動できるように肩や腰回りに重火器に、弾倉と「歩く武器庫」とでも言わんばかりの姿だった。それを見やって、浅間はため息を吐いた。


「間違いはないが──誰がそんな恰好で来いと命令した?」


「次の任務なら、このぐらいの装備は妥当」


 浅間は手にしていた煙草を手で握りつぶし──紅蓮の業火によって一瞬で灰となって消えた。


「あのな……」


「冥界のにより、秋月燈は現世に生還していない。冥界で何が起こっているのかを知るためには──」


 いつになく感情的になるノインに、浅間は手で発言を制止した。


殿、ご子息に情報が伝わっていないようだが?」


 浅間は五十君への言葉遣いを改めて、原因と思われる相手を睨んだ。


「私は情報を止めていないが? 死地に向かうのを止めたい親心はあるが、息子が自分で決めたのなら、できうる限りのことをしてバックアップするつもりでいるよ」


「となると、情報を止めていたのは……」


「私です! すみません、筋トレしてたら忘れちゃいました☆」


 元気溌剌げんきはつらつと馬鹿でかい声で登場したのは、双子の妹、宇佐美楓うさみかえでだった。彼女の髪はショートボブだったのが、肩に少しかかるぐらいまで伸びている。以前は学校の制服姿着物の上に袴だったが、今は黒い軍服を着用していた。


「あと、お姉ちゃんと燈を助けに行く作戦を、ノインとに立ててました!」


「「…………」」


(人選を間違えた……)


 楓は、はきはきとした声で爆弾発言を見事に投下した。

 瞬時に浅間と五十君の目が鋭く──殺気が湯気のような形で全身から吹き出す。


「ほお、。その勝算は何パーセントなのかな?」


 五十君父親の突き刺すような殺気に、ノインは言葉に詰まった。こんな時、秋月燈心の友その壱はどうしていたのか、彼は記憶を探り答えを導き出す。


「…………ナンノコトダカ」


「にひひ! ノイン、嘘下手過ぎっ! あはははっ~、ウケる」


 大爆笑する楓だったが──


「貴様、謹慎処分を食らいたいか?」


 浅間は楓の頭を鷲掴みすると、ゆっくりと力を加えていく。


「あわわっ……! って、室長、痛い、痛いッス!!」


「貴様が何の為に《特別災害対策会議・大和うち》に入ったのかは、聞いている。だが焦ったところで、アイツらをこちらに引き戻せるかは別だからな。だいたいどこにいるのか分かっているのか?」


「そこは勘です!」


 楓はドヤ顔で浅間に言い返す。浅間は額に青筋を立て──


「馬鹿なのか? いや、馬鹿だな。無鉄砲で自分の実力も知らない馬鹿を、うちに置いておくほど甘くない。貴様は今日限りで──」


「嫌です! それだけは、絶対に!」


 浅間の片手に楓は両手で抵抗する。その力は彼に遠く及ばないが、人間離れした膂力を発揮する少女の顔を見やった。


「秘密裏にしていたのは、謝ります。今回の作戦中どさくさに紛れて冥界に突入しようとか、ノインのヤマツチと私の使い魔にその準備をさせていたのも……! でも、私は、もう、置いていかれるのだけは嫌なんです!」


 そこに楓の本心が如実に表れていた。

 三カ月前、あの事件当日に双子の姉である宇佐美杏花うさみきょうかは、燈を避難させるからと言って、危険を承知で登校したのだ。

「何があるか分からないから、学校の外に一人残っていた方がいい」と言った杏花の判断は正しい。それに姉であれば燈を騙してでも外に連れ出せると、楓は踏んでいた。


 しかし──


 二人はあの日から帰ってきていない。どちらも生きているが、燈は《冥界》、杏花は《ある場所》にいるという。どちらも負傷しており、無茶をしたことも浅間とノインから聞いた。


「だから、迎えに行くんです!」


 その双眸は力強く、浅間の本気の威嚇にも耐えた。その忍耐力に毒気を抜かれてしまう。昔、同じように、そうやって意地でも自分の筋を通そうとした奴がいたのを思い出したからだ。


(まったく、秋月燈馬鹿弟子の周りは、本当に諦めが悪い)


 浅間は深い溜息を吐くと、掴んでいた楓の頭を離した。


「……いいだろう。貴様の覚悟に免じて検討してやろう」


「室長!」


 楓の顔が一気にほころんだ。


「ただし────────」


「え?」

「…………」


 浅間の言葉をかき消したのは、空から近づく戦闘機──平成のゼロ戦F-2Aだ。正式名称F110-GE-129。全長、十五.五メートルの日米の技術を結集して生まれたもので、《対物怪》用ミサイルを最大四発搭載、戦闘機としての攻撃力と対空能力は高い。今、空を飛ぶ彼らの戦闘機の乗員もまた《特別災害対策会議・大和》のメンバーだ。


 ──ジッ


 浅間の腰につけていた無線トランシーバーに連絡が入る。


 ──こちらMUSHAムシャ。現在のところ異常な……い、いや。霧が……──


 無線から漏れるパイロットの声が変わった。


「来たか」


 太陽が昇ると霧が完全に消え──この国の、否──東京の現状が浮き彫りとなる。

 警察病院の屋上から見える光景。それはすぐ傍に山手線が見えて、高層ビルが立ち並ぶ数分前と、大きく異なっていた。

 なぜなら霧が晴れた瞬間、東京都──山手線内は《黒い濃霧》に覆われ、一瞬で

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