第62話 四季××の記憶

 紅蓮の炎に身を焦がしながら烏天狗の冬青そよごは、重い瞼を閉じた。彼の失敗は一九九九年のある事件から始まる。龍神の分霊が人間に転生して、十一年が立ったある日──


 冬青は膨れ上がる巨大なエネルギーの渦から、龍神の分霊──四季××を守るべく画策するものの全てが裏目となった。

 秋月燈あきづきともりから引き離そうとしたことが愚かなことだったのか──

 池袋のMARS CITYへと駆け出した、小さな背中を追うことが出来なかった。

 大切な人を守らんと、少年は神の力を己が体に宿したのだ。両腕と片足を失い、龍神と四季××の意識が同調し──混ざり合う。二重人格とは異なり、紅茶とミルクが溶けあった──第三の人格が生まれた。龍神でもあり、四季××でもある。どちらでもあり、どちらでもない。完全な人でも神でもないモノ。


 それから冬青は現状をなんとかしようと画策を繰り返す。

 二〇〇九年の事件を計画したのも──

 その後に連なる《クロガミ怪奇殺人事件》と《白霧神隠失踪事件》──

 二〇一〇年に起こった女子高生徒失踪、不可解な事故死、柳が丘高等学校が《異界》化したのも全て冬青が手引きしたものだ。だが、彼自身は世界転覆でも、主君である龍神を貶める為に画策したのではない。


「我が王──申し訳……ありません……。全ての責務は私にあります」


 あまりにも彼は優秀すぎた。完璧な布陣、配役、計画。突発的な出来事に対しての補填まで整えており来ながら、彼は数々の失敗した。

 冬青にとっての常識と、秋月燈の言動とその影響力を見誤っていたからだ。彼女は何の力もない、ただの人間の魂──

 そう、彼女自身は平凡で、普通だ。その魂の透明度を除いては──


 ***


 冬青は炎に焼かれ──燃え尽きた。

 その刹那──龍神の失われていたが戻る。

 それは彼の中で失っていた、ここ数十年の記憶──人間の時の出来事だ。


 ***


 思い出したのは、灰色の世界だ。見える世界は、何もかもがぐちゃぐちゃで、人間は自らの破滅に向かって盲目に歩き続けている。

 四季××が生まれて、九歳を迎える頃に理解した常識だった。


 何処を見渡しても灰色の世界。

 心を踊るような出来事は何一つなく、雑音が常に少年の耳に入る。

 生きている者、死んでいる者、それ以外のモノがひしめき合う世界は、地獄だった。唯一幸いなことは四季家の家族のほとんどが、特殊な力があるということ。

 

 特別な力は、その人間から平凡を奪う。

 特別だからこそ、孤独が付きまとうし、人には理解できない悩みがある。


「なんで……、生まれてきたんだろう」


 鼠色の雨がバケツをひっくり返したように、全てを洗い流す。学校帰りのいつもの通学路。灰色の──いや白髪の少年は下を向きながら、とぼとぼと歩く。


「夏姫姉は……《楽しいことがある》なんて言ってたけど……」


 少年の姉が交通事故で亡くなって、一週間が経った。世界は前と変わらず灰色のまま、何も変わらない。四季夏姫しきなつきはその目で未来が見えるという。長男の冬樹は人を魅了する空気と、心を読む目を持っている。唯一、次男の柊次は特殊な力はないが、体がものすごく頑丈だ。

 三男である四季××は──頭脳明晰で、思ったことはたいてい実現できてしまう。そしてヨクナイモノが見える、聞こえるのだ。おまけに──


「その子、おにーさんの犬?」


 少年が濡れた目で声に顔を向けると、そこには無遠慮がちに声をかける幼女がいた。赤い子ども用の傘、黄色い帽子にリュック、それと長靴。水色のワンピースは、幼稚園児の服装のようだ。大きな目に、人懐っこい笑み、黒い艶のある髪は肩ほどまであった。


「……!」


 少年が振り返ると、白いモフモフとした狼──に近い犬が座っていた。もっとも、体の半分は透けているので、普通の犬ではない。少年が生まれてからずっと傍に居る──化物だ。


「なっ、お前! 外に出るなって……!」


 少年が激昂する中、犬は嬉しそうに幼女の胸元に飛びついた。

 ふわりと赤い傘が地面に降りる。土砂降りの雨が幼女にも降り注ぐ。

 少年は目を伏せた。また悲鳴か鳴き声がくると――だが、予想に反して笑い声が耳に入った。


「わあ、もふもふしてる。かわいい」


 幼女は白い犬に、優しく抱きしめていた。


「!?」


 少年はそれを見た瞬間、全身の産毛が逆立ち──背筋がゾワリと凍り付いた。


「キミも……みえているの?」


 震える声、青ざめた顔に前髪は今も垂れて瞳が隠れていた。その問いに幼女は、笑顔で「うん」と雨が吹き飛ぶような声で答える。


「雨の日は、へんなモノがあんまり居なくて、世界はとってもキレイだよね」


「き、綺麗なもんか……。黒くて醜くて臭くて……世界はもう、どうしようもないくらいに歪んで……酷いモノじゃないか」


 同じものが見えているのに、その見え方はまるで正反対だ。ぽろぽろと零れる言葉は、長年押さえ込んでいた本音だった。


「うん。こわいのもいる。でも、


 さらりと幼女は世界の怖さや醜さを受け入れて笑う。それが少年にはとても怖いものに見えた。


 ──そんな餓鬼がきなど放っておいて、さっさと傘を拾え。風邪をひくぞ──


 低いダミ声に、少年はビクリと震えた。


「……つっあ、化物!」


「あ。待って……《しきなつき》さんのお家をさがしているの!」


 必死な幼女の声に、少年は足が止まった。


「え、夏姫姉……?」


 それが秋月燈のとの出会い。

 幼女はで起こった交通事故に居合わせて、四季夏姫の最期を看取ったと告げる。

 だが、実際は、トラックの運転ミスではなく──《物怪》による暴走に巻き込まれたというのが正しい。そしてその《物怪》の狙いは、次期官房長官と噂されている五十君雅也と、その家族の乗った車だった。

 少年はそれも全て知っていた。この世界は傾き崩れつつあると──


「うん。だからね、わたし、がんばって、じーさまのあとを継ぐの!」


「は? ……キミが? なんの力もないのに?」


「そーだよ! だって、わたし、この世界が大好きだもん」


 幼女は楽観的に──このどうしようもない世界を「好き」だと話した。その眩しい笑顔に、少年は大きく目を見開く。


「キミは……世界が見えていないからいえるんだ」


 幼女は少年に歩み寄ると、彼の前髪を上げた。彼女の背丈で背伸びしてようやく手が届く。


「見えてるよ。わたしの前に、おにーさんがいる。おにーさんの世界には《だれ》がいるの?」


「ボクの……」


 少年は同じものが見える幼女に問われた。ただ世界を傍観していた彼にとって、その言葉は衝撃的だった。彼女の世界舞台は、配役を与えられた登場人物でいっぱいだと話す。


「この世界は、たくさんのひとが、それぞれの物語をもって、生きてるの! みんな主人公で、みんなわき役。でも、大切な人にとっては特別な誰かになる。それってすごいことでしょ!」


 幼女は「えへへ」と笑いながら、幸せそうに笑った。だが、少年は眉を寄せて彼女を突き飛ばす。


「わっ」


 よろける幼女を白い犬が支え、「きゅん」と申し訳なさそうに鳴いた。


「意味わかんないよ。なに笑ってんのさ……。そんなんで世界が変わるもんか!」


「かわらないよ? だって、世界は自分でかえなきゃ、かわんないもん」


 キョトンとした顔で幼女は言葉を返す。少年は耳を閉ざす。会話を終わらせようと声を荒げた。


「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!」


 悲鳴を上げるように彼は叫んで逃げ出した。駆けて駆けて──

 心臓の鼓動がうるさく、ほかに何も聞こえないぐらい必死に走った。出会いは最悪で──いや、その後も出会うたびに《秋月燈》と名乗った幼女から逃げる。


 近くに住んでいるのか、それとも待ち伏せしているのか、燈は四季××の視界に入ってくることが多くなった。

 公園で見知らぬ誰かと遊んでいる姿や、通学路の帰り……。目が合おうと彼女は元気よく手を振ってくるので、少年はそっぽを向いて家に帰る。それを繰り返していった。



 その日から少年の世界が、少しずつ変わり始める。



 途切れていたえにしも、時と共に再び繋がることがある。それは一ミリほどの厚みを毎日積み上げて、実らせていく。

 夏になれば打ち上げ花火を見ようと、声をかけ。隣で夜空を見上げた。秋になれば紅葉と銀杏の葉を拾い合った。


「花言葉?」


 少年は綺麗な落ち葉を探しながら、言葉を返した。


「うん! せんせーが花には、いろんな言葉が、あるんだっていってたの!」


「そうなんだ」


 少年はそっけなく言葉を返す。だが、幼女は嬉々として言葉を続ける。


「だからね、これからは××に、たくさんのお花を、あげることにしたの!」


「意味が分からないんだけど」と少年はジト目で睨んだ。だが燈は気にせずに話を続ける。


「おせわになっている人に、あげるものだって」


 幼女は鮮やかな紅葉を××に差し出す。その花言葉は《美しい変化》――


「いっぱい、思い出を増やせば、きっと世界は、色づくよ!」


 鮮やかな紅葉を手渡されて、少年は嫌々ながらも本に栞代わりにはさんだ。なんだかんだで、燈と会う機会が増えていった。同じものが見えているからだろう。



 ***



 他愛の無い話。

 何でも無い日常の帰り道。毎日傍に居た白い犬は時々しか現れなくなった。季節が巡り、時間はゆっくりと過ぎていく。


 冬は寒いから手を繋いで、クリスマスはマフラーと手袋を一緒に選んで、イルミネーションを見て回った。イチゴの沢山乗ったクリスマスケーキと丸太の樹の形をしたブッシュドノエル。どっちにするかで喧嘩もした。


 なんだかんだで二人の一緒にいる時間が、増えて行き、月日は流れて一九九九年の夏──

 それは開店したばかりの《カフェ・ユーデモニクス》に燈が遊びに来た時の事だった。カフェの中はオークと呼ばれる木材を使用したテーブルと、椅子が目立つ。ベージュと橙色のレンガ造りの壁、天井が高く、観葉植物に彩られた空間はあっとフォームな雰囲気だ。××はこの店が嫌いじゃなかった。


 夏休みの宿題を終えて、近道だからと店の裏口から忍び込んだ。燈を驚かせようという悪戯心だったからかもしれない。

 彼女と出会ってから、少しだけ自分が変わった気がする。少しだけ生きるのが、世界が楽しく見えたからだ。だが──


「ああ。気にしなくていいよ。いつも××と遊んでくれているお礼だからね」


 父親であり店の店長──四季零慈しきれいじは、スポーツ選手のように体格がよく、癖毛のある栗色の髪をした男だった。目元はアキチカに似ており、なによりコックコートがよく似合っている。家族を誰よりも大切にする──そんな理想的な父親だった。


「……それで、そろそろ頃合いだと思うんだ」


「ころあい?」


 燈は何のことを言っているのか理解できずに、小首を傾げた。その反応に××の父親──零慈は苛立ちを露わにする。


「息子に接触したのは、《失踪特務対策室》への勧誘が目的なのでしょう。まったく、これだから組織の人間は……。自分の孫を使ってまで……」


「しっそう? なにそれ?」


 ××は眉を寄せた。

 警察。勧誘。組織。聞きなれない単語に、不穏当な発言。彼は二人の前に姿を見せずに聞き耳を立てた。


「特別な力を持つ人間が《物怪》を倒すために、組織された部署だと君の祖父から聞いてますよ。夏姫は自分で加入したいと言っていましたが、××は絶対に入れさせません」


 大人の怒気に幼女は「うう……」と泣きそうな声が漏れた。その瞬間、少年は父親に対して怒りがこみ上げる。衝動的に、その場から飛び出しかけたが──


「わたしは、××と会いたいだけだよ。それってそんなにダメなことなの?」


「……そうではないですが、キミと一緒だと息子は幸せになれないかもしれない」


「やだ。××と、いっしょにあそぶの」


 駄々をこねる幼女に、少年の父親は冷厳な態度を崩さない。


「それが夏姫──娘の願いだからですか?」


 ××は息が止まりそうになった。

 よくよく考えれば、彼女は《四季夏姫》の最期に居合わせた一人だ。能天気な幼女のことだ「弟をお願い」などと言われたから、今の今までその言葉通りに傍に居るのかもしれない。そう考えたら、××は胸がチクリと痛んだ。

 その痛みは、今まで味わったことのないものだった。


「ちがうよ。なつきは、「家にお花を届けて」って、言っただけ」


「花? ああ。あの折り紙の。……では、息子を引き入れようなどとは?」


「んとね。わたし、××が大好きなの!」


 飛び切り明るい声が店内に漏れる。何の臆面おくめんもなく燈は××の父親に告白する。


「さいしょ、あったとき、とっても遠くを見てたから、わたしのこと、みてほしいな、っておもったの!」


「……キミは人の話を聞かない子だね。息子が幸せにならない──いや危険性がある子が傍に居るのは困るんだよ」


 燈は小首を傾げた。その真っすぐな双眸は大人──××の父親を見つめ返す。


「××が、わたしのこと、きらいって言ったらあきらめる。でも、おじさんのりゆうで、会わないのはヤダ」


「なるほど、どうやらこれ以上話をしても埒が明かないようだ。キミの祖父は《失踪特務対策室》の重役。なら、その孫が無銭飲食などすれば、困ったことになるだろうね」


「むせんいんしょく?」


「勝手に注文をして、お金を払わないことだよ。今さっき出したケーキとドリンク……。キミは払えるのかな?」


 ××は父親の卑劣な──あまりにも幼稚な行動に飛び出そうとした。が、結局それは出来なかった。

 店内の空気が張り詰め、溢れ出す殺気に××は背中に冷や汗が吹き出し、足がすくんだ。


 ──かかかっ、ああ。なるほど。それで警戒をしていた訳か。それで合点がいった──


 燈の影から紅の甲冑を纏った鎧武者が姿を見せる。その巨体は二メートルを超え、店の空気を一気に凍り付かせた。

 だが四季零慈は微動だにせずに鎧武者を睨みつける。


「出てきたか《化物》」


 ──応、某は《化物》だ。それは否定しない。だがな──


「むう! 椿は、ばけもの、じゃないの! 家族なの!」と燈はぶうぶうと憤慨する。思わぬ横やりに鎧武者は幼女の頭をポンポン、と優しくなでた。


 ──我が主よ、その心意気は非常に嬉しいが……。ちょっと某、大事な話をするか静かにできるか?──


「うん! おくちチャックする!」


 ──うむ。さすが、我が主だ──


 こほん、と鎧武者は咳ばらいをすると、急に朗らかになった空気を一蹴する。


 ──いいか。親だからと言って、お前の《幸福》をガキに押し付けるな──


「キミに私の何がわかる。私はあの子の父親だ。だから夏姫の二の舞には絶対にさせない。息子に恨まれようと、絶対に、守って見せる」


 ──フン、それで自ら行った過ちを拭えるとでも思っているのか? まあ、お前は夏姫の時も気づかなかったんだ。次の繰り返すんだろう。同じところをずっとぐるぐると回って、お前のいう《幸福》を他人に押し付ければいい。《失踪特務対策室》にいた頃から、何一つ変わっていなかったんだからな──


 鎧武者は、三十代の男に身なりを変えると、一万円札をテーブルの上に出した。


「これで文句はないだろう。では、失礼する」


 その男椿は、燈を連れて店を後にした。


 ***


 ──その日を境に燈と××が会う機会が、極端に減った。


 

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