第61話 迦楼羅天

 轟々と紅蓮の炎は、建築物を飲み込まんと燃え上がる。そんな中、龍神は回廊で待ち伏せをしていた烏天狗──冬青そよごと相対していた。龍神が切り伏せた者たちの体は光に包まれ消えていき、周囲に金色の残滓が漂う。


(ガルダ鳥。ヴァイナテーヤヴィナターの子ガルトマーン鳥の王ラクタパクシャ赤い翼を持つもの、鳥の王であり、《宇宙の水を住居とするものナーラーヤナ》の乗り物でもある。時代と共にインド、中国、そして日本に信仰が広がり、仏法守護の神迦楼羅天かるらてんと呼ばれ崇められた。だが時代が下がるにつれ、烏天狗と妖怪にまで降格した神。──しかし何を思って今に至る?)


「あははは~どうです~? 結構頑張って準備をしたんですよ~。綺麗でしょう」


 宮廷の至る所で黒煙が空に立ち上り陥落したかに見えた。


「ふっ!!」


 龍神は演舞の如く片袖を振った──

 刹那、突風と共に湖の水が津波となって宮廷を飲み込み──それによって炎を一気に消し去った。


「ぷはっ!」


 冬青は大波に飲まれ、全身ずぶ濡れとなる。急いで龍神の姿を探すが、どこにもいない。

「逃げた?」と冬青は邪推するも、龍神という男がそのような人物でないことをよく知っていた。敵に回せば容赦などしないことを。

 そして龍神にとって、なによりも優先させるのは──


「人間の娘のところですか、我が王!」


「いいえ、姫のことならすでに手は打っています。流石にあれだけ露骨に狙えば、用心するというもの」


 龍神の声に、冬青は反射的に羽根を硬化させた。

 半瞬、金属音と共に、鉄のように硬化した羽根と刃がオレンジ色の火花を散らす。その剣筋を冬青は捉えきれなかったが、防御によって切り抜けたのだ。


「我が王、手でも抜いたのですか? それともこれが全力?」


「安心しなさい。お前が防いだのは、一撃だけだ」


「え?」


 龍神の剣戟は宮廷内の屋根を吹き飛ばし、冬青を外へと吹き飛ばす。他のアヤカシであれば即死だっただろう。だが、冬青は咄嗟に急所を避けることにより


「ぐっ……あああああ」


 冬青は片腕を失い、悶えながらも空を旋回する。爆風が白銀の空に舞い上がる中、龍神は追撃せずに、浮遊する冬青の前に姿を見せた。


「予想していなかった訳ではないが、理由が分からない。なぜ、こんな真似を……」


「《カリ・ユガこの時代》時の終焉。それが今なのです」


 歓喜の声を上げて冬青は高らかに叫んだ。

 龍神は白銀の髪がたなびく中で、眉一つ動かさずに彼に視線を向けていた。

 カリ・ユガ悪徳の時代──インド哲学において循環する思想をといた世界観。


Satya Yugaサテャ・ユガTretaa Yugaトレーター・ユガDvaapara Yugaドゥヴァーパラ・ユガ……そしてKali Yugaカリ・ユガ……。解釈は様々ですが、人間の誠実さ、寛容さ、慈愛が消え──寿命も体力も失う暗黒の時代。飢饉が蔓延り、自然災害に悲惨な出来事ばかりが続く。我が王もご存じでしょう?」


「それが謀反を起こした理由、ですか?」


 龍神の言葉に、冬青は目を見開き動揺していた。その返答が来るとは思っていなかったのだろう。


「謀反? ご冗談を。私は今も昔もずっと我が王、主君の臣下です。そう……、我が王が先代の玉座に就いたあの日から……」


 冬青は昔を懐かしむように目を細めた。龍神の表情は変わらない。涼し気な表情で臣下を見返した。


「王として譲位されたあの日、私を含めた烏天狗一派は貴方に刃を向けました」


「……そんなこともあったか」


 龍神はそっけなく返す。しかし冬青は声を震わせて力強く語る。


「ええ、ありましたとも。王にとっては私など雀や燕のように映ったことでしょう。私が仕えるべき主君は貴方しかおられない。……けれど《カリ・ユガの時代》は終わりを告げます。それは神々ではなく、大半の人間がそう願った。であれば何が起こるのか、聡明な我が王ならお判りでしょう」


 突然、なんの前置きもなく冬青の残った片腕、両足に炎が引火し燃え上がった。それと同時に、黒く艶やかだった翼が紅蓮の色へと染まる。それは龍神に対してする臨戦態勢ではなく──自らの命運を受け入れ、覚悟を持った双眸そうぼうだった。


「……あはは~、どうやら時間のようです」


 迦楼羅天は炎の鳥でもある。それが自らの体を灰になるというのは、あまりにも不思議だった。まるで、呪いやによる対価に近い。

 龍神の双眸が刃のように鋭くなる。


「冬青……。何の契約を破った」


 冬青は教えるつもりはないと言わんばかりに、嫣然えんぜんと笑う。


「我が王。……神々も変質を迎えた。人が変えたのですよ~。そもそも世界とは、創世と破壊を一定のサイクルで繰り返すもの。その行為一つを取り上げて、善だとか悪だとか簡単に判断で出来るものなのではないのです」


 冬青の両腕は灰となって消えていく。それでも彼は笑みを崩さずに、龍神に言葉を続けた。


「善悪、神と魔。時代が下がるにしたがって、魔は《悪の象徴》となりました~。それは庶民に分かりやすくするための手段であり、いうなれば《神話の大衆化》といえるでしょう。しかし、人はそれらの存在を切り離しすぎた。一方を排除しようと考えてしまったんですから、極端なものです。神と魔は《両輪》として存在するのですから、片方を排除すればおのずと均衡は崩れます~」


「切り離された──というなら《魔》であり《悪の象徴》と烙印を押された神が光──否、本来の姿を求めるは必定ということか。今や人々が描く《悪》と《魔》は大きくかけ離れ歪んでしまった。……人々が口にする《悪魔》などいい例なのだろう……」


 だからこそ人と神と魔は互いに調整を行い、均衡を保ってきた。時代によってそれらは僅かに傾く時はあったが、今日における傾きは最早手遅れだ。世界を埋める前に手を打たなければならない。


「そして神々は一つの決断をなさいました。……《十二の玉座》を担う神々は、《役割》を放棄したのです」


 龍神は耳を疑った。《冥界の国》において、その称号を得るものには、自らの願いを叶える機会が与えられる。それを龍神以外の神たちは捨てたという。


「馬鹿な……。自らの《役割》を放棄すれば──」


 願いを叶える機会は失われる。それを知ってなぜ放棄したのか──

 龍神には理解できなかった。


(…………この気配。神の先兵か)


 ふと気づけば、白銀の空に黒い外套を羽織った者たちが、宮廷を目指して近づいてくる。その数は数千、いや万になるだろう。軍隊──というよりは暗殺者という雰囲気が近い。


「我が王、これは事実です。もっとも《この時代》を継続させようとして、堕ちた神は多いようですが……。あの方々は自らの意思と、をもってここに現れます。古今東西──それこそ《冥界の神々》が貴方を殺しに来ます」


 それは忠言であり、冬青が秘匿とすべき情報だった。彼の腰に生やした赤い翼が炎によって燃えて消える。それでも、彼は涼し気な顔で微笑んだ。


「私を殺し《十二の玉座》の全てを、空席にすることが目的ということか」


 そうなれば冥界と現世の狭間に抑え込んでいた《異界》が、世界に侵食する。それこそ世界を滅亡へと導く行為だ。


。結局のところ、我々に出来ることは僅か。だからこそこの機に《異界》そのものを葬るための爆発的なエネルギーが必要なのでしょう」


 目を爛々とさせた冬青に、龍神は酷く冷めた眼差しをぶつけた。

 結局のところ他の神々はこの世界を嘆き、存続を諦めたのだ。そして代わりに事態の収拾を取るべきと判断したのだろう。世界の諸神話に共通する──大洪水。人間が存在する限り《物怪》は存在し続ける。ならば人間を一度排除すればいい。極論ともいえる判断だが、逆にいえばテコ入れが難しいと考えた結果なのかもしれない。

 全てのを更地に還す。冬青の言葉通り、それは相当量のエネルギーが必要とされる。


(………ああ、なるほど)


 そこまで考え、龍神はあることに気付く。《その計画》がいつ立案されたのか──


「では、二〇〇九年の《那須集団放火事件》。あの時、画策していたのは……お前たちだというのか」


 秋月燈が記憶を失うキッカケとなった事件であり、龍神の力と記憶を削いだ一件でもあった。冬青は恭しく頭を下げた。


「その通りです~。が裏で糸を引いておりました。もっともそれに釣られて、あんな《厄災》が、しゃしゃり出るとは……。さすがは我が王が慕うだけの人間、ということでしょうか」


 龍神は嘆息した。道理で浅間龍我の情報から犯人が特定できないはずだ。龍神のすぐ傍にいたのだから。そして冬青の情報が事実であるなら──


「しかし、我が王よ」


「なんだ?」


「一つ間違いを訂正しておきましょう。……二〇〇九年の《那須集団放火事件》いえ、始まりはMARS》です。あの時から世界の歪みは加速しました」


 冬青の話が途端に見えなくなっていった。急に出てきた《MARS七三〇事件》という単語、そして二〇〇九年の事件の真相。それは龍神にとって忘れもしない出来事だというのに──何かが欠けている。


(それが全ての原因だと……?)


 龍神は記憶を手繰り寄せるが、靄がかかっているのかどうにも思い出せない。


「思い出せないのも無理はありません。我が王もまたあの人間の娘と同じように、記憶を封じられておられるのです。そしてその解除方法は──誰かの死によって解かれる。そう、あの忌々しい術者は言っておりました」


「何の話だ?」と、龍神は告げるが、冬青の体はすでに炎によって燃え──灰となりつあった。


「つまり──で、我が王の記憶は戻られるのです」


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