第60話 明確な裏切り

 《物怪》である一ノ瀬花梨いちのせかりんの乱入により宮廷内を騒がせた。だが、それも半日経つと祭りの準備による忙しさで埋没していった。

 ともりは騒動の責任を取るという形で、奥の部屋に投獄されている。その実は彼女の治療と療養、そして婚姻の話を誤魔化すためでもあった。もっとも婚姻の話は、当の本人には伝わっていなかったが……。


 その部屋は燈が目覚めた時に使っていた部屋と異なり、八畳ほどの小部屋だった。小窓から外の光が僅かに漏れる程度で、窮屈にも感じられる。


「ひっ、冷たい」


「我慢しろ」


 式神は包帯を代えるため、人の姿を保ったままテキパキと左腕術式の包帯を交換する。その手際は見事なものだった。


「まったく。今回ほどお前の無茶に驚いた日はない」


 肌に貼られていく湿布がひんやりと心地よい。手当てをする式神はもう何度目になるかわからない溜息を吐いた。


「ごめんなさい。でも、勝算はあったわけで……」


 式神は顔を俯かせる燈の額を小突いた。


「痛っ」


「まったく、あと半時ほど遅ければ、某が強硬手段に出るところだったのだぞ」


(うわあ。現実にならなくて良かった)と燈は心底思った。


「当たり前だ。そうなれば、この国は火の海になる」


 恐ろしいことをさらっと言うと式神は薬箱を閉じる。乱雑した薬部屋から勝手に拝借した薬草を煎じて、塗り薬にする手際は見事だった。


「それにしても椿は手当てが上手なんだね。薬の知識もあるし、もしかして──」


「詮索はやめよ。術式強化したといっただろう。龍神との術式解除も控えているのだ。今は某よりも自分の身を守ることを考える。良いな」


 式神はさらに燈の額を小突く。「うう……」と小さくうめく少女は頬を膨らませるものの、正論過ぎてなにも言い返せなかった。


「では次は某の番だ」


「はい?」燈は本気で式神の言った言葉が分からず、首を傾げた。

 式神は薬箱を片付けて丁寧に端に置くと、胡坐をかいて座りなおす。そして──両こぶしを畳について頭を下げた。


「椿!?」


「主を守れん盾、敵を斬れん刀は不要だ。此度、某は動くことを躊躇った。今回は何事もなく済んだが、使わぬ刀は錆びる。ただの木偶の棒など邪魔なだけだ。故に──」


「故に?」


「お前がどうあがいても駄目になった時は、某の名を呼べ。良いな。これは決まり事だ。独りでどうにもならん時は、某……あとは契約している式神、そして龍神の名を呼べ」


「わかったから! だから、ね。椿、頭を上げてよ」


 燈はあわあわと頭を下げる式神に声をかけるが、彼は頭を下げたままだ。


「本当にわかっておるのか?」


「うん!」と少女は何度もうなずいた。式神はようやく頭を上げると真っすぐに燈を見つめる。


「《式神》になる連中は一癖も二癖もある問題児ばかりだ。故にいつも問われていると思え。主としての器でも、資質でもない。お前がどんな人間なのか、どう生きていくのか。どんな道を選ぼうとお前の掲げる御旗を某たちは守る。それが《式神》だ」


 心をさび付かせるな。腐らせるな。道を違えるな。それが式神の言いたいことだと燈は受け取った。記憶を失ってから《物怪》と関わりその様を見てきた。

 彼、彼女たちは道を踏み外してしまった人たち。そして《物怪》から《式神》になった者たちは激情に駆られ、選ぶべき選択を誤り、そして《後悔》を抱いたまま存在している。だから彼ら、彼女らはその《後悔みれん》を終わらせるために、《式神》として延命しているのだ。


 式神の言葉に燈は「むう」と何やら思う所があったのか、複雑そうな表情で見返す。今の式神は緋色の甲冑も装着していない人間にもっとも近い存在だ。頭に二本の角があり、骨に似た仮面は装着しているが。


「それならどうして、椿は私との本契約を拒むの?」


「む、それは……」


 式神は頭をがりがりと掻いた後、燈の頭に手を置いた。いや、撫でたという方が正しいだろう。


「かかかっ。本契約が叶ったのならば、某の願いは叶ったようなものだ。だから、主は気にするな。それよりも封印術式だ」


 式神はそれ以上なにも語らない。燈の言及もなんなく躱すだろう。けれど何か言いかけ──口をつぐんだ。


(封印術式……。龍神はあの後、臣下たちと一緒に部屋を出て行ったきり。今回の《物怪》の騒動で事後処理だとか、責任とか問われているのかな。……あと私の処遇とか?)


『さっきから聞いていれば、本気で記憶を探すつもりなの? ありえないわ』


 かつて一ノ瀬花梨だった《物怪》は、蝶の姿になって天井に止まっていた。

 青と黄色の変わった羽根でひらひらと舞う。


「ほう、あれが主の新しい《式神》か」


 式神は頭上に留まっている小さな蝶を見やった。契約したての《式神》が人の形に戻るにはしばし時間がかかる。


「うん、新しい仲間の《菜乃花》だよ。仲良くしてね」


「無理だな」

『いやよ』


 息ぴったりに二人は言葉を返す。燈は「あはは」と微苦笑を漏らした。


『アンタの仲間にはなってないわ。あくまで目的のため一時的に手を結んだ。ビジネスよ、ビジネス』


「ほお、新入りのわりに随分とでかい口を叩きおる。その羽根をさらに短くしてやろうか」


 バチバチと火花を散らす式神二人。確かに一癖も二癖もある。


(式神って年功序列とか実力主義とかあるのかな? うーん、個性強そうな気がするけど……。それより龍神の方は大丈夫かな……)


 燈が龍神の安否を気にしていたころ、確かに彼は危機的状況にあった。下手すれば大惨事になりかねない。そんな案件の協議──


 こんこん、とノック音が部屋に響いた。


「あ、はい」


 燈は反射的に声を出す。


「──る」


 ドアの隙間から、すうっ、と雪だるまみたいな形を保った白いアヤカシが姿を見せた。つぶらな瞳、小さな手足とプニプニとマシュマロのような体、小人ほどの珍客が現れた。


「ござ、ござーーーーる!」


 燈を見つけたアヤカシは、ぴょんぴょんと跳ねながら狂喜する。


(ん、あやつはたしか──)


「あ。福寿ふくじゅさんだ。こんなところでどうしたの?」


 燈の口からかつての式神ゆうじんの名前がポロっと出てきた。



 ***



 謁見の間。

 緋色の巨大な柱が立ち並び、床はピカピカに磨かれた白い石畳が広がっている。奥には玉座として龍神が座していた。臣下一同がそろい、頭を下げずに王へと視線を注いでいる。衣擦れひとつ静謐せいひつな空間の中で、龍神は王に相応しい毅然とした態度でいた。

 神祇官の竜胆りんどうは、淡々とこの国の状況と、これからなすべきことを事細かに説明した。それに異を唱えるものはいない。


「以上。臣下たちの避難および潜伏に関してはこのように行おうと考えております」


「ああ。この短期間に話をまとめてくれた」


 龍神の労いの言葉に竜胆は頭を下げ、賞賛を受け取る。だが、話はここで終わらない。もし終わるのであれば、ここまで臣下たちが揃うことはない。むしろすぐに避難すべき状況だ。


「では、我が王。ご自身の《婚姻の儀》についての予定ですが、時間も差し迫ってますので、白無垢での神前式にいたしましょう」


(……しかし妙だな)


 龍神はこの静寂に嫌な予感を感じていた。まるで時間稼ぎともいえるような協議の長さ。そして執拗に《婚姻ノ儀》を進める臣下。


修祓ノ儀しゅばつのぎ祝詞奏上ノ儀のりとそうじょうのぎ三々九度ノ盃さんさんくどのはい。指輪ノ交換、誓詞奏上と玉串拝礼はこの際、略式で致しましょう。それから《巫女ノ舞》は──」


「もういい、竜胆。今は一刻を争う事態なのだ。《婚姻ノ儀》は今回の一件を終えたのち、改めて熟考すべき案件といえる。お前たちもやることがあるだろう」


 龍神は脳内で不味いと内心で焦っていた。そもそも婚姻はおろか告白すらまだだというのに、話が独り歩きしてしまっている。


(ここで全ては冬青の偽情報だと告げても納得はしないだろう。……それはそれで頭痛の種だが……。なにより姫を狙った《物怪》の侵入。さすがに天界があんなものを用意するは思えないが……。だが偶然ではあるまい。姫を消そうとけしかける何者かの斥候と考えるべきか。この国にそれを促す者がいるとしたら──姫を再び狙う可能性がある)


 燈にあてがった部屋は結界を施すに都合がよい。中、外からの結界にも長けている。《物怪》の類は部屋に入ることすらできない。


「我が王の仰る通り、時間は限られておりましょう。しかし……!」


「何度も話を蒸し返すな。西南にある《織部之森おりべのもり》、西に位置する竹林の多い《伊万里いまり》またその先の《蓬莱山ほうらいざん》、北の《天狗の里》および《隠し里》、《秘色の湖ひそくのみずうみ》……。急ぎ──」


 龍神の言葉は、部屋に飛び込んできた天狗によって掻き消える。


「な、何事か!?」


 竜胆が叫んだ。

 全身血まみれで赤い羽根がより赤銅色に染まり、山伏の服装もまた血で染まっていた。

 臣下たちの中でざわめきが広がる中、龍神は「何があった」と天狗に問う。天狗は錫杖を杖代わりに息絶え絶えに報告する。


「北、《玄武の鳥居》が破壊され、《天鵞絨びろうどの山》はほぼ壊滅。周囲の《天狗の里》は五重結界を行い、戦線を離脱。敵の数は不明……」


「不明?」


 龍神は眉をひそめた。そこに焦燥はない。冷静に天狗の言葉に耳を傾ける。


「はい。わ、わかりません。ただ、空、陸同時に……万を超える軍隊らしき姿が……。そう、アレは幻なんかじゃ……。こちらに向かって……」


 そこまで言うと天狗は吐血し、息を引き取った。血の匂いが謁見の間に広がる前に、遺体は光の残滓となって無へと還る。そこには血も、衣服も消え、わずかな気配だけが残った。


(《玄武の鳥居》を潰した? あれは現世と冥界をつなぐ正式な門。……あの門より北にあるのは──山々に囲まれた霧。そして《十王経地獄じゅうおうきょうじごく》がある。あそこが壊滅したか、彼らがこの国に侵攻──いや、その理由も思い浮かばない)


 冬青の報告では上がってこなかった国の名。《十王経地獄》は中国──唐時代末期、十世紀に中国土俗と道教がインドから伝わった仏教と融合して、生まれた信仰だ。それゆえ、彼の役割は死者の審査官であり、神ではあるが武力と問われればいささか心もとない。人間や死者の類であれば処罰の対象として力を執行できるが、それ以外──つまり、同じ神同士であった場合、途端に脆い存在となる。


 天狗の死によって臣下たちが喧喧囂囂けんけんごうごうに騒ぎ立てるかと思ったが、波風一つ立てず静かに座したままだった。


(なるほど。……


 臣下たちを見やって龍神は嘆息する。

 刹那──何かを示し合わせたかのように全員が龍神に襲い掛かる。

 

 轟っ!!!!


 その場にいた全員の鋭い剣戟に逃れる術などない。ないはずだというのに、玉座にいた彼は半瞬で出口に佇んでおり、腰に佩刀していた刀をすでに抜いていた。


 数千、数万の閃光によってその場にいた臣下全員の剣を叩き折る。否、そのうえで全員を躊躇なく斬り捨てたのだ。


「全員、偽物か。……切り替わったのは私が姫を助けるため《異界》に向かった時であっているか、冬青」


 龍神の言葉に恭しく頭を下げたのは《常世之国》の五衛府の長、冬青。禅正台だんじょうだい――官吏の監視役である。腰に生やした黒い羽根が機嫌よく揺れた。


「流石、我が王。それでは、この手は予測しておりましたか?」


 冬青が指を鳴らした刹那、オレンジ色の閃光が迸った。

 轟音が連続して宮殿内に響き、爆風によって龍神の袖が靡く。轟々と煉獄の炎が宮廷を舐め、全てを燃やし尽くさんといった勢いだ。

 オレンジ色の炎はあっという間に宮廷内に広がり、火の海へと化す。おそらく、数時間前に油をしみこませていたのだろう。

 《物怪》による襲撃によって、油の匂いを瘴気の匂いと誤魔化すために──


「なるほど。現世で起こった一件で糸を引いていたのはお前か、冬青。いや、天界に攻撃を仕掛けた鳥の王──迦楼羅天かるらてん



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