第58話 アヤカシの名


 ともりは時折、突拍子もないことを口走ることがある。

 《双子の魔女》を助けると言いだした時然り、夏休みにノインが遊びに来るからと一週間バーベキュー計画を言い出した時然り。式神や龍神の予想を超えた事を言い出す。

 そして今回もまた──


「…………あの姫。その《物怪》は、今すぐにでも排除した方が良いのでは?」


 龍神は冷静にそして端的に指摘する。


「駄目。彼女の持っている情報はきっと役に立つ……。それに……」


 燈は僅かに言葉を濁した。龍神は《物怪》との本契約の意味を改めて問う。


「《物怪》との本契約は、《真名》と《物怪》になった経緯、そして過去を知り受け入れることです。失敗すれば貴女の魂は《物怪》に飲まれるかもしれない……。リスクが高すぎるのではないですか?」


「龍神、大丈夫です! 任せてください☆」


 燈は悪戯を成功させた子どものように龍神に笑いかけた。


「…………!」


 龍神は少女の微笑みに、リスクや本契約の事など一気に吹っ飛んだ。もはや言及する気力は残っていないだろう。今まで沈黙を貫いていた式神は嘆息しつつ、龍神の代わりに問うた。


「……勝算はあるのだろうな。もっとも《退魔の刃》を包んでいる布で《物怪》を封じている、などが切り札であったなら片腹痛いがな」


 《退魔の刃》──その鞘に巻き付いている布。真っ白ではなく紋様が描かれており、伸縮自在に伸びる。《物怪》を縛ることが出来るのだが、燈の体に入り込んだため今は少女の体ごと布を巻き付けて封じているのだ。その姿はミイラに近い状態ではある。

 式神の言葉に燈は「大丈夫」と親指を立てた。


「ふむ。《真名》でもわかったと?」


「うん。彼女は、


 燈の一言で式神の表情が険しくなった。

 一之瀬花梨いちのせかりん。それは先月、事故死したとされる少女の名だった。元々は《クロガミ怪奇殺人事件》の唯一の証人。そして先の学校で、《黒い手紙》をばらまくように指示をしていた蒼崎匠あおざきたくみの《ファンクラブ》会長でもある。

 そして燈が知るはずもないことだが、二〇一〇年四月二八日に警視庁、《失踪特務対策室》室長の浅間が立ち会った事件でもある。


「それに蒼崎先輩と、佳寿美についても──」


 燈がその名を口にした瞬間、抑え込んでいた《物怪》が暴れ出す。少女に巻き付いた布が炎によって焼き消えていく。


「……つぁ……」


「姫」

「主!」


 燈の視界は歪み、強烈な眩暈によって意識が今にも途切れそうになる。


 ──キィイイ、さっさとアタシに支配権を渡しなさいよ──


 キンキンと頭に響く声は燈にしか聞こえていない。少女は奥歯を噛みながら抗う。だがその健闘もむなしく龍神と式神の声が遠のき、現実から集合無意識に引っ張られる。


「──姫、私の……」


 龍神が何か呟いている。だが、途中でその声すら途絶えた。式神は黙したまま、傍観しているように見えるが違う。自身が動くことで燈の負荷が増えることを恐れ動けないのだ。

 だからこそ口を固く閉じ、強く握りしめた拳から血がにじみ出ていた。


(……龍神、つば……き)


 傍に居る二人の姿が次の瞬間────消える。






 ***





 燈の体に巻きついていた布は燃やされ、布の切れ端だけが手に残る。


 ──今度コそ、──


 勝ち誇ったかのような甲高い声が回廊に響く。燈が意識を失った時と全く変わらない。ただ龍神と式神がいないだけ。けれど──


「ううん。今の発言で墓穴を掘ったね」


 周りの風景は回廊と変わらなかったが、白黒を基調としたシンプルな


 ──なッ!?──


(切り替わったのは二人が居なくなった時。ここは現実ではなく夢の空間──)


 それに気づけたのは──燈は自分の右の小指へと視線を落とす。

 痛みが走る。けれど、それは僅かだ。

 小指に巻き付いた糸をきつく掴んでいた為、少し切ったのだ。


(痛みで気づけた……! 龍神に後で感謝しなきゃ……)


 その糸は空へと続いていた。白銀の糸は煌めき、その存在を強く主張する。気づけと言わんばかりだ。


「姫、私の髪を結んでおきました。これなら、


 そう龍神が言っていたからこそ、燈はここが現実空間ではないと気づけた。

 燈が現実だと認識していたのは、《物怪》が作り出した小部屋だ。そこに燈を閉じ込め、ここが現実だと誤認させようとしていた。途中まではうまくっていたのだろう。

 しかし、現実とこの小部屋のカラクリに燈が気付いた今、空間は色あせ白黒になる。


「この手の空間は二回目だからね。初見だったら気づかなかったかもだけど」


 ──フン、強がりを。アンタをここに閉じ込メてしまえば、外カラは何もできはしなイ──


 白黒の空間が揺らぎ、歪んだ。回廊ではなく、周囲は黒々とした闇に閉ざされる。急な閉塞感に燈は息が詰まりそうになった。しかし幸いなことに白銀の糸は、まだ切れてない。


(……随分と老獪な手を使う《物怪》だ。ううん、目的の為なら手段は選ばないタイプなのかも……)


 ざわざわと蟲の羽音、蛇が蠢き舌を出す威嚇音。嫌悪感を覚える音が洪水のように襲ってくる。燈の傍には誰もいないし、見えない。けれど心細くなどはなかった。


(……《鵼》の時と同じ。ここは《物怪》の空間に閉じ込められた。なら、ここから彼女がなんのアヤカシによって《形》を得たのか、探せばいい……)


 燈の体が半透明になるが、何度か拳を握って開く。どうやら手の感覚は残っていた。時間はまだ残っている。長くはないが諦めるにはまだ早い。

 少女は今自分にできる戦いを《物怪》に挑む。


「あなたが《一之瀬花梨》だというのはわかっている。だから──」


 燈はもう一度、一之瀬花梨という女性の一生を振り返る。ゴールデンウィーク後、入院していた時にノインと情報の交換をしていたことが大きかった。改めて彼の情報取集に感謝する。

 |二井藤彩音と蒼崎裕士は同じクラスメイトだった。三人で二十歳になったら海外旅行をしようと約束するも、《神邑区神隠し事件》で蒼崎裕士は《神隠者行方不明》、二井藤は《未帰還者意識不明》となる。

 約束を守るために二井藤はある契約を行い、目を覚ます。それが破綻する危険をはらんでいると知りながら──願い、手を取ってしまった。

 そして、木下馨一きのしたけいいちなる少年の介入により、辛うじて保っていた均衡が崩れた。《黒い手紙》、蒼崎匠の《ファンクラブ》、榎本佳寿美の執拗な嫌がらせ。

 けれど二井藤の記憶から姿を見せた佳寿美の一面。《願いを叶える》何か──


(ううん……。佳寿美のことは、ひとまず後で考えるとして……。今は一之瀬花梨の生き様とアヤカシを結びつける《何か》を見つけないと……!)


 燈の足が透明になっていくが、構わずに状況を整理する。


 ──キャハハッ。追い詰めタ……。これでアオザキさんを殺せる。ううん、最初はあの女……! そのあとに彼を──


 欠落していく人間性。自身の欲望に飲まれ──果ては、その目的を忘れ──本当の願いを自らの手で壊し、それすら気づかない。

 それが《物怪》。そして魂が黒く染まり切った《物怪》は、周囲に呪いをばら撒いたあとは、退。ただ唯一の例外として《式神》の本契約ならば、自我を保ち、力を得ることができる。だからこそ、燈はリスクが高かろうが本契約を行うのだった。


(一之瀬花梨は蒼崎先輩の事が好きだった。だとすれば、佳寿美に愛しい人を取られた。その上、蒼崎先輩は《ファンクラブ》を裏切ったとも取れる……。この手のアヤカシだと《四谷怪談》の《お岩さん》あたりが近いんだけど……たしかあそこは《お岩》。元々は江戸時代初期に稲荷神社を勧請したのが由来だったみたいだし……。土地の信仰対象だとしても、基本的に稲荷なら狐……。蛇じゃない)

 

 他に該当しそうなアヤカシがいるとすれば──


「蛇、嫉妬、裏切り、怒り、愛しいモノを追いかける。そして閉じ込めて殺すと言えば──《大日本国法華験記だいにほんこくほっけげんき》、《今昔物語こんじゃくものがたり》の一つ。《安珍清姫伝説》──《清姫》」


 空間に罅が入ると同時に、稲妻が走るような轟音が響く。燈の言葉に《物怪》は悲鳴を上げた。


 ──ギャアアアアアアアアア──


 燈は布の切れ端を掲げると、炎によって燃え散った布が急速再生をはじめ──《物怪》を捕えんと布の数が増えていく。

 その布は姿を隠していた《物怪》を捕え、縛り付ける。アヤカシの名前に辿り着いた今、《物怪》が呪縛を断ち切る術はなかった。


「──姫」


 それは良く通る涼やかな声。

 空が──否、空間全体の障壁が粉々に砕けた。その刹那、一条の矢の如く龍神が燈の目の前に飛び込んでくる。白銀の長い髪が舞うように靡いた。


「龍神!?」


「姫、式神からです」


 そう言って龍神は燈に《退魔の刃》を投げた。少女はそれを両手で受け取ると《物怪》に向かって駆け出す。すでに条件はそろっている。刀はすんなりと抜けた。本来の刀身の重さはない。

 燈は人の形をした《物怪》を斬る──そして《物怪》と共に一ノ瀬花梨の魂が消滅する前に、《式神》としての本契約に移った。本番は此処からだ。


「それじゃあ、一ノ瀬花梨さん。あなたの今後をどうするのか──交渉話し合いをしましょう」


 刀で斬られた《物怪》からあふれ出すのは紙吹雪。黒々とした紙が白く変わっていき、それは発光する蝶へと変わった。

 見えてくるのは一ノ瀬花梨の魂の記憶──

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