《幕間》 亡霊の足掻き

 二〇一〇年

 この日はともりが本来はずの日だった。しかし、御産の際に早まって五月三日に生を受ける。それゆえだろうか、それとも偶然か。本来であれば、彼女が一六歳になった年の、その日に、行う儀式があったのだ。

 式神との《本契約》。そしてその契約を終えた後、燈は龍神に告白をすると彼に宣告していた。だからこそ龍神もその日を待った。


 二〇〇九年のあの日、が無ければ。

 ──しかし、元を正せば燈にも龍神にも抱えているものを、互いに早く打ち明ければ良かったのだろうと、六条院焔ろくじょういんほむらは客観的にそう考えていた。

 老人はもはや概念となり《理》の流れに漂う亡霊に近い。全てを知り、全ての終着地であり、始まり。その流れの一かけら。黄金の枯れぬ流れに身をゆだねるモノ。


 ──それでキミが打った手は全てか。六条院?──


 いくつも重なり合った機械音声が、亡霊六条院に問いかける。

 その刹那──亡霊はある空間へと転移させられた。


 ***


 転移させられたのは海の上だった。

 潮の匂い、波の音。燦々と降り注ぐ日差し。

 白亜の客船は遠目だと白鯨を彷彿させる。だが、雄大な水面を泳ぐのは、人類の叡智の結晶とも呼べる豪華客船。その甲板に六条院は降り立った。

 どこに向かって流れているのか不明な船は、羅針盤も地図もない揺蕩たゆたう海をいたずらに流されているように思えた。

 乗務員も船長も見当たらないのに、乗客は数百人も乗り込んでいた。彼・彼女らは豪華客船の遊戯場やダンスホールで毎日遊び惚けている。

 彼・彼女らは醒めぬ夢に囚われたモノたち──《未帰還者みきかんしゃ》たちの魂と意識だ。

 彼らは現世に戻ると同時に、アヤカシを取り込み《物怪》に変貌する。そして文字通り自分の全てを捧げて何かを得ようとした愚か者達でもある。

 だからこそ六条院は生前、苦肉の策として術式を組んだのだ。そしてこの豪華客船に魂と意識を乗せて、様々な集合無意識を渡り続ける。《未帰還者》たちの寿命が終わるその時まで。

 それが《未帰還者》を《物怪》にさせない唯一の方法だった。二井藤彩音たちもその中に入っていたのだが──


「まったく。お前さんは、いつも気まぐれじゃな」


 潮風が六条院の鼻孔をくすぐる。

 幻──いや集合意識空間だというのにあまりにもリアルだった。空を見上げると爽やかな青空と眩い太陽が心地よい。

 豪華客船の甲板に、真っ白なビーチパラソルとテーブルが一つ、椅子は四つあった。そのうちの一つの椅子に六条院は腰かけた。


 ──せっかく話をするんだ。お互い、肉体の感覚があった方が良いだろう──


 機械音声を発していた人物は甲板に姿を見せる。といっても人らしいシルエットが浮かび上がり、おおよそ人といえるのか不明だった。

 子供にも見えるし大人にも見える。男にも女にも見えなくない。シルエットの輪郭は朧気で人影に見える──と、認識できる程度だ。

 しかし六条院は外見におくすることなく、軽快に笑い声をあげた。


「かかかっ。……なんじゃ、今回の仲介に文句でも言いに来おったのか?」


 ──まさか。キミは二〇〇九年のあの一件で、魂そのものをに得た貴重な権限だ。どのように使おうと、ワタシが干渉する理由にはならない──


 その声は機械音に近く、けれど子どもが、大人が、否──老人が喋っているようにも聞こえてくる。

 六条院は相手を鋭く見つめながら、付け入る隙を探す。しかし、拍子抜けするほど隙だらけだった。これでは逆に攻めづらい。そもそも六条院が相手取ろうとしているのは人外のモノであり、世界そのものだ。そう考えると「《八百万の神々》と交渉する方が幾分マシ」だと彼は思った。


「ふむ、それは良かった。では先ほどのアレの再封印と、我が孫・秋月燈と式神とのによる手助けも御咎めなしというのじゃな。いや~よかった。よかった」


 不用意に干渉した事を有耶無耶うやむやにしようと、六条院はあえて先に発言した。そこからどう言いくるめるか、何パターンか考えるのだったが──


 ──ああ、構わない。やっぱり彼女はああじゃないと面白くない。これからどう動くのか、何を選択し、どうアレと対峙するのか楽しみだ──


 それは英雄譚を楽しげに読む子どものような声だった。呆気にとられた六条院は問うた。


「……なぜ我が孫に、そこまで執着をするのだ?」


 ──面白いからだよ。なんら変哲のない魂なのに、あそこまで強者を引き寄せる。そして必ずと言っていいほど《厄災》の渦中にいることかな。なんで《あの魂》は、あんな危ない場所を選んでいるのか──


(……《あの魂?》と言うことは、昔から見ていた? いや考えすぎかのう)


 ──ワタシは人が好きだからね。彼・彼女らがどう望み叶えていくのか……その《物語》を見続けたい。何も変わらないというのは退屈だ。変わるからこそ楽しい。変化と進化。絆と想い。愛欲と暴虐。人はいつの時代も面白い。その人が終わりを望めば、それはその通りになる。ワタシは、見続けるだけの傍観者に過ぎないよ──


 謙虚にそう言っているが、そんな生易しい存在ではない。六条院は一時の気まぐれだろうと、あの時の賭けに乗ってくれたことを感謝した。

 あの絶望的な戦況をひっくり返すだけの膨大な力。それがなければ誰も生き残っていなかったかもしれない。


 だからこそ、それぞれが大切なものを賭けた。

 秋月燈は《自身の大切な記憶の全て》を。

 龍神は《転生した人間の存在そのもの》を。

 式神は《本来の力の全て》を。

 そして六条院焔は命と存在全てを賭けたことで、一度だけのを可能にさせた。ただそれは都合のいいものではないし、前と同じではない。さらに厳しく、そして難しい条件が課せられている。独りでは決して乗り越えられない条件。


 そうやって作られた術式は完璧だった。だが例外はあり、時と共にほころびというモノは必ず存在する。

 四季柊次然り、五十君周然り──

 そして六条院焔が出来るのは、少しばかり手を貸してやることだけだ。けれどその記憶も剥がれ落ちていく。いずれ《六条院焔》という名は誰の記憶にも、記録からも消える。

 永遠に《理》を浮遊する亡霊となることを条件に得たのだ。


(あの《異界》でと式神の仮契約は為した。それに浅間の《物怪》化を抑える術式も組んだ。榎本佳寿美と蒼崎匠。あの二人に気取られなかったが……あれは厄介じゃな)


 六条院が考えを巡らせていると、時間が来たのか、身体が光の粒子となって消えていく。


「では、お先に失礼する」


 ──うん。キミもせっかくそんな姿になったんだから、好きにすると良い。その姿で出来る範囲ならワタシが許してあげよう──


 六条院は一例をすると光となって消えた。その残滓が僅かに空に舞い散る。彼を見送りながらソレは豪華客船に居座り続ける魂を見やった。


 ──本当に、人は面白いね。ワタシを退屈させないのだから。まあ、退屈になったら──


 どこか空恐ろしい言葉を口にしかけて、ソレは《あの魂》のことが脳裏に過った。口笛を吹いて気分を変える。


 ──どんな未来を選ぶのかな……。昔と同じか、それとも違うのか……──


 人のシルエットをかたどっていたソレは澄んだ青空を仰ぎ見た。

 ソレは世界そのもの。ソレの名は《理》──永遠に、果てなく流れ続ける黄金の川。始まりであり終わりでもある概念そのもの。龍神は《万物》に最も近い存在であるのに対して、ソレは《万物そのもの》を意味する。


 ──キミとの約束は、どんな結末を迎えるのかな──


 潮の波が、ざぶんと水飛沫をあげた。












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