第50話 世界を壊す波紋
龍神の登場に、
「そっか。浅間って人の、あの結界のエネルギーを触媒に顕現したんですね。……でも、もって数分じゃないですか?」
「姫……遅くなってすみません」
「ヒーローは遅れて来るものなのだろう」そう告げる声に、龍神は顔をあげた。
するとポン、と軽快な音を立ててノインの首が胴体から切り離され、その勢いで燈の胸元に着地する。
否──着地する予定だった。龍神はその頭を片手でキャッチした。心なしか彼の眉が吊り上っている。
「……なに姫の胸元に、飛び込もうとしているんですか」
「む、言っておくが他意はない」とノインは自慢気に龍神に言葉を返す。
「当たり前です」と、二人が呑気な会話を展開している中──佳寿美は大量の糸を使って、燈の奪還を試みるが、龍神の稲妻によって束になった糸は燃え尽きて消えた。
「……無駄ですよ。貴女と私では相性が悪い」
「……そのようね。私にとって、あなたは鬼門だけれど、彼にとったらどうかしら?」
龍神の背後に人影が肉薄する。
それは人ならざる脚力と
「
「お断りします」
龍神は顔色一つ変えず言葉を返す。鋼の意思に譲歩などというものは、皆無だった。
「……別に私は燈ちゃんを殺す気なんてないけど。彼女は私の大切なお友達だし、私の体質に唯一影響しない人間で、大切な人だから」
龍神の目には佳寿美の影から、骸骨の手があふれ出でる。黒い瘴気を纏った彼女は死を具現化したような存在に見えた。それでも彼女はニコニコと笑う。
「貴女には彼がいるではないですか。それでも足りないと?」
いつの間にか戻った蒼崎は自らの意志がないのか、操られた人形のように手と頭が不気味に垂れ下がっていた。
「…………」
「全然足りない。彼は私の邪気に耐えられるけど、意識は保てない。優しくて大好きな人だけど、対等でないから。傍にはいてくれるけど、私の影の影響を受け続けて──たぶんいつか壊れてしまう。私の傍に居るとヨクナイコトが起こる。でもそれは本来背負うべき人の分まで背負っていたから。だから私は《願い》を叶えることで、バランスを取っているの。それが《役割》だから」
龍神の表情は変わらない。そう
「……貴女と対極にある《役割》は──」
「ええ。死んじゃったわ。何とかしようとしてくれたけど……、えっと木下馨一さんだっけ? 彼と対峙して狂気に呑まれちゃった。だからバランスが余計に狂ってしまったの」
彼女は笑みを絶やさずに微笑む。死も生も佳寿美にとっては些末なことなのだろう。ただ一人を除いては──
糸を紡ぎ彼女は包囲網を完成させていく。龍神にそれが通用しなくとも数秒ほどの隙を作るために、取り戻したい者の為に最善を尽くす。
龍神もまた自身に残った力を貯めて一撃のタイミングを見計らっていた。
「……では《願い》を叶えると言って人間を《物怪》に変えるのは、なんの意味があるのですか?」
「意味? 可笑しいことを聞くんだね。そう人が望んだから。人って辛いことがあると投げ出したくなるでしょ? 自分を大切にしないで自分を投げ出しちゃう人。自ら人でないものを望もうとする……それだって人の願い。それを私は叶えているだけ」
自身が望んだわけでも、貶めようとしたわけでもなく──それが《役割》だと言い切る。龍神はそれに対して応える言葉を持ち合わせてはいない。
彼はその問いを聞き終えると、自身のすべきことをなす。
「そうですか」
「うん。安心して燈ちゃんを預けていって」
悪意なく佳寿美は両手を広げて、燈を受け取ろうと歩み寄る。だが、龍神は手を掲げ、拒絶を示した。
「お断りします。彼女がどう生きるのか、誰を選ぶのか。それを決めるのは彼女自身です」
「それを世界が、周りがさせると思っているの? 今や《天界》も動き出した。時間なんてあってないものだよ」
それは警告。これ以上、人間一人の命運に神が直接関われば《理》が歪む。何より天界の《理》の流れを見守り、調整する《役割》の人間が燈を殺害しようとした。つまり《天界》にとって燈は存在していては危険だと判断されたに等しい。
世界を救うために、
だが、迷いはない。何を優先させるか、何をすべきか──それはとっくの昔に決めている。
「彼女が自身で《選択》と《決意》が出来ない世界だというなら、私はいつだって世界の敵になりましょう」
龍神の翳した雷撃は龍の如く、佳寿美に襲い掛かる。
轟──!!
凄まじい音と爆風によって校庭の砂煙が舞った。
次の瞬間、佳寿美をかばった蒼崎の背中が焼け焦げていた。しかし彼は彼女を抱きしめたままだ。
既に龍神の姿、気配は消えていた。燈の姿も一緒に──
がくん、と今まで操り人形だった彼の瞳に生気が戻る。今までの出来事を見ていた彼は、愛しい人を心から抱きしめる。たとえ、その時間があまり残っていなくとも蒼崎は、最期のその時まで微笑むだろう。
「逃げられてしまったね」
「はい。でもどこに向かったのかは、分かっていますから」
「…………そうか。そうだね」
蒼崎は背中に受けた傷を気にせず、散っていった《物怪》──《鵺》へと視線を向けた。蒼崎と関わったことで、彼女たちの未来を大きく捻じ曲げた。
それでも彼は《
深淵を一人歩く彼女を放っておけなかった。たとえ、傍にいれば身の破滅は免れないと知っていても──
それでも、
最終的に彼女の存在を
「行くのかい?」
「もちろんです。燈ちゃんが殺される前に、あの《化物》を倒してしまわないと」
佳寿美は燈と、最初に出会った病院でのやり取りを思い返す。あの時の《約束》を彼女は大事に──それこそ宝物のように抱いて生きてきた。
「今度は私が燈ちゃんを殺そうとするモノから守る」
二〇一〇年五月一〇日
この日世界の境界は揺らいだ。それは小さな波紋だったかもしれないが──確実に、そして致命的に世界のバランスが崩れた日となった──
***
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