《幕間》  ノイン

 ***


 二〇〇九年の秋の終わり──

 秋月燈あきづきともりの記憶は失われ、白銀の青年四季××の記憶、いや彼自身の全てが希釈きしゃくされ、存在しなかった者となっていた。


「幸せとは失って初めて気づく」という歌詞フレーズがあった。

 それはその通りで《那須連続放火事件》によって、ノインが失ったものは大きかった。そして、失意による痛みと苦しみ──後悔が、エラーをさらに蓄積させた。


 翌年。窓から見える空に雪がちらついた日、ある夢を見た。

 夢など全身義体化になってから初めてだった。しかしそれは夢と一括りにするにはあまりにも生々しく、現実味を帯びたものといえた。


 自分の記憶にない。

 それは遥か昔──歴史に断片的に刻まれた出来事。

 神代の時代だろう。

 深い碧に覆われた山々と、流れ行く川に豊富な食料と、山岳に潜む動物たち。なにより鉱山としてもその土地は恵まれていた。また鍛冶の技術と星読みの知識も持ち合わせており、集落はもちろん、一族は栄えていた。

 見守る者としてそれは嬉しく、愛おしかった。末永く平穏が続くと思っていたが──

 当時、勢力を伸ばしてきた大和王権に星を奉る一族は服従しなかった。あまりにも一方的な要求に戦うことを決意する。

 最後まで抵抗し、氏子うじこたちを守りたかった。けれど力及ばずに自分は崩れ落ちる。

 その誇りも想いも無残に打ち砕かれ、恐れを抱かれた神、《まつろわぬ神》として歴史に名を刻まれた。それはいい──ただ守れなかったことが、胸に今も残る。

 もし、次があるのなら今度は《大切な者を守り抜きたい》。

 独りで無理だと言うなら──共に歩める《仲間》を、《友》を得たい。個々の力でどうにもならなくなった時に、助け合う存在を。


 白髪の青年──四季××が言った言葉の意味をようやく理解する。

 まるでドミノを倒した時のように、ノインは次々と《魂の記憶》と《役割》に気付く。

 そして──

 

 ***


 西暦二〇一〇年 四月二八日。

 日常生活のカリキュラムの終了後すぐに会いに向かう予定だったが、全身義体化のメンテナンスや調整、外出許可を取るのに随分と時間がかかってしまった。

 秋月燈に学校の保健室で会った時、カーテン越しに聞こえた声はあの時の少女で間違いない。声紋、骨格ともに九九パーセント本人だ。

 けれど、自分を知らない少女。ノインは一瞬だけ何と名乗るか迷った。

「五十君周と名乗るか」──否、彼女には相応しい名乗る名前があることを思い出す。


Artifactアーティファクト knightsナイツ 試作九号機──通称だ」


 九年のやりとりで辿り着いた名だからこそ、そう名乗った。

 そしてノインは四季××との約束を守ろうと決意を新たにする。彼女が絶望の淵にいるならば、今度は自分が手を差し出す番だ。


 ***


 西暦二〇一〇年 五月一日。

 官房長官である五十君雅也は多忙を極めていた。そのため、息子であるノインの面会が通ったのはゴールデンウィークに入ってからだった。

 記者会見で発表した《特別災害対策会議・大和》の設立やら、今まで政府が秘匿していた《黒い霧》、《物怪》などの情報公開や今後の対応など、決めなければならないことが山積みになっている。


「こちらへ。お時間は五分ほどになりますので、ご了承ください」


 案内されたのは窓のない瀟洒しょうしゃな応接屋で、五十君雅也はラウンジチェアに腰かけながら書類に目を通していた。

 秘書が一礼すると部屋を退出する。

 二人きりになるとノインは無遠慮に五十君雅也のすぐそばに歩み寄った。彼は足音に気付いて書類から視線を外すと、顔を上げた。


「ん、ああ。周……いやノインか。改めて私に時間を取ろうとするとは……。何用かな」


 五十君雅也は目を細め、おおよそ気づいているのだろうが、敢えてノインに言わせようとしていた。


「秋月燈の記憶奪還に予算と、自分に権限が欲しい」


 この日までに用意しておいた書類及び企画書を差し出した。それを見やった後、五十君雅也は別のファイルをノインに差し出す。

 ノインはおもむろにそのファイルを受け取ると、書類に視線を落とす。それは深紅薔薇クリムゾン・ローズの社名からの提案書だった。


深紅薔薇クリムゾン・ローズ……紅茶を専門に扱う大手メーカーが、秋月燈に? 個人に莫大な支援を?」


 どういった繋がりがあるのか、ノインはネットにアクセスしてもその理由はみつけられなかった。


「表向きに名前は出していないが、浅間龍我の私財であり独自のコミュニティだ。もともと海外の《魔女》を擁護するために活動をしていたらしいがね」


 五十君雅也の話だと、浅間龍我はつい先ほど書類を置いてすぐに出て行ったという。なんでも秋月燈が事件現場に向かった先で、トラブルがあったらしい。

 事件現場周辺に配置していた警官一名との連絡がつかないという。それを聞いてノインはきびすを返す。


「周、いやノイン。手ぶらで向かうつもりかね」


 そう言って五十君雅也は礼状をノインに差し出す。何もかもお見通しというわけだ。


「これは浅間龍我に渡すつもりだったが……。まあ、いいだろう。どちらでも大差ない」


「……否定。政府として深紅薔薇クリムゾン・ローズの提案の方が優れていると提案する」


 竹を割ったような物言いに、五十君雅也は微苦笑する。


「なら、次の休みに私とキャッチボールをしてくれ。その体なら可能だろう」


「肯定──提案を承諾。……父さん。感謝する」


 ノインが礼状を受け取ると、五十君雅也は返事もなく書類に視線を落としていた。


 ***



 ガキィン──

 金属音がへし折れる音が響いた。

 ノインは口から人工血液がこぼれ、ぶつかってきた骸骨たちによって吹き飛ばされる。


「ぐっ……」


 土煙が舞う中で、ノインは《破邪の刃》を振りかざす。邪気のみを切り裂く刃は十握剣とつかのつるぎ──正式名称は蛇之麁正オロチノアラマサ

 青銅に青白い真っ直ぐな両刃剣をノインは自分の体の一部のように扱う。その一撃で骸骨たちを吹き飛ばし、灰塵かいじんと化す。


「ぐっ……」


 その刀をふるうたびに、骨が軋み、金属の嫌な音が悲鳴を上げた。


(痛覚を遮断していてよかった。これならまだ戦える。時を稼げる──)


 限界を越え、身体がバラバラになろうと、《心の友その弐四季××》との約束を果たすまで動き続ける。《心の友その壱秋月燈》は必ず約束を果たして戻ってくる。

 金属部品が宙を舞い、人工臓器の大半は機能の停止をしていく。

 右目の視覚センサーが赤く点滅を繰り返していた。


『いいね、この絶望的な感じ。それでも、何かを守るための戦いはいつだって胸躍る』


 ノインの眷族である牛鬼は、痛快だと言わんばかりに吠えた。歩行戦車に装備された武器は全て使い切ってしまい、残るは物理攻撃のみだ。

 穢れを内に宿すことで人々の幸福を願い──そして疎まれ、忌まれた存在。人を助けたことはただの一度きり。その善行により自身が血を吐いて死んだ。

 心優しい牛鬼──


「謝罪──お前にもやりたい事があっただろう」


 牛鬼──ヤマツチと契約を結んだのはつい最近。ゴールデンウィーク明けに浅間龍我の同伴の元で契約を結んだのだ。

 もっとも彼はノインが生まれてからずっと影に潜み、見守っていた。そのためヤマツチ的には「ようやく会話が成立した」という方が認識的に正しいらしい。


『いいや、謝る必要はないぜ。《人間を守る》──それは厄災を内に宿すしかできなかった俺が、やりたかったことだからな!』


 ノインの顔半分は溶解し、銀色の金属がむき出しになっている。だから彼が笑ったのに気付いたのは歩行戦車ヤマツチだけだった。

 幸運にも眷族に恵まれたとノインは思った。


「そうか。なら、最期まで付き合ってくれ」


『おうよ!』


 ノインは膂力りょりょくを込めて《物怪》を斬り捨てる。骸骨たちが飴細工のように砕け散っていく。

 怒涛の快進撃により骸骨の数は半分に減り、勝算が見えたと僅かに気を抜いた瞬間──


 乾いた音が耳に入る。

 

 一発しか銃声が聞こえなかったが、銃弾はあった。

 三発で歩兵戦車ヤマツチを大破させ、一発はノインの体を貫通させ──最後の銃弾は頭蓋骨に迫った。


(なっ……避けきれ……!?)


 鈍い音と共にノインは、地面に崩れ落ちた。

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