《幕間》 龍神の役割・後編

 龍神は宝鏡に映る校舎内の様子をうかがう。

 秋月燈あきづきともりの通っている校舎内に居たのは、彼女ではなくその友人・宇佐美杏花うさみきょうかだった。状況から見て致命傷を負いながらも、何処かに向かっているようだ。すでに体の半分は黒いあざに侵され、烏のような羽根が腕から生え始めていた。


(《この娘……深い憎悪が魂に蓄積して《物怪もっけ》になりかけている。人間としての理性もいずれ消滅するだろう……)


 だが、龍神は何事もなかったかのように、学校の敷地内にいるはずの燈の姿を探した。

 彼にとって燈以外の人間は道行く花と同じ。摘み取られようと、刈られようと、死の間際だろうと眉一つ動かない。流転こそ万物の基本。流れ続けるものであり、停滞することはない。

 しかし──ある言葉が龍神の脳裏によぎった。


 ──ヤダ。そんなの私が諦める理由になってないもん。私がしたいから、する。……私はあなたたちの味方になるって決めたの。だから私は私に出来る事をする──


「…………姫?」


 まるですぐ傍に彼女が居たかのように、その声は鮮明に龍神の耳に届いた。

 それは彼の心の琴線きんせんをくすぐるには十分な言葉だった。記憶を失う前の燈はひたすら真っ直ぐだった。平穏な日常ではなく、《物怪》の討伐という茨の道を選んだ少女。

 その心の内を龍神はついぞ聞くことが出来なかった。


(ここで見捨てれば……あの時、姫の言葉に同意して手を貸した私の過失と言うことになるでしょうね……)


 龍神は燈が無事かどうかだけ急ぎ確認する。鏡に映る校舎内を点々と変えていくがそれらしい姿はない。倒れている生徒の中にも彼女は見つけられず、彼は焦りと何もできない自分自身への怒りに歯噛はがみする。

 彼の苛立ちは周囲に影響し、轟々ごうごう螺旋らせんを描くように渦を生み出した。


(姫……、どこに……!)


 学校の敷地を見下ろせるよう映像を切り替えると、体育館傍の駐車場と校庭に人影を発見する。

 武装した物々しい一団に燈の姿はなく、ついで校庭に映像を切り替えた。そこで式神たちと一緒にいる姿を見つけて、彼はようやく肩の力が抜けた。


(式神に、《天香香背男星を奪われた神》と牛鬼が傍に居るなら……今しばらく時は稼げるはず……)


 そう言い聞かせ龍神は、かつての言葉を守るため──自らの力を振るうことを決意した。


 ***


 龍神は風を触媒に刹那の合間だけ現世に顕現し、宇佐美杏花──魔女を回収して、ある場所に治療の依頼を頼んだ。

 そこは《異界》でも、冥界でも、現世でもない次元の狭間に存在する。《物怪》化の進行を遅らせるのであれば、最適な場所だった。その場所の名は《まよ》──


 龍神は《常世之国》には戻らず、《理》に最も近い全集合的無意識──夢に移動する。

 それは金色の波が揺蕩たゆたう川。留まることも、枯れることもない。その川の水飛沫が夢と言う特殊な空間を作り上げる。個人でもあり、共有する者たちの認識により形成された特殊な空間。

 夢とは魂のありように反映され、それは人の言葉を借りれば《五次元》と位置付けされている。ゆえに《物怪》となった魂はまず初めに空間が歪み、禍々しい空間と変貌し崩壊していく。その前段階を《第一級特異点》と定め、それらの夢を強制的に一定の空間に集めて、龍神は討伐を行っていた。


 龍神が現世におもむくのであれば、それなりの触媒が必要となる──が、あの学校の敷地内に滞在できるだけの触媒となるものはなかった。そのため内側から討伐という、いつものやり方で対処する。


(隔絶空間ごと破壊するのは最終手段として……まずは内側から切り崩すとしましょう)


 龍神は《特定の夢》へと急ぎ川の上を疾駆しっくする。しかし「一刻も早く」と焦る時ほど、他者からの横やりが多いものだ。


 ──龍神。少し話せるか──


 唐突に脳裏に直接語りかけてきたのは武神の声だった。今は浅間龍我の名で通している《現人神》であり──龍神とは縁が深い人物。

 龍神は苛立ちを抑え、低い声で言葉を返す。


 ──武神、何用ですか?──


 武神からわざわざ連絡が来るということは、絶対に良い知らせではない。むしろ、その逆だろう。


 ──今、《物怪》になった奴らを元に戻した。……《のっぺらぼう》いや《混沌》だったがコイツらは術式によって強制的に《物怪》にさせられていた。……この《異界》を呼び寄せた中心核は《鵺》で間違いない──


 浅間は珍しく《物怪》の情報を龍神に伝えた。龍神はそれを聞きながらも一抹の不安が募った。

 この男の本来の目的を龍神は知っている。ただの《物怪》討伐だけでわざわざ念話をしてくるはずもない。つまり、用件は別にある。


 ──で、本題だ。俺の片割れ《荒御魂》が出張ってくる可能性がある──


 ──そうですか……──


 龍神は武神の言葉で、このあと何が起こるのか察した。元々この男は自分の半神を殺すために数千年の間、《役割》についていたのだ。しかし、今この世界に《荒御魂》をその身に降ろせる人間がいるのだろうか──ほとんどが数秒で器が持たずに爆ぜるはずだ。


 ──姫をその戦いに巻き込みはしないでしょうね──


 ──安心しろ。《荒御魂》の依代よりしろに秋月燈を選ぶつもりはない。もっとも依代となった人間を殺すつもりもない。を使うつもりだ──


 龍神はますます武神の言葉に眉をひそめた。《百雷の檻》は八百万の神々の持つ結界の中でも群を抜いて強固だ。発動した術者以外の解除は不可能という代物──

 それは神を顕現させるほどの圧縮されたエネルギーでもある。


 ──これはだ。……もしもの時の、な──


「どういう意味なのか」と龍神が言及する隙を、武神は与えなかった。


 ──そういう訳で《鵺》を相手取っている秋月燈たちの加勢には行けん。それは貴様の方でなんとかしろ──


「軽々しく言ってくれる」と龍神は内心で思ったが、こればかりはしょうがないだろう。誰にでも優先順位というものは存在する。それは神であっても変わらない。


 ──いざという時は、私に丸投げですか──


 ただすんなり承諾する気にはなれず、皮肉をこめて言ったつもりだったが、武神はどこか楽しげに「くくっ」と、喉を鳴らす。


 ──今まで散々迷惑をかけられたんだ。そのぐらい、そっちで何とかしろ──


 武神は、いつになくよく喋った。普段ならば用件だけ告げて会話を切るというのに、まだなにか話すことでもあるのか言葉を紡ごうとしていた。

 振り返ればこの男とは数千年前からの旧知であったが、会話を交わすことはほとんどなかった。こうして会話の機会が増えたのは良いことなのかもしれない。

 たとえこの先、互いの目的の為に刃を交えるとしても、それはそれとして後腐れがなくていいと思えるからだろう。龍神も武神も己が目的のために躊躇ちゅうちょする類いの者ではないのだ。


 ──龍神、気を付けろよ。俺の半身荒御魂が動いていたとはいえ、どうにもに落ちない点がいくつかある──


 武神の言葉に龍神も同じ考えだった。


 ──ええ、今も四十八か所、《異界》の隔絶空間が展開していると報告を受けています。禁軍と龍王を派遣していますが……、私もこの用意周到さに違和感を覚えています。なにもかも、用意された舞台にキャストとして配役を押し付けられたような。……この筋書きを書いたのが、貴方の半身荒御魂だけで行ったというなら、恐ろしいですが……──


 ──そう《荒御魂オレ》を褒めるな──


 ──褒めてませんよ──


 武神はまた喉を鳴らして笑った。そして──


 ──伏兵に気を付けろ。誰が敵になるか……今回は特にわからん。あの式神もまた得体が知れないからな。何を隠しているのか知らんが……アレが敵だった場合、もっとも危険なのは秋月燈となることを忘れるな──


 浅間にしては珍しいほど警戒心の強い言い回しだった。だが、龍神は彼の言葉を否定する。

 確かに式神は得体が知れない上に、いけ好かないし、やたら突っかかってくる。あの男が彼女にどのような感情を抱いているのか、その根源が、懸想けそう贖罪しょくざい、執心、情愛……それ以外なのか龍神には推し量れない──が、彼女を大切に思っており、守りたいという気持ちに偽りはなかった。

 だからこそ、龍神は少しばかり口元を緩めた。


 ──それこそ邪推というものだ。式神は姫の安全しか考えていない──


 ──だからだと言っている。秋月燈の為なら式神自身が、敵に回ることもいとわない男だぞ──


「ああ、それはありそうだ」と龍神は率直に思っていると、武神は「にしても」と言葉を続けた。


 ──貴様ら仲が相当に悪く見えたが、妙に信頼し合っているのだな──


 ──まさか。私はあの男を信じてませんよ。式神の事を信じている姫を信用している、それだけです──


 武神は微苦笑する声が聞こえた。

 それから言葉を交わして、会話は終わった。武神も龍神も戦うべき場所相手と遭遇したのだろう。


 ***


 龍神は《物怪》と化した《鵺》の核を祓うため、敵陣の中に飛び込んだ。

 予想通り《荒御魂》によって、本来の願いを歪められた被害者たちが、そこに閉じ込められていた。

 その空間は幸福だった時間かこから始まり、破綻するその瞬間まで永遠に繰り返す──悪夢だった。

 その中に見知った少女秋月燈が紛れ込んでいるのを見つける。彼女を見つけた瞬間、龍神は胸に言い表せない怒りが込み上げてきた。


(ここまで一人で? 護衛も術式による加護もなく……なんて無謀なことを……!)


「自殺行為に等しい」と怒りに任せて詰め寄ろうとした瞬間、少女は両肩をがっくりと落して「嘘でしょ!?」と叫んでいた。


 龍神は出鼻をくじかれ、かける言葉を失う。

 気づけば彼女の隣に立っていた。遠すぎず、近すぎないほどの距離。その間にも彼女は驚愕、焦燥、悲痛……この数分の間にころころと表情を変える。


「これは……あの時と同じ──」


「ええ、《第一級特異点》と似たモノです」


 龍神はあまりにも普通に声をかけていた。燈は驚いていたが、龍神自身も自分の言葉に驚いていた。


「また会いましたね」


 本心がポロリとこぼれた。ずっと会いたかった、話したかった。その想いが凝縮された言葉だった。彼女は驚くばかりで気づかなかっただろうが。


 《鵺》本体の登場に対して、少女は狸を救おうと躊躇ためらうことなく飛び出していった。

 一人では到底太刀打ちできない獣を前に、震えながらも駆け出す。その後ろ姿はいつ見ても華奢きゃしゃで、非力だというのに、目が離せない。

 気づけば龍神は彼女の窮地きゅうちを救わんとすでに駆け出していた。ほんの数歩で彼女に迫り、片手で抱き上げて宙を舞う。


(ああ、ここで武神なら叱咤しったするだろう。式神なら痛快に笑うな。なら私は……)


 彼女が無事であることを喜びながらも、その無謀に思ってもいない言葉が出てきてしまう。本当は「無事でよかった」と言いたいのに、口に出来ず──


「なぜこうも貴方は蛮勇ばんゆうなのですか」


 龍神は憎まれ口を叩いたのだった──


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