《幕間》 龍神の役割・前編

 冥界を支える《十二の玉座》が存在し、それを担う各国の神々が《異界》を見張り、《物怪もっけ》が現世に出現するのを防ぐ。それが遥か昔に人間と交わした盟約だった。

 そして神の分霊──否、末端として人間に転生した者もまた《役割》を帯びて、異界と《物怪》の対処に手を貸す。そうやって人と神の《約束》は連綿れんめんと続いてきた。

 少なくとも龍神はそうやって数千年の時間を過ごしていた。そして彼は、四度目になる魂との出会いの為だけに《十二の玉座》の一角を引き受け、《常世之国とこよのくに》の王となった。


 冥界──命あるものが寿命を終えたとき、必ず辿り着く場所。それが冥界、冥府、冥土。呼び方は古今東西様々であるが、行き着く先はみな同じ。

 人も神も等しく。


 冥界、《常世之国》は緑豊かであり神代から変わらぬ自然に溢れていた。四季も現世と変わらず存在する。ただしこの国の特徴は、基本として色素が薄い──白銀を基調とし、そこに淡い色合いが映える形で存在している。

 森の山々は淡い若草色で、湖は白銀に煌めき水面を照らす。宮廷の側には数千の蓮の花が咲き誇り、天を照らす星々の灯りにも劣らぬ輝きを宿している。

 建物は湖の上に存在し、左右非対称の屋敷と母屋に別れている。左右に回廊が長く入り込んで繋がり、緋色の柱が目立つ。

 神社の造りには似ているが本来の目的は宮殿であり、この国の王が住む場所。そのため、アヤカシ──古き神々の出入りが多くせわしない。


 龍神の眼前には現世の神社で見られる唐破風入母屋造からはふいりもやつくりに、朱塗りの柱を使用した立派な神楽殿があった。《常世之国》でも建造物の殆どが神社建築の特徴を受け継ぎ、切妻造きりづまづくりを採用している。所見でこの国に来た者は、日本の神社に足を踏み入れたような既視感を覚えるだろう。ただ、白銀色の空と景色は、現実世界とはだいぶかけ離れたものだが……。

 龍神が数百年前に作らせ、何度も修復をさせた神楽殿は彼のお気に入りの場所だった。その場所から見渡す一面の湖、そして白亜色の蓮の花。それを見ながら物思いにふける。


 龍神もまた冥界と現世の亀裂に対して、何も手を講じなかったわけではない。それでも最終的に決めるのは人間であり、そして大多数の人間は破滅を望んでしまった。

「今を変えたいと」「終わらせたい」と内に秘めた想いが転じたもの。自業自得と本来ならば捨てておいただろう。

 だが、そういった時代の分け目には転生する。もし自ら転生することを選んだのだとしたら、愚か者だと言わざるを得ない。


 龍神にとって人は、花と変わらない短命さだと認識していた。そして人間の魂一つ一つは、花と同じで見分けなどつくわけがない。すぐに芽吹いて、花咲き、散るのだから。

 けれど、一輪の花──あの魂だけはすぐにわかる。目に入るだけで、世界が色鮮やかに煌めく。木漏れ日のような温かさと、心地よさは春の訪れのように愛おしく、胸が躍る。

 四度とも彼女の最期を看取った。

 四度とも龍神が命を奪ったようなものだ。

 だからこそ彼はあの魂と再会が叶うならば、今度こそ幸福な人生を願い──そして龍神は行動した。


(結果……。私はまた姫に重荷を背負わせてしまった。せっかく人間に転生して、奇跡的に出会えたというのに……)


 不覚としか言えなかった。

 自身の持つ力の制御が出来ず、怒りの衝動によって暴走したのだ。


(あの時、自宅に姫がいると思い込んでいたのが、そもそもの間違いだった。なぜ殺生石の封印が解かれたのか、そして式神が自宅を破壊したのか。それも分からないまま……)


 白銀色の湖は、宮廷を歩く者たちの足音に応じて湖面に波紋を見せた。喧騒が風に乗って僅かに聞こえてくるが、龍神は湖を眺めたままだ。


(……確かに式神の指摘通り、私は……なにかを忘れている?)


 龍神は暴走した後の事はほとんど覚えていない。

 断片的な記憶に残るのは、あの魂が逃げなかったということ。

 怖ろしかっただろうに、崩れて座り込んでしまってもおかしくなかったというのに……。

 それでも、ボロボロになりながら、膝元まであの魂は会いに来た。そして──


(ん? あの時、傍に居たのは……姫だけだった……? いや、誰かが……)


 誰かがいたかもしれない。しかし龍神の記憶からはすっぽりと抜け落ちていた。そしてこの手の記憶は、龍神自身が多少覚えていても、口に出して話せないという類いのモノだった。

 呪詛に近い術式──それも強力な上に、力技で行えばどこにその反動が出るか分からない。だからこそ龍神は今もあの時の出来事を黙っていた。


「……絶対に許さない……」


 記憶を失う前に告げた、彼女の言葉。

 その言葉は怒りか、憎しみか分からなかったが、確かな決意と想いが込められていた。


(当然だ。許されるはずがない。なにより私は、またあの魂を殺すところだった……。母を殺し、父に殺され──私は死を運ぶそのもの)


 風が吹き抜け、龍神の長い髪とすそを揺らした。

 ふと空を見上げると、白銀色の空に太陽の日差しが反射する。薄らとした橙色が空を染めていく。


(姫と夢で再び会い、会話することも出来た)


 龍神はまぶたを閉じると、彼女の姿を脳裏に浮かべた。

 強い眼差しに、少し抜けた顔、おっちょこちょいな所も、物怖じしないツッコミも変わらない。彼女の傍はいつも賑やかで、心地よい。


 四度出会った魂と根本は変わらない。けれど、彼女は彼女だ。今の彼女だからこそ、心から愛おしいと口にできる。恋ではなく、愛が何かを教えてくれた──ただ一人の少女。傍に居るだけが愛ではないと、気づかせてくれたのも彼女だ。


(貴女の笑顔を、元気な姿を見られたのです。それだけで十分すぎるほど私は報われた。これ以上を望むのは……)


「ござる、ござる」


 小さな声が龍神の耳に届く。彼は声がした方に視線を向けると、湖の真ん中から水面に顔を出すアヤカシがいた。よく見ると雪だるまの形をした木霊こだまが、あわあわと手をばたつかせている。


「…………」


 木霊とは溺れるものなのだろうか。というか、そもそもなぜ湖に落ちたのか。いや、水面に落ちる音は無かった、では──一体? と、龍神は暢気のんきに考えた。


「ござーーーる、ござーーーる」


「なに!? 姫と契約している友人なら最初に告げよ」


 龍神は手をかざすと、木霊だけがふわりと浮遊して、神楽殿まで引き上げた。

 ずぶ濡れの木霊はぶるぶると犬や猫のように体をふるわせると、小躍りしながら両手を伸ばしてキメポーズを取る。


「ござござござ──ござる♪」


「確かに、姫の式神ですね。……それで私に何用ですか?」


 龍神は片膝を突いて木霊に問う。これが普通のアヤカシであればここまで低姿勢で会話することは無かっただろう。

 それほどまでに龍神は秋月燈を取り巻くモノに対して丁重な態度を心がけていた。もっとも式神と武神は例外だが──


「ござござござーる」


「ふむふむ。私の部下が? どこで見かけたのですか?」


「ござ、ござる」


 木霊は「湖の底で見た」というのだ。龍神は僅かに眉を寄せた。

 本来、現世から冥界の正式な門は、この国の四方に存在する《四つの鳥居》だけだ。それ以外では稀に湖が現世に繋がることもあるが──

 龍神は考えるよりも早く湖に手を翳した。


颶風ぐふう


 静寂だった《常世之国》に突如、凄まじい風が吹き荒れ、湖の水はいくつもの螺旋を描いて天を突かんと噴き上がる。

 一時的に湖は割れた。龍神は烏天狗の位置を確認すると、すぐさま空気の膜で結界を作った。烏天狗──柳は人の姿を保てなくなり、一羽の烏に戻っていた。

 神楽殿の傍には臣下たちが集い、王の命をじっと待っている。その視線を感じ、龍神は彼らに視線を向けた。

 燈や式神、浅間にかける言葉とは異なり、王たる威厳のある声で命令を下す。


竜胆りんどう、柳の手当を頼む」


「承知しました、我が王」


 矮躯わいくの老人は杖をついて一歩前に出た。髭も髪も真っ白で腰もまがった老人──神祇官の長であり、付喪神つくもがみの竜胆は深々と頭を下げた。


「みな、医療室へ、そっと運ぶのだ」


「おーきーどーきー」


 竜胆の指示によって古びた琵琶びわやくびれた障子、一つ目の傘──付喪神たちが、わらわらと集まって烏天狗を宮廷の奥へと運んでいく。

 龍神はそれを見送った。


(柳の傷は深い。……姫に何かあった?)


 龍神が懸念していると、そこに別の烏天狗が神楽殿に駆けこんでくる。

 からん、と下駄の音が響く。見た目は四十代の男だが──背に烏の翼があり、僧姿に、短い黒い髪、顔には目と鼻だけ覆った面をつけている。


「報告いたします! 現世にて《異界》の隔絶空間が発生しました。その数、四十八か所……」


「こんな時に……それも同時に?」


「ハッ、報告では《黒い手紙》を触媒に無理やり《異界》を引き寄せたかと。また隔絶空間内には《鵺》の大群がいると報告が入っています」


「すぐに禁軍を出す。それと龍王を五〇体顕現させる。この国の守護は……、冬青そよごはいるか?」


「はいはーい。ここに居ります。我が王」


 暢気のんきな声で龍神に答える。彼は臣下が一人。腰に烏の翼があり、白を基調とした僧の衣、片目だけを覆った面をしており、口元は常に微笑んでいるように見える。髪は後ろ髪だけ長く、朱色が混じった髪をしていた。柳と同じく彼もまた《烏天狗》だ。

 彼の官職は《常世之国》の五衛府の長、禅正台だんじょうだい――官吏の監視役を担っている。


 もっともそれらの役職は龍神がこの国を継いだ後──今から千年ほど前に決めたものだ。中国の唐と日本の律令制度を参考に取り入れたもので、あくまで冥界を維持するために必要な制度だけしか存在しない。

 これらのシステムが生まれたのには諸々の事情がある。その一つが隣の《天狗の里》の事情だ。彼らの里は階級主義のため仕事やくわりを得るのも難しい。その為、派遣という形で《常世之国》に在籍している。


「一時的だが、お前に指揮権を与える。警戒を怠るな」


「心得ております。……して、王はいずこに?」


 にこりと笑う冬青は、龍神の言葉を待った。にこにこと笑いながらも、本心で笑っているのかは不明だ。優秀な男だが腹の底は見えない。


「姫の元に向かう」


「では、禁軍きんぐんを──」


「いや、禁軍は部隊を複数に分け、内側からそれぞれ隔絶空間かくぜつくうかんを解除するように、勅命を出している」


「ならば、自分がお供に……」


「いや一人で十分だ」


 龍神はきびすを返すと湖に飛び込んだ。自身の服が濡れることもいとわずに燈の元に急ぐ。

 水飛沫を上げ、龍神は気泡を従えるかのように水中を進む。水を通じた場所から現世と繋がる道を探った。


(校舎内のプールであれば現世の水を触媒に、一時であれ顕現は可能となる……)


 しかし龍神の目論見はすぐに頓挫とんざする。ちょうどその時、室内プールが爆発したところだった。


「……!」


 龍神が手を翳すと円状の宝鏡が水中にパッとあらわれた。万物を司る彼だからこそ水中であれば己が性能を増幅させ、隔絶された空間だろうとその中を覗くことが出来た。

 カメラ映像よりも精密な映像が鏡に映しだされる。それは学校の校舎──廊下だった。


(姫……)


 あの魂──秋月燈が無事かどうか、焦燥ばかりが募っていく。普段の冷静な龍神とは思えないほど、内心では動揺していた。


 校舎内も生徒の姿はほとんどない。

 だが、ひとりだけ。腹部に手を当てて、のろのろと歩く人間の姿を見つけた。


「秋月……さん……」


 少女は廊下の壁に寄りかかりながら、何処かに向かっているようだった。


(姫ではない……。だが、たしかあの娘は……)




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