第43話 荒御魂と現人神

 数千年、生き続けた《現人神あらひとがみ》──浅間は、構えたまま本当につべき敵を見据える。


「俺が死ぬだけだ。そうすれば、アイツの元にける」


「「……はっ……」」


 愉快そうに、そして底抜けに明るい笑い声がはじけた。


「「ははははっ! 嘘だろ、おい! もう数千年も前だぞ。それだけのために、オレを探し続けて来たのか!?」」


 浅間は押し黙る。

 それが答えだと言わんばかりに。


「「オレと武神が──殺したのに、か?」」


「ああ。俺とオレ荒御魂が殺した──その事実を俺は受け入れる。あの時、貴様を否定し、認めたかった心も全部だ」


 《荒御魂あらみたま》は嬉しそうに、口元をゆがめ──嘲笑ちょうしょうしてあおる。


「「人間をただ悠然ゆうぜんと眺め続けていた俺が、随分ずいぶんと人間臭くなったな。何が変えたんだ?」」


 激しく刀がぶつかり合い、草薙と浅間は鍔迫つばぜり合いに移行する。それに乗じて背後に回った木下が浅間の背中を斬り裂く。


「ぐっ……」


 鮮血がき出し僅かにのけ反るが、浅間は素早く態勢を立て直す。ついで木下に向けて手をかざし──


百雷ひゃくらい


 その武骨な指先から雷電らいでんほとばしる。蛇のごとく襲い掛かる稲妻を回避するすべはなく、少年は直撃する。


「「なっ……があああ!」」


 美女──草薙は鍔迫り合いの状態から離れると、腰のホルスターからベレッタM92を抜く。

 数発の銃声が鳴った。一発は浅間の肩を射ち──残り二発は弾丸が地面に落ちた。間合いギリギリからの銃弾を見切ったというより、感覚でさばいたのだ。


「おい、人間木下に当たったらどうする?」


「「知ったことか」」


 負傷した浅間に二人掛かりで、たたみかける。苛烈かれつで鋭い乱撃が浅間の剣戟を上回り──彼の首元に刃が届く。


 キィン──


 しかし、金属の手ごたえのせいで剣先が弾かれた。

 その勢いによって、浅間の首にかけていたチェーンが千切れ──二つの指輪が宙に舞う。金色のチェーンに指輪。それは宝石などの装飾もない値打ちの低い安物。


「……!」


 ふと浅間はあの二つの指輪を見て、あることを


(ああ……そうだ。あの指輪は……昔、馬鹿弟子が寄越したものだったな)


 浅間の胸の奥底に沈殿ちんでんしていた記憶が、色をびてあざやかに蘇る。

「剣術だけではなく料理を覚えたい」と言い出した少女。共に住む者は料理が壊滅的だったらしく、浅間に泣きついてきたのだ。

 式神の指摘通してきどおり、秋月燈は浅間龍我の弟子だった。


(くっ……何とも情けない。俺がきたえておきながら馬鹿弟子の評価がランクE+だったとは……)


 一つの記憶が紐解くとそれは、ドミノ倒しのように次々と思い出せた。浅間が数千年生きている理由を聞いて、「いつか待っている奥さんに渡してあげて」と馬鹿弟子が、小遣いを叩いて買ったペアリング。


(そういえばあの時は、龍神や式神が勘違いして、とんでもない騒動を起こしていたな……)


「まったく」と浅間は口元を緩めた。

 剣術も術式もからきしで弱いくせに、《役割》を引き受けた本当に愚かな弟子。


(いつ買ったのかついぞ思い出せなかったのは、俺も封印術式の影響を知らない間に受けていたということか)


 随分と燈の傍にいたのだと、浅間は改めて気づかされた。彼の表情の差異さいに《荒御魂》は手を止め、声をかける。


「「本当に……俺は変わったんだな」」


「なに、お節介な馬鹿弟子が、たまたま答えに気付かせてくれただけだ」


「「そうかい、オレは壊すだけだ。厄災、破滅、わざわいもたらす。この世界を愛しているからこそ壊す。愛おしいから自分のモノだという確かな手ごたえを刹那に得るために、終わらせる」」


「そうか。……俺もこの世界が嫌いじゃない。馬鹿な奴らしかいないがな。だから、仕方なく、守ってやるだけだ。……そのためにもオレをここで逃すわけにはいかない」


 元々は同じモノだった。神としての側面を失った《現人神》と、厄災を押し付けられた《荒御魂》は同時に大地をった。


 剣戟が互いを貫く──否、刃に貫かれたのは浅間だけだ。

 木下と草薙の二人と浅間の鍔迫つばぜり合いは、数の理を得た《荒御魂》が優勢だった。さばききれず刃が浅間の体を切り結ぶ。

 前からは袈裟懸けさがけに斬り裂かれ──背後から心臓を貫かれる。


「ぐっ……はっ……」


 鮮血が飛び散り、傷口から赤黒い血が大地を濡らす。

 本来ならば致命傷を負い、決着となる──だが浅間は踏み止まり、乱撃を繰り出した。


「「無駄、無駄。数千年前も、今も、俺はオレを殺せない。あの時も自分の子依代は殺せなかったんだからな」」

 

 浅間の一撃は空を切り、二人にかすりもしなかった。

 勝負あり。そう《荒御魂》が判断し、大きく振りかぶり刃を掲げた刹那──


迅雷じんらい


 強烈な一撃が下段からほとばしる。


「「なっ──!?」」


 少年と美女はその剣圧に押され後方に下がった。それにより攻撃を回避した──はずだった。

 浅間は今まで溜めていた雷電を刃に乗せ、その繰り出された一撃は凄まじい火力をともなぜた。


「……ああ、今更だが草薙を連れてきたのは


「「なに……を?」」


「これでチェックメイトだ」


 数千、数万の剣戟が今になってようやく発動し、二人の甲冑だけを切り結ぶ。その神々こうごうしくも凄まじい光は結界内を包み込んだ。

 浅間は手にしている刀を《荒御魂》に改めて見せた。それは一振りの刀だったが、本来の姿を現す。


「「まさか──その刀は……」」


 その名は六叉ろくさほこ。またの名を七支刀しちしとう石上神宮いそのかみじんぐうに奉納されている神代の。その由来と使い道は早くに忘れ去られ、その年のはじめての稲を植える儀式に、神を降ろす祭具とされていた。

 

 この剣本来の使い道。それはいかなる邪気、禍、災厄をはらい清める──《退魔の刃》。

 《荒御魂》──荒ぶる神をしずめる為の祭具。

 木下と草薙の体が宙に舞う。すでに漆黒の甲冑は粉々に砕け──周囲に蔓延まんえんしていた黒い霧も浅間の剣圧で、かき消えた。

 かつて神はわざわいと恵みを共にもたらした。ゆえに人々は祀り崇めその奉納として、剣舞を捧げた。禍の神を福の神に戻すための儀式──それを浅間は操られた草薙を利用して再現したのだ。


「草薙は稀に見ぬ剣術の達人。であれば、《荒御魂》が憑依する器として選ぶと踏んだ」


「「……だから、わざと実力が拮抗きっこうしているかのように……手を抜いていたのか」」


「ああ。祭具六叉の鉾剣舞舞う人間より儀式を完成させるためにな」


「「があああ……全部……読み通り……か……」」


 二人はアスファルトではなく、庭園の刈り取られたツツジの上に崩れ落ちた。


「ぐっ……」


 浅間は片膝を突き、荒い息を吐いた。


(流石に血を流し過ぎたか……)


 体から吹き上がる湯気は弱々しく、完全回復にはだいぶ時間がかかりそうだった。

 浅間はくたびれた体を壁に預けた。先ほど張り巡らせた稲妻の結界は継続している。これを解除するにしても、今暫くは体力の回復を待たなければならなかった。そして──


──現人神の負けだ。《退魔の刃》は、《物怪》なら退治も出来るだろうが……、神を殺すなら《神殺しの刃》でなければ死ねない。もしくは憑依した人間ごと斬り捨てるかのどちらかしかなかったというのに……──


 《荒御魂》は憑代を失い、黒々とした影となって木下と草薙から離れた。水溜りほどの影から白い鬼の面が顔を出す。五つの角と、十五の瞳がギョロリと動き浅間を睨んだ。


「ああ。そうだな……《十握剣とつかのつるぎ》、《草薙剣くさなぎのつるぎ》ぐらいではないと俺たちをほふれない」


 浅間は全てを承知した上で、《退魔の刃》──六叉ろくさほこを選んだと断言する。その姿を見て《荒御魂》は怪訝けげんそうに自分の半身を見上げた。


──……理解できない。本当にオレを殺すつもりだったのか?──


「ああ、殺すさ。……今度こそ逃さない様に、な。だが、何事にも準備というものは必要だ」


 浅間は壁に寄りかかったまま、ずるずると座り込んだ。眼前にある水溜り──《荒御魂》の影に手を置いた。

 水溜りに手を突っ込んだように黒い塊が跳ね、その漆黒にも似た闇が浅間の体の中に紋様もんようとなって現れる。


──!? ……チッ、それが目的か──


「だから言っただろう。今度は逃さんと。あの時は、俺の息子をそそのかしたのだからな」


 神と鬼は一つだった。神でもあり、厄災でもあった。二面性を持った存在を人間は勝手に別解釈を付け、異なるものとして別けた。

 その結果──

 数千年前、《荒御魂》は最愛の妻を殺した。愛していたからこそ、真っ先に命を奪った。それがその半神のもつ唯一の愛情表現だから。

 《現人神》は愛する者を失って初めて、悲しみと愛おしさを自覚する。看取った時、腹の子は全てを見ていた。

 見ていて選んだのだ。父親への復讐を──


──ハッ、あのガキが勝手に望んだだけだ。だから手を貸してやった──


「……そう言って憑代にした癖に、逆に力を利用されていては世話がない」


 水溜りの仮面が闇に溶けて沈んでいく。けれどそれは何処か満足気でもあった。


──よく言うだろう。ガキは父親を越えるもんだ──


「苦し紛れの言い訳だな。ガキが道を踏み外す前に、全力でぶつかりあって止めるのが父親だろうが」


 数千年前、《現人神》は己が息子を殺すことでしか救えなかった。その後、転生を繰り返した魂は、同じことを繰り返し──《現人神》はそのたびに間に合わず、失敗ばかりを繰り返してきた。

 だが、今回は──今回だけは間に合った。

 気を失っている木下馨一を見やって、浅間は安堵の吐息といきを漏らす。


沙羅紗さらさ……。お前との約束、守ったぞ……」


 浅間は重たげなまぶたをそっと閉じた。

 彼は墨色の紋様を片腕──手の甲のみに集約させ封じ込んだ。二匹の白と黒の蛇が複雑に絡み合った紋章があざとなって肌ににじんだ。そしてそれは呪詛のようにじわりじわりと浅間の体を侵食していく。


 本来、《荒御魂》を人の身に宿せば、肉体が耐えられない。故に、《荒御魂》本体は木下の影の奥に潜み取り憑いていたのだ。それが長い年月をかけて、少年の魂に染み付き《禍い》を引き寄せ周囲を狂わせる原因となった。復讐──強すぎる想いが消えるまで少年の魂は、何度転生しても周囲を不幸にする。

 その長い、長い悪夢が終わりを告げた。あとは少年の魂次第だ。


(何だかんだで、木下の肉体と魂に負荷がかからないように、取り憑いていたとは……オレ荒御魂も本当に甘い)


 浅間との死闘を演じる上で、《荒御魂》が顕現けんげんする際、肉体の負荷を考え、適性のある草薙と木下の二人同時に憑依することで負担を分散させていたのだ。


──で、どうするんだ? このままオレと完全に同期すれば、単に《武神》に戻るだけだぞ──


 体内に取り込まれた《荒御魂》の声は、浅間の脳裏に直接流れ込んで来た。しかし彼は目を閉じたまま、心の内で言葉を返す。


(……だから、言っただろう。これはオレを逃がさないためだ。そして俺は死ぬ)


──馬鹿も休み休み言え。は、戦いによる死だ。自殺も、自決も、自害も許されない。その上で言っているのか?──


 浅間は唇から零れ落ちた血をそのままにして、笑った。

 あの幼い子供がなぜ自分に弟子入りしたのか、そしてそれを受け入れたその理由を思い出した。少女とある《約束》をしたのだ。


(……馬鹿弟子の……次の試練としては、ちょうどいいだろう)


 浅間はそう小さく呟くと、意識を手放した。


 ***


 浅間龍我と木下馨一の戦いが終わっても《物怪》たちは消えず、また異界も展開されたままだ。

 なぜなら《異界》を引き寄せたのは、《ぬえ》なのだから──


 燈は夢を通じて、《鵺》となった少女たちの心に触れる。

 以前の《第一級特異点》は、無意識化の中で形成された空間だったが、今回は《鵺》を形成した少女たちの集合した──空間に飛び込んだ。

 そう、飛び込んだはずなのだが──


 視界に飛び込んできたのは、整理整頓された綺麗な部屋だった。2LDの広々としたリビングに女子高生が五人と、蒼崎匠の姿があった。

 その雰囲気は明るく、燈が想像していた展開とはまったくもって異なっていた。


「それじゃあ、この問題を解いて行こうか」

「はい」

「蒼崎さん、ここがわかりません」

「あ、ずるいわ」

「私だってこの公式が……」


(……なに、この空間……)


 凄惨せいさんただれた記憶を見るかもしれないと、覚悟していた燈は目の前の光景に目が点になった。


(……普通に勉強をしている)


 賑やかな感じはあるが、それでも皆の関係は悪くない。


「え、どういうこと?」

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