第44話 もう一つの真実

 ともりは眉をひそめた。

 少女が想像していたよりも、《自称ファンクラブ》と蒼崎匠あおざきたくみとの関係は良好なようだった。「恋人は自分たちだ」と言うよりは、兄のように慕っている印象が強い。


「今日はみんなの成績が上がったから、お菓子を持ってきたんだ」

「わあ、私このお店好きなの」

「わたしも、わたしも! ショコラも美味しいし、ケーキも好き」

「ほら、みなさん。紅茶を淹れたので手伝ってください」


「……わかっている……一之瀬」


 その名前に燈は目を見開いた。二つの事件に関わっていた少女。大人っぽく、その立ち姿は可憐かれんで草薙とはまた違った優雅ゆうがさがあった。


 燈が一之瀬いちのせに手を伸ばした瞬間──それは泡沫うたかたとなって消えて、変わりに別の映像がつむがれる。

 それはとあるカフェの一角。

 白と黒のチェス盤をモチーフにしたお洒落なカフェだった。

 着物と袴姿の彼女たちは十数人ほどおり、何やら白熱はくねつした議論を展開させていた。先ほど見た映像よりも彼女らは少しばかり幼い。服装も学校から支給された新品のようで、おそらくみな高校入学の頃なのだろう。


「いいですか。私たちは蒼崎匠さまのファンクラブ。ルールをおもんじ、あの方に迷惑をかけないこと」


「サー・イエッサー」


 訓練された軍隊並みに声がそろっており、素晴らしい統率力だった。


「声が大きい。お店の人に迷惑はかけてはいけません」


「……一之瀬。今日、あ、集まったというのは?」


 少しどもる癖があるのか、口調はたどたどしい。おずおずと挙手するのはツインテールの少女だ。前髪が長く、瞳は隠れて見えない。おどおどしていたが、この場に怯えているというよりは、緊張しやすい性格なのかもしれない。


「我がファンクラブも人数が増えたので、今後の方針を固める為に、みなに声をかけました。……そう、蒼崎匠さまに恋人が出来た場合の対応です」


 燈は表情をきびしく彼女たちを見つめた。

 何を言い出すのか、その言葉をじっと待ったのだが──


「恋人が毎晩一緒に過ごせない場合、私たちがサポートをして家庭教師の仕事を入れるようにしましょう!」


「……さ、賛成。じゃあ、部屋より……、えっと……公共施設を、借り受けるのは……、どうかな?」


「そうね。恋人に変な誤解させないように気遣きづかいも必要よね」


 燈は思わず、ずっこけた。


「嘘でしょ!?」


 思わず大声を上げてしまった。彼女たちは本当に、心の底から蒼崎匠を大切に、そして敬っていた。

 燈が知っている《自称ファンクラブ》は陰湿で、狡猾こうかつで暴力的──

 そこである見落としに気付く。

 あの少年木下馨一が傍に居るだけで、全てを狂わせ、腐らせ、終わらせる。

 だとしたら……、本来の彼女たちは──


 どろり、と頭上から何かが落ちてきた。


「ん? わっ……!」


 それは黒くどろかたまりよりも禍々まがまがしく強烈な異臭を放っていた。泥は天井一帯に広がり、カフェが黒い泥の塊に侵食されていく。

 大切な想いも、眩しい過去も、優しい時間も全てが黒に上書きされてしまう。

 しかし《自称ファンクラブ》の少女たちは、周囲の変化に気づいていなかった。和やかな雰囲気で談笑を続けている。


(最初は、善意からだったとしたら、いつからその想いは、願いは傾いてしまったの?)


 燈は胸が軋むように痛んだ。

 狂気をまき散らす少年と出会っていなければ、こうはならなかったのだろうか。そう少女は想わずにはいられなかった。


「あなた達、……早く逃げないと……!」


 燈の言葉にそれまで笑い合っていた女子生徒たちの空気が一変した。一斉に燈に振り替えると、みな猿の仮面を付け──泡沫となって姿が消えた。

 否、泥の塊に飲み込まれてしまう。


「これは……あの時と同じ──」


「ええ、《第一級特異点》と似たモノです」


「うん、それそれ………!?」


 燈はハッと違和感に気付き、慌てて振り返ると──

 白銀の靡く髪、陶器のように白い肌、整った鼻筋に酸漿色ほおずきいろ双眸そうぼう、白を基調とした和装に身を包んだ──偉丈夫が、少女のに佇んでいた。


「!?」


「また会いましたね」


「か、神様ぁああ!?」と突然の登場に燈は悲鳴に近い声を上げた。


(全然、気づかなかった!)


「……敵の術中にいるというのに、相変わらず呑気のんきですね」


 再会早々、龍神の皮肉に対して、燈は頬をふくらませた。


「むっ、神様は……、ここで何しているんですか?」


「決まっているでしょう。私の《役割》を果たしに来たのです」


 ジト目で睨む少女の眼差しを無視して、龍神は手をかざす。


春雷しゅんらい


 刹那、頭上から落ちてきた泥の塊が光の粒子となって掻き消えた。あまりにも眩い煌めきと光の残滓が薄紅色の花火──いや、花びらとなって散る。

 まるで舞踊のような洗練された動きに、燈は思わず見惚れてしまった。


(すごい……。一瞬で空間の雰囲気まで変えた!?)


 圧倒的な力によって泥は消え去った。


「……固まってどうしたのですか?」


「えっと……本当に神様なんだな……って思って」


「馬鹿にして──」


「ううん、すごく綺麗だった!」


 燈の言葉に龍神は表情が凍りつき固まった。


(ん? 変なことでも言ったかな?)と、少女は少し不安になり、龍神の顔を覗き込んだ。


(あ、本当に目が赤い。それに目鼻立ちが整っているし……ん? 誰かに……似てる?)


 燈は誰に似ていたのか思い出そうとしたが、耳をつんざくような声にかき消された。


「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!」


 その凄まじい声に反応して、空間が歪んだ。

 カフェだった空間が変して、夜の街並みに変わった。暗く沈んだ高層ビルが墓標のようにそびえ建つ。周囲の街灯は薄暗く、陰惨いんさんな空気に早変わりした。

 新宿駅──都庁前に似てはいるが乱雑な喧騒ビルが不規則に並び立ち、以前見た第一級特異点と同じように、広告等や看板の文字は全て逆さまだった。


「嗚呼嗚呼嗚呼!」


 咆哮ほうこうを放ち、ビル三階よりも巨大な獣が闇より顕現する。道路に転がる車を押しのける《物怪》は──アヤカシ《ぬえ》だ。《猿》の顔、《虎》の胴体と四肢、《蛇》の尾──


「これが《鵺》の本体!?」


「ええ。彼女たちを退治すれば、現世の一部を取り込んだ異界は崩れるでしょう」


「……うん」


 燈は生唾を飲み込んだ。地響きが近づき殺意が少女に降り注ぐ。


(倒すんじゃなくて、心の闇をすくい上げる。……出来るはずだ。現実で式神やノイン、ヤマツチが頑張っているんだ……私だって……)


 ふと燈は《退魔の刃》を手に抱えていることに気付く。この空間が歪んだ時に、何かを感じ取ったのか刀自身が勝手に現れたようだった。


「さて、どうするのですか?」


 龍神は迫り来る《鵺》に見向きもせず、燈に視線を向ける。しかし少女は鵺と──妙な影に気付き、彼の言葉が耳に入っていなかった。


(……生き物? 小さいけど……猫とかかな?)


「キュィイイイイイイ……!!」


 妙な鳴き声を上げる小さな影は、鵺に踏みつぶされない様に必死で逃げている。五〇センチほどの猫に似た動物はずんぐりした体形で、足と尾も長い。灰褐色で、目の周りと足先は黒っぽくなっている──


「え、あ……ううんと、神様。あれって、タヌキですかね?」


「………ええ、そのようです」


 龍神の返答を聞いた瞬間、燈は《鵺》に向かって駆け出した。驚いたのは彼だった。少女の唐突な行動に目が眩みかけた。


「姫、なにを……」


(もし間違いなくタヌキなら《鵺》をはらう鍵になるはず……!)


 燈はアスファルトを力強く蹴って駆けた。


「嗚呼嗚呼嗚呼ァア!」


 《鵺》に近づくにつれその威圧感に身が震えそうになる。一歩でも躊躇すれば、足はその場に縫いとめられてしまうだろう。だからこそ燈は、そうなるまいと気迫きはくで跳ね返す。

 刹那、燈の背後に居るモノりゅうじんの威圧に《鵺》は怯んだ。


(今なら……!)


「きゅぃいいっ……」


 燈の目の前に迫る《鵺》は、赤い顔の猿で醜悪しゅうあく双眸そうぼうをしていた。少女は咆哮に体が震えるが、狸を救わんと迷わずに飛び込み、抱きかかえる。


(よし、キャッチできた! あとは……)


 燈は式神に合図を出そうとして、ここに来ていないことに気付く。


「あ」


「きゅ?」


「あああああああ!」


 悲鳴を上げる燈に、《鵺》はえさが自分から飛び込んできたと、にんまり笑った。猿の顔は大きな口を開けて、一人と一匹を飲み込んだ。

























 ──はずだった。


「なぜこうも貴方は蛮勇ばんゆうなのですか」


 燈のすぐ傍で手厳しい声が降り落ちた。

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