第40話 絶望からの一手

 《物怪》が、顕現けんげんする。それは平家物語に登場した怪物──猿の顔、虎の胴体と手足を持ち、尾は蛇の頭。

 黒い霧より《鵺》が不吉な声をあげて、少年の前に姿を見せた。


────オオオオオン


 咆哮ほうこうによって校庭の砂埃が吹き荒れる。


「くっ……」


「うわわわ……目が……」


 ノインと燈は視界を遮られ、苦悶の声を上げる。突如現れた《鵺》──いや、それだけではない。学校の敷地内に満ち満ちた黒い霧から様々な《物怪》が姿を現す。


 校舎の頭上に白々とした巨大な骨。ガチガチと音を立てて彷徨い出でる巨大な骸骨は、優に五十メートルを超えた──《かしゃどくろ》。

 同じく霧から姿を見せたのは怪鳥。その姿は茶わんや反物、書物などの諸道具が寄せ集まって生まれ、「甚だ哀れ」と奇怪な声を上げる。全長三十メートル、巨大な鳥が校舎の頭上に現れる──アヤカシの名は、難儀鳥──《以津真天いつまで》。

 黒い霧はいつの間にか空を厚く覆い隠し、学校敷地内をより薄暗く圧迫した空間へと変わる。燈はジェットコースター並みの移動にぐったりしていたが、視界に広がる《物怪》の数に震え慄いた。


(これ全部、《物怪》……?)


「《心の友その壱》は、試作機〇五四ヤマツチに騎乗したままでいること」


 ノインはいつも通り平坦な口調で燈に指示を出す。だが、それには従えなかった。


(あの腕……。爆破の瞬間、私をかばったからだ)


 更衣室の爆発の時──非常口から歩行戦車に騎乗したノインが現われ、燈を担ぐとそのまま室内プールから飛び出し、危機一髪で爆破を免れたのだ。もっとも爆破と空中離脱によってジェットコースター並みの体感を味わうことになったのだが……。


「ノイン、その腕……」


「気にするな。俺の場合、挿げ替え可能だ。痛覚もカットしている、なにも問題は──」


「あるよ。そんな戦い方をしたら駄目だ……!」


 燈は胸の奥に、ズキンと鈍い痛みが走った。

「それでは駄目だ」と、心が悲鳴を上げた。その戦い方は誰も喜ばない。なぜなら自身が傷つくことによって悲しむ人がいる──


 ──本当に……。本当に貴女は無茶ばかりする──


 ──いや、まあ、某が言うのもなんだが……もう少し自分の体を大事にすべきだぞ──


 ズキン、と燈は後頭部に激しい痛みが生じた。封じられた術式の影響だろうか。

 次の瞬間、酷い眠気に襲われるが──燈は歯を食いしばって耐えた。ここで倒れれば、それこそノインの負担は大きくなる。


「俺の優先事項は《心の友その壱》の生還にある。俺が倒されても、浅間龍我がここにたどり着くまで時間を稼げば、こちらの勝利だ」


「ノイン……!」


 歩行戦車から降りると、ベレッタM92の照準を少年に向けたままだ。どう考えても拳銃一つで乗り切れる訳がない。


「ヤマツチ。最優先事項は《心の友その壱》──秋月燈の保護だ」


『あいあい。お前さんがそれで良いんなら、俺は俺の仕事をするだけさね』


 突如、歩行戦車のライトが点滅して反応を見せた。

 それにギョッとしたのは燈と、少年だった。


「戦車が喋った!? 嘘!? もしかして人工知能? AI?」

「この気配……アヤカシを憑依させているのですか?」


 双方とも全く異なる反応を見せ、沈黙が流れた。


「…………」


 ノインは二人の問いに応えず、懐から手榴弾を取り出し──ピンを抜いて巨大な《鵺》に向かって投げつけた。

 轟音と閃光が膠着状態をぶち壊し、一瞬にして校庭を戦場へと変えた。黒と灰色の爆煙が吹き荒れる中、《鵺》は悲鳴を上げてよろける。その隙にノインとヤマツチが校舎の真ん中へと移動を開始する。

 燈は歩行戦車の取っ手につかまったまま根性でツッコむ。


「ちょ、ちょっとおおおお!? ノイン!」


「どうした?」


「なんであの少年と対話で時間を稼がなかったの!? 向こうは戦力的にも余裕があるんだから、そう思わせておきながら情報を引き出せばよかったのに!」


「その作戦は悪手だ」


『ああ、そいつは無謀ってもんだぜ、お嬢ちゃん。なにせ相手は《荒御霊あらみたま》が憑いている人間だ。近くにいれば……。いや、言葉を交わし続ければ、相手の狂気に呑まれるぞ』


(荒御霊……? 狂気に呑まれる?)


 燈は聞きなれない単語に眉をひそめた。

 だが、ノインもヤマツチも言葉を補足する気はない。今はそんな余裕がないのだろう。


『まあ、見てろって!』


 歩行戦車ヤマツチは陽気な声で自信満々に告げると──燈の体に負担をかけないよう足の裏についているタイヤで移動を開始する。その速度は五十キロ前後。ヤマツチは流れる様な滑りで《物怪》たちを引き離す。

 しかし上空から怪鳥とかしゃどくろ。すぐ後ろには鵺が張り付いている。


──キィエエエエエエィ──


 鵺は心臓に悪い悲鳴を上げて肉薄する。

 歩行戦車ヤマツチはぐるぐると校庭を一周するように逃走──攻撃はギリギリで避けているが、その運転は酷く荒い。


「うううっ……」


 燈は重力加速になんとか耐える。浅間が到着するまでとはいえ、いつまで逃げ切れるか分からない。

 かしゃどくろに、以津真天、鵺──圧倒的な戦力差を前に歩行戦車一つでは、押し潰されて終わりだ。


(浅間さんが足止めをされて遅れる場合……。ううん、最悪この場に来られないことも考えてどうすべきか考えないと)


 燈はこの場を切り抜け方法を熟考するが、そんな少女に呑気な声が降ってきた。


『大丈夫だぜ、嬢ちゃん。手ならもう打ってある』


 かしゃどくろの巨大な骨の手が燈たちに襲い──

 以津真天は翼をはためかせ、巨大な爪がすぐ傍に──

 鵺は爆破の痛みに激昂し、勢いに任せて突っ込んでくる──

 殺気と迫りくる危機に燈は目を見開く。あまりにも絶望的な状況だというのに、少女の顔に恐怖の色はない。燈の脳裏に一瞬だけ映像が過った。

 紅焔こうえんに包まれた世界。

 殺意も威圧感も、絶望もその時に比べれば全然足りない──


「…………」


 三方向同時による襲撃。

 本来であればその一撃で終っていたであろう。だが、そうはならなかった。

 

 キィン、と高い音がいくつも重なり響いた。


 それと同時にかしゃどくろ、怪鳥、鵺がその場で凍り付いている──否、不可視の何かが《物怪》たちの動きを完全に封じた。


「え……?」


 燈は目の前で起こった出来事を理解するのに、数秒ほどかかった。よく見ると周囲に細い糸のようなものがキラリと光る。だが、それだけで巨大な《物怪》の動きを封じられるだろうか──少女はそう思った。


『俺は牛鬼ぎゅうきのアヤカシだからな。『百怪図巻』なんかだと牛の首をもち蜘蛛の胴体を持っている姿で描かれることが多い。つまりは糸が特性として使える』


「ヤマツチが使用している糸は軍服と同じ素材。耐圧繊維で生成された糸は一本で一トンの重量を吊り上げるだけの耐久性を持つ。逃げ惑う間にこの校庭を中心に約一九八五七九三四本の糸が蜘蛛の巣の如く張り巡らせていたということだ」


『でかくなったって事は、的に当てやすいからな』


 その巨大さが仇となったのか、糸で雁字搦がんじがらめに捕えられた怪鳥、かしゃどくろ、鵺は身悶えるが体は全く動かなかった。


「だから旋回しながら逃げていたんだ……。でも物理攻撃が効くなんて……」


「この空間が《異界》に飲まれていることが大きいが、それでも《特別災害対策会議・大和》が使用している重火器は全て《対物怪》専用に作られている」


『そういうこと。それじゃあ、派手に行くぜ!』


 歩行戦車は、搭載されたミサイルを一斉に解き放つ。

 目標物は《物怪》たちだ。

 それぞれに集中砲火させる。間断なく爆炎と轟音が降り注ぎ、燈はおもわず両手で耳をふさいだ。爆発物の中に白銀の粒子が舞い散る。それは《物怪》に付着すると酸のように形が崩れた。


──ガアアアアア──


 《物怪》たちは悲鳴を上げて黒い霧の中に姿を潜ませた。


「試作品〇三八。《対物怪用》ミサイル──微弱だが護符と同じ効果を粒子単にして範囲に散りばめる物だ。人に害はない」


(すごい……。ここまで《物怪》対策を行っていたなんて……)


 幻想的な白銀色の粒子が雨のように降り注ぐ中──


「驚いたな」


 黒々とした霧を身にまとった少年は燈たちの前に姿を見せる。深淵を背負ったかのような闇の深さに、燈は生唾を飲み込んだ。


「まさか兵器にアヤカシを憑依させるなんてね。それはキミが考案したものかな?」


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