第39話 舞台は過激で凄惨に

 浅間あさまの手には弓も矢もないのに、廊下の窓に写る姿はまごうことなき弓と矢を手にしていた。

 一気に空気が張り詰め、周囲の窓ガラスがキシキシと悲鳴を上げる。


「問おう。貴様らはアヤカシ──《のっぺらぼう》か。それとも《ぬっぺっぽう》《のっぺら坊》……さらに古い《混沌こんとん》か?」


 《物怪もっけ》──肉塊にくかいからの返答はない。


「《のっぺらぼう》は目鼻、口のない顔で人を驚かせる妖怪とされたが、その象徴は顔という自分の心を忘れた《自我》に起因する」


 浅間の言葉に反応し、光の矢が生み出されていく。それは言の葉による力──《物怪》の正体を看破することによって、破邪の力を数段引き上げる。


 ──キキキッ……!──


 校舎内に蔓延まんえんしていた黒い霧が悲鳴を上げてすみへと逃げ惑う。

 対して肉塊はぶるぶると大気の震えが伝わり──本能的に危険を察知したのか、浅間に向かって一斉に床を蹴って飛び掛かる。


「《ぬっぺっぽう》または《のっぺらぼう》は、肉塊そのものであり、人の形はしていない。個である《己の形を忘れた者たち》だ」


 膨れ上がる光の矢に──否、浅間の放つ威光いこうに当てられ、全ての肉塊は床に転がり落ちた。

 べちゃ、ぐちゃ、と気味の悪い音が響き、ぶるぶると、またうごめく。一メートルを超える肉塊は、緩慢かんまんな動きで浅間に近寄ろうとするが、その前に浅間は仕上げに取り掛かる。


「そして中国の妖怪である《渾沌こんとん》は目、耳、鼻、口と七つの穴がなかった。また顔もない肉の塊、あやふやなモノという意味を込めて《》という名でも呼ばれた。しかし貴様らには六つの脚も、翼もない。故に形となった因縁は《自身への無関心》」


 琴をき鳴らしたように弓のげんが音色を奏でる。


破邪はじゃげん


 引き絞られた弦を解き放した瞬間──超高濃度に圧縮された光の矢が具現化し、校舎内を明るく照らす。


「ふぁあっ……!」


 草薙は吹き荒れる強風に、自分の髪とスカートを抑える。

 

 瞬く光は太陽の如く煌めき、校舎内全てを包み込んだ。

 それと同時に肉塊が消え失せ──代わりに数十人の生徒や職員が床に転がり落ちる。外傷はなく、みな気を失って昏倒しており、黒い痣も消え失せていた。

 光の残滓ざんしが宙を舞う中で、浅間のロングコートがなびく。


「ふう。こんなところか」


 浅間は一呼吸置くと首元のボタンを一つ外した。

 その刹那──浅間の左腕がから裂け──血飛沫が周囲を赤く染めた。

 きぃん、と甲高い音と共に左腕の数珠が廊下に散らばった。


「室長!?」


狼狽うろたえるな。……なるほど、そういうカラクリか」


 上質な軍服は二の腕まで一緒に切り刻まれ、傷口からは深紅の血がたれ流れていた。慌てる草薙とは対照的に当の本人は涼しげな顔で廊下を闊歩かっぽする。すでに腕から湯気が発生し、。元々浅間は人間ではない。この程度の傷など毛ほども気にしなかった。


(……術を使いその力が強大であれば、その分だけ自身に跳ね返る。だが土地神の力を借りた索敵には反応していない。《物怪》の掃討と結界のみ発動するものか? いや、先ほどの一撃は術式と関係ない。だとすると俺の場合、対象範囲を拡大するために数珠による増幅をかけた。それが術式とみなされた……?)


 おそらく校舎にあった魔女の血痕は《物怪》と対峙したからではなく、結界術式を発動したことによる反動。稀代の魔女と謳われた者ならば、致命傷にも近い傷を負っただろう。

 もはやこの《異界》は人為的に作られたとみて間違いなかった。それも《物怪》を掃討する者が自滅する術式まで組み込んでいる。


「となると、まずい」


 浅間はすぐにトランシーバーで出羽班に連絡を取る。結界はもちろん術式の使用禁止を改めて命じ、代わりにありったけの護符を使用することを許可する。

 圏外であろうと浅間の使用している特別製のトランシーバーは、半径二キロ圏内であれば通信可能だった。次いでノインに連絡を入れるが、交戦中なのか応答がない。


(このやり口、そして大規模な術式とセンスは、アイツの息子で間違いないな)


 浅間は自己修復しつつある腕を見返す。傷は内側から暴発していたせいか治りが少しばかり遅い。それは《物怪》となった人間が爆ぜるのに似通っていたことを思い出す。


「急ぐぞ」


「了解です」


 廊下の突き当りに見える目的地──室内プールがあった場所に、浅間と草薙が辿り着く。瓦礫がれきと煙が立ち上る中、黒い霧が密集し──空間が歪んだ。


 ***


 時は室内プールの爆破直後に戻る──

 建造物は凄まじい爆発によって、一瞬にして瓦礫の山と化した。プールだった場所には泥水が広がり、周囲には水蒸気が吹き上がる。散在する瓦礫の山は、爆破の凄まじさを物語っていた。


「ふぅー」


 そんな中、瓦礫の上に佇む人影が一つ。少年は砂利音を立てながら、周囲を見渡す。

 彼は黒の学生服姿で、中肉中背、童顔で瞳も猫のように大きい。パッと見れば中学生に見えるのだが、纏っている雰囲気は大人びていた。その黒く濡れたような髪が風によって揺れる。


「うん、術式は正常に作動している。人為的に人間の内側から《異界》を作り出すのも、《物怪》を生み出すのもこれで完成かな」


 少年は懐から黒い手帳を取り出すと、すらすらとペンを走らせた。


「それにあの男への呪怨もちゃんと機能している。うんうん、上々。まあ、でもさすがに致命傷まではいかないか。うーん、あの男以外に術式を使って死にかけている子がいるけど、気配がなくなっちゃったし……。残念だな。サンプルとして持ち帰りたかったんだけど……ン?」


「……ゃああああああああ!!」


 突如、上空から歩行戦車が校庭に凄まじい音を立てて着地をする。履帯やタイヤではなく、六本の脚をもち、歩行によって移動する装甲戦闘車両──試作機〇五四ヤマツチ。牛鬼をモデルとした迷彩色の機体は、全長三メートル。両ひざに装備した対戦車用ミサイル、両腕部の機銃、頭部口腔内に内蔵した水圧カッター、背部には人が一人外付けにしがみつける手すりが装備されている。

 その手すりに救助用のベルトを巻きつけ、身体を固定していたのは燈とノインだった。もっとも燈の負担を減らすため、ノインが彼女の体を支えている。


「脱出および《心の友その壱》の回収、完了コンプリート


 ノインはベルトを外すと、機体に乗ったまま少年と対峙する。一方、燈と言うと……。


「うう……き、気持ちわるい……」


 燈は眉間にしわを寄せながら吐き気を我慢して、歩行戦車に寄りかかっていた。少女に目立った外傷はなく、無傷に近かった。その代りノインの左腕はひしゃげ、人工血液が滴り落ちていた。本来であれば激痛で起き上がることも困難だろう。しかし痛覚が遮断されているのかノインに苦悶くもんの表情はない。


「うわ、かっこいい。回収完了──いいね、一度ボクもそんな風に誰かを救ってみたいよ」


 学生服姿の少年は心の底からノインに羨望の眼差しを向ける。対してノインは手すりから右手を放し──腰のホルスターから銃を取り出す。ベレッタM92の照準は少年に向けられた。


「浅間龍我の読み通り、《クロガミ怪奇殺人事件》と《白霧神隠失踪事件》を起こした黒幕で間違いないな。投降を推奨する」


 銃口を向けられてなお少年は身構えることなく佇んでいた。徐々に黒い霧が彼の周辺に密集していく。ノインは威嚇のために銃弾を撃ち込むが、霧の密度は増し、銃声がむなしく響いた。


「投降? キミはこれを見ても同じことが言えるのかな?」


 咆哮ほうこう──

 それは不吉な悲鳴にも似た声が上がった。

 少年の前に黒い霧が密集し──その深淵から──十メートルを超える怪物が姿を現した。

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