第33話 呪いの手紙


 《黒い手紙》のオマジナイ。《クロガミ怪奇殺人事件》の現場──始司零奈もとしれなの遺体の下に《黒い手紙》が大量にあったという。

 この情報は杏花きょうかの双子の妹であるかえでから聞いていた。その時、ともりが思ったのは、オマジナイだということ。

 手紙に書く内容は《願い》だ。だが、その願いは自分の幸福であり、誰かにとっては不幸に繋がるのだとすれば──


「それじゃあ、願いじゃなくて《呪いの手紙》じゃない……」


 燈の言葉に、杏花は首肯しゅこうする。


「ええ。……この手のまじないは知識がなくても、大量の手紙悪意があることによってまれに発動する事があるのです」


 杏花の話では《黒い手紙》の束は、校舎内の各準備室や物置など、普段から人目に付き辛い場所を意図的に選んで配置されているという。


「このままでは冥界と現世を隔てている境界が揺らぎ、その狭間はざまである《異界》が校舎内を侵食しんしょくします」


「し、侵食!?」


「《異界》に侵食された空間は、現世に干渉することが可能になります。そしてその場合、一瞬で人間を《異界》に引き込むのです」


 杏花は苦々しそうに顔を歪めた。燈は彼女からの話を聞いて、ふとある事に気づく。


「……もしかして、《白霧神隠失踪事件》で《神隠者かみいんじゃ》として消えた人たちは《異界》に、引き込まれた? ……ううん、《クロガミ怪奇殺人事件》の現場を考慮こうりょすると、誰かが意図的に《異界》を作り出そうとした?」


「そう考えると《クロガミ怪奇殺人事件》は、オマジナイで《異界》を引き寄せられるか実験して、ある程度成果が得られた。だから次に《白霧神隠失踪事件》を起こして結果の裏付けをとった……とも考えられるのです。その考え自体は悪魔的な発想と言えるのですが……」


 ゴールデンウィークに学校を訪れる生徒は少ないし、部活動をしに来た生徒に交じって校舎内に入ることは可能だ。

 杏花は連休明けに、よどんだ空気に気付いたそうだ。黒い手紙を処理し、ヨクナイモノを散らしても、日に日に《黒い手紙》の設置場所は増えていったという。

 その数は百を超えるまで膨れ上がった。

 さらに《黒い手紙》は束ではなく一通ごとと、より細かく校舎内に配置されるようになった。これではきりがない。数の利を生かした戦術やり口に燈は寒気を覚えた。

 自分たちの幸福の為に、関係ない人たちまで巻き込む。この戦術を考えた人間は常軌じょうきいっしているが、燈は実際に行動に移す人たちの方が恐ろしく思えた。


「本来、ヨクナイモノが一か所に集まらないように、私たちの様な者が意図的に散らす事はしていました。しかし、これはその逆……」


 この世界において、ヨクナイモノや《物怪》は消えない。それは人間が生き続ける限り存在する。

「《物怪》の対処を行うのも人の領分だ」と、あの神様なら涼しげな顔で言うだろう。


「この状況を何とかする為にも、《役割》を請け負い、折り合いをつける必要がある……。それは気づいた人が行わなきゃダメってことなんでしょ……」


 杏花は少女の聡明そうめいさに心の底から驚いた。記憶が無かろうと本質を見抜く力は健在だったのだ。

 杏花は燈の言葉に頷く。


「その通りです。一族でそれをになっている者もいれば、そういう《役割》を得て生まれてくる人たちもいる。稀に途中から加わる《代理者》もいます。昔はコミュニティがしっかりと機能していたのですが……」


 現代において、いやもっと前から《役割》が風化してしまった。それならば冥界と現世の境界に亀裂きれつが入ったのも頷ける。

 全ては燈たち人間の怠惰たいだによるものであり、おろそかにしてしまった結果といえた。


「今はそれよりも、早く避難を──」


「状況把握──校舎内に設置された《黒い手紙》の回収または消滅デリートに移る」


 割って入った言葉に、燈と杏花は声の方へ振り返った。

 刹那──唐突に窓が開き、外の陰湿いんしつな風が燈の頬をかすめた。


「!?」


 窓枠に手をかけ、校舎に侵入する軍服姿の男──ノインが土足のまま廊下に下り立った。黒い軍服だけでも目立つのだが、無表情で、三白眼の彼は実に堂々どうどうとしていた。

 燈は上履きを片方脱ぐと、思い切りノインの後頭部を叩く。


「なんでいるの!?」


 スパーンと小気味こきみいい音が廊下に響いた。


「どうした、心の友その壱」


「──っていうか、なんでまた窓から!」


「心の友その壱の緊急連絡により、会議本部を抜け出して来た」


「完全に不審者だからね!? そして物凄く物騒なワードが聞こえたんですけど? そもそも会議中に抜け出した? あー、浅間さんが激怒するのが目に見える……」


 しかし、それよりも優先すべき事がある。ノインが不審者として通報されることだけは、阻止しなければならない。でなければ、百パーセント浅間に迷惑がかかる。

 燈が慌てているところで、杏花が口を挟んだ。


「この方の軍服、人払いの術式が組み込まれているようです」


「え?」


「肯定。一〇八七三分前に浅間龍我から支給された護符を所持している」


(浅間さん……。「不法侵入するな」という説得を諦めたな……)


 燈は浅間の苦労を忍びながらも話を戻す。


「……って、それよりノイン、この状況を何とか出来そうなの!?」


「肯定──敵は数の利を生かした戦術を展開している。ならばこちらも人数を当てればいい。現在、浅間龍我への増援要請は済ませている。部隊で対処すれば未然に《異界》化を防ぐことは可能」


 ノインは思った以上に素早く手を打っていた。それを聞いて燈は内心で安堵し、杏花の顔を窺う。彼女も少しは気持ちが和らいだかと思ったが、杏花は硬い表情のままだ。


「……でしたら、後の処置は警察にお任せして、私たちは学校の外に避難しても?」


「え?」


 杏花の思わぬ発言に燈は困惑した。てっきり《黒い手紙》の撤収作業の手伝いをするかと思ったからだ。


「構わない。二人は一般人だ、避難する判断は正しい」


「……………」


「ほら、秋月さん。急いでここから逃げましょう」


 杏花は燈の手を引いて歩き出すが──燈は石のようにその場から動こうとしない。


「秋月さん?」


「……そうだね。でも、逃げる前に出来る事があるはず……」


「な、なにを……」


「ノインは教職員と合流して、全校生徒を校舎内から避難するように交渉を進めて。これは警察の方が話は早いでしょ?」


「承知した」


「私は保健室に寄って柳先生に状況を報告。それと回収作業を手伝ってもらえないか頼んでみる。……あとは私も《黒い手紙》の処理で何かできればいいんだけど……」


 燈の判断に杏花は眉をひそめた。

 どう考えてもすぐさま逃げなければ危険だというのに、手伝おうとする少女に苛立いらだちがつのった。


「秋月さん、ここがどれだけ危険か分かっていますよね?」


「もちろん」


 外から入り込む空気は重くよどみ、産毛うぶげが逆立つ。本能的に逃げろと体が叫んでいた。出来るなら燈自身も逃げ出したい。

 けれど、燈はこの状況に気づいてしまった。知らなかったでは済まされない。


「……この状況を理解できている人間が、なんとかしなきゃダメでしょ」


 燈はノインと杏花に苦笑で答えた。二人とも力も知識もある。

 燈自身には、なにもない。

 ただの一般人だ。

 だから一般人に出来る事がまだあるなら、手伝いたい。


……。そんな後悔を私はしたくない。……もちろん、私にできる範囲で、無茶せずに手伝える所までだけどね」


 杏花は呆れたと言わんばかりに不服そうな顔で少女を見返す。逆にノインは首肯し「了解した」と燈の思いを受け取った。


「なら心の友その壱。浅間龍我が到着するまでの間、《黒い手紙》の排除デリート協力を申請する」


「ちょっと、待っ──」


 杏花が声を荒げるも、ノインは構わずに言葉を続けた。


「それにともない《心の友その壱》の戦力不足の為、自分に貸し与えられたドローン数体を援護。そしてゴム弾を貸し出す。万が一、《物怪》と遭遇した場合、時間ぐらいは稼げるはずだ」


 ノインの賛同を得た燈は心から感謝の言葉を述べる。彼から諸々の護身用の道具を受け取った。ゴム弾、捕縛用のテープや小瓶ほどの閃光弾のようなもの……。そして四機のドローンを受け取る。


「ノイン、ありがとう! 杏花も心配してくれてありがとうね」


「え……ちょ……」


 最後に燈はノインから《黒い手紙》の力を無効化する護符を受け取る。その和紙の数は全部で十二枚あった。すべて同じ紋様が描かれているが、どれも一枚一枚手書きだった。


「心の友その壱は、保健室経由で《黒い手紙》の排除を担当。時間的に十二か所を周り終えたら、速やかに校舎内より撤収てっしゅうを推奨する」


 燈は大きく頷いた。


「分かった。《黒い手紙》場所の予測は出来ているの? それとも虱潰しらみつぶし?」


「検索完了済みだ。昇降口の下駄箱に一か所、科学準備室、図書室、温水プール室、音楽室、視聴覚室、元一年五組の教室、講堂、美術室、食堂、臨床りんしょう実験室、実技室、事務室以上だ」


 ノインは燈にメモ紙を差し出した。そこには達筆な字で、彼が口にした場所が書かれていた。


「あれ? 杏花の話だと校舎内の至る所にあるって聞いたけど?」


「全てを処理するのは時間的に不可能だ。しかし、先ほど渡した護符を用いた術式ならば呪いを一時的に散らせる」


 護符だけでもヨクナイモノを散らせることができる。それに加え十二の護符を貼ることにより、術式が発動するらしい。

 燈は「自分に出来るそうだ」と再確認する。


「了解。じゃあ、時間もないから行くね。……杏花は楓と一緒に先に逃げてよ!」


「と……っ秋月さん!?」


 杏花は燈を止めようと手を伸ばすが、その指先は彼女に届かない。大量のプリントを片手で持っていたせいもあり、慌てて伸ばした手を引っ込めたからだ。


「……!」


 燈は一刻一秒いっこくいちびょうを争うように、杏花に背を向けて保健室に駆け出す。ノインもまた燈の指示に従い、少女とは逆方向の職員室へと歩き出した。


「……なんで秋月さんを……巻き込んだんですか?」


 杏花は八つ当たりと言わんばかりにノインを睨んだ。


「……理解不能。彼女の望みに応えただけ。選んだのは、心の友その壱だ」


「彼女はまだ記憶が戻っていないのですよ。力もない──それでも……」


 杏花は唇を噛み締めた。


「全てを承知で選んだ。どんな状況でも記憶がなくとも、心の友その壱の魂は、……その心根は変わらない」


 ノインはゴールデンウィークの間、燈をより間近で観察していた。

 成功確率がゼロに近い状況を、ひっくり返した少女。緻密めんみつに練られた作戦は、綱渡りのような危うさをはらんでいた。しかし、あの少女の姿勢と熱意、そして鋼の意志が周囲を揺り動かす。それは敵だろうと、味方だろうと変わらない。敵すら味方に引き込むような何か──いや、そんな形容しがたい魅力を持っている

 それはノインに無いものだ。


「…………」


 ノインは足を止めた。

 後ろから追いかけてくる杏花──《双頭の魔女》に問う。


「それで魔女。貴女はどうする。自分で《逃げる》と決めたなら問題ない」


「…………!」


 杏花は髪を逆立て、刺すような視線をノインにぶつけた。彼は杏花のげんを待たずに去っていく。

 独り廊下に佇む杏花はうつむいた。

 出来るならば逃げたい。過去のトラウマが再現されつつある場所に、長居するなど愚行ぐこうだと重々理解していた。

 今もあの恐怖を思い出すだけで、足がすくむ。





「……私は、……私のしたいことは……」










 僅かに逡巡しゅんじゅんしたのち、杏花は顔を上げ──



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