第32話 祝福は災禍に似て・後編

 ともりは昇降口が人だかりだった為、校舎内から《自称ファンクラブ》の女子生徒を追いかけていた。


──おかけになった電話は電源が入っていないか──


 燈は急いで杏花きょうかの携帯に連絡を入れるが繋がらなかった。

 嫌な予感が膨らみ──燈はリノリウムの廊下を足早に駆けながら、《自称ファンクラブ》の女子生徒を追う。彼女たちは学校施設内に入らず外から迂回うかいしながら、どこかに向かっていた。


(まあ、蒼崎先輩がいたから校舎内に入れなかったってのは、あるかもしれないけど……)


 燈はゴールデンウィーク中に、蒼崎匠あおざきたくみの素行調査を杏花とノインに依頼していた。

 彼は《MARS七三〇事件》の直接的な被害者ではなかった。あの事件の夜に起こった《神邑神隠かみむらかみかくし事件》。

 一夜にして東京都神邑区一帯の住人六割が失踪、二割が行方不明──《神隠者かみいんじゃ》となったという事件だ。そして消えた人の衣服だけが残り、その傍に彼岸花ひがんばなが手向けのように一輪置かれていたという。

 それでも生存者は残っていた。蒼崎もその一人だ。


 蒼崎や他の生存者の証言をまとめると──

 その日は朝から白い霧が発生して体調不良者が多く、気分が悪くなる者が続出した。夏休みに開講していた学校も午前中で休校。夜になると夏なのに肌寒く、神邑区一帯は不気味なほど、しんと静まり返っていた。


 そして一日が終わり──

 午前零時。

 蒼崎は同じ部屋の弟が、ふらりと部屋の外に出て行くのを見たという。彼は弟を呼びとめようと起き上がろうとしたが、体がなまりのように重く身動きがとれなかった。


「あの子が、呼んでる。助けにいかなきゃ」


 弟は何度も呟いていた。

 部屋のドアが半分空いたまま、両親は夢遊病むゆうびょうのような足取りで、家を出て行った。


 霧が晴れた翌日。両親の服が玄関に落ちていた。まるで体だけが煙となって消えたような服の脱ぎ方だった。しかし弟の服は見当たらず──《神隠者かみいんじゃ》となった。

 一夜にして数千人もの集団失踪。

 《MARS七三〇事件》との関連性、そして真相に血眼ちまなこになった記者たちは、獲物を狩るハンターの如く被害者の人権侵害などお構いなしに取材を迫った。

 その影響もあり蒼崎は人に恐怖し、夜独りで過ごすことを恐れた。結果、彼は解決方法として、始司零奈もとしれいなの提案を安易あんいに受け入れたのだ。

 彼は自身のトラウマを克服こくふくせず、自分を守る為の道を選んだ。しかし、その選択はやはり迂愚うぐと言えた。安易に手に入った幸福とは、すぐさま瓦解がかいし、より大きな災禍さいかを呼び寄せる。

 彼は気づかなかったのだろう。大切な人が出来た時の未来を──


(先のことまで考えられないほど追い詰められていた──のだとしたら、強く言及できないかな……)


 燈は佳寿美かすみの素行調査も二人に頼んでいた。杏花は佳寿美に対してようやく警戒心を抱いたと安堵していたが、燈の真意は異なる。万が一、《クロガミ怪奇殺人事件》と《白霧神隠失踪事件》と同じような状況になった場合、少しでも全貌ぜんぼう把握はあくしておいた方が良いと思ったからだ。

 燈にとって佳寿美は親友ではないのかもしれない。けれど、今は友人でありクラスメイトだ。


(いつでも動けるように情報を集めておく。そのつもりだったんだけど……)


 しかし、燈の予想に反して、佳寿美の過去は空白に近かった。

 蒼崎のように幼少の頃に事件に巻き込まれたという情報はなく、小中とほとんど病院に入院をしていたらしい。その病院名は。何故入院していたのかも、その病名も不明。もしかしたら、学校ではなく病院で出会った友人なのかもしれない。

 可能性はかなり低い。けれど佳寿美が意味の無い嘘をついているとも、だましているとも燈には思えなかった。


 ***


(《自称ファンクラブ》に所属している女子たちの足取りに迷いはないみたい……。ここまで来ると、最初から向かう場所は決まっていた?)


 燈は校舎内の廊下を闊歩かっぽしながら、彼女たちの後を追いかける。

 窓の開いた廊下からは、薫風くんぷうの香りが僅かに漂い、初夏を思わせる心地よさがあった。

 しかし、その香りはすぐにき消えてしまう。


 彼女たちを追うにつれて嫌な気配が強まっていった。ねっとりとした生温かな熱気と甘く腐った臭い──

 燈は進むたびに冷や汗が背中ににじんだ。

 女子生徒たちが校舎内から見えなくなり、燈は重い一歩を踏み出した瞬間――


「秋月さん!」


 切羽詰せっぱつまった声が、廊下に響く。

 呼び止められた燈は、追っていた女子生徒人影が室内プールに入るのを見送ってから、振り返った。


「あ、杏花!?」


 杏花は大量のプリントを手に持ったまま燈に駆け寄る。すらりとした体型の割に胸の発育が良いせいか、着物がいつにも増して苦しそうに見えた。

 杏花は《双頭の魔女》であり、燈の記憶を取り戻すために、協力してくれる心強いだ。


「見つかって良かったのです……」


 ふう、と杏花は息を整える。

 おそらく校舎内を走り回っていたのだろう。しかし、それならなぜ携帯で連絡をくれなかったのか。燈は口を開きかけた瞬間──


「秋月さん、まずはこれを見てください」


 杏花は燈に携帯画面を突き付けた。


? ……嘘!?」


 燈は自分の携帯端末をバッグから取り出す。先ほど慌てて電話をかけた時は気づかなかったが、携帯画面を覗くと圏外だった。


「杏花、校舎に入った時、嫌な感じがしたんだけど……」


 杏花は小さく頷いた。


「ええ、迂闊うかつでした。まさかゴールデンウィーク中に、校舎全体に術式をくみ上げているなんて……」


 ──

 燈はうそ寒いものを背中に感じた。


「それって……」


「とにかく。秋月さんは、出来るだけ早く学校から離れてください……」


 杏花からはいつもの笑顔が消えていた。鋭く獲物を狙う狩人かりゅうどに似た、冷ややかな目をしていた。いや、それはどこか張り詰めていて、怯えにも見える。


「杏花?」


「《黒い手紙》……そのたばが校舎の至る所で見つかりました。その数、百を越えます……」

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