第30話 忍び寄る不穏 

 乾いたシャッター音が室内に響いた。ノインは無表情のまま携帯端末のカメラ機能を使いシャッターを切っている。

 沈黙。

 浅間あさまは額に青筋を浮かべ、ともりは痛みをこらえながらノインに向かって声をかける。


「……何をしている」

「ええ……っと、なにしてるの」

「戦闘終了に伴い、その情報を正確に保存。医療室への連絡は三百八十九秒前に済ませている」


 仕事が早いと言うべきか、それとも無頓着むとんちゃくすぎると指摘してきすべきか。燈と浅間は同時に溜息ためいきを吐いた。


「痛っ……うう……」

「はあ……」


 浅間は面倒だと思いながらも、上に乗っている燈を横の床にゆっくりと寝かせた。それから起き上がると、症状を確認する。

 少女の細腕は内出血しており、赤々とれていた。激痛にさいなまれながらも、悲鳴を上げず耐えている。「その根性は大したものだ」と浅間は思った。


「……動けるか?」

「ちょっと……無理……です」

「だろうな」


 浅間はひとまず床下収納から救急ボックスを取り出すと、すぐに応急処置を行う。寝かせたまま腕を心臓より高く上げ、内出血が起こっているためアイシングで冷やした。


「ノイン、貴様は救護手当などのスキルはあるか?」

「……知識としてはある。実戦経験はゼロに近いため、現在データーとして録画中だ」

(録画してたの!?)


 燈は思わず反応してしまったが、痛みでツッコみもままならない。


「なら今後の訓練に組み込むぞ」

「了解した。《応急処置》および《マニュアルデーター》の検索開始──」


 ノインは燈の具合を毛ほども気にしていない。非情というか無関心というのが少しばかりショックだった。


(いやまあ、死にそうとかじゃないからだろうけど……)


 浅間の的確な処置によって痛みが和らいだのか、燈の顔に血色が戻る。


「うう……お手数をおかけします」

「内出血に肉離れ……。まあ、筋肉が切断してなかったから三・四日、長ければ数週間は安静だな」

「はい……」


 思った以上の深手。そして浅間に迷惑をかけた事に対して、燈は親に叱られた子どものように身を縮めた。


「………はぁ」


 浅間は少女を小突こうかと思ったが──燈の頭にポン、と手を置いた。


「構わん。それだけ貴様が本気だった。負傷したとはいえ、貴様の刃は俺に届いたんだ。それは恥ずべき行為ではなく誇るべきところだ」


 浅間の力強い言葉に燈の瞳は大きく揺らいだ。


「……ししょー!」

「うるさい」


 少女は感極まった勢いで浅間に抱き着こうとしたが、頭を抑え込まれ寸前で止められた。


「痛い……、何するんですか?」

「貴様こそ何を考えている? ……と言うか誰が師匠だ」

「えっと……なんとなく?」

「俺は何となくの理由で、面倒事に巻き込まれたくないんだが……」


「というと?」燈は小首を傾げた。

 浅間は「ああ、コイツは記憶がないんだった」と思い出し、少女から視線を逸らす。


「……こっちの話だ。とにかく貴様は及第点を取った。それで今の所は満足しておけ」

「はい!」


 少女は涙目を浮かべながら笑った。

 及第点とはいえ合格は合格、勝ちは勝ちだ。ここで燈はあることに気付く。「何かが足りない」という違和感。


(あれ……そういえば、式神の声がさっきから聞こえない?)


 ここ数日、式神は事あるごとに燈に話しかけてくるのが日課になりつつあった。しかし勝負後に式神の声を聞いていない。


「式神?」


 気配はある──しかし、返事はない。浅間はがりがりと頭を掻くと燈の影を見据えるが、式神は沈黙を守ったままだ。


「式神なら貴様の影の奥にいる。力の制御に失敗して少なからず主に傷を負わせた。暴走ではないがアイツなりに反省して自粛しているのだろう」

「力の制御……? でもそれは……!」


 燈の言わんとしていることはわかる。だが浅間は──


「言ってやるな」


 浅間はそう短く告げた。なにか含むところがあるのか、燈は小さく頷く。


「まあ、後で声をかけてやれ」

「……わかりました」


 浅間は燈の左手の甲に見えたに目を細めた。

 見逃してしまうほどの小さなものだが、式神が姿を見せない理由はそれにある。今言うべきか迷ったが、浅間はその事実を口にしなかった。



 ***



 二〇一〇年 埼玉県 学生寮。

 燈は学校に復帰する。

「はあ」と少女は溜息を漏らしながら、制服に着替えた。


(やっぱり着物の身支度は面倒だな……)


 ふと右腕の包帯がすそからわずかに見える。肉離れは軽傷だったようで、もう痛みもない。日常生活ぐらいなら大丈夫だろう。ただそれでも養護教諭である柳から絶対安静と念を押され、燈は昨日まで入院していた。


(まさか数日間も休むことになるなんて……。高校一年で皆勤賞ならず……)


 それにしてもと、少女は数日前の出来事を思い返す。

 浅間との勝負後、柳が施設内に飛んできたのだ。燈はかなり驚いたものだが、柳もまた少女の怪我を見て顔が青ざめていた。


(ワガオさん? だっけ……なんか怒られるとか言っていたけど、上司かな?)


 燈は今回の怪我でいろんな人に迷惑や心配をかけてしまった。

 それを痛感する。今も少女の影に潜む式神にもだ。


「式神。……私はこの怪我は私の落ち度だから、気にしなくていいんだよ」


 この数日、気配は感じるのに返答はない。あんなにお喋りで、からかうのが趣味だといった彼がだんまりを貫いている。


「あれは私が式神の名前を思い出せなかったから……。その代償は主である私が甘んじて受けるべきだと思う」

『それでも、すまぬ。……謝罪が遅れたことも重ねて、某は切腹を──』

「切腹! いやいや、しなくていいから!?」


 式神が言い終わる前に燈は叫んだ。


『しかし、それでは某の──』

「切腹ダメ、絶対!」

『そうか……』


 ようやく呟いた式神の声は、かすれていた。普段は飄々ひょうひょうとしているというのに、らしくなかった。いやそこまで責任を感じていたことに燈は驚いた。


(『自業自得じゃ。腕一本で済んで良かったではないか……』とか言いそうなのに)

辞世じせいも、この数日考えたのだが……』

「数日!? 本当に何してたの!? ……ってか、式神なのに辞世でいいの!?」


「そもそも切腹なら介錯かいしゃくは誰がするんだよ」とかツッコみが飛び交う。その後しばらく押し問答が続き、最終的に式神が折れた。

 いや、折れたというよりは──、


『ふっ、我が主がそこまで言うなら、いたかたない』

「ん?」

『かかかっ、某の力は強大ゆえ、我が主の器では制御が難しいからのう』


 豪快な笑い声、人を食ったような口調──いつもの式神に戻ったようだ。


「おふっ。戻った途端それか」

『事実だろう。……やはり名前なしでは、主にかる負荷は予想以上に大きい……』


 式神は何か言いかけて言葉にまった。口にするかどうか悩んでいるというのが正しいだろう。

 僅かに逡巡しゅんじゅんした後──。


『……?』

「左?」


 肉離れを起こしたのは右腕だ。なぜ、左なのか燈は首を傾げたが、彼の言う通り左手に視線を向ける。打撲も、


「えっと、なんともないけど?」


 僅かに燈の影が揺らいだが、その差異さいに気づいていなかった。


『ふむ、ならばよい……』

「う、うん……?」


 燈は言及げんきゅうすべきか頭を悩ませた。


(なんだろう? 聞いた方がいいのかな?)

『某の名が分かれば、我が主との契約状況をもう少し語れるのだが……』


 今話すのはリスクが高いのか、それとも燈の封じられた記憶に起因きいんしているのか。そのどちらかであることを匂わせていた。


『なので』

「うん」

『早く真名を思い出せ』

「ついに命令形になった!?」

『あー、はやく、なまえで、よばれたい。せつじつにー』


 見事なまでの棒読み。思わず少女は笑みがこぼれた。

 式神はいつもの調子を取り戻しつつあるようで、燈は少し安堵あんどした。


「うん。努力する」


『うむ』と式神は鷹揚に頷いた。


『では、学び舎に急ぐがよい。そろそろ時間じゃろう』

「あ。そうだ! ……それじゃ、いってきます」

『ああ。いってくるがいい』


 そう声が。「いってきます」という言葉が、なぜか嬉しくて──

 燈は気持ちよく、家を出ることができた。



 ***



 燈が寮を出ると、目の前に校舎が見えた。

 学校が近いことは嬉しい。だが、妙に物足りないというか、違和感があった。昔は通学時間が長かったのかもしれない。


(あ、そうだ。浅間さんに改めて話を聞きにいかないと……。それに式神のことも……)


 燈は浅間から式神について教えてもらったことがあった。

 浅間いわく勝負で負った怪我は、式神との《契約》を守らずに力を借りた代償だった。

 本来、式神の名前を知らなければ。式神との絆は《真名》によって結ばれている。術者がその名を忘れている段階で、本来であれば式神との契約は白紙に戻ってしまう。


(式神は《契約》が切れても私の傍にいる。……浅間さんは異例中の異例だって言っていたけど……)


 《真名》と《名前》。

 燈は早く式神の名を呼びたかった。名前は唯一無二の大切なものだし、誰だって大切な人は名で呼びたいし、呼ばれたいものだ。


(それにあと五日で冥界に行く為の準備もあるし、いろいろと打ち合わせもしなきゃ……)


 浅間とはゴールデンウィーク以降、会っていない。急な出動要請が入ったらしく、ノインまで駆り出された。


(ノインとは定期的にメールのやりとりもしているから、多少なりとも情報は入ってくるけど……)


 なんでも立て続けに女子高生が行方不明──《神隠者》か、事故死しているという。ノインの見立てでは、八十九パーセントの確率で《物怪》が関わっていると言っていた。


 事件の報道規制が解除されてからの、。こうなる事態を知っていたのような用意周到さがあった。


(杏花に聞いてみようかな。……まあその前に説教コースがありそうだけど)


 この一か月の間に、どれだけ説教を受けただろう。内容を思い出すと苦笑いしか出てこないが……。それでも燈は自分の為に本気で怒ってくれる人たちに感謝した。

 どうでもいい人なら何も言わないで、去るか距離を取るだけだ。こういう耳の痛い話ほど人は聞こうとしない。非難されたととらえてしまう。けれど、なぜその人が怒っているのか。

 自分勝手な理屈ではなく、相手を想っての行為だった時──

 それを知ると、、分かる事がある。


(まあ、浅間さんと、式神……ノインも分かりづらいけど……。でも、それぞれ心配してくれていた)


 それに気づけて良かったと。燈は微苦笑しながら空をあおぎ見た。

 いつもと変わらない青空。変わらない──?


 そこで燈は違和感に気付く。

 小鳥のさえずりが全く聞こえない。それに空気が重く感じるのは気のせいだろうか。良くないモノが好みそうなドロリとした雰囲気に、寒気が走った。


 足が重く、息苦しい。

 燈は肩に背負っているバッグの紐をギュッと握りしめた。


「式神……。大丈夫、だよね」

『い……す……げ……』

「式神?」


 何か聞こえた気がするが、雑音? ……いや、ノイズだろうか。

 燈は警戒を強めながら校舎に足を踏み入れる。


(な……っ。なに……この、気配……!?)


 少女が校舎に入ると、さらに嫌な空気に吐き気を覚えた。

 昇降口に近づくにつれ、それは濃くなっていく。異臭だろうか、何かが腐った匂い──

 燈は周囲を見渡すが、他の生徒はそのことに

 みな噂話や他愛のない会話を交わしていた。


(みんな……何も感じていない? 私だけ?)


 カチカチと虫の甲殻こうかくが重なり合いいずる音が耳に届く。

 心なしか黒い濃霧が校舎内の隅にうごめいている。


(……まずい。絶対にまずい。とにかく職員室……ううん……ここは……)


 燈は頭を振って、まずノインと浅間に連絡するが出ない。仕方なく二人宛にメールを送った。


(それから、杏花と楓に連絡を──)

「あ、燈ちゃん」


 それはあまりにも場違いな明るい声が降ってきた。


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