第28話 滅ぼされた者

『では一つ話をするとしよう。此度こたび、我が主を襲った《ぬえ》というアヤカシについて』

「うん」


 ともりは話を聞きながら、三人分の取り皿に鍋の具材を入れていく。形だけでも一緒に食べているという心持ちからの行為だろう。

 式神は普段の飄々ひょうひょうとした雰囲気が消え、何処か懐かしそうに──そして低い声で語る。


『《鵺》が文献で現れたのは二回のみ。まずは近衛このえ天皇の時代、退治したのは源頼政みなもとよりまさ。そしてその後、第七八代二条にじょう天皇の時代にも同じく現れる』


 《鵺》の声を聴いたというのは、東三条の森の奥。その方角から、黒雲が御殿ごでんを覆ったという。そして《鵺》を討った場所は大内裏だった。東三条は藤原氏ゆかりの地。なら呪詛じゅそを行ったのは、藤原氏の権力争いによるもの? その怨念おんねんがアヤカシを呼び寄せ《形》を得て、《物怪》となった──?


「じゃあ、もともと《鵺》は政敵で蹴落けおとしたいというから生まれたってこと?」

『かかっ、それもあるだろうが……あの時代、そして時期によどんでいた邪気──怨念を集約されたのが《鵺》であろう。、後ろ暗い人間たちの感情により生まれたアヤカシという方が、意味合い的には近いのう』


 ぐびぐび、と式神は喉をうるおすように酒をあおぐ。いい飲みっぷりなのだが、一升瓶の酒が減っている様子はない。


『ま、最もなんぞは、貴族たちの願いの象徴でもあったからのう。自分たちだけ平和で安泰、子孫繁栄が第一であった。ゆえにその流れに一石投じたのが武士もののふである源氏と平家じゃ』


 燈は式神の話に耳を傾けながら、馬刺しを口にする。弾力があって、生臭くなく美味しい。あまりの美味しさに考え事が一気に吹き飛びそうだった。


『我が主よ、聞いておるか?』

「ん、……うん、もちろん。それで結果的にだけど……ここで一番得をしたのって、源頼政だよね。《鵺》討伐で有名になった。それに獅子王ししおうの称号も得て、地位も正四位下。……最終的には従三位にまで登りつめているでしょ」

『それがそうとも言えぬ。《鵺》の死霊は一頭の馬と化しと名付けられた。じゃが、良馬だったがゆえに、平宗盛たいらのむねもりに取り上げられた。これをきっかけに反平家として対立したが為に、治承の乱じしょうのらんに敗れて身を滅ぼすという話がある。《物怪》を退治をした一族は総じての恨みを買っておる』


 燈は式神の話を聞いて、実際に相対した《鵺》のことを思い出す。

 あの警察官からは強い感情──恨みや嫉妬などがあるようには思えなかった。まるで無理やり負の感情を膨張ぼうちょうさせられて、異形の者になったという印象を受けた。


(させられて──ううん、なんというか流された?)


 燈はいろいろと考えた後で、式神に声をかける。


「ねえ、式神」

『なんじゃ?』

「《物怪》と契約を結んで式神シキガミにすることも出来るの?」

『そうじゃな……。まあ、《術者》としての実力があれば、出来ないこともない』


 式神の告げた《術者》とは、陰陽師ではないという。


『もともと陰陽師どもの行うのは使役であって、半半はんなかば強制的に契約を結んで従っているだけにすぎん。まあ、《術者》に情を寄せることはあるが、あくまで契約は一方的といっていい』

「じゃあ本来の契約って?」

『……アヤカシまたは《物怪》が、術者に《真名》を告げるか──または術者が《付けた名》をアヤカシ側が快諾するかじゃな』

「ふーん。じゃあ、お互いに《友達》になりたいって気持ちに似ているね」


 式神は「かかかっ、そうじゃな。その通りだ」と豪快に笑った。燈は式神シキガミという存在を、道具や駒として捉えていない。記憶を失っていても、少女の認識はぶれなかった。


『陰陽師は術式によって《名》を引き金に縛っているだけで、アヤカシ側──本来の《真名》とは異なる。故に十二天将などは迷惑をしているようだがのう』


 式神は喉を鳴らすように笑う。なんというか意地の悪い笑みを浮かべていそうだった。


『……ただし生兵法なまびょうほうは、死のリスクがともなう。それに式神シキガミは、なんでも願いを叶える都合のいい願望機がんぼうきではない。某たちに出来ることは限られている』

「ちなみに、どんなことが出来るのか聞いてもいいの?」


 燈は率直に式神に尋ねた。


『極端に相手を呪うことと、主の補佐や護衛をすることじゃ』

「呪うって……思った以上に、物騒なワードが出てきた」

『物理攻撃、精神攻撃というのもあるが、最もリスクが高いのは呪詛じゃな。あれは扱う人間も同様の呪いを受ける。よく言うじゃろ。

「なるほど……。うーーん」

『どうかしたか?』

「んーーー。対峙したあの《警察官》なんだけど、なんか妙だったんだよね。《第一級特異点》で襲われた《泥の塊》の方が強い想いがあっのに、《警察官》からは、強い感情が何もなかった」


 式神は浅間に告げた情報を燈に語ることはなかった。

 彼女が自ら考え、導き出すために──


『ふむ、確かにそれは妙じゃな。能楽であるのうでは幽霊や亡霊などを演じ、追悼ついとうを題材としているほどだ。それほどまでにの陰は色濃く残る』

「だとすると亜種とか。それとも誰かに無理やり《物怪》にされた? んー、でも何のために?」


 燈は色々考えを巡らせるが、うまく整理がつかなかった。情報が多すぎるのか、それとも何かが引っかかっているのか──

 どうにもに落ちないのだ。


『前にも言ったが、一度に処理をせぬ方が良いぞ。それにこの手の事件は、あの武神に任せておけばよい』

「ううーーん。でも……」


 なおも引き下がる燈に、式神は苦笑を漏らす。


『では勝負の後にじっくり考えればよかろう。まずは某との同調率を上げるのが、先ではないのか』

「たしかに。その通り……。うん、まずは勝負に勝たなきゃ!」


 気持ちを切り替えると燈は、同調率を上げるためという名目を立てたのち、式神のことについて尋ねた。


『某か? たいしてつまらぬ身の上じゃぞ?』


 だがそれで燈が納得するわけがない。かと言って本当の事を口にするにも、少女のリスクが高いと判断した式神は───。


『《くらきよりくらき道にぞ入りにける。遥かに照らせ山のの遥かに照らせ山の端の月と共に、海月も入りにけり、海月と共に入りにけり》……と言ったところか』

「え? もう一回。メモとるから!」

『かかかっ……そうじゃな~』


 燈は荷物の中からメモを取り出し、準備万端で式神の言葉を待つのだが──


『忘れてしまったのう』


 数十秒溜めた後で、式神は明るい声で答えた。

 その言葉に燈りがプツン、と切れたのは言うまでもない。


「式神~~!!」

『かかかっ~』


 式神はちゃぷん、と燈の影を揺らす。


(……まあ、これぐらいは許されるだろう)


 式神はそう思いながら、口がすべったのは酒せいだと責任転嫁する事にした。



 ***



 燈は黙々と食べながら、声だけ聞こえる式神の事を考えた。


(滅ぼされた者……。式神もそうなのだろうか)


 いかなる経緯で燈と式神が契約を結んだのか。

 自分がどのような《名》を付けたのか。

 夢で出会った式神の出で立ちは、鎧武者だった。ならば彼はアヤカシ──万物から鋳型いがたを得て、生まれた神のようなモノなのだろうか。それとも《物怪》から式神に転じたモノなのだろうか。

 そもそもアヤカシと《物怪》の明確な差は一体なんなのだろう。


 もし式神が《物怪》だったなら、今もこの世を憎んでいるのだろうか。

 どうして《物怪》になったのかを、記憶を失う前の自分自身は知っているのだろうか。

 膨らむ疑問は言葉にならず、心の奥底に沈殿ちんでんしていく。


(聞いても教えてくれないだろうし……。とにかく明日、施設内の図書館で《鵺》について少し調べてみようかな)

『それよりも、真っ先に某の名を思い出すことじゃ』

「ふぁわ!? ……って、心の中を読むな!」


 心の内を読む式神に、燈は憤慨ふんがいするが効果はない。どうやら彼は、この会話を楽しんでいる節があった。


『かかかっ! ほれ、さっさと名を呼んでみよ☆』

「酒を飲んでいるせいか、いつになく絡んでくるんだけど!?」


 その日は遅くまで式神の真名について、頭を悩ませたのだった。



 ***



 二〇一〇年 朝七時──。

 燈は式神との会話を重ね、同調率を上げるよう努めた。その成果の産物として燈が戦略を練る時、過去の記憶が蘇る。


 白昼夢はくちゅうむ。それは泡沫うたかたのように、はかない。

 真昼のように明るいのに、見える景色はいつも霧に覆われてしまって、室内なのか外なのかすら不明だ。人影は見えるものの、ぼんやりとしているだけで、その輪郭りんかくを捉えることすら困難だった。

 蓄音機ちくおんきを再生するように、声だけが燈の耳に届く。


二三〇〇ふたさんまるまる──あと五分で目的地に到着する」


 殺伐さつばつとした空気はあるが、静かだった。移動している車、車両、ヘリ、船など特定できそうな音が無いからだ。それらがシャットアウトされた中で、声だけが鮮明に再生される。


「情報通り敵は一人で、それもなかなかの手練れの場合。まず式神に戦わせて適当に消耗しょうもうさせる。……と言う手でいきましょう」


 張りのあるバリトンの声。冗談ではなく、本気で提案していた。


「おい、ちょっと待て」


 特徴であるダミ声は、式神だとすぐにわかった。だが妙に口調が若い。いつもような年老いた口調じゃないのか少し気になった。


「えっと、もし、私がどうしても戦わないといけない状況になったら?」


 燈自身の声は、今よりもずっと幼い。しかし周囲の者は燈を子どもだとあなどることも、甘やかすこともしなかった。


「少しは自分で考えなさい。その頭は飾りですか?」

「う……」


 少女は泣きそうな声を上げるが、懸命に頭を働かせる。


「……うーん。相手の呼吸を感じ取って、隙をついて乱す。あと、相手の苦手そうなことをする。私弱いし、多分正面から戦うことになったら、やられる……と思う」

「そうですね、今の貴女なら瞬殺でしょう。……今なら任務から降りることは可能ですが、どうします?」

「私、降りないよ。……それだけはしない」


 この時、なぜ自分から戦いに身を投じていたのか。記憶を失った燈には理解出来なかった。


「わかりました。では駒の特性と状況をよく捉え、冷静かつ大胆に、やってみなさい。死にそうになったら式神をおとりにして逃げてください。いいですか」

「はい」

「いや、おい。ちょっとまて」

「姫には経験を積んでいただかないと。あと失敗しても必ず式神を盾にしてくださいね」

「た、盾!?」


 少女は驚愕きょうがくの声を上げた。まあ、確かに「人を盾にしろ」って言われたら普通にそう思うだろう。


「おい、某をなんだと思っている!?」

「思ったより頑丈な壁」

「……ほう、このヘタレが。よく言ったものだ」

「随分と低俗なあおり文句ですね……」


 おそらくは火花が散り、空気は張りつめているのだろう。殺気に満ちた二人の言い合いは、さらにヒートアップをしていく。


「あわわ……」

「おい、零課。喧嘩なら任務後にやれ!」


 怒鳴り声に、燈がビクリと両肩を震わせる。


「は、はい。すみません。すいません!」


 幼いころの自分自身の声に、燈は苦笑を漏らす。

「この状況をどのようにして収めたのだろう」と興味が沸いた。懇願こんがんだろうか?

 それとも命令、感情に訴える?

 かつての自分の答えは──。


「×××、××××! 任務が終わったら、たい焼きをおごります。だから仲良く頑張りましょう!」


 物で釣るという古典的な対処法だった。普通に考えて一蹴いっしゅうされるであろう提案だ。

 だが──。


「仕方あるまい。我が主の頼みだからな。主のためだ。そう、主の、な!」

「盾の事は放っておいて、開店までに終わらせましょう」


 いがみ合っているが殺気立った空気は一変して消えた。

 余りにもあっさりと話がまとまったのだ。その発言と影響力がかつての自分にとって最大の武器なのだと知る。


(大切な絆──揺るがない信頼……)


 一体、何があって手放したのか。

 燈は未だ記憶を取り戻すに至る切符を手に出来ずにいた。

 賑やかな声が遠ざかる。蓄音機から聞こえる声が途切れ、そこで燈は意識が現実に引き戻された。



 ***



『どうじゃ、少しでも思い出せたか?』


 式神は唐突に燈に尋ねた。

 ちょうど朝食を終えて食後の紅茶をれていた所だった。

 柑橘かんきつ系の香りが部屋に漂う中、少女はしぶい顔でうなった。


「うーん。……微妙?」


 この数日間、式神の声はより明瞭めいりょうに聞こえ、会話も成立している。記憶も白昼夢のような断片的な記憶がちらほら垣間かいま見えた。

 ほとんど声だけの再生だ。映像はもちろん、声以外の音は全てシャットアウトされているようだった。

 だが、以前に比べれば微々びびたることだとしても推進すいしんしている。


『せめて某の名が思い出せれば、勝算は跳ね上がるのじゃが……』

「うん……」


 式神の真名を思い出そうと時間を費やすも、失敗に終わった。

 ノインに相談した時、「施設の屋上から落下するという危機的状況ならどうか」と提案。そののち実践するも結果は同じだった。


「やるだけのことはやった。……あとは、今ある力を使って勝利をもぎ取る」


 燈の決然けつぜんたるさまに、式神は満足気に頷いた。


『かかかっ、そうでなくてはな。なに、。それさえ忘れねば問題あるまいよ』


 今日は五月五日、ゴールデンウィークの最終日。燈は最後の勝負に挑む。


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