第27話 鵺というアヤカシ

 ともりが式神と接触していた頃──

 浅間あさま草薙くさなぎの乗り込んだ車は、東京へと急ぐ。黒のセダンは銃弾や砲弾、携帯式対戦車擲弾発射筒RPGにも耐えうる一級品だ。一刑事、室長という立場でも乗ることは難しい車を単なる足代わりに使っている。車内は駆動音も静かで、揺れもさほど感じない。

 浅間は軍服を着崩きくずしており、端から見たらマフィアの若頭にしか見えない。彼は部下に運転を任せて、後部座席で報告書に目を通している。途中まで読んでいたが、向かいに座っている草薙へと視線を向けた。


「……さっきから視線が鬱陶うっとうしい」

「いえ。なんだか嬉しそうだったので、珍しいと思っただけですわ」


 浅間は「俺が?」と言葉を返した。


「体がなまるといけないからな。……それより貴様は秋月燈に恩があっただろう。挨拶もしなくてよかったのか?」


 草薙は不貞腐ふてくされた顔で窓の外へと視線を向けた。


「いいんですの。あの女は恩人ですけれど、《双子の魔女》を滝さんに押し付けた張本人ですわ。本来なら、私が居候をするはずだったのに……!」


 浅間はため息を漏らした。

 同僚の滝は仕事に集中すると途端に生活習慣が乱れる。そのため家政婦的な名目で、あの双子を派遣したのは浅間だった。もっとも滝は滝で想い人草薙が家政婦になったら「照れくさくて仕事が手につかないからなんとか誤魔化してほしい」と土下座されたのだ。あれほどまでに見事な土下座を浅間は見たことがなかった。


(いい加減、面倒だから、さっさとくっつかないだろうか……)


 お互いに想っているのに一緒になれない事情が本当にあるとすれば、龍神や燈の方だというのに。そう浅間は皮肉に思った。

 ふいに稽古場で奮闘していた少女──


(今は泥をこねた石ころだが、あれは強くなる。あのタフネスさをノイン……いや五十君周いきみあまねも学ぶことが出来ればいいが……)


 ノインは《MARS七三〇事件》で全身火傷を負ったため、事件後は体の大半を人工物で補い延命していた。しかしに全身義体の技術が確立し、五十君雅也のご子息である彼がその義体の使用者第一号となった。そのうち九回における施術を経て今に至る。

 彼の人生のほとんどは、ネットを通しての世界しか知らないと《報告書》にあった。そのため日常生活においての知識はあるが、常識は薄い。


(そういえば、どういう経緯で秋月燈と知り合ったのかデータになかったな)


 出会うとしたら《MARS七三〇事件》の被害者として運ばれた病院内。もしくはネット、SNSで知り合ったということになる。


驚嘆きょうたんすべきはあの娘の友好関係か。……まあ、「ランクAAA+大切な人たちと肩を並べたい」と豪語しただけのことはある)


 浅間は手を止めていた報告書に視線を戻した。

 先日亡くなった一ノ瀬花梨いちのせかりん二井藤彩音にいふじあやねの死体が突如動き出し、警察官数人に重軽傷を負わせて逃亡──

 報告によると、二井藤の顔は猿、四肢は獣、虎に似ており、尾が生えてそれは蛇の頭に似ていたという。燈を襲った警察官と同じく《物怪》と化した《ぬえ》だろう。

 数日前、湖付近で《物怪》を掃討したが、あれは形を得られなかった残骸ざんがいだった。

 浅間は妙なことに気づく。


(鵺は確か、猿の顔、虎の手足、蛇の尾……。そして狸の胴体だったはず。だが、胴体は人間のまま)


 アヤカシが形を得て《物怪》になるには、その部位に一つ一つ意味合いがある。虎、蛇、猿は方角を表すが、この場合は違う。

 虎の原型は獰猛どうもうさ、雄々しさだが、今回はという意味合いが強い。秋月燈と敵対した警察官の攻撃は、爪だったと聞く。

 また蛇の特徴はを吐くだけとある。ならば簡潔に嫉妬や妬み、恨み。だ。現に式神の話でも蛇からの物理的な攻撃はなかった。

 猿の顔は「人間に似ている」というものが多く、その実たいていが否定的な意味合いを帯びている。外見、知能、気質などから含めてあざけさげすむ、貶めるという負の意味合いに照らし合わせると──他人の否定と理性無き。あの《鵺》は、他者に激しい攻撃。弱者を嬲る愉悦ゆえつ。そういった要素を持った人間が《物怪》に転じた。

 そこまで思考を巡らせ、浅間はふと眉を寄せた。


(……式神の指摘通り、短期間のうちに《物怪》になる数が多すぎる。意図的に数を増やしている指揮官の存在、か。……的外れではないだろう)


「ふう」と、ぞんざいな溜息を吐いた。


(しかし何故……。それも狸だけは抜けている。あの動物は「他ぬき=他を抜きんでる」という意味合いで縁起の良い動物だ……。狸は化かすこともあるが……ふむ)


 縁起のいい動物。虎も、蛇も、猿も縁起の良い動物に転じることがある。


(ああ、なるほど。このアヤカシは縁起物を集めた象徴と同時に、負──呪詛じゅその一面を担った対極の存在となる)


 狸がいる《鵺》を陽、狸のない《鵺》を陰に──陰陽をわざわざ切り分ける理由。無理やり新たなアヤカシを作り上げている目的は──


(アヤカシの《鵺》は元々祟りと災禍をまき散らすとして、祀り上げられた。つまりは祀られるだけ理由を作り出した因果があり、非業の死へと追い詰めた背景がある。……これを考えた指導者は《復讐者アベンジャー》か。その名になる前は──《復讐鬼ふくしゅうき》と呼ばれていたんだがな)


 《復讐鬼》と名称を変えたのは、年端もいかない少女だ。その経緯を浅間は思い出そうとするが、どうにも記憶に靄がかかっている。


(またか。秋月燈に関する記憶はどうにも……)


 浅間は思案するも、素早切り替えた。


(今は事件の方が先決だ。……黒幕が《復讐者アベンジャー》だとすると、術式の知識がある人間だとしたら、厄介だな)


 人だったが《鵺》にさせられたものたち。

 人をやめて《鵺》になったものたち。

 相反する存在がぶつかり合うことで《理》を歪める。その規模が大きければ大きいほど世界の均衡は崩れ、現世と冥界の狭間に封じられた《異界》が溢れ出す。

 この世界の境界を崩壊させる。それが黒幕の狙いだったとすれば相当にまずい。


「ねえ、浅間。一つ伺いたいことがありましたの」


 草薙は携帯タブレットに視線を落としながら浅間に声をかけた。考え事をしていた彼はあからさまに不機嫌な顔で「なんだ」と言葉を返す。


「この間の記者会見で叔父さんが説明していた、《物怪》について。これ本当に中継してよろしかったんですか?」


 タブレットの画面を浅間に向けると、そこには無料動画サイトにアップされた記者会見が映っていた。五十君雅也いきみまさやを始め、さまざまな分野の著名人が参列していた。


『人間が過度なストレスにより極限状態に陥ったとき、通常時には決して選ばないような極端な判断をする傾向にあります。人間は極端な行動──凶悪犯罪に手を染めることにより、魂がその負荷に耐えきれず変貌をげ、それによって人の器も魂に合わせた形をまとう。もっとも《物怪》となるものは本当に稀です。たいていは魂の急激な変異により、膨れ上がったエネルギーが肉体という器に収まり切れず内側からぜる。これが無差別爆破テロの原因でもあります』


 民俗学の第一人者である折田楠男おりたくすおが、内閣官房長官からの言葉を引き継ぐ。


『これらは古の時代より様々な名称がついておりました。荒御霊あらみたま魑魅魍魎ちみもうりょう、物の怪、アヤカシ、妖怪……。人外の存在として扱っていたのです』


 折田は白髪交じりの初老の男だ。白いシャツと土色のジャケットとズボンを着こなし、身なりは小奇麗だった。柔らかな笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。


『しかし、これらは全て人間の心、内なるものから形をえて生まれたモノ。それが時を経て現代に蘇ったのです』


 草薙は動画を止めると、しかめっ面で文句を浅間にぶつける。


「魂という概念やとらえ方を突発的に説明をしても、この国の人間が受け入れるとは到底思えませんわ」

「そうか? この国は魂という概念について、もっともよく理解していると思うぞ。付喪神つくもがみがいい例じゃないか。それに科学的にも魂に質量があるという実験結果も出ている」

「……それとこの『蘇った』って表現、間違ってますよね。増えただけ。封印されていた訳でも無く……ただ人が自身の心に、万物に畏敬いけいの念を持たなくなったからではないですか」

「今は真実よりも《物怪》を増やさぬ対策を整えることが先決だ。犯罪に走ると化物になるか自爆する。それだけでも多少の抑止力にはなるだろう」

「私には悪手に思えますわ。いっそ、誰かのせいにして祀り上げた方が手っ取り早いのでは?」


 それこそ愚策だと浅間は内心で毒づく。


、封じていたモノが増えすぎて限界に達したんだろうが。各地で怨讐えんしゅうと呪いがまき散らされ、大災害を人為的に生み出した原因は、人間が《役割》を怠ったにだけに過ぎない)


 浅間は《厄災》を封じる為に、誰かを祀りあげる押し付ける方法を否定しない。だが、封じた後──それは人間が祀り続けなければならないし、放棄してはならない。一族、集落であっても同じ。人間の祈りがあって初めて封印は機能する。

 神々の加護は無限ではない。有限であり、限定的だ。いわば神社で売っている

 そのたびに今まで使っていたものを供養し、新たに買う。それと同じように人間は万物神々に対し、祈りを連綿と続けていかなければ、効果は失われるのだ。

 浅間は忌々いまいまに胸ポケットから煙草を取り出すと、口にくわえた。


「火、と・く・べ・つ・につけてさしあげましょうか?」

「いや間に合っている」


 浅間は草薙の言葉を一蹴いっしゅうして、自分のライターで煙草に火をつけた。


「あ、そうでした。滝さんから伝言です。例の学生の二人は警視庁管轄の施設で保護しているとのことですわ」


 学生二人。今回の一件で一ノ瀬の恨みを買ったと思われる蒼崎匠と、その恋人である榎本佳寿美を事前に保護していたのは僥倖ぎょうこうと言えた。

 《クロガミ怪奇殺人事件》、《白霧神隠失踪事件》。その主犯ともいえる人間がいるはずだというのに、痕跡一つ残さない。この巧妙なやり口に浅間は覚えがあったが、その男は十一年ほど前に亡くなっている。

 その男には息子が居たことを思い出し、「調べてみるか」と独りごちた。その息子の名前は木下馨一きのしたけいいち。《MARS七三〇事件》の当事者だ。



***



 燈に貸し与えられた部屋は、学生寮よりも広い十畳ほどのツインの部屋だ。元々ホテルだった構造をそのままリフォームしており、室内は小綺麗だった。窓際に小さなテーブルと椅子が二つあり、燈はそこにもう一つ机の椅子を持って来て、三人で食べるようにセッティングを整えていた。

 ふと甘い香りと共に気配が生じた。


『おお、良き香りじゃ。今晩は鍋か』


 ダミ声だけが部屋に響く。燈は振り返るものの姿は見えなかった。


「鎧武者──じゃなくて、式神」

『お、桜刺身ばさしに大根ととりのそぼろあんかけとは豪勢だな。……と、三人分?』


「うん」と少女は首肯する。

 燈は式神が傍に居る気配をより濃密に感じ取ることが出来た。


「いつも三人分の料理を用意しちゃうんだよね。式神と話が出来るようになって、もう一人も、傍に居るかと思って……」

『主よ。ちなみに某は、主の真後ろにおるのだが……』


「え、そうなの?」と少女は慌てて振り返る。


『嘘じゃ』


 またしてもからかわれた燈は、手に持っていた紙皿を思わず握り潰した。


「私で遊ぶな」

『某の楽しみを奪うとは、酷い主じゃ』

「そんな趣味はさっさとやめてしまえ」


 燈はブツブツと文句を言いながらも、手を動かして食事の準備を整えた。


『……ふむ』


 式神は言葉をにごした。燈の言ったことは間違いではない。

 視えていないだけで、実際に居ると言えば居るのだ。薄らと幽鬼ゆうきに近い存在だが、記憶を失った燈の傍に片時も目を離さぬように──


(あとは……木霊こだまに囲まれていることか)

「わー、わー、トモリ、一緒にごはん」

「わー、わー。トモリ、トモリ」


 先ほどから十センチ程度の半透明な饅頭まんじゅうたちが、ぴょんぴょん燈の周りに引っ付いている。

 さきほど式神の声を拾った時に聞こえたのは彼らの声だ。そして少女がよくつまづくのも、彼らを踏まないように無意識で行っているからだった。


「さあ食べよう。いただきます」

『そうじゃな。さあ、

「…………ん?」


 燈は式神の言葉に引っかかり、笑みが凍り付いた。


「式神、いま、なんて?」

『我が主が、たらふく食わんと某にまで栄養がいかんからな』


 燈は目の前にある三、四人分の御馳走を見つめた。


「ま、ま、まさか。これ一人で全部食べろと?」

『仕方あるまい。憑代よりしろがない上に、お主が某の名を思い出せぬのだからな』


 御馳走の山が一瞬で悪夢の産物と化した。


「絶対に太る」

『何を言う。もう少し肉付きがないと体力がつかん。……と、そうじゃ。酒瓶は軽く口を空けて置いてくれればよいぞ』

(あ、お酒は飲まなくて済みそう)


 燈がホッとした矢先──。


『主は口を付ける程度で構わん。それならばよかろう』


 少女はたじろぎながらも「儀礼の一環なら……」と腹をくくった。


「わかった。……姿が見えないのは残念だけど、式神。私がご飯食べている間、何か話をしてよ」

『なんじゃ、唐突に』

「一緒にご飯を食べることは出来ないけど、話ぐらい付き合ってほしいなって」


 式神は少しばかり逡巡しゅんじゅんしたが『よかろう』と快諾する。


『そこまで、うむ。そこまで主が言うのであれば、万難ばんなんはいしてつとめさせていただこう』


 非常にもったいぶった言い回しだが、本人はかなり乗り気なようだ。



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