第25話 式神

 ***


 燈が部屋を退出すると、高級ホテルを思わせるモダンな雰囲気の廊下に出た。石畳いしだたみのようなこげ茶のカーペットに、オレンジ色の温かみのある照明が点々と廊下をいろどっている。

 訓練施設とはいえ、清潔と高級感があるというのは、とても有難かった。幸いに次の勝負まで時間があると、燈は希望的──いや楽観的に考えていた。


「よし、明日も頑張ろう」

『随分と悠長に構えているのだな。それとも、もう諦めたのか?』


 唐突に、けれど確かに意地の悪そうなダミ声が聞こえた。


「!?」


 燈は慌てて振り返るが、廊下には誰も居なかった。わずかに花の甘い香りが鼻孔びこうをくすぐり、何かが居るという気配はある。


「もしかして……鎧武者?」


 そう呟いた瞬間、大音量でさまざまな声が燈の耳朶じだに響いた。


「っあ……」


 声の多さと、その音の大きさに燈は立ちくらみを起こし、廊下の壁にもたれるようにしゃがみこんだ。


『────』

「わーゴザなんわールじゃトモリようだ!今ゴわーやくザまでルトわーどこ聞こモにいたリたののか? 会いん?たかみなった一辺にかも? 喋らしってい? はらしい主もキコエ困るテだろルう?」


 様々な声が燈の頭に響く。それはささやき声から鳴き声、笑い声。まくしたてる声。同時にいくつものラジオ番組が耳元で聞こえるようだ。

 燈は急いで携帯を取り出し、養護教諭の柳に連絡を入れようとする。しかし、あまりのうるさに携帯を床に落として両耳をふさぐ。


「いっぺんに……喋らないで。一人ずつ……あと声のボリュームを下げて……」


 燈の悲鳴に声が一斉に止んだ。ややあってコソコソと喋る声が耳に入る。


「だれから話す?」

「わー、わ─?」

「ござる、ござる」

「はーい。はーい」

「ずるーい」


 なにやら声の主たちは、わらわらと意見を言い合っている。少し落ち着いた燈は安堵したところで、なじみのある声が降ってきた。


『某の要件が先で問題あるまい。のう、我が主よ』


 それは聞き覚えのあるダミ声だった。ノリがよくて、人を小ばかにした口調だ。

 けれどなんか憎めない愛嬌あいきょうがある──


「鎧武者?」


 燈はホテルの廊下を見渡すがやはり人の姿はない。


(甘い……、花の香り?)

『ま、夢の中ではそうであったな。某は我が主の式神じゃ』

「あ、話が通じた」

『驚くところは、そこか?』

「んーーーー。ん、シキガミ?」


 燈は一瞬だけ「シキガミ」について考える。


「式神って、あの!?」


 陰陽師が使役する鬼神、式の神、古典や古文書には陰陽識神しきがみという記述がある。鬼、狐、犬、蛇、神すら使役可能という。

 ふと燈の脳裏に知りえない知識が浮かび上がった。彼女の考えが手に取るようにわかるのか、声の主式神は頷いた。


『然り。式神、式鬼なぞとも言われているがのう』

「私、記憶を失うまでは陰陽師だったの?」

『かかかっ。全然違うぞ』

(違うのか!?)


 燈は思わず肩を落とした。


「それにしても、どうして急に……あなたの声が聞こえるようになったの?」

『おそらくは《この地》の影響であろう。あとはお主が気づいたからじゃよ』


 気づいた? 何にだろう。

 燈は聞こえた時と、聞こえなかった時の違いが判らなかった。


『しかし、去年から声をかけても、気づかなんだが』

「は、去年? もしかして、ずっと話しかけていたの!?」


 あまりにも忍耐強い試みに、燈は声を上げた。それを見て鎧武者──式神は笑って一蹴いっしゅうした。


『某にとって大した時間ではない。それにお主が日々頑張っていたのを誰よりも、そう誰よりも知っておったからな。しかし、うむ。会話が成立するというのは、なんとも心地が良い。胸がすくのう』

(よ、予想以上に饒舌じょうぜつだ……)

『それに、また主と語らいが出来るとは、アレが知ったらさぞ悔しがるな。かははは、愉快なことじゃ』

「ええっと……お楽しみのところ申し訳ないんだけど。いろいろと話を聞いてもいいかな?」

『おお、そうじゃな。しかし、某のことを話すよりも、先にすべきことがあろう』


 式神はけらけらと笑っていたが、急に真剣な口調になる。燈は唾を飲み込みながら恐る恐る尋ねた。


「な、なに?」

『廊下に座り込んでいたら、他の利用者の迷惑であろう。ほれ、立って自室に戻るがよい。その間に某が説明する』

「ふぁ!?」


 あまりにも当たり前なことを指摘され、燈は自分が廊下に座り込んでいたことを思い出した。


(このフロアに人がいなくて、本当に良かった……)


 少女は立ち上がると、浅間が用意してくれた客部屋に急いだ。廊下を歩き出すと、式神の気配が動いたのを感じた。


『某と主の間柄よりも、あの武神に勝つための策を考えねばな。でなければ、絶対に


 式神の指摘通り、燈も重々理解している。


「もちろん。生半可なまはんかな攻撃じゃ駄目だって分かったから、後半はできる限り戦い方や癖を観察していたでしょ」

『それで、勝算はどれほど上がったのだ?』


 式神の指摘に燈は返す言葉がない。今のところ、いくら策をろうしても圧倒的に火力不足なのは事実だ。燈の最後の手としては、自分が捨て身覚悟の攻撃を繰り出しても、せいぜい確率が数パーセント上がるのが関の山。仮にノインが奥の手を隠していたとしても、未知数として計算には入れられない。

 なにより燈が自分の手で勝利をもぎ取らなければ、浅間は納得しないだろう。


 そこで式神が提案したのは、一時的に憑依する事で燈自身のスペックを底上げするものだった。話を聞いた燈の表情は硬く、式神に対して警戒を強めた。


『かかか。某が憑依ひょういしたら、主の体を乗っ取るとでも思ったのか?』


「うん……」と燈は正直に答えた。式神は「相変わらず素直じゃな」と心の中で微苦笑する。


『むしろ当然の反応じゃな』


 燈の不安を式神はさらりと肯定した。


「なんかごめん。……信じてないわけじゃ無いけど、ごめん」


 《憑依》と聞くと良いイメージが沸かないのは確かだった。自分以外のモノに自分の体を預けるのだ。万が一乗っ取られでもしたら目も当てられない。


『安心するがよい。確かにリスクは高い。なれど某が提案するのは、主の持つ武器に憑依をして、威力を増すというものだ。……ただ通常の憑依よりも同調率を上げなければならぬ』


 甘露かんろにも似た毒、そんな風に式神の話を燈は聞いていた。

 しかし随分ずいぶんと都合が良すぎるのではないか。

 目に見えないモノ。そして甘い誘惑に燈は裏があるのではないかと勘ぐったが、しばらくして吐息といきを漏らした。


「なるほど、……わかった。式神の話を信じる」


 声だけの相手に、まして危険な可能性が高いというのに、燈は信用すると軽く口にする。

 式神は僅かに逡巡しゅんじゅんしたが、喉を鳴らして笑った。


『某が申すのも可笑しいが、信じて良いのか? 偽りかもしれぬぞ?』

「うん。でも式神との同調率は、相手を信じないと難しいんでしょ?」

『左様。互いの信頼がなければ不可能じゃ』

「あなたを信じないと、この話は進まないでしょ。一方的な信頼じゃ駄目だって思ったけど違う?」


 式神は「その通りじゃな」と認めた。しかし理解する事と信頼することは別物だ。

 燈の柔軟な対応に、式神は目を細めた。


『かかかっ。云うは容易い。しかし、お主は某を信じるのか?」

「うん。普通、騙そうとするなら私になんて聞かないでしょ」

『…………』


 燈はあふれかえる会話のやり取りの中から、話者の心根を見出す。

 相手の意図、そのうちに秘めた感情をくみ取ろうとする。彼女ほど感性が鋭い人間を式神は知らなかった。


『では、憑依を行う前段階として、同調率を上げるところからじゃな』

「わかった。……それで実際には、何をするの?」

『なに、容易なことじゃ』


 急に声のトーンが下がった。燈は式神の要求に息を呑んだ。


『まず、某と主がなるものをすればよい』

「は? ……はいいいい?」

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