第24話 敗北からの反撃

 ともりの息は荒く、全身から汗が噴き出していた。

「精々二十合打ち合えば自滅するだろう」そう浅間は考えていた。だが、実際は二十合打ち合っても、叩き潰しても、少女はのろのろと起き上がって、木刀を構える。


(自棄になった……? いや剣戟は少しずつだが鋭く、そして重い一撃をぶつけてくる……)

「どこにそんな力が残っているのか」そう浅間が疑いたくなるほど、燈は何度でも立ち上がった。



***



 燈は木刀で構えながら剣戟けんげきの数手先を見据みすえる。

 ふと、ある声が脳裏を過った。


──敵との実力差がある場合、正攻法ではまず勝てない。なら頭を使って奇策を組み立てろ。奇策と正攻法を混ぜ合わせて繰り返し、単調にならず、ここでも駆け引きをするんだ。ほら、やってみろ──


 粗っぽい戦術だが、限りなく実戦向き。

 嬉々として語る声が耳に響く。

 手厳しく、容赦がない。まるで眼前にいる浅間のような指摘に燈の口元が緩んだ。


(これで剣術の師が浅間さんだったら、もう少し技量が上がっていたかな。……まあ、どっちだって今やることは変わらないけど)


 燈は何度も浅間の竹刀に叩かれ倒れても、少しすれば再び起き上がり活路を見出そうと足掻いた。


(……勝てない)


 それは百も承知だ。

 けれど──。


(それで私が諦める理由にはならない!)

『かかかっ。ああ、そうじゃな。それでこそ某の──じゃ』


 ふと、燈の背後で不敵に笑った声が聞こえた。その声に背中を押されて、少女は木刀を振るう。

 燈の動きに合わせてノインは一閃、二閃と浅間の頬をかすめかけた。

 彼は浅間の顔面、そして目に向かって容赦ようしゃなく突きを放つ。だが、浅間は攻撃を一つ一つを丁寧に弾き返し──ノインが大振りになった瞬間を狙って、強烈な一撃を叩き込む。


「ぐはっ……」


 ノインは軽々と吹き飛ばされ、壁に激突した。

 その一瞬、構えていた燈が動く。

 浅間は少女の行動パターンを読んでいた。素早く迎撃態勢げいげきたいせいに移る──読み通り燈は、浅間の死角から距離を詰めてきた。


(フン。貴様が間合いギリギリに入った瞬間、カウンター返して終わりだ)


 しかし燈は攻撃せず、浅間の真横を通り過ぎた。

 一瞬、意表をついた行動に、浅間の体は数秒ほど硬直する。

 だが──。


「下らん」


 浅間はノインの放ったゴム弾を竹刀ではじく。

 その刹那──燈は、振り返り浅間の真正面で木刀から手を離す。嫌でも浅間の視線は武器である木刀に引きつけられる。

 武器を失った燈は、態勢を低くし腰に隠していたゴムナイフを浅間に投げた。


「今のはいい手だ。だが、やはり遅い」


 ここで燈が突っ込んできたら、多少浅間の反応が遅れただろう。だが、飛び道具の場合、ただ払い落とせば良い。

 浅間にとって跳び道具の回避は楽なものだ。


(愚策だな)


 浅間は思ったのだが、結論を出すのは少しだけ早かった。

 突然、ノインが浅間の視界に入る。


(これもフェイクか)


 そう浅間が判断した時には、勝敗は決していた。

 ────はずだった。

 


***



 二〇一〇年五月一日 午後七時過ぎ頃。

 何十、何百と繰り返された勝負は敗北の二文字で幕を閉じる。

 燈とノインは健闘したものの、浅間の動きキレが一層鋭くなり戦況をひっくり返せなかった。

 勝負一日目は終了。

 浅間に出動要請が出たからだ。もっとも燈もノインもすでに体力の限界ではあったので、願ってもない申し出ではあった。


「秋月燈。汗をかいたんだ一度風呂に入って体を温めたのち、ストレッチを三〇分必ずやるんだぞ。それと水分補給をしっかり取ること。補給はかならず常温でだ」

「う、お母さんキャラが定着しつつある……」

「誰がオカンだ」


 浅間のツッコみに燈は別の言い回しを考える。どうにも《浅間さん》と口にするのに妙に違和感があるのだ。


「わかりました、

「そちらの方がまだマシだな。わかったら睡眠もしっかりとれ」


 あまりにも自然なやり取りに、本人たちもその言葉の意味に気付いていない。ノインがそのことを指摘しかけたが、ドアをり破る音によって遮られてしまった。


「浅間! 滝さんからどーーーしても、私に行ってほしいと、言われたので迎えに来ましたー!」


 室内に現れたのは、遠目でもわかるほどの美少女。

 彼女の名は草薙祈織くさなぎいおり。黒のベストに赤のリボンと、お嬢様のような清楚な印象の制服。少女の容姿も可憐だった。なびく長い髪は、色素が薄いのか青髪に近い。桃色の肌に、猫のような大きな瞳、スラリとした肢体と控えめに評価しても美少女の部類に入る。


「なぜ貴様が滝の使いで来るんだ?」

「人が足りないから、しょうがなーく、私が来たんです。それにまだゲームを続けているようだったら、中断させて良いと言っているので」


 ゾッとするような殺意に、室内の温度が急激に下がった。


(あ……あれ? 前に病室で会った時は、もっと優しそうな人だと思ったんだけどな……)


 親の仇を前にしたような草薙の態度に、燈は困惑する。しかし浅間は特に気にした様子もなく、ハンガーにかけておいたロングコートを肩にかけて入口へと歩き出す。


「わかっている。それと草薙」

「な・ん・で・す・か?」


 あからさまに苛立った彼女は、抜刀に似た構えをする。佩刀はいとうしていないが、冗談やふざけている雰囲気は欠片もない。

 下手したらここで戦闘が始まるかもしれない。そんな張り詰めた空気が流れた。


「貴様を本日付で《特別災害対策会議・大和やまと》特務部隊六課に配属とする」


 浅間はロングコートから綺麗に折りたたんでいた書類辞令を、草薙に突き付けた。


「え」


 殺気だった鬼女は、ハトが豆鉄砲を喰らった顔に早変わりする。


。特に未成年で精神の不安定な部分も多い」

「……それなら《失踪特務対策室》専属特殊部隊・零はなんなんです?」


 キッ、と表情を鋭くする草薙に浅間は嘆息する。


「その質問に答える義理はない。それに貴様の場合は、表向き職務につけない。自分でもわかっているだろう」

「ふん。そんなのは私のせいじゃないもの。……それに私、滝さんの為なら、誰であろうと首を斬り落す覚悟があります」


 蠱惑こわく的な笑みを浮かべる。その横顔に燈は思わずゾッと寒気を覚えた。


「ああ、そうか。ならいい加減、滝に告白してくれ」


 その瞬間、草薙の顔──いや耳までがリンゴのように、真っ赤になった。さっきまでの嫣然えんぜんとした笑みが消え去っている。


「え?」


 燈はその変貌へんぼうぶりに声が漏れた。


「はわわわ……。な、こ、告白? この私が……滝さんに? む、無理、無理ですわ。私、これでも高嶺の花なんですよ。だから、出来るなら滝さんから~、その、告白して欲しいと言いますか……」


 草薙は急に年相応の恋する女の子になる。その変わりように燈はいろいろと察した。


(滝さんの名前一つで、こうも雰囲気が変わるなんて……)


「よし。今回の一件が片付いたら、滝との食事会をセッティングしよう。それから二人まとめて三日間の有給も付けるが……どうする?」


 草薙は背筋を伸ばし、かかとそろえて浅間に敬礼する。


「室長! 何処までもついていきます!」

(変わり身早っ!?)

「では車の手配を頼む」

「喜んで!」


 草薙は矢の如く部屋から飛び出して行った。燈たちはその背中を呆然と見送る。


「フッ、ちょろいな」

『ちょろいのう……』

(ちょろすぎる。草薙さん、それでいいのかな……)


 この場にいた全員が、草薙に対して同じ感想を抱いた。


「……あれが草薙祈織。ランクA+類い稀なる剣術の天才。彼女の弱点、滝千夜……データー更新……」

(ノインのデーターって、警視庁メインサーバーに繋がっているんじゃ……?)


 燈は会ったことのない浅間の同僚、滝に同情した。


(……にしても、専属特殊部隊・零? ……ん、なんだか込み入った事情があるのかな?)


 考え事をしている燈の目の前に、ふと人影が肉薄にくはくする。

 慌てて顔を上げると、額に痛みが走った。


「うぐっ!?」


 燈はひりひりと痛む額をおさえる。いつの間にか眼前に浅間が佇んでいた。あの巨体でありながらその俊敏しゅんびんさに、少女は改めて彼の実力を見せつけられた気がした。


「いいか、秋月燈。両足は特にマッサージをして寝るんだぞ」


 浅間はそれだけ言うと部屋を出ていくので、燈はその背中に向けて慌てて叫んだ。


「わ、わかっています!」

「心の友その壱、自分もメンテナンスがあるので失礼する」

「あ、うん。お疲れ様」


 ノインを見送ると燈は崩れ落ちるようにその場に寝転んだ。呼吸はだいぶ落ち着いてきたが、起き上がれそうにない。


(浅間さんもノインも規格外でしょ……。あんなに強いなんて、チートでしょもう)


 浅間龍我、《失踪特務対策室》室長。ランクAAA+警察庁トップの実力者。Artifactアーティファクトknightsナイツ試作九号機──通称ノイン。ランクAサーバー対策室のエース。

 二人とも肩書も実力もある。燈から見れば遠い存在であり、完全に規格外チートである。

 そのさまをまざまざと見せつけられた燈は、落ち込みはしたものの、心まで折れることは無かった。昔──もっと力の差を突き付けられ、絶望と挫折を味わった苦い気持ちだけが、浮かび上がってくる。


 どうすれば──近づけるか。

 どうすれば──隣にいられるか……。

 懸命けんめいに考え、努力を重ねたことだけは覚えている。けれど、なぜそこまで必死だったのか。

 そこまでして成し遂げたいと、駆り立てる動機ものが今の燈には欠けているように思えた。

「あの神様に会いに行く」という目的はある。

 記憶を取り戻したいという覚悟もあるのに、何かが足りない。


 ふと、お腹の音が響いた。


(うう……。まずはなにか食べないと……)


 燈は用意してもらった客部屋に戻ろうと立ち上がった。この部屋の入り口付近に空調や照明を調整するモニターがあり、退出における室内設定を記入する。

 部屋の清掃ボタンを一二〇分設定でおこなうと、天井から消毒スプレーが噴出され、室内の清掃が開始するという便利機能付きだ。


(これから料理するのは辛いから、なんかお弁当でも買って……。いやその前にシャワー浴びて……)


 よろよろと少女は部屋を出た。

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