《幕間》 三者三様

 時は少しさかのぼる。五月一日栃木県那須町、殺生石周辺──

 《物怪》を排除し、気を失ったともりを回収した浅間あさまは周囲を見渡した。


 硫黄と白い霧が晴れた殺生石せっしょうせきの周辺は、マグマの噴火痕に、巨大な隕石でも落ちたかのようなクレーターの数々が、その現場の凄惨さを物語っていた。周囲は黒く焼き焦げ、新たな草花の姿は見えない。ここには死をまき散らした爪痕が残っていた。


『なに。意図的に憎悪と呪いをまき散らし惨劇を運ぶ……。そのに心当たりがあったと思っただけじゃ』


 それは燈の影に潜む式神の言葉がきっかけだった。

 嘲笑ちょうしょうするような軽い口調だったが、言葉の端々はしばしには殺意がこもっていた。


「ほう……。今まで事件現場に居合わせたのは、腹を満たす為ではなかったのか?」

『さてな』


 式神は浅間の言葉をはぐらかす。


『《MARS七三〇事件》……あれは悲劇であったが、此度こたびの事件。そしてこれから起こりうる出来事は、人為的な災禍さいかの可能性が高い』

「まるでこれから何が起こるのか、知った風な口だな」


 浅間は剣呑けんのんな空気を漂わせつつ式神の真意を探る。しかし、主の影に身を潜ませた彼は嘲笑あざわらう。


『なに、単なる経験則じゃよ。《物怪》の中でも形を《ぬえ》としている所が悪意に満ちておるしのう』


 ぬえ

 古典『平家物語』などに登場する。この《アヤカシ》が現れたのは、第七十六代近衛このえ天皇の御代。

 ある時、丑の刻になると帝が住む清涼殿が暗雲に覆われ、トラツグミの声に似た不気味な鳴き声を上げたという。それは毎夜続き、帝は恐れと心労で病床に伏せてしまった。

 そこで白羽の矢が立ったのが──酒呑童子を倒した源頼光みなもとのよりみつの子孫であり、弓の名手だった源頼政みなもとのよりまさだった。

 彼に暗雲退治を依頼することによって解決を見せた。その後も二条にじょう天皇の御代にも鵺は出現し、同じく源頼政によって斬られ退治された話がある。


「あれは元々、皇位継承をめぐる藤原氏の権力争いによって、天皇への呪詛じゅそから生まれたモノでは?」


 龍神が言葉を挟んだ。式神は少しばかり驚いたのか、一拍おいて龍神に皮肉を返す。


『なんじゃ、人の世に興味などなかったお前にして珍しく詳しいのう』

「興味はありませんが姫は人の世に生きるもの。ならばその歴史を学ばねば理解出来ないこともあるでしょう」

『ほうほう、確かにその通りじゃ。千年以上前、お前は《龍神の花嫁》が、真に理解しておらなかったのだから。学ばねばならぬな』


 式神の遠回しなあざけりに、龍神の怒りの気配が膨れ上がった。

 ピキッ──

 一気にその場の空気が張り詰め、静電気の火花で周囲が発火しそうになる。


「……それをどこで知ったのです」

のではない。じゃ』


 式神と龍神の間に殺意めいた空気が流れた。

 バチバチと火花を散らせ、どちらかが動いた瞬間──間違いなく殺し合いとなる。


「いい加減にしろ。……話を戻すぞ式神」


 割って入ったのは浅間だった。彼もまた二人を仲裁できるだけの力を持っているからこそ、口を出すだけでその場の空気を変えた。


『……そうじゃな。主の為に何もできぬ龍神と張り合っている場合ではない』

「姫を守る剣として、何ら役に立っていない式神がなにを」


 いつになく張り合う二人だった。

 あまりにも幼稚ようちな言い合いに、浅間の額に青筋が立っている。


「貴様ら……本当に仲が悪いのだな。そんなことよりも──」

「姫に対して、そんなこととはなんです」

『我が主に対して、聞き捨てならんな』


 息ぴったりに反論する龍神と式神に、浅間は怒りを通り越して呆れ果ててしまった。


「……はぁ、悪かった。秋月燈に対して軽視した訳ではない」


 浅間の謝罪に龍神と式神の殺気が弱まった。その隙に乗じて彼は言葉を続ける。


「式神、貴様はこれから起こる《災禍》に対してどう動く?」

『どちらにせよ今の某では出来る事はさほど多くない。《役割》を担う力もないのでな。……故に、武神殿には我が主の力を取り戻すためのご助力を願いたい』


 式神の提案に、龍神はあからさまに軽蔑した視線を影に向けた。


「なっ……。姫を危険にさらす気ですか」

『もう十分危険な目に遭っているではないか。先ほど話に出てきた《鵺》じゃが、おそらく統率者がおる。それも存在するだけで《災禍》をもたらす類の人間じゃ。そんな連中がのだ。これは由々ゆゆしき事態ではないのか』


 燈の中に封じられた膨大な力。万が一にも暴発すれば国ごと吹き飛ぶ可能性もある。


「それは……」

「式神、統率者がいるとは、どういうことだ?」


 式神は燈と相対した警察官のこと。そしておそらく遠隔操作をして会話をしていた人物について語った。《物怪》なっても流暢りゅうちょうに話をしていた声の主──その言葉尻から感じ取れた危険度。


「なるほど。式神の言いたいことは分かった」

『では我が主の力を取り戻す為、ご助力をいただけると』

「ああ。戦力が増えるのならば、こちらとしても願ったりだ。だが、あくまできっかけを作る程度だが、問題ないか」

『某に異存はない』

「龍神、貴様にも一応聞いておこう」


 龍神は黙ったままだ。何か口にしようとして黙る。

 数秒ほどの葛藤の末、龍神は答えを出す。


「ありません。姫のことにおいて今、私が出来ることは、信じて待つだけです」

「では決まりだな」


 浅間はすぐさま燈の稽古について思考を巡らせる。少女の《封印術式》の拒絶を引き出さずに、式神との繋がりを取り戻す手助け──そしてその方法。

 相手の覚悟をどう見定めるか。

 式神の真名をどう思い出させるか。

 すでにこの半年で様々な対応を行い、そのほとんどが失敗に終わっている。だからこそ慎重に、そしてによる選択でなくてはならない。


(さて、どうするか)


 話す内容もなくなり解散という雰囲気となったが──

 そこに第三者が一石を投じる。


「ん……。たい焼きはひとり……二つまで……。クリームは……残して……んんん」


 沈黙。

 一気に間の抜けた空気に早変わりする。

 浅間の腕の中で、あまりにも呑気な寝言を口にする燈に、三つの視線が向けられた。


「…………ハッ、今なら夢の中で姫と一緒に、たい焼きが食べられるのでは!?」

(真剣に何を言い出すんだコイツ)


 浅間は龍神の切り替えの早さに内心で毒づいた。

 対して張り合っていた式神は黙ったままだ。


「おい、式神。貴様もまさか龍神と同じく、下らない事を考えてはいないだろうな?」


 浅間の問いかけに返答はない。

 ハッと、龍神は式神の行動に察しがついたようだ。


「まさか……すでに夢の中に? くっ……うらやま──いえ、ならば私も……」


 龍神は本音を言いかけつつ、あっという間に気配を消した。もし千年前の龍神が今の自分を見たらどう思うのか。それほどまでに彼は変わった。


「はぁ、もう勝手にしろ」


 しばしの沈黙の後、浅間は燈の影を睨んだ。


「……で、式神。まだ俺に用か?」


 影がゆらりと動いた。


『なに、一つ聞き忘れたことがあると思ってな』


 龍神に聞かれたくなかったのか、それとも単に忘れていただけなのか。

 浅間は目を細めるが、式神の意図を読み取ることはできなかった。


「聞こう」

『もし《鵺》の統率者が《、武神殿は何を最優先するのか……聞いてもよいか』


 殺気。

 否、そのような生ぬるいものではなかった。その場の空気が凍り付き、刃となって式神に突き刺さる。


「……貴様、本当に何を知っている。……?」


 声のトーンが下がり、その眼光は殺意に満ち満ちていた。


『某は、少しばかり事情を知っておるだけじゃよ』


 軽快にそしてあざけわらうような声だった。

 だが──


『それと……誰を敵に回そうと。それだけは変わらん』


 それが式神の矜持。彼の言葉には決して揺らぬ意志があった。


「……そうか。なら俺も先ほどの問いに答えよう」


 浅間は腕に抱いている燈を見やって、表情一つ変えずにこう答える。


「《荒御魂あらみたま》を今度こそこの手で始末する。それ以上の優先事項など俺にはない」

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