第23話 勝負開始
二〇一〇年五月一日 午後三時過ぎ──
栃木県那須塩原市内、警察庁特別施設。
病院を退院した後、
勝負にあてがわれた部屋は、一辺が五十メートルの立方体の大広間。部屋は真っ白な壁になっており、全面に衝撃吸収材を使用。そのため窓は一つもない。
「ゴールデンウィーク中、この部屋とは別に客人用個室を二つ借りておいた。寝泊りと食事はその部屋で行え」
浅間は燈とノインにそれぞれ部屋のIDカードを手渡した。至れり尽くせりの環境だが、燈の表情は晴れない。
少女は緊張した面持ちで重い口を開いた。
「……浅間さん。勝負の内容を教えてもらえますか?」
すでにこの部屋を訪れた段階で勝負内容は決まったようなものだが、それでも燈は声に出して問う。
「俺から一本を取ったら、貴様らの勝ちとする」
シンプルな勝負。だからこそ小細工は通用しない。
「俺は任務があるので、この空間には一日数時間程度しかいない。その間はこの建物内なら好きに出歩いて構わん。図書室から食堂にスーパーまで揃っている。……他に質問は?」
燈は真っ先に期日を聞いた。それに対しての返答は
ゴールデンウィーク最終日。
「質問を提案。銃火器の使用は?」
「俺は問題ないが秋月燈に被弾する可能性を考慮して却下だ。ま、ゴム弾の使用は認めよう。ただし、あくまで俺から一本取ることが勝利条件だ」
「了解した」
(銃を使っても構わないとか……。二人の戦闘能力がおかしいんだけど……)
浅間龍我、《失踪特務対策室》室長──にして《物怪》を一撃で
(いや、でも……戦いも駆け引きだし、あの見えない矢を使う可能性だって十分にある……はず)
燈に緊張が走る。あんなものを使われたら勝負にならない。
「あ、あの!」
「なんだ? 今更怖気づいたのなら、やめても構わんぞ」
浅間はニヒルな笑みを浮かべた。挑発だとわかっていても、燈は僅かに眉が吊り上がる。
「いえ、……浅間さんは《物怪》を倒した力も使う気ですか?」
「フン、もしその力を俺に使わせたら、一本取らなくても貴様らの勝ちにしてやろう」
余裕。あまりにも気軽に勝利条件を追加する。だが言い換えれば、その一本を取ること。そして力を使わせることが極めて困難だということを
「質問がなければ、三十分後に始めるぞ」
「わかりました」
「了解した」
***
燈は動きやすいスパッツとTシャツ、パーカーに着替える。ハイキングと言うよりは登山を想定した服装を選んでいた。
(模擬戦……。それも二対一。人数的に有利な分、チームワークを活かして攻撃すべきか……。うーん。とはいえノインの戦力も不明な中でその作戦は……)
妙な気分だった。
剣道の試合とは全く異なるというのに、この緊張感を燈は知っているような気がした。
──《戦わずして人の兵を屈するのは善の善なる者なり》……それがもっとも望ましい──
燈の脳裏に
懐かしいと感じるのに、
どんな人だったのか、姿形すら朧気だ。しかしその言葉は肉体に、魂に刻まれていたのか
──戦う道しかない場合は、必ず勝てる状況に環境を整えるように務めること。状況を無視して闇雲に動かない。もちろん、一か八かの冒険は避ける。勝算がないと見極めた時は、
優しい声に燈はその時、どう応えたのだろう。
おそらくは「それでも勝たないといけない時はどうすればいいか」だ。
──愚問ですね──
どこか人を小ばかにした口調だが、その心根はどこまでも燈を想って出た言葉だった。
──この場合は
燈が死なないように。いつも心配してくれた誰か。
声を聴くだけで胸が熱くなる。
白昼夢に近い記憶を愛おしみ、少女は現実と向き合う。
***
浅間との勝負が始まった。燈とノインは木刀を使い、浅間は竹刀で受けて立つ。
先に今日の対決時間を決めて、後は
それ以外の細かなルールはない。
二人対一人のハンデ付きで基本的に浅間から攻撃は仕掛けず、迎撃のみ。本来ならば多少なりとも勝算があると考えられるだろう。
だが──
開始三〇分で燈は滝のような汗が流れ落ちていた。呼吸も荒く、構えを維持するので精いっぱいだった。
「ぜぇ……ぜぇ……は、反則でしょ」
「この程度で息が上がるとはな。退院して一か月と少しだが
浅間はノインのゴム弾を軽々と
燈の攻撃は空を切るばかりで、浅間とぶつかり合うことすら出来ずにいた。
「貴様は規則正しい睡眠、適度な運動、栄養バランスのよい食事をとっているのか」
「お母さんみたいなアドバイス!?」
「誰がオカンだ」
その声は燈の真後ろで聞こえ、振り返った瞬間──
「反応が遅い」
燈は頭を軽く小突かれた。
「痛っ」
完全に遊ばれている。それほどまでに燈と浅間の戦力差は大きく開いていた。
向こうは不出来な弟子に稽古をつけている感覚なのだろう。
「斜角調整、行動パターン、反応速度更新──完了」
浅間の傍には燈もいるがノインはお構いなしに銃口を向ける。
「え、ちょ……」
「
「のおおおおお!?」
浅間は軽々と避ける。だが燈にはそんなスキルも回避能力もなく、ゴム弾に直撃したのは言うまでもない。
***
浅間の身体能力は警視庁一。いや、武においては人間では到底かなうはずもない。
そんな超人に挑む二人。
医療と科学の結晶体である
彼我の戦力差は天と地ほどある。
剣を交えて燈は痛感した。
(ここまで差があったなんて……。これじゃあ、勝負にならない……)
数十ほど打ち合っているノインと浅間の動きを目で追うのがやっとだった。
一撃ごとに火花が散るような衝撃を生み、その洗練された
常人ならばその光景を見ただけで挫折し、心が折れただろう。
もっともそれこそが浅間の狙いだった。
(さて、少々大人げない気もするが……ただの人間では絶対に一撃は届かん。その差を
浅間もまた最善の方法を選び、燈の覚悟を武に問う。
言葉の覚悟ほど軽いものはない。実際に行動し実を結ぶことがいかに困難か、少女に現実を突きつける。
ふと燈に視線を向けると、膝を屈し肩で呼吸をしている。体力は限界に近いのだろう。
(やはりこの程度か──)
浅間はノインの剣戟を受け流し、
「くっ──スピード〇.七秒加速!?」
(スペックは悪くないが、動きは単調。その上、駆け引きが少なすぎる)
ノインは行動の予測において最適解を叩き出すが、そこに相手の癖やフェイクは考慮されていない。実戦の経験不足と言えた。
(ノインのランクはB
そう判断し、ため息をこぼした瞬間──
鋭い視線に浅間はふと顔を上げた。
ノインが一度距離を取った絶妙のタイミングで、燈は弾丸のように浅間の懐に入った。
「なっ」
「たああああ!」
踏み込みが甘く、燈の一撃を浅間は軽々と避ける。
その刹那、背後にノインが鋭い一撃を放つ。燈とノインの即興連携──それは浅間にとって予想外の行動だった。
「チッ……」
浅間は逃げるどころかノインへと飛び込んでいく。その巨体では反則ともいえる
再び浅間は背後に鋭い視線を捉えた。
背中からの攻撃に振り返らず浅間は燈の一撃を防ぐ。
(動きの切れは悪い。素人に毛が生えた程度だ。センスも才能もない。実力もない。万が一にも
浅間の剣戟の勢いに、燈は簡単に吹き飛ばされる。
「ぐえっ……」
蛙を踏みつけた様な声を出して、少女は床に転がった。しかし思いのほか受け身はしっかりと出来ているようだ。
「《心の友その壱》、無事か?」
「……うう、容赦なくゴム弾打ったくせに」
「避けられると推測していた」
そう口で言いながらノインは目をそらしている。
「絶対に嘘だよね。絶対にわざとだよね!?」
あれだけ打ちのめされたのに燈はノインに軽口を叩いていた。どう見ても体力は尽きかけている。しかし、彼女の闘志は消えるどころか燃え上がっていた。
浅間は燈が立ち上がるのを待った。
「ノイン、もう少し付き合ってもらえる?」
燈は起き上がりながらノインに声をかけた。
「肯定──連携を行うための構築データーサンプルも十分に取れた。同期完了、いつでもいける」
息一つ乱れずノインは返答を返す。実に羨ましい──燈はそう思いながら、唾を飲み込んで微苦笑を浮かべた。
「うわ……。体力底なしでいいな……」
「否定──全力での戦闘可能時間……約三五七八秒」
「それ大体一時間だよね? ……充分規格外だと思うんだけど」
燈は不平不満を言いながらも、笑った。未だ彼女の心は折れていない。
彼女の
「はははっ……」
浅間は思わず口端が緩んだ。彼は秋月燈という少女を見誤っていた。
あまりにも凡庸で、才の欠片もない。ごくごく普通の少女──否。
(ああ、そうだった)
浅間は僅かに認識を改める。
(秋月燈自身の
不思議と懐かしく心弾んだ。
ふと浅間は首元が窮屈に感じ、ボタンを一つ外した。チャリ、と二つの指輪を通した金色のチェーンが視界に入る。どこか懐古的な記憶が脳裏を
浅間は改めて竹刀を握り直す。
(わかってやっているのか、それとも無自覚なのか。……これの勝負は、
眼前に立ち上がる燈に竹刀を向ける。
「では、第二ラウンドといこうじゃないか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます