第20話 加勢する者たち

 ともりは急な傾斜に飛び込むと、そのまま転がり落ち──気を失った。その刹那、式神が影から飛び出す。一時的にクッションになって、少女の外傷を最小限に抑えることに成功する。


(まったく無茶をするのは変わらんな。じゃが、それでこそ我が主と言ったところか)


 ***


「ん……」


 燈が次に目を覚ますと、硫黄の匂いが混じった霧が周囲に漂っていた。しかしよく目を凝らすと、黒々とした濃霧が空間を歪ませている。


(ん……痛っ……)


 いつの間にか抱きしめていた童女の姿はなく、少女は節々の痛みで目が覚める。


 どれぐらい気絶していたのか──

 少女は身体の節々が痛む中、朦朧もうろうとした意識の中で人影を捉えた。

 人ではないモノ。

 《物怪もっけ》じりじりと近づく。


「アガガガガ……!」


 猿の顔は、ニタ~っと意地の悪い笑みで燈を見下ろした。

 嫌悪感と向けられた殺意に、燈は目を開いて体を動かす。


「ぐっ……」


 立ち上がろうとするも力が入らない。


(《物怪》を何とかする方法……。どうして……この人は……こうなってしまったんだろう……)


 男からは《第一級特異点夢の中》で見た人の《想い》というのが感じられない。その瞳を見ても空虚で、誰も映さない。否定した目だ。

 相手をそのまま写す硝子玉──

 共感できるものが何一つない。

 ただ己が心の愉悦を満たすために、動いているように思えた。獅子の長い爪は、自分を守る為ではなく、他人を傷つけるため──尻尾は蛇の頭をしており、人を呪う言葉ばかり吐き出す。

 燈は理解した。


「そっか。《物怪》は自分から人間を辞めた人たちの総称だったんだ……」


「ええ、そうです。


 ふと、誰かの視線を感じた。けれど人影も、足音もない。

 僅かに白檀の香りが鼻孔をくすぐる。


「つまり──《ことわり》より《役割》を持った者たちにんげんの領分となります」


「アガガガ!」


 《物怪》が燈に飛びかかった瞬間──

 眩いほどの雷光が《物怪》の体を射抜く。

 迸る白銀の光に周囲の濃霧が消えかけていた。


「……神様は……助けないんじゃ……なかったの?」


 燈は電話越しではなく、すぐ傍で聞こえる声に言葉を返す。


「ええ、その通りです。神は助けない。……


 冷ややかな口調だが、優しくて暖かな声が聞こえる。

 燈には彼の姿は視えないが、近くに感じられた。


「ガガガガガ……アアアアア!!」


 稲妻によって男の体は焼け焦げていた。

 だが倒れず──目はギョロリと燈を見下ろし、ガクガクと体を無理やり動かそうとしている。


(あくまで問題は人間で解決しろってことだよね……。この状況下でなんとかしろなんて……難易度高すぎでしょ……)


 ただの人間に無茶をいう。

 勝算はあるのだろうか。燈は神様に問うた。


「そうですね。壱、言葉で心と魂を討つ──弐、《物怪》を形成している心と魂を《破魔の矢》か《退魔の刃》で切り結ぶ。参は飛ばして──この状況では肆、力で器の人間ごと消滅させるしかありませんね」


「……ち、力業でごり押し!?」


 難易度どころか実行すれば殺人罪。

 燈は不可能に近い気がしてきた。


「えっと……ちなみに、あの状況から人に戻せる可能性はないの?」


 この状況でその質問を投げかける燈に、声の主は笑った気がした。


「ありますが──」



 突然、振ってきた言葉と同時に突風が吹き荒れた。

 一陣の風──

 否──不可視化された矢が《物怪》の体を貫く。


「アガ………」


 まるで大砲でもくらったかのように、《物怪》の体に大きな穴が開いた。

 《物怪》は警察官の姿を維持できず、黒々とした濃霧と共に灰となって消える。その最期はあまりにもあっけなく、そして無慈悲なものだった。


「ふう」


 聞き覚えのある声に、燈が視線を向けると五〇メートルも先──

 笹の葉が揺らめく竹林の下に、男が佇んでいた。死神を彷彿させる黒い軍服姿の巨漢──


「あ……、浅間さん!?」


 浅間は弓も矢もないのに、弓道の構えを解くと燈の元へと駆けつける。見知った人間を見たからか、少女は急に力が抜けてその場に崩れ落ちた。


(あれ……力が……。これじゃ、また……)


 燈が崩れ落ちた瞬間、見えない何かがそっと体を抱き上げる。

 少女が瞼が閉じる瞬間、白銀の髪が目に入った。


「あ……」


 印象的な髪、なにより酸漿色の瞳と目が合った──


「姫、お疲れさまでした」


 そのねぎらいの言葉に燈は口元が緩んだ。



 ***



 《物怪》が消えたことによって、黒々とした濃霧は完全に消え去った。

 浅間は携帯で救護班の手配をすると大股で燈へと歩み寄る。


「はぁ、どうにか間に合ったようだな」


 胸のボタンを一つ外すと浅間龍我は嘆息を漏らした。


「随分とのんびりとした到着ですね」


『武神殿ともあろうものが、遅いではないか』


 姿の見えない龍神と、燈の影に潜む式神が同時に口を開いた。二人とも姿はないが気配だけは色濃く残っている。


「…………」


 開口一番の言葉に、浅間は額に青筋が浮かんだ。


「貴様らと違ってこっちは肉体があるんだ。瞬間移動みたいな真似などできるか」


 浅間の怒号に対して、龍神と式神は悪びれた様子もなく言葉を返す。


「故に精一杯の時間稼ぎをしていたでしょう。まあ、最悪の場合、この辺一帯を更地にする程度の覚悟はしていましたが……」


「絶対にするな。事後処理が大変なんだからな」


『某は暴走する可能性があるからのう。最低限しかバックアップできん』


「ああ、そうだな。そうしてくれ」


 さらっと恐ろしいことを事もなげに告げる二人に、浅間は殴りかかりたい衝動に駆られたが、寸前の所で抑えた。


「貴様ら……そこまで現世に関わるなら《憑代》を何とかしろ。……というか去年まであっただろう」


「……そういえば、そうですね。だとすると記憶がどうにも曖昧のようです」


『まあ、仕方あるまい。龍神の力と記憶の半分は、我が主が封印を施しておるのだから』


 硫黄と白い霧も晴れた殺生石の周辺は、マグマの噴火が起こり、巨大な隕石が落ちたかのようなクレーターの数々が目立つ。

 さらに大地は黒く焼き焦げ、新たな草花が芽生えた様子もない。まさに凄惨な光景が広がていた。唯一、神社付近だけは竹林などが、僅かに残るだけだ。


「この手の話は保留、それで話はついた筈だ」


 三人の間でこの手のやり取りは、もう何度も繰り返している。

 式神は何か知っているが、答えはしないだろう。互いに踏み入れば、その先は修羅の巷と化すだろう。


「そうですね」


『今のところは、そうじゃな』


「ひとまず秋月燈の保護と、今後の方針を改めるのが先だな」


 浅間は気を失っている燈の傷の具合を確認すると、龍神に変わって抱き上げた。


「傷は? 目立った外傷はないはずですが…… 」


「ああ。打ち身程度だな。ま、問題あるまい」


『そうじゃ。武神……今回の《物怪》で形を得たアヤカシは《鵺》じゃったぞ。?』


 何処か楽しげな口調で式神は浅間に問う。その言葉に彼の片眉がピクリと動いた。


「そうだな。そう報告に上がっている」


『以前、我が主が渡った《第一特異点》に群がっていた《物怪》くずれの姿も、《鵺》に似通っておった』


「……なにが言いたい」


『なに。意図的に憎悪と呪いをまき散らし惨劇を運ぶ……。それと似たやり口に心当たりがあると思っただけじゃ』

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