第二幕 ~GW編~ 「幸福を語れ」

第21話 心の友その壱

──幸福を語りなさい。

  あなたの苦悩を除いたことろで、世界は悲しみに満ちているのだから──

                     オリソン・スウット・マードン博士


 ともりが目を覚ますと、高い天井が目に入った。

 微睡まどろんでいた頭がクリアになっていく。消毒液の匂い、温かなベッド……おそらく医療関係の施設なのだろうと燈は思った。

 ふと周りを見渡すと──


「起きたか」


 硬い声が燈の耳に届く。

 視線を向けると腕を組みながら、睨み付ける浅間龍我あさまりゅうがの姿があった。その姿は仁王像よりも威圧的で恐ろしい。幼子なら確実に号泣した上、トラウマになるだろう。


(背中にゴゴゴゴッ、って擬音語が見える……)


 燈の眠気は一気に消し飛び、顔面蒼白となる。


「あー、えっと……。おはようございます?」

「もう夕方だ」


 浅間はここが《市内の病院》だということだけ説明する。襲われた《物怪》については、最初からいなかったかのように扱われた。

 燈は話を聞くうちに、ある疑問が浮かび上がる。

 なぜあの場、あのタイミングで浅間が駆けつけたのか──


「あの、浅間さ──」

「それで貴様は、なんの目的であの場所に行った?」

(先手を取られた)


 燈は返答に悩んだものの、正直に答える。


「……もちろん、記憶を取り戻すためです。ゴールデンウイーク中に調べられることは調べておこうと……」

「ほう……」


 含みのある呟きに、燈は話を逸らそうと言葉を続ける。


「……それで浅間さんは、どうしてあの場所にいたんですか?」

「貴様に話しても


 浅間はぶっきらぼうに言い放つと、席を立った。もうこれ以上話すことは無い、暗にそう言っているのだろう。


(時間の無駄……。それって前も言われたような……)


 ショッピングモール付近の湖沿いで──

 いや、その前にも燈が覚えていないだけで、同じ事を言われたのかもしれない。


(浅間さんは私の記憶喪失が、術式によるものだと知っていた? だからわざと情報制限していたんじゃ……)


 記憶喪失になって燈と接点があったのは浅間だった。だからこその配慮の言葉だったのかもしれない。


「あの浅間さん」


 燈の言葉に浅間は立ち止まる気配はない。「かまうものか」と少女は言葉を続けた。


「私の記憶は《封印術式》が組まれているそうなんです」


 浅間は立ち止まった。けれど燈を見ようとはしない。


「……誰の入れ知恵か知らんが、それが事実だとしてどう行動する気だ? そのままでは記憶が戻らないんだろう」


 浅間は背を向けたまま言葉を返す。鋭い指摘に燈はもの言いたげに口を開くが、言葉が出てこない。


「その程度なら諦めろ」


 燈は一拍おいて、浅間の背中に向かって声を投げかける。


「諦めないです。それを証明するために


 浅間は振り返らずにドアノブを引いた。

 燈は矢継ぎ早に言葉を続ける。


「それに神様も私が冥界に辿り着けたら、《封印解除》に助力してくれると、約束をしてくれました」

「ほう、良かったではないか」

「……今回の《物怪》の件で知識のなさを痛感しました。だから、浅間さんの知る限りで構わないので《物怪》や《冥界》について情報を教えてもらえませんか?」

「断る」

(即答!?)


 浅間はそのまま病室を出て行ってしまった。


(か、完敗……だ……)


 静謐せいひつが訪れると、燈は浅間の言動を振り返る。彼の言葉は平坦で感情の起伏はほとんどない。けれど、一つ気づいたことがある。


(浅間さんは《物怪》や《冥界》についての知識がある……。確証はないけど……)


 浅間はなにか知っている。

 問題はどうやって情報を引き出すかだ。


「うう……手強い」


 燈は唸るように呟いた。


「交渉するにしても材料が足りない。ならあとは……」


 ふわりとカーテンが揺れ、外の空気が病室に入り込んだ。

 窓を開けていただろうか? 

 燈は不思議に思い振り返ると──


「交渉材料として掛け金を、上乗せすることを推奨する」


 黒い軍服姿の青年が病室の窓枠に腰かけていた。


「…………」


 燈は一瞬、目を疑った。外の景色からいってこの病室は三階以上の位置にある。

 どうやって窓から侵入したのだろう。


「この姿で会うのは初めてだな。


 精悍だがどこか作り物めいた顔に、短髪の赤毛。見た目は十代後半──もしかしたら二十代かもしれない。背丈は一七〇に届くかどうかといったころだ。やや筋肉質なのか軍服の上からでもすぐにわかった。


「……ノインさん」

「肯定──改めて《特別災害対策会議・大和》特殊迎撃部隊所属“Artifactアーティファクト knightsナイツ試作九号機”、通称ノインだ」


 唐突に降り注ぐ情報量の多い自己紹介に燈は知恵熱が出そうだった。試作機──おそらく試験管ベイビーではなく、筋電義手の発展した全身義体化に近い肉体のことを示唆しているのだろう。

 一九九九年以降、医療技術はもちろん《MARS七三〇事件》の一件で負傷者が多く出たことで、義体化のテクノロジーが飛躍的に発展したのだ。


「えっと……。秋月燈です……」


 燈はぺこりと頭を下げた。


「存知している」

「あの……何処で出会いましたか?」と燈は尋ねかけてやめた。

(あ、危ない……。《封印術式》による拒絶の事をすっかり忘れてた……)


 少女は調理実習室の時と同じてつを踏むまいと、思考を巡らす。


(今回、事件現場に行ったことで、《封印術式》について少しわかったかも。……私が自分で選んで決めた場合、その知識や記憶は覚えている。逆に早乙女部長の時は一方的に情報を提供してもらう形だったから、失敗した……)


 燈が悶々と考えていると、視線を感じて顔を上げた。


「…………」


 沈黙。

 ノインの無機質な瞳が燈を見つめている。威圧までいかないが、突き刺さる視線に少女は唇を開いた。


「……ノインさんは」

「ノインで問題ない」

「……ノインはどうして窓から出入りするんですか?」

「質問の意図──不明。正式な手続きを踏んでいない場合、窓からの来訪が正しいと保管データにある」

「それ完全に不法侵入罪に問われますからね!? 警察の人がそんなことしたら、まずいのでは!?」

「問題ない。有事の際では活動の自由を保障されている」


 燈は頭が痛くなってきた。だがまだ聞くことが残っている。


「これ有事に入るんですか……?」

「肯定。心の友その壱の安否見舞いは最優先される」


 つまり友達だから心配で来たと言いたいのだろう。堅苦しく非常に分かりづらい言い回しだが、その好意自体は嬉しかった。


「それは……ありがとう……ございます」

「礼は不要。それより浅間龍我が戻ってくる前に作戦立案を提案する」

「ん? 浅間さん、病室に戻ってくるの?」


 見舞いに来て帰ったのかと思っていた燈は小首をかしげた。


「肯定。今、一階で退院の手続きと支払いを済ませている」

「ええ!? なんで支払いを浅間さんが!?」

「《物怪》の襲撃を受けたからだと推測する」

「あ、経費で落とすためってことですね」

「否定。恐らくは実費……」

「実費!?」


 燈は目が眩みそうになった。本当に浅間には、お世話になってばかりだ。


「感謝は後でするとして……、さっき言っていた掛け金の上乗せって?」

「肯定。交渉は合意形成のプロセスが必定。孫子曰く《彼を知り己を知れば百戦あやうからず》」


 どことなく懐かしい響きの言葉だった。

 昔誰かに教わったような──


「《彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し》……浅間さんが望むもの、メリットとなるものなら……ある」


 その分、燈が負うリスクは高くなる。また「どうカードを切るか」で勝算が変わってくるだろう。


「肯定。では健闘を祈る」


 ノインはそれだけ言うと窓から去ろうとするので、燈は慌てて彼を引き留める。


「ちょ、ちょっと待って! せめて帰るならドアから……」

「否定──二五〇秒前に浅間龍我から支援要請が入った。すぐに撤退が必要」

「その必要はないぞ」


 トーンの低い声が届く。

 燈とノインが同時に声の方へと振り返ると、ドアの向こうに人影が見えた。


(わっ、びっくりした……)


 くくくっ、と喉を鳴らす声が耳に届く。

 浅間の怒りがドア越しでも沸々ふつふつと感じられた。


(あ、これめっちゃ怒ってる)


 一方、ノインは逃亡を諦めたのか立ったままだ。


「認証確認──浅間龍我のデータ、九八パーセント一致。帰還が想定より一五.〇三秒早い」

「いや、そんな確認しなくても、闘気あんなオーラを出せるのは、浅間さんだけだと思う」

「この問題児どもが!」


 浅間の雷が落ちたことは言うまでもなかった。

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