第18話 秋月燈の独り言

 委員長──杏花うさみきょうかとの相談の結果。冥界には二週間後、五月十五日に冥府の王──あの神様に会いに行くことを決めた。


「じゃあ、この日付で」


「そ、そうだけど……。なんかいろいろ準備とか……大丈夫?」


「もちろんなのですよ」


 思いのほかあっさりと決まったことに、ともりは肩透かしを食らった気分だった。

 とはいえ安堵もしている。

 その後、夕食を堪能し、燈はショッピングモールの中で、杏花と別れた。


(…………よし! あのカフェにもう一度行こう!)


 燈の事を知ってそうだった店員に話を聞こうと、あのカフェに戻る。しかし──


(なんで見つからないの!? ……って、ショッピングモールのマップに店の名前とか載ってないし!)


 燈はぐっと叫びたい気持ちを堪え、無言でショッピングモールの屋上に移動した。

 すでに外は暗くネオンカラーの街灯が点々と地上を照らしている。空の星空は地上の明るさのせいで、よく見えない。

  屋上には人影はなく、燈だけだった。

「すう」と息を吐くと思いのたけを叫ぶ。


(無理ぃいいいいいーーー! ツッコミが追いつかないんだけど!? 無理、もう無理!! 杏花と楓が魔女で、私の記憶が術式で封印されているとか──夢の中での鎧武者に神様の登場とかーーー普通にありえないからーーー!!)


  燈は心の中で叫んだ。

 大声で奇行に走れば間違いなく店の迷惑になる。少女はそういった常識を弁えていた。


(というか私の周り可笑しくない?! なんで魔女とか鎧武者とか神様とかいるの!? もしかして私が知らないだけで、正体を隠している神様とか《アヤカシ》とか──いるんじゃ!?)


『ま、それが普通の反応じゃな』


 燈はもう一生分の驚きを一日で体験したような気分だった。杏花の話を聞いているときは今ほど驚きはしなかったが、あれは感覚がマヒしていたんだろう。

 今になって常識的に可笑しいと思えることが山のようにある。燈の許容量はパンクしつつあった。


「はあ……。とりあえず、いったん落ち着こう……」


『そうじゃな。水分を取るとよいぞ』


 燈は屋上に設置されている自販機を見つけた。

 ホットココアを買おうとボタンを押すが、なぜか微糖カフェオレが出てきた。

 少女は溜息が漏れた。


「うーー」


『かかかっ、ついてないのう。まあ、そんな日もあろう』


 式神は囁くが、むろん夢の中ではないので、燈には聞こえてはいない。


「はあ……。まあ、いっか」


 一定間隔に設置されているベンチに人影はなく、屋上は閑散としていた。

 ぷしゅ、と缶を開ける音がやけに響く。燈はちびちびと飲みながら今日一日の出来事を振り返る。


(魔女……確かに杖を持っていたし、魔法も使っていた……。信じられないけど魔女って身近にいるものなんだな……。二人とも名字も珍しいし、術式? とか知識が豊富だった……)


 杏花は魔女だと言われてすんなり納得できるのに、楓はどう考えても魔女らしさは感じられずどちらかというと攻撃魔法とかをぶっ放しそうなイメージだった。

 そう思うと、燈は少しだけ口元を緩めた。


(それはそれでカッコいいな。なんとかスレイブとか撃ちそう)


 そんなとりとめもないことを考えていたが、ふと脳裏に白銀色の長い髪の男が過る。思わず燈はドキリとした。


 神様──



 酸漿色ほおずきいろ双眸そうぼう、崩れない表情は整っているから余計に怖く感じた。

 燈がいつも見ている夢は、たいてい目覚める瞬間に霧散して消えてしまっている。覚えている夢はたいていチープでコミカルな内容だけだ。

 いつも見ている夢とは毛色が違うとはいえ、現実ほど明確には覚えていない。たとえば神様と呼んだ男の顔はすでに朧気だ。鎧武者との会話も時間が経つにつれて思い出せない部分が多い。


(夢だったけど、あの神様や鎧武者に会えたのは、事実なんだよな)


『然り。我が主は覚えておらぬだろうが、あれもあれで現実じゃ』


 式神は燈に声が聞こえていなかろうと変わらず言葉を返す。


(完全に人間が到達出来ない領域の小競り合いしていたし……)


『あんなのは序の口よ。某が本気を出せば……、そうじゃな、この国を滅ぼせるんじゃないか』


「いや滅ぼしちゃダメだろ」


 燈はカフェオレに口を付ける。

 熱いが少しだけ苦い。


「ん? あれ?」


 なにか自分で口に出したが、なぜそんな言葉が出てきたのか不明だった。


(……ん? もしかして、あの鎧武者が、私の傍に居るのかな。なら今度会ったら助けてくれたお礼を言わないと……)


『礼などいらん。酒があるなら──』


「よし! いろいろあったけど前進したってことで良しとしよう。うん」


 式神の言葉を無意識に遮り、燈はカフェオレを一気に飲み干す。


(決めた。明日からせっかくゴールデンウイークに入るんだから、《那須集団放火事件》の現地に行ってみよう。何かわかるかもしれない!)


 第三者からの情報ではないのだから大丈夫だろうと、燈は考えていた。

 事件現場から何か得られるかもしれない。燈は明日に向けての買い出しに気持ちを切り替えた。


『ふむ……。念のため。まったく、世話の焼ける主じゃな』


 影に潜む式神は喉を鳴らしながらちゃぷん、と影の中で跳ねた。



 ***



 燈は明日に備え、帯食料やその他もろもろを買いそろえた。その帰り道。

 ショッピングモールから離れると、夜空の星々が見える。春を迎えたとはいえ、夜になると肌寒い。


「…………」


 一人で歩いているのに、誰かが傍に居る。そんな感覚が拭えなかった。


「わーわー、トモリ。うれしそう?」


「ござる♪」


 不快感や恐怖心はない。むしろ安心するような気持ちの方が強かった。

 ふと燈は立ち止まり、佳寿美のことを思い出した。


(そういえば今日は帰りが別々だった……)


 いつもなら楓、杏花、燈と佳寿美の四人で下校していたが、今日に限って彼女は教室を慌てて出て行き、校門で蒼崎匠と待ち合わせをしていたようだ。


 蒼崎匠あおざきたくみは燈にとってプレイボーイという印象が強かった。むろん、色男という意味も含むがそれ以上に多趣味であり、多才な面を持っていることも知っている。文武両道を見事に体現している男だと、見舞いに訪れた時から思っていた。

 蒼崎匠の、佳寿美に対する想いは本物だ。相思相愛であり、自他ともに認めるバカップルだ。

 しかし《自称ファンクラブ》のメンバーは、当人同士の気持ちなど関係なく、蒼崎匠に心酔していた。

 蒼崎がどんなに解散を促しても、彼女たちは聞こうとしなかった。心酔というよりは、妄執に取り付かれている。「彼の恋人に相応しいのは自分たちだ」と。

 蒼崎本人の言葉すら都合よく歪曲わいきょくして信じ込んでいる。それは麻薬よりも質が悪い。


 警察に届け出を何度出しても、陰湿な嫌がらせだけなので補導はできても、逮捕までにはいかない。

 そんなやり取りが今年の三月から何度も繰り返されているのを、燈は見てきた。今思えば《自称ファンクラブ》のメンバーは、佳寿美が始司零奈の妹だと知っていたのだろう。それなら、あの執拗な嫌がらせも合点がいく。


(佳寿美と私はいつ出会ったんだろう……。見舞いに来た時「昔遊んだ」ってしか聞いてなかったけど、いつ頃?)


 佳寿美が昔からの友人ではないと断言されたことは、少し複雑だったがそれだけの事だった。今、クラスメイトで友人であるならば、昔友達だったのが嘘でも構わなかった。


 《クロガミ怪奇殺人事件》や《白霧神隠失踪事件》について当事者だったからこそ、燈に打ち明けることが出来なかったと言われれば納得できる。


(……間が悪いことに明日からゴールデンウイークで会えないし……、聞いてみようかな)


 杏花の話に確信を得ようと、燈は携帯で連絡を入れる。何回目かのコールの後、佳寿美は応答した。


「あ、もしもし、佳寿美。ちょっと聞きたいことがあるんだけど今、大丈夫?」


 繋がった先はなにやら騒がしい。ショッピングモールの喧騒とは違い、妙に物々しい大人たちの声が遠巻きで聞こえる。


『燈ちゃん、こんな時間にどうしたの?』


 佳寿美はいつも通りのんびりとした口調で言葉を返す。


「じつは……会って直接話をしたいことがあって。ゴールデンウイーク中に時間取れそう?」


『ごめん、燈ちゃん。ゴールデンウイーク中は親戚の家にずっと居ることになっちゃって……。お店が忙しいみたいだから、もしかしたら、五月中旬まで、その……学校にも戻れないかもしれないの』


 急に切羽詰まったような言い回しに、燈は嫌な予感を覚えた。


「そっか。ごめん、ごめん」


 そう、口にした後で燈は言葉を続けた。


「……で、その問題に、私は協力できることはある?」


 電話越しから僅かに動揺する声が漏れた。

 しかし佳寿美は「平気だよ」と取り繕った声で言葉を返す。


「わかった。じゃあ、今度会った時に聞くからいいや。それと、なにかあったら私じゃなくてもちゃんと助けを呼ぶんだよ。蒼崎先輩とか、蒼崎先輩とか」


 燈の言葉に佳寿美は小さく笑った。


『ふふふ、燈ちゃんは心配性だよね」


 沈黙。

 何か言いたげな声が電話越しで感じられたので、燈は耳を澄ませて待った。


『……?』


 燈は返答に困った。

 当たり前のことを口にするというのは、恥ずかしいものだ。


「なんでって……。んー、そうだな。佳寿美が病室にお見舞いに来てくれたから、かな」


 些細な事だ。けれどあの時の燈にとって本当に嬉しかったのだ。

 空っぽで何もなくて、なにも覚えていなくて、傍には誰もいない。そんな時に、見舞いに来てくれた二人組。


『それだけ?』


「それだけ」


 記憶があろうが、なかろうが関係ない。

 昔からの友人で無かったとしても、それも関係ないと燈は思った。


「それだけで、十分救われたんだ」


『燈ちゃんは、。……


 佳寿美のよく言うセリフだ。

 それは本心からなのか、たんなる嘘の延長なのか──燈には判断が出来なかった。

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