第17話 新たな約束 

***


 白銀髪の男──龍神は冥界、《常世之国とこよのくに》の王であり《十二の玉座》の一角を担う神だ。そんな彼は《異界》の動きに警戒しつつ、新たに生まれた《第一級特異点》と《物怪》になりかけているモノの掃討に来ていた。


私たち神々がいくら動いても、人間が《浄化》を行わなければ、何の解決にもならないというのに……)


 龍神は人間の愚かさに毒づいた。それでもこの《役割》を全うしているのは、世界の為でも、神としての矜持でもない。龍神自身の個人的な理由だ。


 烏天狗と、王直轄の禁軍を動かして《第一級特異点》に来てみれば、ともりの姿がそこにはあった。


(な、なぜ彼女が!? これは夢? いえ、《第一級特異点》は夢ですが──)


 龍神は予想以上に困惑していたが、その表情はいささかも崩れていなかった。

 燈が泥の塊に呑まれたあと、式神にことのあらましを聞いた。「主が龍神に会いに来た」と言うのだから、龍神は口端が自然と綻ぶ──もっとも表面上のポーカーフェイスは健在だったが。

 記憶を失ってしまった燈になんと声をかけて良いのか分からず、素っ気ない言動をとってしまった。


(くっ……。もっと姫と話がしたい……しかし……!)


 燈が無事に《役割》を終えたことに龍神は安堵しつつも、不安が募った。

 言葉を交わしても


 ──しかし、触れれば?


 そんな恐れを燈は気にも留めず、龍神の袖を掴んだ。引き留められた驚きと、喜びと──今はまだ語れぬ想いがない交ぜに龍神の心を締め付ける。

 なんとか会話を続けようとする少女に、龍神は自然と口元が緩んでいった。


(……本当に姫は表情がくるくる変わる。それもそれで愛らしい。それより前より少し痩せたのでは? ちゃんと食事を取っているのだろうか? いや彼女の料理は実に美味しい。また食べ──ではなく……会話が途切れてしまった……自己紹介をしつつ結婚を前提にお付き合いを──ではなく……)


 龍神は軽く頭を振って、自身の感情を抑制する。


(しかし、ここまで来たということは……本気で記憶を取り戻す覚悟があるということだろうか? 先ほどの浄化も見事だった。……それにわざわざ《夢渡り》の術式を使って会いに来てくれたのは、嬉しい。控えめにいって最高。尊い。もう《封印解除》してもいいのではないか? …………いやいや、それを見極めるのは早計だ)


 悶々もんもんと悩む龍神だが、やはり表情には一ミリも出ていない。


(彼女の幸せと将来を考えるのであれば、ここで結論を出してはダメだ。なにより……記憶を取り戻すことがいいとは限らない)


『…………』


 一部始終を傍観していたのは、、全長二メートルもある巨体──鎧武者だ。

 燈と龍神。

 この二人をすぐ傍で見ている鎧武者は「昔からこやつらは恋愛がド下手すぎる」と心底残念に思ったのだった。


***


 鎧武者が何か口を挟みかけた瞬間、硝子ガラスひびが入ったような音が響いた。


「ん?」


 燈は周囲を見渡す。


(あれ? 今何かひび割れる音がしたような……)


『それで、──よ。《探し人》のことじゃが』


 鎧武者の言葉に燈はハッとした顔をする。


「あああああーーー。そうだった……」


 少女の悲鳴に反応して、また硝子の砕ける音が聞こえた。


「ん、また何か砕ける音が……?」


『おそらく、あの魔女の術式の効果が切れたのだろう』


「杏花の? ってことは……」


「然り。もうじき夢が醒めるということじゃ』


 鎧武者はあっけらかんとしていた。


「のおおおお!? 探し人が見つかってないのに……!」


 燈は龍神の袖から手を離すとへたり込んでいる。


「…………」


 龍神はゆっくりと瞼を閉じ、燈に伸びかけていた手を引っ込める。


「では、お元気で」


 彼は手短に別れの挨拶を述べて踵を返す。

 先ほどよりも硝子の砕ける音が大きくなる。もう間もなく術式は解けて、燈は強制的に夢から現実に引き戻されるだろう。

 鎧武者は燈に何も告げず、見守っていた。


(うう……もう終わり? 手がかりも何もつかめず?)


 ふと、白檀の香りが鼻腔をくすぐった。夢の中で香りはしないはずなのに──

 膝から崩れ落ちていた燈が顔を上げると、龍神の背中が目に入る。


「!?」


 それは衝動的だったのか、それとも魂の──肉体の記憶だったのか燈の体が勝手に動いた。

 少女は立ち上がり、龍神に手を伸ばす。


 しかし、その手は空を掴んだ。


 


 龍神と燈の視線が交錯する。


「神様、あなたにもう一度会うためには、どこに行けばいいですか?」


 龍神は少女の言葉に、瞳を見開いた。彼の長い髪が風で靡く。


「……私に?」


「はい。私、記憶がないんです。でも、どうしても思い出したい。だから、力を貸してください。お願いします」


 、でもなく──力を貸してほしいとその少女は告げた。

 燈は頭を下げた。先ほどよりも深々と──


「…………どうしても、思い出したいのですか?」


 龍神の低い声に燈は力いっぱい頷いた。


「はい! 私に何があったのか思い出したいんです」


「…………」


 十二分に考えた末、龍神は吐息を漏らした。


「お断りします」


「は?」


『かかかかっ! そう来たか』


 鎧武者は豪快に笑う。燈は断られた事に目が点になっていたが、沸々と怒りが募った。


「今のは、承諾する空気でしょ!?」


『かかかっ~~~。あ~腹が~~~かかかっ!!』


「ちょ、鎧武者! 笑いすぎ!!」



「なんです?」


「私は冥界、《常世之国》の王──もし貴女が私の国まで辿り着くことが出来たなら、その行動と決意を本物とみなし、《封印解除》に尽力しましょう」


 龍神は宣戦布告にも似た言葉を燈に投げかける。


」と。

 燈は正直腹が立ったが、それは一瞬だった。それよりも絶対に目的にたどり着いてやるという気持ちが湧きあがる。


 今まで燈は自分自身を沈着冷静でクールな人間だと思っていた。だがそんなことはまったくなかった。

 何故だか眼前の男神様と会話を交わすたびに、感情の起伏は激しくなり、形容しがたい想いで胸が苦しくなる。不快ではなくむず痒いような、調子が狂う気持ち。

 もっと話をしたい、勝負に勝ちたい──

 龍神がいるだけで、世界の色が明るくなった気がした。


 硝子のひび割れる音が酷く遠くで聞こえる。

 もう時間はない。

 けれど燈に焦りはなかった。


「わかりました。神様、待っててください。私、絶対にあなたに会いに行きますから!」


 燈は自分の拳を龍神の胸に軽く押し付けた。


「期待せずに──


 龍神は少しだけ口元が緩み、男は目を細めた。

 彼のわずかな感情の動きを目にして、燈は嬉しさで胸がいっぱいになった。


「はい! 《約束》です!」


 自然に零れ落ちた言葉。

 龍神は嬉しそうに頷いた。


「ええ」


 硝子が砕け、燈はその場から強制的に消えた。

 少女がそこに居たという余韻だけが残る。


「姫……」


 龍神は目を閉じ、愛しい者へ想いを込めて呟く。


『かかかっ! やはり我が主の傍は楽しいのう。して龍神、。その言葉に偽りないな』


 燈が夢の世界から離脱しても、鎧武者は未だこの場に留まっていた。


「ええ。彼女との《約束》は違えません」


『だとよいがな』


 式神はそれだけ言い残すと、燈を追ってこの空間から去った。

 《第一級特異点》となっていた夢の空間は、まもなく崩れ去る。建造物は花弁へと変わり曇天だった空は青一色と変わった。

 一つの悪夢を《浄化》しきった証だ。

 それは未然に人の心を救ったことを意味する。《物怪》になりかけていた心の病を──

 龍神は禁軍を退き上げさせると、自身も冥界に帰還する。

 白い羽織をたなびかせ、霧の中から冥界につながる巨大な緋色の鳥居──《朱雀の鳥居》をくぐった。

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