第16話  探し人

 泥の塊はさらに巨大化し、空を穿うがたんと膨れ上がる。それは人の身で分不相応な《破滅バベルの塔》を積み上げる行為に等しい。

 短期間に増長したエネルギーの塊を前にしても黒い軍隊、白の騎兵隊たちは動かない。まして鎧武者や、白銀髪の男もただ何かを待つかのように佇んでいた。

 先に気付いたのは白銀髪の男だ。


「…………姫」


『やりおったか』


 次いで鎧武者も勘付き、誇らしげに胸を張った。二人の間にあった緊迫感が緩む。


『のう、。もう我が主の覚悟を受け取ってもよいのではないか? 確かに以前は失敗したが、今ならば──』


 白銀髪の男──龍神は振り返らなかった。

 彼は数か月前、結果的にともりを傷つけたことを悔やんでいる。いや、


「いいえ……まだ足りません」


『慎重になるのは良い。我が主の意思を優先するのは良い。じゃが、今のお前の選択は最適解なのか?』


「それは──」


 龍神が唇を開きかけた瞬間──

 泥の塊から白亜の光が漏れ、綿菓子のように脆く崩れる。塊はあっという間に溶けて消えた。

 そこから人影が一つ。

 泥の消失によって、燈は空中へと放りだされた。


「へ?」


 燈の体は一瞬だけ浮遊するも、すぐさま重力によって落下する。

 その高さは二十メートル弱。


「わっ、あああああああ!?」


 夢の中とはいえ空中で出来ることなどなく、燈はアスファルトにぶつかるのを覚悟で目を瞑った。


「姫!」


 龍神は急ぎ燈の元に駆け寄ろうとするが──


「!?」


 突如、背後から一閃が煌めき、龍神は素早く避けた。僅かに白銀の毛先が切れ宙に舞う。

 龍神はその斬撃を放った相手を睨んだ。


「何のつもりですか」


 鎧武者は黙ったまま大太刀を振り下ろした。

 龍神は袖で大太刀の勢いを殺し、斬撃を受け流す。


『それはこちらのセリフじゃ。万が一、主を抱きかかえて、数か月前回と同じ結果になったらどうするつもりだ』


 龍神は腰に下げた佩刀を素早く抜くや鎧武者の乱撃を弾いた。


「……先ほど、私に最適解を問うたのは誰でしたかね」


『それとこれとは別じゃ。ここは某が受け止めるので、お前は大人しくしておれ』


「なにを……! それで私が引き下がるとでもお思いですか」


 互いにぶつかり合う火花は緊迫感を生み、にらみ合う。


『ならばここでいつかの決着をつけようぞ』


「致し方ありませんが、受けて立ちましょう」


 互いに間合いギリギリまで後退し──構える。

 一歩も譲り合う気がない二人だったが、肝心なことを失念していた。


 ずしゃああああああ……。


 ものすごい音を立てて燈はアスファルトに──顔面から転がり落ちた。式神と龍神は本来の目的を思い出し、声が漏れた。


「…………あ」

『…………あ』


 土煙が立ち上る中──少女は着地失敗して、地面に倒れこんでいた。


「い、痛っ……」


 燈はむくりと起き上がると、鎧武者と龍神を恨めしそうな目で睨んだ


「たしかに……。人間じゃないと出来ないことでしたけど……。この扱い……酷くないですか?」


『すまん、すまん……つい因縁に決着を付けたくなってのう』と式神は構えを解いて、豪快に笑った。


「ついって何ですか!? せめて華麗にキャッチしてほしかった……」


 燈はしょんぼりしながら、服についた土煙を払う。


かれいに? 魚になら抱き留められてもいいと?」


『……たぶんお前の想像しているのは間違いじゃぞ。あと、魚に抱き留められるってどんな状況だ?』


 鎧武者は龍神の偏った知識を指摘する。「むう」と龍神は唸る。


「あ、そこの神様!」


 燈の声に、龍神は「なんでしょう?」と素っ気なく言葉を返す。


「えっとですね……」


 少女は立ち上がろうとするが、足に力が入らず身体がよろめく。


「そこにいてください。私が傍にいきましょう」


 龍神はしぶしぶ近くまで歩み寄った。

 燈の座っている目線に合わせて龍神は膝をついて向き合う。

 男の長い髪がアスファルトに着くことも、埃だらけの場所に衣服を汚すのも気にしなかった。


「それで私にどのような用がおありですか」


「神様のおかげで大事なことを思い出した……ような気がします」


 龍神は慎重に言葉を選ぶ。


「気がする……とは?」


「さっき顔面から転げ落ちたせいで、感動的な気持ちが吹っ飛んだからです。あ、でも感覚は覚えているので大丈夫かと。神様の助言、ありがとうございます」


 燈はぺこりと頭を下げた。


「それは重畳。……では、私はこれで失礼します」


「待ってください!」


 背を向ける龍神に燈は慌てて彼の袖を掴んだ。


「神様は私のことご存じだったりしますか?」


 龍神はぐっと言葉を飲み込み──平坦な物言いで言葉を返す。


「いいえ……」


「じゃあ、鎧武者のことは?」


「少々、因縁がある程度です。……そんなことより、《浄化》にずいぶんと時間がかかっていましたね」


「あの神様。「そこは大丈夫ですか」とか、「よくやりましたね」とか言ってくれると嬉しいんですけど……」


「なぜです? 褒めないと出来ないのですか?」


 とぼけているとか、馬鹿にしている訳ではなく、

 本当にわかっていないので燈はムッとした顔になる。


「ううう……。そうじゃないけど……なんというか……」


「出来る人間が行う。ごくごく当たり前のことかと思います。……もし褒められたいから、という理由で《浄化》をするようなら、貴女はこの夢であった事を忘れた方がいいでしょう」


 それは酷く突き放した言い方だった。

 燈は龍神の一言一句に振り回され、胸のモヤモヤが募る。


「それも、そうなんだけど……」


 なんとか会話を続けようと言葉を探す。


(もっと違う話がしたいのに……言葉が出てこない)


 燈はもどかしくも唇を開くが、言葉にはならなかった。

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