《幕間》 紡がれし言葉

 ともりが気づくと、暗闇だけが存在していた。

 目を開けているのか、閉じているのかもわからないほどの暗闇。そんな中で、声だけは、四方八方から響いてくる。

 凄まじい《感情の嵐》──声が燈の耳元で聞こえては消えていく。激しい感情は薪のように、轟々と燃え上がり続ける。


 一人ではない。幾人、幾十人──の声だ。

 みな感情的になって叫んでいる。

 憤怒、嫉妬、傲慢、殺意が混ざり合っていた。

 行き場のない感情が、夢の中に残った──それがヘドロの正体。現実の理不尽、鬱憤うっぷんを少しでも減らそうとして、ヘドロ感情を切り離した。捨てたのだ。


(……この世界は不平等で理不尽で……思い通りにならない)


 燈は彼、彼女らの声を肯定する。それは人が一度は思う感情だからだ。

 少女はふと考える。このヘドロの──泥の塊は有象無象うぞうむぞうの感情だけで形成しているのだろうか。

 流れ込んでくる感情に勢いはあるが、言葉としては短い。一時的な怒号、脈略もない言葉の羅列……そんな中で燈は、あることに気付く。


(……彼、彼女らの感情は一方的で攻撃性が高い。他人を攻撃する理由はたいてい《自分を守るため》であり《他人が怖い》からだ……)


 臆病だから自分を守ろうと攻撃をする。ならこの感情の奥にある《想い》は何なのか──弱いことを認めたくない虚勢?

 それとも別のなにか──?

 燈は声の奥深くに意識を向ける。

 なぜ攻撃的な言葉ばかりを吐き続けるのか──燈はその因果を知ろうと深く潜った。


──……私たちに出来るのは形をなして《物怪》に近づくモノの掃討。それ以外は管轄外です。それは人が背負う領分。《心の病》がアヤカシを引き寄せ、因縁がアヤカシに《形》を与えて《怪物》となる。その業を絶つのも祓うのも人間の《役割》です──


 彼の言葉が燈の脳裏に過った。


(原因──心の病。元凶となる……出来事?)


「───」


 暗闇の奥で小さな声が聞こえた。

 泣き声だろうか。


「誰にも泣いている姿を見られたくない」と、泣きじゃくる。

 小さな子どもたちは嗚咽を漏らさぬよう、声を押し殺してボロボロと大粒の涙をこぼした。

 彼、彼女の言葉が燈の心を揺らす。


(たくさんの子どもの声……。みな幼い)


 映画のワンシーンを切り抜いたかのような映像が、燈の脳裏に過る。

 どれも断片的でモノクロな世界。

 小さくうずくまる子どもは暗い部屋の中で、震えていた。

 みな大きな口をあけて、みっともなく涙をこぼす。

 少年、少女は、《決して開くことのないドア》を見つめていた。

 親に虐待されたわけではない。学校に通っているし、極端に貧しいわけでもない。中には裕福な家庭環境の子もいた。けれど親は子どもと同じ目線で話をしていなかった。見ているけど、

 燈は子どもたちの共通点を見つけた。

 どの映像の中でも、子どもが独りで食事をしている。

 豪華な食事、コンビニ弁当、作り置き──様ざまだが、食べる時は独りだ。誰もいない。

 燈には幼い背中がより小さく見えた。


「ああ……」


 燈の胸がきしむ。

 燈もまた記憶を失ってから独りで食事をとることが多かった。そのたびにどこか味気なく、寂しさが募った。

 両親──家族、大切な人たちと一緒に食事をする。


 些細ないことだ。

 けれど人は些細なことで、心に病にかかる。

 家庭にはいろんな事情がある。虐待に比べれば些末な事だという人がいるかもしれない。

 もっと辛い経験をしている子どもだっているだろう。

 それでも当人にとっては──

 子どもの頃の寂しさは、大人になってからより顕著に表れる。

 些細な願い。

 些細な想い──それは積み重なることで肥大化する。

 いくら気持ちはごまかせても、自分の心は偽れない。

 蓄積されて、膨れ上がった感情はある日突然、限界を超えて爆発する。

 そこには様々な環境や要因があるのだろう。同じ環境でそうなる人もいれば、ならない人もいるのだ。


 燈はふと考える。

 自分もこの痛みを、寂しさを知っている。

 なら自分はどうやって乗り越えられたのだろう?


 燈は自分の中に残る記憶を探る。


(私は……そうだ。誰かが……なにか……言ってくれた……)


 懐かしい記憶。

 誰だったのか、いつだったのか──

 覚えていない。

 けれど、あの言葉だけは胸の中に残っていた。

 それはこの泥の塊を作ったモノたちの──


「《今日は一緒に食べよう》」


 自然に出た言葉。

 小さな子どもたちは一斉に、燈へと視線を向けた。

 最初に驚き、次に──「」と嬉しそうに心から微笑んだ。

 口に出した瞬間、燈の流した涙が頬から流れ落ちた。

 懐かしい──大事な何かを思い出せた、そんな気がした。


 燈の涙。一滴が眩い光を放ち、漆黒の闇が白亜色に包まれる。


「あったかい」


 不安で心の闇をもっていた子どもたちの心を照らす。

 闇は光と対になるもの。

 暗い過去も優しい想いで包み込めば癒すことができる。

 過去は変えられない。

 過去から逃げることはできない。けれど、その思い出を糧に前を向くことはできる。

 《閉ざされた扉》を見続ける未来にも、《空を見上げて前を向く》未来にも出来るのだ。


 彼、彼女らの心を動かしたのは特別な力ではない。

 それはありふれた言葉で、

 けれど、人でなければ分からない。孤独を経験した、もしくは似た境遇だからこそ燈はこの言葉を紡ぐことが出来た。

 彼、彼女たちの望んだ言葉。願い。想い。

 誰しも根底にあるのはささやかな願い。

 誰しも《心の病》となりえるのは、過去の自分を放置してしまったから。蔑ろにしてしまったからだ。


 燈は知っている。

 過去に辛い事があったからこそ、その経験を糧に人は優しくなれる。寂しい想いをしたからこそ、他人との温かさを大事にする。

 たった一言で人の心に一生残る杭を打てるように、たった一言で人の心をすくいあげることができるのだと燈は知っている。


 白亜の光に包まれ燈は、感覚を思い出す。

 目に見えなくても、聞こえていなくても、確かに燈を見守る何かがいること。ずっと傍にいてくれた《モノ神様》たち。


(ああ……そっか。神様の手助けって……そういうこと……だったんだ)


 お日様のぬくもりは、いつだってすぐ傍にある。

 真夜中の怖さを和らげるように、月はずっとついてくる。

 雨は涙を洗い流し、モヤモヤな気持ちを洗い流す。

 咲き誇る花びらは、人の心を癒して明るくさせる。

 満天の星は希望と感動を。

 雪は寄り添い合うことの愛おしさを。


(ずっと神様は──手助けをしてくれていた……出来るだけのことを……)


 一人かもしれない。けれど独りではない。

 誰にも愛されていない──そんなことはなかった──

 それはほんの些細な気づき。

 気づけるかどうかの差異。


 この《言葉》を紡げるのは──

 おそらく感受性が強くて、優しい心根を持つ人間だけ──

 砂糖菓子で作られた泥の塊は涙一つの温かさに溶けていった。

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