第14話 第一級特異点・前編

「突拍子もない話だけど、私を《その人》がいる場所まで連れていける? そこから先は自分で探すから!」


 ともりの問いに対して、杏花の答えは決まっていた。

 それは待ち望んでいた言葉だった。燈の力になれる──そう思うと杏花は自然と口元が緩んだ。


「もちろんです。、《夢の中》なら可能性はあるのですよ」


 杏花は自らの胸の内を語らず──けれど胸を張って応えた。


「夢? ……夢の中で相手を探すってこと?」


「ええ。現実で会うには用意とか時期や手続きなど準備が必要ですし、危険度リスクも高いのです」


「たしかに……」


「それに比べて《夢の中》は次元が多少異なるだけですので、そこまで秋月さんの肉体に負担はかからないはずです」


 燈は「なるほど」と一応は頷くが、実際問題──どうやって夢の中で会うのかピンとこなかった。


「それじゃあ、いくのですよ」


「え、あ、はいぃ!?」


 まさか今すぐとは思っていなかったので、燈は声を荒らげる。


「《善は急げ》というでしょ。はい、私の手を掴んで」


 杏花の言葉に、燈は言われるまま手を握る。


「……杏花、付き合ってくれてありがとう」


 燈は手伝ってくれる杏花に感謝した。しかし──


「気にしなくていいのですよ」


 杏花は照れくささを誤魔化すように微苦笑する。


「でも……」


「行きますよ」


 杏花は杖先を燈に向けて、宙に文字を描く。いや編むという感じが近いだろう。


raidoライド──ansuzアンスズ──kanoカノ


 描かれた紋様は特殊な文字だ。一文字で魔術を完成させるルーン文字が三つ。燈の体の中に吸い込まれていく。

 杏花の手が温かさを増し、次第に燈は眠気に襲われる。


(あったかい……。木の良い匂いがする……)


 燈はあっという間に眠り落ちてテーブルに突っ伏する。呼吸も規則正しく、肉体的な外傷もない。無事には成功したようだ。


「それと……geboゲボ──algizアルジス──thurisazスリサズ


 杏花はさらにルーン文字を描くと、それらは円環の形となり燈の周囲に浮遊する。《夢渡りの術式》とその魂を守るための《防御術式》だ。


「これで精神的な攻撃があっても、ある程度は防げるはずです」


 全ての術式を終えると杏花はテーブルの上に崩れ落ちた。

 かなりの力を消費したため、その顔は疲労の色が濃い。全身に脂汗が吹き出し、少しだけ呼吸も荒い。


「その術式、普通ならいろいろ準備が必要じゃないのかい?」


 声をかけたのは、店長代理の四季冬樹だった。カモミールとハイビスカスのハーブティーを杏花に出した。

 もう片手に持ってきた二人分のブランケットに視線を向ける。


「はあ……店長には何でもお見通しなのですね」


 呼吸を整えながら杏花は微苦笑を浮かべた。


「店長だよ。……まあ、私の保有している《稀有な能力》だから、わかっちゃうだけなんだけど」


 杏花の片手は燈の手を握ったままだ。

 店長代理はそれを見やって、燈と杏花の肩にブランケットをかける。


「……。この場を貸してくださってありがとうございます」


 店長代理は杏花の魔術も、燈の状況も概ね把握していた。それは彼自身、少し特殊な環境に身を置いているからだ。


「気にしないで。……それにしても、杏花ちゃんが私にお願いとは嬉しい限りだよ。よっぽど《友達》の力になりたかったんだね」


「……《友達》ではなく《恩人》です。私に友達の資格はないですから」


 店長代理は杏花の言葉を否定も肯定もしなかった。


「そっか」


 いつかその関係が変わることを願いつつ、冬樹は眠りに落ちた少女に視線を向ける。


「……あきづきともりちゃん。君は変わらないね」


 店長代理の意味深な言葉は、誰の耳にも届かなかった。


***



 燈が気づいた時には、渋谷のスクランブル交差点前に佇んでいた。


(あれ? ここ……渋谷? でも……、なにか違う?)


 空は薄暗く、今にも雨が降りそうな天候だ。周囲を見回すと、人らしい姿はない。一見して夢ではなく現実ではないかと、錯覚しそうになる。

 しかし、燈はここが夢──異常であるとすぐに気づく。


 最初はただの《水たまり》だと思っていた。だがよく見ると黒々としたヘドロがアスファルトの上に蠢いている。一つではなく、点々と存在しているのだ。


「なにこれ……」


 燈の視界の端に、広告掲示板がうつり込む。


「ん?」


 何か違和感を覚え視線を移す。広告掲示板やテレビ画面から流れる映像の全てが左右を反転した文字になっていた。やはりここは、現実ではなく《夢の中》なのだと燈はハッキリと認識する。


「……《夢》っていうから、なんというか、こう荒唐無稽こうとむけいで……ファンタジーっぽい世界を想像していたんだけどな」


『まあ、それは無理からぬこと。ここは、夢ではあるが《第一級特異点》じゃからな。より現実に近い世界観で構築されておる』


「そうなんだ。そのなんとか《特異点》ってなんなの?」


『ん? なんじゃそんな事も覚えておらんのか。《異界》に近いものじゃよ。現世に影響を及ぼす《ひとつ前の特殊な空間》……。現実が水面に対して、ここは水面にもっとも近い《水の中》という所じゃ』


「ふーん、《意識》と《無意識》みたいな感じかぁ──って、え、誰!?」


 燈は慌てて振り返るが誰もない。歳を食ったような口調だが、声そのものはしわがれた風ではなく妙に若い。


『なんじゃ、気づいておらなんだか』


「え、わっ! 声、近っ!」


 キョロキョロと周りを見渡すが姿はない。


「もしかして私が見えてないだけで、傍に居るの?」


『然り。×××の影の中におる』


 一瞬、声の一部が聞こえない。まるで意図的にノイズが入ったかのようだ。


「影の中に? えっと、お名前は?」


 燈はその場で座り込んで自分の影に名前を問う。

 影は不規則に波紋を走らせるが姿は見えない。


『さてな。それは大事なもの故、某自身から名乗ることはできぬ。それより話は聞いておったが探し人を見つけるのであろう。早く動いた方が良いぞ』


「……というと?」


 何だか話を逸らされた感があったが、燈は声の主に聞き返す。

 危険でもあるのだろうか?


『ここは《第一級特異点》つまり、


 次の瞬間、燈の影が水しぶきを上げるかのように、高らかに空を穿った。

 そして影から二メートルを越す巨体がその姿を見せる。人の形をしているが黒い影のせいで輪郭もあいまいだ。


「!?」


『×××よ、走れ!』


 その怒号に燈は背を押されたように駆けだす。

 いつの間にか交差点には、人の姿をしたわらわらと出現した。


「な、なにあれ!? なんか動きがゾンビっぽいんだけど!?」


 外見は人のようだが禍々しい気配を纏い──顔は猿にも見える。

 また別の人は両手が虎、いや獅子だろうか。

 身体の一部が人間と異なり、近くで見ると斑模様の黒い痣が全身に広がっている。


「アアァ……アア」


「ウツワ……」


「カラダァアアア」


「ひい!?」


 老若男女関係なく、燈だけを狙って襲い掛かってくる。


「なんなのあれ!?」


 燈は声の主に尋ねるが返答はない。

 少女が振り返ると人の姿をした者人間モドキたちが、一斉に襲い掛かる。


(逃げられない!?)


 無数の手が燈を捉えようとした刹那──トラックと衝突したかのように襲撃者人間モドキが一斉に吹き飛んだ。

 凄まじい音が轟いた。

 老若男女が軽々と宙に舞いあがり、燈の真上を飛び越えてアスファルトに転がり落ちる。あまりの光景に少女は振り返ると──


 が後ろに佇んでいた。全長二メートルほどの全身甲冑。面頬に兜と完全武装だ。

 兜を突き破る角は雄々しく反り立っている。その角は飾りではなく本物だろう。


『無事か×××よ』


 また声の一部が聞こえなかった。

 しかし燈は屈強な鎧武者を前に、硬直している。


『フ、某が恐ろし──』


「滅茶苦茶かっこいい!」


『は?』


 燈はまるで英雄ヒーローを前にした子どものように、目を輝かせた。


「すごいちゃんと作り込まれた武具だ! 重装備いいな、かっこいいな」


『かかかっ! この姿を恐れぬとは、大したものじゃ』


 鎧武者は痛快なまでに笑った。

 その異形の者との会話に、燈は自然と口元が緩んだ。


「やっぱりさっきから話しかけていたのは、あなただったんだ。鎧武者ならその口調にぴったりだね。うん、すっごくかっこいい!」


『賛辞と受け取っておこう。さて、


「へ? 《専門家》?」


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