《幕間》 双頭の魔女

***


 四年前、宇佐美杏花うさみきょうかと、その双子の妹のかえで秋月燈あきづきともりに命を救われた。


 一九九九年MARS七三〇事件と同時期に海外でも似たような事件が勃発し、《物怪》は増加する一方だった。

 かつて黒死病ペスト大流行の原因は《魔女》であるとされ、魔女狩りに火を注いだように現代においても「わからないもの」や、「未知なモノ」に対する恐怖心を

 簡潔にいうと。結果がそうでなくとも、民衆の不安を一時的に和らげるための存在。

 それに祀り上げられたのは《魔女》や《魔術結社》など歴史上、異端とされた存在。


 さらに運悪く、ある秘密結社の統率が乱れたため、魔女社会のコミュニティで過激派の一つ《ワルプルギスの夜ヘクセンナハト》が動いた。血塗られた黒き魔女たちが世界に復讐を掲げ、暴動を起こしたのだ。

 それが引き金となり、EU連合を皮切りに教会は大規模な魔女狩りと異端者狩りを行う動機を得た。

 その渦中に杏花と楓はいた。二人の本名は今と異なり、格式ある《名家の名》を受け継いでいた。


 代々魔女の家系だった二人は、ある秘密結社の尽力により亡命には成功した。しかし、母国に戻れぬ二人は身を寄せながら姿を隠して各国を渡り歩いた。それはさながら渡り烏のように《異端狩り》と《魔女狩り》──教会の追尾から逃れた。

 フギンとムニンの名を受け継いだ《双頭の魔女》は、特別な役割を帯びていた。

 特別で、存在自体が稀なるもの。

 それが杏花にとって誇りでもあった。けれど、特別であることは同時に周囲に疎まれ、忌まれる存在にもなりえた。幸福な時間を過ごし続けた《双子の魔女》にとって、逃亡生活は過酷なものだった。

 心も体をすり減った二人が最後に辿り着いたのは東の島国、日本。


 ある神社の境内で倒れている所で秋月燈と出会った。燈はごく自然に、手を差し出した。《宇佐美杏花》という名、新しい生活や必要なモノまで燈が骨を折ってくれた。正確には彼女が行動したことによって、その周囲が手配する羽目になったというのが正しい。

 それほどまでに当時の燈には権限があった──少なくとも杏花にはそう感じ取り、そして同世代である少女に激しく嫉妬した。

 燈の両脇に佇む存在の恐ろしさと、絶対的な信頼で結ばれた絆を妬んだ。飢えや裏切り、不安や恐怖から縁遠い――ただの少女。

 血統や特別な能力も才能も無い。


 単に傍に居るモノとのえにしがあっただけ──どこにでもいる凡人な少女を取り囲む環境が、恨めしかった。

 だから燈が《記憶喪失》になり、彼女の周囲に特別な存在がいなくなったのを知った時、杏花は安堵した。


「あの状況はどう考えても異常だった」と。

 ──けれど、それはすぐに覆る。

 記憶を失った燈の周囲には、未だ《特別な存在》の残滓が色濃く残っていたのだ。それが悔しくて結局、入院中に見舞いに行かなかった。それに対し、楓と初めて言い争いになる。

「恩を仇で返すつもりか」と。


 当然の反応だ。


 「薄情者」と罵る楓の言葉は正しい。

 楓は燈の傍に居ようと、同じ高校に転入する手続きに取り掛かった。それだけじゃなく、彼女が記憶を失った原因まで調べ始めたのだ。

 杏花は見ないふりをして、楓と仲違いになることすら燈のせいだと責任を押しつけた。


 そんなある日。

 燈が退院を終えてすぐ、見知らぬ少女──榎本佳寿美えのもとかすみを助けようと動いたのだ。

 佳寿美が燈を利用しようと近づいたかもしれないというのに──

 燈はすでに力も、記憶も、特別な存在も傍に居ないのに、誰かのために奔走する。


「あなたは……」


 四年前、杏花と出会った時のまま、燈は厄介ごとに首を突っ込む。

 

(ああ……。あなたは、力があるから──私を助けたのではないのですね)


 杏花はやっと悟った。「燈はどうしようもなく《愚か者》だ」と。

 何もなくても、彼女は動く。その行動力と決断。

 そして真っ直ぐな想い、危うげな姿にほっとけなくて、《アヤカシ彼ら》は手を貸しているだ。

 誰よりも優しく、温かな少女の笑顔が好きだから──


 時折、影が揺れ動き燈を支えているのが見えた。

 けれど、その影──おそらく《アヤカシ式神》は、命令だからではなく自主的に動いているのだ。

 それも楽しげに。痛快だと言わんばかりに。

 


 《裏切り》と《逃亡》の数年間は、杏花のプライドを粉々に砕き、心を凍らせた。妹の楓以外の誰も信じていなかった。その凍てついた心を燈がゆっくりと溶かしていく。

 燈が無茶をする度に、ハラハラとしながら杏花は見ていた。記憶を失っ彼女は、自分の記憶を取り戻すために情報を集めようと奔走する。

 その姿は見ていて歯がゆくて、危なっかしくて、心臓がいつも潰れそうになった。


 彼女は何度、非力な存在を嘆いたことだろう。

 何度、強制的に気を失ったことだろう。

 空振りに終わる情報や出来事に絶望することもあっただろう。


 春前の寒々しい空の下、雪の中で立ち尽くす燈を見つけた時──

 彼女は静かに泣いていた。今日も手掛かりはなかったのだろう。

 ボロボロの傷ついた心で、それでも立ち続ける。


「────ううっ……。独りはいやだよぉ……。どうして、だれも、いないの……」


 燈には見えていない。しかしそこには、式神や木霊たちがわらわらと集まって寄り添っている。杏花にはハッキリと視えていた。

 傍に居るのに燈は気づかない。


『某たちはここにおる。大丈夫じゃ、人は本当に独りにはなれん。気づいておらんだけじゃよ』


「泣かないで、トモリ」


「ここにいるよ、寂しくないよ」


「ござる、ござる」


 《アヤカシ》たちは口々に燈に声をかける。


(……ともり……さん)


 杏花はその場から飛び出していきそうになった。

「なぜ自分に声をかけてくれないんだ」と、歯がゆい思いが募っていく。


 三月の終わり──

 桜のつぼみが膨らみ始めた頃。居候をしている家で、杏花は春のフレーバーティーをコップに注ぐ。今日もパソコンの前で徹夜をするであろう保護者への差し入れだ。


「術式や知識なら十分になるのに……なんで……あの子は私たちに声をかけないのかしら」


 不意にこぼれた愚痴。いや八つ当たりだ。

 それを聞いていた楓はパニーニを皿に盛りつけながら「にひひ」と笑った。


「そんなの決まっているじゃん。燈は記憶喪失なんだから《頼れる人》なんて思いつくはずないでしょ」


「……あ」


 そんな当たり前のことに杏花は気づかなかった。

 覚えていなければ、知らなければ──動きは必然と制限される。


「お姉ちゃんってさ、頭いいけど馬鹿だよね」


 杏花は燈が入院中に見舞いに行かなかったことを後悔した。


「まあ、そんなお姉ちゃんの為に、春から燈と同じ学校の手続きをしておきました!」


「楓……」


「今度はさ、二人で燈を支えてあげようよ。《双頭の魔女》の名に懸けて」


 その《魔女の名》は捨てたはずだった。


「ええ、そうね」



***



 四月の入学式──

 校庭に咲き誇る薄紅色の桜が舞い散る中──杏花たちは燈の姿を見つけた。楓が真っ先に声をかけ「」と挨拶を交わす。

 次いで続いて杏花は「」と言葉を紡いだ。どうしても楓のように「久しぶり」とは言えなかった。


「今度こそ恩人である彼女に報いろう」


 友人としてではなく、恩人として……。

 杏花は自分には《友人の資格》はないと釘を刺し、燈のことを「秋月さん」と呼んだ。杏花は、燈の傍に《特別な存在》が集まるのか。

 彼女はようやくその答えに辿り着いた。

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