第9話 僅かな手掛かりを求めて

 六時間目のベルの音が保健室に響いた。

 ともりは保健室の一角で、遅い昼食を取ったところだ。客人用の白いソファーに、テーブルにはトレイと空の皿がある。この昼食は、五時間目の休み時間に委員長──杏花きょうかが持ってきてくれたものだ。


「ん~~、美味しかった」


 杏花作ふわふわのオムライスに、オニオンスープ、ポテトサラダ。デザートは早乙女部長のシュークリームと贅沢なものだ。

 保健室で昼食を食べることに、柳は不承不承ながらも承諾してくれた。


「ふう……」


 空腹を満たしたことで、余裕が出てきたのかもしれない。燈は改めて状況を整理する。


(それにしても……委員長の反応がなんか変だったな。やっぱり《双頭の魔女》なんて突拍子もないことを話したから、引かれたんじゃ?)


 五時間目の休み時間の時に燈は警察庁サイバー対策室──ノインの話をうっかり杏花に話してしまったのだ。頭が働いていなかったとはいえ迂闊うかつだった。


(急に魔女とか言われても困惑するよな。……私も驚いたけど。いや、どうだろう……)


 燈はいろいろと考えたが最後には「はあ」と溜息しか出てこない。

 あの後、ノインは宣言通り携帯端末に一件のメールを送ってくれていた。内容は簡潔で所属名と名前、メールアドレスに電話番号だけ。ただそれだけでも、先ほどの会話が現実だったのだと実感する。改めて燈は記憶を取り戻すことについて真剣に思い見る。


(私が記憶をなくしてから周りを見渡しても困っている人、悲しんでいる人は誰もいなかった。楓は寂しいというが、……困ってはいないし……。佳寿美は……友達だけど昔の私については何も語ってくれない。むしろ今のままでいいと言っているし……)


 燈が推測した《一緒に住んでいた人たち》は何処にもいない。それになにより少女を《待っている人》も、《傍にいる人》もいないことが悲しかった。


「結局、私は独り……なのかな」


 ポツリと呟いた燈に、寄り添うものたちがいる。けれど少女には見えないし、聞こえていない。

 それでも《アヤカシ》たちは、燈から離れなかった。


***


 二〇一〇年四月三〇日

 あの日から委員長──美杏花の態度に変化が訪れた。学校を休みがちになり、ゴールデンウイーク前の今日も彼女の姿は教室にない。燈は昼休み食堂にするか、売店で買うかを考えあぐねていると──


「やっほー、燈!」


 声と同時に、椅子に座っていた燈めがけて、何かが飛び込んでくる。


「え、わ!?」


 完全な不意打ちに、燈は慌てて楓の蹴りを避ける。本当に紙一重で回避すると彼女は床に着地をとり「にひひ♪」と楽しそうにしながら笑った。


「あー、あとちょっとで一撃を見舞えると思ったのに」


「思うな! ……というか、趣旨が変わっているけど!?」


「ん、そうだっけ?」


 楓はわざと大げさに首をかしげた。ふざけている彼女に燈は嘆息する。


「……はあ、怪我したらどうするの?」


「燈なら平気でしょ」


「いや、楓がだよ」


 燈はげんなりした気持ちで楓の言動あいさつを指摘した。


「だいたい何で毎回毎回、襲撃してくるの。私は何とか避けているからいいけど、楓が窓とか壁にぶつかったらどうするのさ」


「…………!」


「それに周りに人がいたら怪我もするだろうし、楓だって──」


 そう言って楓を見つめると、彼女は目玉が飛び出るほど驚いていた。


「楓?」


「あー、いや。なんつうか驚いただけ。……心配されるのって、いいもんだね」


 照れくさそうに頬を掻く楓の姿に、燈は小首を傾げた。


(ん? 怪我の心配なんて普通するもんじゃないの?)


「にひひ♪ それよりさ、ちょっとアタシに付き合ってくんない?」


「それは構わないけど……」


 承諾した燈は佳寿美の席に視線を向けるが、彼女の姿はない。


(あれ? 今朝はいたはず……?)


 とりあえず『楓と出てくる』と佳寿美にメールを送ってから、燈と楓は教室を出た。


***


 向かった先は予想通り調理実習室だ。「体育館裏とか校庭でのタイマン」と楓が言い出さなくて、本当に良かったと燈は心から思った。

「今日はいいひき肉が入った」ということで、二人で石焼ハンバーグを作ることになった。またも玉葱を刻む音が室内に響く。


「あのさ、燈は《黒い手紙》って聞いたことある?」


「ん? いや、ないけど?」


 玉葱を細切れにした後、燈はフライパンに火を通し油をいれた。それから玉葱を挿入し、焦げ目が出るまで炒める。その手慣れた動作に楓は目を瞠った。


「燈は今も昔も料理上手だね~」


「昔……? もう、お世辞はいいから……。で、その噂? なんなの?」


「なんかね、クラスの女子たちの間で流行っている《おまじない》があるんだ。なんというか《黒い手紙》なんて言われているけど、単に自分の願い事を手紙に書いて、ある場所に投函するんだって」


「ふうん」と燈は呟いた。


(いつも食べ物話ばかりなのに……。楓が噂話って珍しいな)


 楓が単なる気まぐれ、もしくは話題提供のために出したのだろうと燈が思った矢先──


「たしか燈って《去年の事件》を調べているんでしょ」


「あーうん」燈は生返事を返す。

 数日前、委員長──杏花に色々話した後の反応を思い出し、燈は即答できなかった。


「えっと……《クロガミ怪奇殺人事件》だっけ? あれって《黒い手紙》のオマジナイが関わっているんだよね」


 楓の何気ない雑談に、燈は目を見開いた。


「え……?」


「数千枚の黒い手紙の上で、女性の遺体が発見された《怪奇事件》。その殺された女の人は、フラワーアレンジなんとかって仕事をしていたらしいけど、警察関係者の調べだとあくどい商売をしていたとか」


「な、なんで……」


 燈は絞り出すような声で楓に問うた。


「……不可思議な出来事は、《爆破テロ》として処理され、頻繁に起こる《猟奇殺人事件》ですら、世間の目に触れることはなくなった。好奇心で知ろうとすれば、その対価として《死のリスク》が伴うのは楓だって知っているでしょ!?」


「うん。知ってる。だからこそ《怖いもの》や《恐ろしいもの》は、みなが目を閉じ、耳を塞ぎ、口をつぐんできた」


 楓はまるで歌うように、この世界の《理》を語る。それは《目に見えぬ深淵》を知っているかのようだった。


(あれ……? でもこの言葉、どこかで……?)


 燈は楓の言葉に耳を澄ます。


「《噂》という曖昧模糊あいまいもこなものだけが、日常の刺激物として浸透していった。噂であれば尾ひれがつき、自分たちとは関係ない。どこか遠くの話のように、現実を追いやることが出来る……」


「「まるで地球の反対側で戦争をしていたとしても、私達は気にも留めないように……。それがこの《世界の常識》であり、処世術。立ち入り禁止や危険な場所には足を踏み入れない」」


 ポロリと出た燈の言葉は楓と見事に重なった。一字一句間違いない。

「え……。なんで」と燈は蒼白しながら楓を見つめた。


「にひひ♪ 昔、燈が言っていたんだよ」


 楓は懐かしそうに、そしてどこか嬉しそうに白い歯を見せた。


「…………」


 燈は情報量の多さに眩暈を覚えつつも、やっとの思いで言葉を絞り出す。


「……なんで楓は、そんなに事件に詳しいの?」


「アタシが詳しいのは、警察関係者だからだよ。といってもアタシじゃなくて、保護者兼居候先の教授から教えてもらった情報だけどね~」


「警察……。それって《失踪特務対策室》?」


「ん~、アタシも課まではわかんないけど。そんな訳で、多少なりとも事件について詳しいの。でも、《クロガミ怪奇殺人事件》に燈は絡んでないよ。この事件における重傷者の一人。その未成年者Aとして警察資料にあるのは、《一ノ瀬花梨さん》という人だからねー」


「一ノ瀬?」


 燈は繰り返し呟くが記憶にない。


(その名前、最近何処かで聞いたことがあるような……)


 燈はどこでその名前が出てきたのか思い出そうとするが、楓は話を進める。


「そもそも燈がこの三件の事件に的を絞ったのは、一、去年の十月から十一月中に関東地方周辺で起こった事件である事。二、病院ではなく、警察病院に搬送されたこと。三、事件に《未成年の重傷者》がいたこと。この三つの条件から浮かび上がったのが《クロガミ怪奇殺人事件》だったんでしょ」


「うん……。浅間さんていう刑事から聞き出した情報だから、信憑性は高いと思う」


「あの刑事から? うわ、ほんと無茶するよね」


「自分でもそう思う。けど……」


「けど?」


 今日では事件、事故、無差別テロの報道はなく、その《被害者の名前》も発表されない。ゆえに周囲の人たちは、行方不明神隠者になったのだと勝手に解釈する。その考えや、《よくない空気》に、燈は自分も流されてはいけないと感じるようになっていた。

 だからこそ、力強く宣言する。


「私は自分の過去に何があったのか、知りたい」


 燈の言葉に、楓は「にひひ♪ それでこそ燈だよ」と嬉しそうに笑った。

 楓は炒めた玉葱を少し冷やしてから、ひき肉と混ぜる。それにパン粉、マヨネーズと調味料を加えた。楓の動きに一切の無駄はない。いつの間にかハンバーグを作るのを、楓に任せてしまっていた。


「ねー、燈。そこで本題なんだけど、《クロガミ怪奇殺人事件》と《白霧神隠失踪事件》は繋がっている。というのも……そこに関わってくるのが、榎本佳寿美だって気づいていた?」


 唐突に出てくるクラスメイトの名前に、燈は言葉を失った。


「え、佳寿美?」


「このへんの詳しい話はお姉ちゃんが後でするから、アタシが話せるのは《黒い手紙》についての話かな~」


 楓は悪戯っぽい笑みを浮かべると、佳寿美のことではなく《黒い手紙》の詳細を淡々と語り始めた。

 彼女が話す《黒い手紙》の内容はこうだ。

 黒い便箋に白いペンで願いを百回書くこと。次に黒い便箋にいれて、しっかりと糊付けしたあと、黒いポストに投函する。百通目の手紙に選ばれると、《新月の魔女》が願いを叶えてくれる。と言うありきたりな《オマジナイ》だった。


「それより、佳寿美のことを……」


「だーめ。この先はお姉ちゃんが話すの。アタシから話したら怒られちゃう」


 楓は「杏花から話す」の一点張りだったため、燈は渋々引き下がった。


「ねえ、楓。さっき《新月の魔女》って……言ったけど……」


「《双頭の魔女》とは違うのだろうか」そう言おうとして燈は言葉を詰まらせる。何が最善か考えすぎてしまい、二の足を踏んでしまう。


(聞いてみる? いやでも……)


「……あのさ、燈は《魔女》ってどんな風に思っているの?」


 会話しつつも楓の料理の手際に無駄はない。

 あっという間にハンバーグを炒め、鼻歌を歌っている。一方、燈は考えに集中し過ぎて手が止まっていた。視線を落とせば使い終わったボウルやまな板は手つかずのままだ。


「《魔女》って……。いきなりそう言われても」


 燈は思わず言葉を濁す。なんだか最近、架空の存在である《龍》や《魔女》について聞かれてばかりだ。「何か意味でもあるのか」と考えてみるが、見当がつかなかった。


「うーん。《魔女》っていったら、やっぱり烏とかふくろうを連れていて……」


 燈が連想したのは、童話に出てくるような《意地悪な魔女》ではなく、《森の賢者》として大地の声を聴き、星を視て、動物たちと共に生きる《善き者》が浮かんだ。


「んー、どの文献で読んだのか覚えていないけど……、《魔法》を使うってよりは、山で薬草の研究とか、星を読んで自然と対話して……。なんか《森の賢者》みたいな印象があるけど……」


 燈は思ったことを口にしたが、途中から声は小さくなっていった。冷静に考えれば童話に出てくる《意地悪な魔女》がポピュラーなはずなのに……。


「うーん、なんかごめん。何が言いたいのか上手くまとまってなくて……」


 燈は楓の返事がないことに気付き、彼女へと視線を向けた。


「楓?」


 楓は俯き、前髪で瞳を隠した。


「……燈はさ、もし本当に《魔女》がいたらどうする?」


 ハンバーグの焼ける音と香ばしい匂いが室内に漂う。

 気のせいか楓の声は震えていた。いつもの冗談を言う雰囲気ではなく、空気は重い。


(どうする? ここで《双頭の魔女》の話をする? でも杏花に《魔女》の話をしてから、学校に姿を見せていない。やっぱりこのワードは危険な気がする……)


 燈は逡巡したが、少しでも情報を得るため賭けに出た。


「もし本当に《魔女》がいるなら、私は《双頭の魔女》に依頼したいことがある」


「え?」


 楓は先ほどの比ではないほど狼狽ろうばいするも、「そっか~」と力が抜けたような声を出した。


「楓……?」


 やはり言うべきではなかったのか。燈が後悔した刹那──


「ありがとうね」


 予想外の言葉が返ってきた。


「ん、はい?」


「変なこと聞いちゃってごめん。でも、そっか。燈が《双頭の魔女》に頼み事をする……。なるほど、それでお姉ちゃんが、ああなったのか~」


 楓は独りで納得しているようだが、燈にはさっぱりだった。


「ちょっと、楓。杏花は、その休んでいるみたいだけど……大丈夫なの?」


「うん、元気、元気。調べ物をするからって休んでいるだけで、今日の午後には学校出るって言っていたよ~」


「そうなんだ……」


 ホッと安堵する燈を尻目に、楓は出来上がったハンバーグを皿に盛り付けしていく。


「……って、楓。今の話だと《双頭の魔女》に心当たりでもあるの?」


「もちろん。だって


 今度こそ本当に燈は驚愕の声を上げた。


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