第8話 風雲児 

***


「わー、わー? トモリ、大丈夫?」

「いたい? へーき?」

「トモリ、トモリ、ここにいる。独りじゃないよ」


「誰の声だろう?」と、燈は意識がぼんやりする中で思った。

 どこか懐かしいような、聞き覚えのある声──


「ん……」


 次にともりが目覚めたのは保健室だった。


(何だか頭が重い……)


 何度か瞬きするものの、眠気が抜けず意識がぼんやりする。


「秋月燈の起動を確認──身体機能において異常はあるだろうか」


 男の人、固くて機械めいた口調が少しだけ気になった。声の方向に顔だけ視線を向けるとカーテン越しに誰かが佇んでいる。背格好からして養護教員の柳ではない。長身痩躯ちょうしんそうく、おそらく身に纏っているのはシルエットからして軍服だ。以上のことから燈は《警視庁関係者》だと推測する。

 しかし「なぜ警察関係者がいるのか」という疑問に頭が回らず、燈は質問に答えた。


「えっと……。少し……だるいぐらいです……」


「だるい……? それは。身体的な疲労により行動は可能だが、違和感を覚えるという認識で合っているか?」


 やけに難しい言葉の羅列られつに燈は眉を寄せた。


「はい。そうです……えっと……柳先生は?」


「彼なら三六七〇秒前から……最優先事項があるため不在だ。自分は警察庁サイバー対策本部所属、ノイン。試作段階であったが無理をいってこの場に来た」


 なぜ警察──それもサイバー対策本部の人間がここにいるのか。燈はぼんやりと思った。


「そう……なんですか。えっと……はじめまして。こんな格好の挨拶ですみません」


 燈は寝台に身を預けた姿勢のまま言葉を返す。頭をフル回転させても今はそんな言葉しか出てこない。


「無用な気遣いだ。秋月燈──貴女の《記憶喪失》について報告を受けている」


 声だけしか聞こえないからか、感情の起伏が乏しく感じられた。


「記憶……?」


「……気を失うまで何が起こったのか情報を要求する」


「えっと……。早乙女部長と話をしていて……」


「話? どのような内容か再度申請する」


 抑揚のない平坦な──硬い口調。けれど、どこか燈を気遣っているような雰囲気があった。それは錯覚かもしれないが……。


「私が部長を助けたことがあるって……。それで……」


 燈はその時の内容が妙に朧気おぼろげなことに気付く。少し前だというのに、記憶が曖昧で鮮明に思い出せない。


「ん? ……………あれ?」


「一年前、貴女はどんな服装をしていたと彼は証言した」


 燈はすぐに答えることが出来た。


「えっと……、


「貴女のほかに同行者は?」


 部長は何と言っていたのか。あの時──彼の唇はこう告げていた。


「えっと…………と」


「了解。では記憶に関して手掛かりは……」


「ありません……。もしかして、私、ショックで気を失ったんですか?」


 その質問に返答はなかった。

 僅かな、けれど燈には永遠にも思える沈黙が落ちた。


「……秋月燈、貴女は《記憶を取り戻したい》と強く申請するか?」


「も、もちろんです!」


 燈は跳び起きようとするが、それは叶わなかった。だが、言葉だけでも自分の本気を伝えようと言葉を紡ぐ。


「私は自分に何があったのか、何を忘れているのか──知りたい!」


命令オーダーを受諾した。一三三〇ひとさんさんまるこれより対象者心の友その壱の要請により、秋月燈の記憶奪還作戦に移行──」


「え? 行こう?」


 唐突な承諾に燈は混乱を極めた。彼が手伝ってくれるということなのか聞こうとしたが──


「情報同期──クリア」


「アルゴリズム再起動──クリア」


「作戦成功に至るまでの道筋ルートを検索──同時に成功までの疑似実験シミュレーション開始スタート……」


(なんか聞きなれないカタカナ用語ばっかりなんだけど……)


 燈はようやく目が覚めてきたのか思考を走らせる。


(《心の友その壱》って私のこと? ということは私と彼は知り合いだったとか? ん~、自分のことなんだけど、私の友好関係どうなってんの?)


 燈はいろいろと聞きたいことは山のようにあるが、ノインに声をかけられる状態ではなかった。十五分ほど待っていると、ようやく長々とつぶやいていた言葉が途切れた。


検索終了リサーチ・エンド。秋月燈、貴女の記憶を取り戻す道筋だが、安全を最優先に考えた結果──記憶の奪還を諦めるべきだと出た」


「…………は?」


「記憶の奪還を諦めるべきだと出た」


「いや聞こえてなかった訳じゃないから!」


 先ほどの検索結果はなんだったのかと燈はムッとするが、ノインのある言葉に引っ掛かりを覚えた。


「……えっと、じゃあ、安全性を下げたら?」


「可能性は零ではないが、非常に危険。命の保証もない。それでも──」


「教えて。記憶を取り戻すための手掛かりを──そこから先は自分で歩いて確かめる。いつだって歩いてみなきゃ、何も始まらない。そうでしょ?」


 カーテン越しの彼は僅かに息をのんだ。それは驚きか、呆れているのか──燈にはわからなかった。


「……了解した。まず。ゆえに通常では百パーセント戻らない。記憶を取り戻すにあたっては《専門家の助力》を仰ぐことを推奨する」


「作為的……? 暗示とかそういう感じ?」


 燈は思いもよらない単語に眉を寄せた。


「否定──似て非なるもの。説明困難。詳細は《双頭の魔女》に尋ねることを推奨する」


 ノインの淡々とした口調はよどみなく言い切った。魔女、と。




「《双頭の魔女》って、本物の魔女って意味? それともそういう異名とか?」


 燈の問いかけに返答はない。なにか思案しているのか、それとも答えたくないのか──カーテン越しではその判断がつかなかった。

 ややあってから彼──ノインは唇を開いた。


「先に謝罪を。これ以上の情報提供は秋月燈の強制防御術式シャットダウン抵触ていしょくする」


「え、術式?」


「肯定。記憶そのものに関する情報を得る際に起こる現象。無理やり記憶を引き出そうとすると肉体損傷に繋がる。……今の貴女は《いくつもの鍵のかかった箱》。無理やり中身を取り出そうとすれば、箱自身が傷つく」


「……あ」


 燈は心当たりがあったのか、唇から声が漏れた。


「……制限時間オーバー、撤収を開始する」


「え!? そんな急に」


 ノインは本当に唐突に宣言し、撤退を開始する。

 燈は慌てて起き上がるが、彼はすでに保健室の窓の前まで移動していた。


「《心の友その壱》。三四〇秒前に貴女の携帯端末に自分と連絡を取るためのメールを送信した。なにかあればメールを。圏外であろうと自分に届く」


 燈は慌ててカーテンを開くがすでに彼、ノインの姿はなかった。


「なんで……」


 燈はぽつりと言葉が漏れた。


「なんで窓から去ったんだろう……」

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