マニュアルの基準は高くなくてはならない

 恥ずかしい~ッ!!


 思わず顔を覆いたくなる。


 地獄だ。ここは紛う事なき地獄だ。

 かつて経験したどんな死地よりも厳しいものがある。


「いかがでしょうか?」


「いかがと聞かれても……」


「アナタ以上の適任者はいません」


「そうかも知れないが……」


 どうしても歯切れが悪くなってしまう。

 分かっていても許容できないことはある。


 例えば、過去の――かなり意気がっていた頃を完全再現されたあげく、その出来栄えについて意見を求められる。

 自分の封印してしまいたい過去を掘り返された挙げ句、「実際にはどんな感じだったんですか?」などと質問をされる。


 止めてくれ。

 本当に勘弁してもらいたい。

 勘弁してください。


 すでに心はへし折られていた。


 こんなことになるんだったら世界なんか救わなければよかった。


 本気でそんなことを考えてしまうくらいにはダメージを受けていた。


 あの時、安請け合いさえしなければ、と英雄ミネットは頭を抱える他なかった。



 …………

 ……

 …



 私はかつて英雄と呼ばれた。

 しかしそれも遥か彼方――遠い昔の話だ。

 それこそ伝説・神話クラスの話である。


 戦場を退いて千年近く経つ。

 自由気ままな隠居生活を送っていた。

 そんな私のもとにその男はやって来た。


「初めましてミネットさん。私はジャンク・ブティコの夜一と申します」


 恭しく頭を下げる男からは敵意は感じない。

 だが、善人という訳でもなさそうである。


 なにかを企んでいる。

 作為の匂いだ。


 差し出してきた紙切れには男の名前とジャンク・ブティコという店名。それに聞いたことのない、経営コンサルティング・企画アドバイザーの文字が踊っていた。


 よく分からない肩書きだったが、質問するのは負けな気がして「なるほど」と知ったかぶりをしてしまう。


 この時すでに私は男の術中に嵌まっていたのだ。


「さすがはミネット様。私の仕事を瞬時にご理解いただけるとは。普段であれば私の仕事内容を一から説明しなければいけないのですが、話す手間が省けてよかったです」


 戦場で生き、その後は人里離れた地で隠居生活の私が商売事のことなど分かるはずもない。


 しかし、要らぬプライドが邪魔をして「知らない」の一言を言えぬまま「アトラクション監修」の仕事をする契約を結んでいた。


 戦い以外の方法でお金を稼いだことのなかった私は、これもいあ経験になるだろう、などと楽観的に捉えていた。



 …………

 ……

 …



 そして現在に至る。


「ミネットさん。かつてのご自身と見比べてみて如何でしょうか?」


 男は私のかつての痴態を見せて微笑んでいる。

 いつの間にかミネット「様」からミネット「さん」に呼び方も変わっていた。


 笑うな!!

 一体なにが楽しいのだ!!


 クッと唇を噛みながら絞り出すように答える。


「……もう少し、高圧的な態度……だったぞ……」


「そうですか」


 パンパン。


 男は手を叩き、演者の注意を集める。


「ミネットさん直々に演技指導してくださるそうだ」


 なっ!?


「なに勝手な――」


「ミネットさん役の演技が完璧になれば、次はアナタとともに戦った勇者マリユス氏をお呼びして演技指導をしていただこうと思っています」


 それはなんとも――


「楽しそうではありませんか?」


「確かに。あの筋肉バカの助力も必要だな」


 私だけがこんな気持ちを味わうというのも癪だからな。

 それに、充分過ぎる給金をもらっている。

 それに見合うだけの働きはしよう。


 いい退屈しのぎにはなるかな。

 だが、やはり恥ずかしい……


 ※※※


 ジャンク・ブティコは、英雄ミネットに対して1日あたり、王都の平均年収に相当する額を支払っていた。


「ヨイチさん。今月の収支は赤字寸前でしたよ」


「まあ、投資ですよ。娯楽の少ないこの世界でテーマパークは間違いなく儲かります。でも、僕とこの世界の人の感覚は微妙に違ったりしますから、リサーチは必要でしょ? やっぱり本物を呼ぶのが一番です」


「そうかも知れませんが、お金は大切に使わないと」


「だからこそですよ。お金は溜め込むだけじゃダメなんですよ。お金を使って経済を動くかさないと。僕たちがこの世界の経済を牛耳る――じゃなくて、手助け? しないと」


「……そうですね」


 セルシアは時々、夜一が魔王にも悪魔にも見えてしまう。

 本物の魔王は見たことがあるが、ここまで悪どい顔はしていなかった。

 というより、魔王ベアトリーチェは可愛らしい人物であった。


 いつの日か、夜一が魔王と呼ばれるのではないか、という心配が現実のものとなるのはもう少し先の話である。

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