待ち望んだ転移

 経営は安定した。今まで赤字だったのが嘘みたいだ。

 それも全て、夜一のおかげであった。

 日本から持ち込まれた「経済学」の知識を使って行われた改革は見事に成功。

 セルシアのお店――《ジャンク・ブティコ》は立て直した。V字回復を遂げた。

 しかし、順風満帆とはいかなかった。

 事業拡大の第一歩として王立学院への出店を試みた。

 結果としては失敗。しかしそれは事前の調査によるところが大きかった。


 早急に《ジャンク・ブティコ》王立学院店の立て直しが行われた。

 調査を依頼した冒険者は20組にも及んだ。

 それぞれの報告を照らし合わせて、信憑性の高い情報を手に入れるためだ。

 その甲斐あって、新たな情報をもとに店舗を運営すると少しずつではあるが利益が出始めた。


 そんな折、些細なことでセルシアは夜一とケンカした。

 もっとも、セルシアにとっては些細なことではなかった。

 以前、夜一が娼館へ向かった事案が再燃したのだ。

 夜一が以前訪れた娼館アンジェラの代表は円卓議会の一員。

 セルシアと夜一は《ジャンク・ブティコ》の代表として円卓議会に顔を出していた。

 その場で、娼館アンジェラの代表、アンジェラ・ベルモントの発言が全ての引き金だった。



「あら、あなたがヨイチね?」


 妖艶な声色は男を惑わす。

 さすがは現役バリバリの娼婦である。

 歳の頃は20半ばだと聞いていた。

 若くして王都の経済基盤を取り仕切る円卓議会の成員になっている。その手腕は本物である。

 セルシアでは太刀打ちできない程の経営者なのである。


「はい?……」


 夜一はアンジェラと面識はない。

 しかしアンジェラの方は夜一の事を知っている。

 どこで知ったのか。名前だけならまだしも顔を認識していると言う事は、遠目からでも一度は見たことがあるということ。

 セルシアの心に芽生える感情。その灯火はセルシアを蝕む。

 知らぬ間にアンジェラへと目が向く。

 その容姿はもちろん、醸し出す雰囲気にセルシアは歯噛みする。


 円卓議会の議題は《ジャンク・ブティコ》の議会入りの審議であった。だが、セルシアの心は別のところに向いていた。

 議事の進行に伴い、成員の意見が求められる。

 アンジェラが発言を求められると、セルシアは顔を顰める。その声すら聴きたくないと顔を背けた。


 審議の結果。《ジャンク・ブティコ》の円卓議会入りが承認された。

 本来、喜ぶべき偉業なのは間違いないが、セルシアは不機嫌なまま。夜一を伴い《ジャンク・ブティコ》への帰路に就いた。


 セルシアも夜一が悪くないことは理解していた。

 でも、それとこれとは別。理性だけでは抑えきれない感情もある。

 これでもかというくらい文句を言ってやれば、心のざわめきを解くことが出来る筈。そう考えたセルシアは振り返る。

 三歩下がって歩いていた夜一がそこにいる筈だった。

 だが、振り向いた先には誰もいない。

 ぶつけようのない感情が渦巻く。

 そして気づく。彼は元居たの世界に帰ったのだと。

 それはきっと喜ばしいことなのだ。そう思い、熱くなった目頭を押さえた。


 …………

 ……

 …


 夜一が居なくなっても《ジャンク・ブティコ》は営業する。

 円卓議会の一角を担う商店ということもあり、売り上げは右肩上がり。猫の手も借りたい忙しさとなっていた。

 事業拡大の第一歩でもある学院店の売り上げも上々。それでも時折考えてしまう。


(ヨイチさんは今頃どうしているのでしょう……)


 少しでもそんな考えが過ぎると気分は落ち込む。その度に仕事を増やした。

 仕事で、ポッカリと心に開いた穴を必死に埋めた。

 それにも限界が訪れる。

 頭が回らない。何も考えられない。精神的にも体力的にも限界だった。

 ふと鏡を見るとボサボサの髪。充血した瞳。お肌も乾燥していた。

 そんな自分の顔を見たセルシアは思い出す。

 あまり褒められた記憶はないが、容姿はよく褒められた。


(今の顔を見たら怒られてしまうかもですね)


 そこでセルシアは髪や肌の手入れを始める。

 夜一の教えて貰ったパックなる美容法も実践している。

 泥を顔に塗って何が変わるのか、よく分からない。だが、やらないよりはいいはずだ。

 そしてセルシアは気づく――気づいてしまう。

 自分が今はいない夜一の為に何かをしていることに。

 そう思った瞬間、今まで寸でのところでせき止めてきたダムが決壊した。


(また逢いたい)


 想いが強くなるほど涙が零れた。

 すると、背後で物音がした。

 振り返ればそこには想い人がいた。その手に珍妙な板を持って目を見開いていた。

 嬉しい思いとほぼ同時に自分の姿を思い出す。

 そして発した第一声は拒絶の言葉だった。

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