第二章 事業拡大 編

テレビを運べば、そこは異世界

 黒羽夜一は机に突っ伏していた。

 前日の疲れが――正確には、つい先程まで働いていた疲れが出たのだった。


 いびきだけはかかないように気をつけたいが、なにしろ無意識下の事なのでどうしようもない。

 幸いいびきははかいていなかったようで、教授から叱責されることも無かった。

 もしくは諦めていただけなのかもしれない。


 講義の終了時間が近づくと、夜一は自然と目を覚ました。

 優秀な体内時計だ。90分で起きるようになっている。

 大学生特有のスキルかもしれない。


 だが、夜一はもう一つスキルを持っている。

 体内時計よりも夢があって、ファンシーなスキルである。

 そのスキルとは世界間転移。

 発動条件不明。ランダム発現。

 非常に使い勝手が悪い。

 そもそも使うと言う概念に当てはまるかどうか微妙なところだ。

 いきなりの転移はもはや天災同然である。


 初めての転移もまさに天災だった。

 講義に遅刻しそうで、部屋を飛び出したら異世界。

 そしてまた、夜一は転移した。今度は現代日本に。

 セルシアの後に続いて《ジャンク・ブティコ》に入ったと思ったら……久方ぶりの見慣れた風景。

 背後を振り返れば金属製の冷たい無機質な扉が夜一を見送っていた。


(今日何日?)


 取り敢えず学校へ向かうと、間一髪講義に間に合った。

 日付は、夜一が異世界転移したその日だった。

 実際には何か月も生活していたのだ。夜一の中で時間という概念が破綻しかけていた。


「どうした黒羽? 顔色悪いぞ」


 講義が終わって、同級生が心配してくれる。


「ありがとう。大丈夫。ちょっと疲れてるだけだから」


「そうか?」


 納得はしていない様子だったが深く追求することも無く、同級生は「学食行こうぜ」と誘う。

 夜一は「ああ」と曖昧な返事をして後について行く。

 食堂に着くと、久しぶりに見る現代の喧騒。

 懐かしさを覚えると同時に寂しさが込み上げてくる。

 今まで特に旨いと感じたことも無かった学食の定食――現代風の味付けに味覚が歓喜する。


(ずっと質素な味付けだったもんな……)


 夜一は数ヶ月の間、簡単な味付けのモノしか口にしていない。塩や砂糖を使えるだけでもありがたい。甘味なんてものは嗜好品という世界だ。

 ドレッシングの中に感じるほのかな甘みすら今の夜一の舌は逃さない。

 頬張った白米の甘みに驚きを禁じ得ない。

 こんなにもうまいものを毎日食べていたのかと、過去の自分の無関心さに苛立ちを覚える。


(店長にも食わせてやりたいなぁ)


 すると突然、身体を揺すられる。


「なんだよ」


「なんだよじゃねぇよ。何度話しかけても無視しやがって」


「え? ごめんごめん。聞いてなかった」


「しっかりしてくれよ」


 笑いながら肩を叩く友人。

 地味に痛い。


「それでさ、今日シェアハウスから引っ越すんだけど、要らない家電とか貰ってくれない?」


「え? 引っ越すの?」


「先週言ってただろ。しっかりしてくれ。ボケるにはまだ早いぞ」


「あ、ああ」


 友人にとっては先週の話でも夜一からしてみれば数ヶ月も前の話だ。


「それで今日ヒマ?」


 正直数か月前の要諦など覚えてはいない。

 だから答えた。


「多分」


「多分? まあ、いいや。それじゃヨロシク」


 …………

 ……

 …


 要らない家電とはテレビだった。

 シェアハウスでは大体の家電は共有。ただしテレビは個人で所有していた友人は家具備付のアパートに引っ越すにあたってテレビを引き取ってくれる人物を探していた。そして夜一に白羽の矢が立ったという訳だ。


「それにしても……」


 普通、裸のままテレビを持たせるだろうか。

 まだ個人用に購入したテレビのため小さい。それが唯一の救いである。

 額に汗しながら自宅まで持ち帰った。

 配線繋げるのはめんどくさい。

 それでも一人暮らしの夜一には手伝ってくれる人はいない。

 しばしの格闘の後、テレビを鑑賞しているとあることに気づく。


(あの位置邪魔だな)


 見事に何も考えずに配置したテレビは夜一の動線上にあったのだ。

 動かさざるを得ない。

 まずはテレビの置き場所を確保する。

 そしてテレビを置く。そのために一度、動線上にあるテレビをどかさなくてはならない。

 部屋の外に出すのが妥当だろう。

 配線が抜けてしまわぬように気を配りながら運び出す。


 しくしく。

 誰かのすすり泣く声。

 まさか幽霊!?

 部屋の契約時にはそんな話一言もしていなかった。


 ゆっくりとその泣き声の方へと振り返る。

 !!?


「店長?」


「えっ、ヨイチさん!?」


 顔面に泥を塗りたくったセルシアが赤黒い涙を流していた。


「キャーッ!! ヨイチさんのエッチ!!」


 一方的な断罪。

 まるで某漫画のヒロインみたいだ。

 ちょっとだけ丸メガネの男の子の気持ちを理解した夜一であった。


(わざとじゃないよぉ……)


 夜一はそれと同時に、再び天災が襲ったことを理解した。

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