第18話 県立西平高校 通学用自転車置場(在校生専用)
ショウタローは僕の抗議に耳を傾けず、半分中身を残した弁当箱をもっそりとした仕草で片付けて、サナエちゃんの席から立ち上がった。
「俺、早退するわ。カズ、……後は、……頼んだぜ」
「おい、ショウタロー、待てって。俺がユカと最近二人でいることが多いのには事情があるんだって!」
「カズ、事情も理由も関係ないんだよ、俺にとっては。ただ、ユカの笑顔はカズと一緒の時でこそ輝く、その事実だけで十分なんだよ」
「待てよ! ショウタロー!」
今日は
そのままショウタローはカバンを掴むと、そそくさと教室から出て行ってしまった。
「なんてこった」
ため息をつきながら、食べ終わったおにぎりのアルミホイルをぐしゅっと握りつぶして、僕は一人で呻き声を上げた。
ショウタローの懸念はイヤと言うほど分かる。僕はたしかにここのところユカに全面的に依存していた。これはあまりに不注意で無配慮だった。もっとユカとの距離感には、気を配っておくべきだった。
しかし、ショウタローがユカの笑顔をそんな風に見ていたとは、驚きでもある。ユカの笑顔は僕と一緒の時の方が輝いている? そんなわけあるか。ショウタロー、変なところで自己評価が低すぎるぜ。
「カズ、俺さ、柏原さんとさ、そのー、付き合うことになったんだ」
そう言って照れ臭そうに微笑んだ去年の秋のショウタローの顔を思い出す。僕はその時、ショウタローがはっきり目立って、はっきりモテるユカと付き合うことになったことを、少し意外に思った。
「へえ、ショウタロー、アヤネと結婚するんじゃなかったのかよ。確かにユカってさ、そこらへんのアイドルに負けないレベルだけどさ」
「いや、なんていうか。柏原さんのあの屈託のない笑顔と、時折見せる陰のある様子にさ、やられちゃったんだよなー。もうね、俺、あの笑顔見てられるなら、ちせっぽとか割とどうでも良くなった」
「ほお、ガチ惚れしたのか。てっきりショウタローの好みは地味かわいい系だと思っていたぜ。まあ、ユカとならいいカップルになれるんじゃねーかな。尻に敷かれそうだけど……」
「カズ! 俺、アヤネさんと結婚する夢を諦めたわけじゃないんだぞ。あくまで柏原さんとは付き合うだけ。結婚するならアヤネさん一択だ! そこんとこ間違うなよ! とりあえず手始めに、俺のこと、お義兄さんて呼んでくれていいんだぜ?」
「クソきめーこと言うな! 友達やめるぞ!」
ショウタローはアイドルオタクらしく、実物の女子を相手にすると、途端に挙動がおかしくなる。付き合い始めてしばらくの間はショウタローが異常にぎこちなくて、大丈夫かな、この二人、と心配だった。
しかし、それは杞憂だった。時間が流れて、ショウタローの挙動不審さをユカが突っ込んだり、僕がネタにしたりするうちに、だんだんカップルらしい雰囲気になっていって、僕はすっかり安心していたところだった。
今回のサナエちゃんに関する騒動には、ユカの方から首を突っ込んできた感も強いのだが、それ以上に、僕がユカと二人で行動することに対してあまりに油断して無防備すぎたという面が大きい。考えてみたらショウタローが気にするのは当たり前の話だった。
僕はユカと同じ部活のメンバーとして親しくしていたが、あくまでユカはショウタローのカノジョだ。そこは自分自身間違えちゃいけないし、他人から間違えられちゃいけないラインだった。
僕は自分のここしばらくの一連の動きを、大いに反省した。
◇
ショウタローのいなくなった教室で、この後どうしたらいいのか思いを巡らせてると、ミハルが一人で教室に戻ってきた。
僕の方にチラリと視線を向けただけで、素っ気なく最前列の自分の席に腰を下ろす。
五時間目が始まるまでまだ少し時間がある。僕は、ミハルの席に行って背後から声をかけた。こうやってミハルに話しかけるのは高校生になって始めてかもしれない。
「キタウラさん、ユカとサナエちゃんは? 一緒じゃなかったの?」
ミハルは振り返って僕を見て、にっこり笑って答える。
「食堂出たところまで一緒だったけど、二人で現音研の部室に行っちゃったからね。私、一人で先に戻ってきたんだ」
「ユカがサナエちゃんを連れて部室に? なんだろう?」
言っちゃなんだが、現音研の部室は部外者が行って面白いところではない。むき出しのオタクワールドが展開する、一般の人にはキモすぎる場所だ。ユカは何を企んでやがるんだ。
「それは、私には分からないよ。私がたまたますれ違った古田君と立ち話していたら、二人で行っちゃったのよね」
おーっと、要注意人物の名前がここで出るのか。こないだのマックでの話によると、ミハルはイインチョーヤローのことを少々鬱陶しく思ってる。これはいい傾向だ。せいぜいゴリ押しを続けて、ミハルに嫌われればいいさ。へっ。
僕はなぜかイインチョーヤローにマウントを取った気分になって、腹の中でクソイケメンヤローにあかんべーしてやった。
しかし、僕はそのことよりも、ミハルの表情が一瞬翳ったのが気になってしまった。僕はミハルの表情を見抜くことにかけては、十年のキャリアがある。ブランクがあるとは言え、そうそうみくびってもらっちゃ困る。
僕は声を落としてミハルに聞いた。
「なんか、古田から言われたのか?」
ミハルは珍しくほんの少し乱暴に、僕にしか分からないぐらいの投げやりな調子で言った。
「なんでもないよ。ただ、……ちょっとね、放課後打ち合わせしようって言われただけ。……それと」
なんか接続詞の使い方が、ミハルにしては珍しく粘り気がある。僕は、黙って耳を傾けるしかできない。
「サナエちゃん、やっぱりかわいいよなあ、と思って。カズヤくんには、……やっぱりサナエちゃんみたいな子の方がお似合いだよね」
は? と聞き返そうとしたところでチャイムが鳴って、鈴原先生が教室にツカツカと入ってきた。一歩遅れてサナエちゃんも先生の後ろをとことことすり抜けてくる。
「さて、みなさん、始めましょう。日直はどなた?」
ミハルは、これ以上話すことはない、という視線を僕に向けて、居住まいを正すと、「きりーつ」と澄んだ声で号令をかけた。
◇
その日の放課後のステージでの
現音研のメンバーはステージ裏に全員集合して、バトン部の練習が終わるのを待っている。当然ながらショウタローは来ていなかった。
ユカは怒り狂っていた。
「ショーはなにやってんのよ! え? 体調不良で早退!? んなの嘘に決まってるでしょ!? 今朝平気そうな顔してたの見たぞ! またアイツさぼりやがったな! 今日という今日はもう絶対許さん!!」
口から炎を吐き出しそうな勢いでガチギレしているユカを見て、僕は少しだけ安心した。五時間目が終わってから珍しくユカの教室に行ってみたら、リスニング英語の模擬テストが終わっていなかったので、声が掛けられなかった。ショウタローが授業中にメールか何かで別れ話を送り付けてないか心配していたが、この様子だとまだユカは別れ話が出ていること知らない。
「時間だ。行くぜ」
バトン部の練習が終わったのを見計らって、僕はユカに声をかけた。とりあえず、今すぐ別れ話がユカの耳に入ることはなさそうだ。ということは、ここは
ユカたちがステージの中央でそれぞれの立ち位置に付く。僕は音響室に座る後輩男子イガラシに向かって手をあげた。若干手間取ったようだが、CDからさーみんたちのグループ「セイント・アージュ」の新曲「遥かなる時間を超えてI Love You」のイントロが鳴り始めた。今日は照明と映像を使わないドライリハ、衣装も制服のままだ。
「おーい、イガラシ、音デカすぎるぜー! 違う違う、そりゃ左右のバランスだ。その右のつまみ! そう、それ! もう少しだけ音量下げて!」
僕はイガラシに向かって叫ぶ。音響室でのミキシングはショウタローがやるはずだったが、急遽一年生のイガラシにピンチヒッターを頼んでいた。
そして、ステージから降りて、全体を俯瞰するために女子バレー部が練習中のネットのそばまで行って、ステージを見まわす。
「ユカ! 左に寄りすぎだぜ! みっちゃん、歌詞と口の動きが合ってない! 田原さん、外側ステージの端まで目いっぱい広がって!」
「おお! 今年の現音研は随分本格的になったんだねー」
ステージの一年生四人、二年生三人のダンスを見ていると、女子バレー部長の
「去年は三人だけだったからな。一年生が入部してくれたおかげで、やっとまともなステージパフォーマンスと言えるようになったよ」
「しかし、相変わらずユカちゃんのダンスのキレはただもんじゃないよね。うちのセッターかリベロにスカウトしたいなあ。杉津くん、ユカちゃん引き抜いてもいい?」
「ユカ、球技はてんでだめって自分で言ってたぜ?」
「あれだけダンスができるなら、バレーなんてちょっと練習しただけですぐできるようになるよ」
「ホントかよ。俺はむしろひかるさんを現音研にスカウトしたいけどな。どう? やってみないか? ひかるさんセンターなら、ステージがぐっと締まる」
チャラく聞こえるかもしれないが、これは本心。ひかるさんの運動能力と容姿は圧倒的にステージに映える。実際一年生の春にはショウタローが何度も現音研に勧誘していたが、バレーをやるというひかるさんの決意を翻意させることはかなわなかった。ただひかるさんも根っからの歌と踊りが大好きなアイドルファン。現音研の活動には有形無形の協力をしてくれている。
「私がセンター? うーん、身長だけで目立つのはもうゴメンだなあ。ちょっと興味はあるかもだけどね。ところで杉津君、そこ、邪魔だし。ボール当たっても知らないよ?」
僕はこりゃ失礼、と言ってバレーのコートの向こう側、邪魔にならないところまで退散した。
ステージではユカたちが一心不乱に曲に合わせてダンスを踊っていた。
◇
ステージ練習の時間は、片付けまで含めて九十分間と厳密に決められている。僕たちは持ち時間のほとんどを、曲にダンスを合わせることとフォーメーションの調整に費やして、時間ぴったりに次の演劇部にステージを明け渡した。
ステージでの練習が終わると同時に僕はユカに声をかける。
「みんなお疲れさん! ユカ、ちょっとこの後、付いて来てくれ。イガラシ―、悪いけどCD部室に返しといてくれよな」
現音研のメンバーにはそれだけ言い残して、僕はユカを追い立てて自転車置き場に向かった。
「ちょちょちょ、カズヤ、引っ張らないで。どうしたのよ。どこに行くのよ!」
「ユカ、お前さ、最近のショウタローの行動に、なんか感じることなかったか?」
「え?」
ユカは立ち止まって目を見張った。
例え僕が見逃していたとしても、ユカがショウタローの思い詰めた様子を見逃すはずがない。きっと何かしら不穏な気配をショウタローから感じ取っていたはずだ。ユカは立ち尽くしたまま僕を見つめる。
「それって……どういうこと? もしかしてショー、カズヤに何か言ったの?」
「ああ。ショウタロー、ユカと別れたいって」
僕は、思い切りストレートに、ありのまま答えた。このシチュエーションではごまかしも婉曲も通用しない。
「……そう。……やっぱり、そうなんだ」
ユカは唇を噛んで、少しの間うつむいた。気づくとユカの頬には、ポロポロと涙がつたっている。ユカのこの反応は、やはりなんか不穏な気配を察知していたのだろう。
「別れの予感、してたんだよ。ここのところ、ずっと。でも、でも、ショー何も言ってくれないし! 他に好きな子とかできたのかな、とか思ってたんだけど ……、やっぱり、そうだったんだ。……私じゃ、ダメだったんだ……」
ユカは、周囲も憚らずに泣き始めた。僕はそんなユカをじっと見つめる。なんでもお見通しで余裕しゃくしゃくの怖いもの知らず系JKのユカは、今はどこにもない。ここにいるのは、悲しい予感が的中して涙にくれる一人のか弱い少女だった。
しかし、泣きじゃくるユカを見た僕には、ある種の確信が生まれていた。
大丈夫だ。これはきっと大丈夫だ。こいつらは二人とも、まだ十分すぎるほどお互い好き合っている。今回の事態は二人の基本的なコミュニケーション不足が招いた、ちょっとしたすれ違いでしかない。今なら、まだ元どおりに戻れるはずだ。必ず、元どおりに戻れるはずだ。
「そうじゃない。そうじゃないんだよ、ユカ。ショウタローは、俺とユカの仲を誤解して、身を引こうとしてるんだ。まったく、お人好しも度が過ぎるけどな」
「え? 私とカズヤの仲を?」
「そうだよ。だから、行こうぜ。ショウタローのところへ。誤解を解きに。あいつなら、きっと分かってくれる」
僕はゆっくりした言葉で、ユカを諭した。イケボでやると効果が高そうだが、あいにくそんな美声は持ち合わせていない。その分、ありったけの誠意を込めて言葉を発した。
「ショウタローの行先は、だいたい見当がついている。行こう、ユカ。今なら、まだ、間に合う」
ユカは涙で赤くなった眼差しでしばらく何かを逡巡していたが、やがてすっと顔を上げて決意のこもった視線を僕に向けた。
「行く! ショーのとこ、私、行くから! カズヤ、乗せてって!」
自転車嫌いのユカが乗せろと言う。
よほどの決心なのだろう。
望むところだ。
僕は自転車置き場から自転車を引っ張り出してきて、ユカを後ろに乗せた。
そして伸びてくる夕暮れの影に向かってペダルを踏みだす。
ユカをショウタローのところに無事に届けること、それが今日の僕の帰り道のミッションだ。
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