第13話 バスターミナル「日ノ沢駅東口」
「昨日は、別にサナエちゃんと帰る約束なんてしてなかっただろ?」
「……それは、してなかった、けど……」
サナエちゃんは一転してしゅんとしょげてしまった。そもそもサナエちゃんは、キャラ的に怒っているのが似合わない。くるくると変わるサナエちゃんの表情は、見ている分にはかわいい。というか、楽しい。
「たまたまユカの家で作業することになってさ、それで行っただけなんだよ」
「うん……」
「でも、ほっといて悪かったよ。いや、まじで。代わりと言ったらなんだけどさ、今日、帰りに駅前のCD屋付き合ってくれない?」
「え?」
サナエちゃんは一瞬ハムスターのようにキョトンとして、一拍置いてから一気に花が開くような笑顔を見せた。
「うん! いく!」
僕はそんなサナエちゃんを見てそっとため息をつく。良心の呵責、というか罪悪感というか。ユカのシナリオどおりに話が進むことに内心驚嘆する一方で、ユカのシナリオを全面的に信用しきれていないのもまた事実だった。
―――ユカ、ホントにこれでいいのか?
にこにこ笑顔になって「クアーズのビルのギョーザドッグのお店が最近流行ってるんだー。私、そこも行ってみたいの」とはしゃぐサナエちゃんを複雑な心境で眺めていると、担任の森藤先生がガシャっと扉を空けて教室に入ってきた。教壇に立った先生は、僕の逡巡をよそに「みんな、おはよう。日直、号令を」と快活に声を上げた。今日の日直はサナエちゃんだ。
「きりーつ。れい!」
僕は、号令に従って頭を下げる。それはパブロフの犬のようなただの条件反射でしかない。頭を下げながら僕は昨日の夕方のユカの話を思い出していた。
◇
「まずさ、サナエちゃんなんだけどね」
ユカはテーブルに両肘をついて眼光鋭く僕を見ている。日ノ沢の市街地を見下ろすユカの部屋の窓からは、夕暮れの残照に彩られつつ夜闇が広がっていく空が見える。
「しばらくサナエちゃんの思い通りに動いてあげてよ」
いきなり明日にでも「俺にかまうな、と直接告げなさい」と言うのかと思ったら、まったく逆のことをユカは言い始めた。サナエちゃんをばっさり切り捨てるのは気が重い。このままゆるーい関係を続けていけるのなら、それはそれで楽でいい。楽でいいんだけど……。
「えー、そんなの二股みたいなもんじゃん。そんな女たらしみたいなの、俺できねーよ」
「えーじゃない! カズヤが無意識に女たらしやってたから、こうなっちゃってるんでしょ! ちゃんと責任取ってしばらく付き合ってあげるの!」
「でも、そんなことしたら話こじれるだろうが」
「もうこじれてるからしょうがないの! いーい、カズヤ。恋する女の子の行動パターン、知ってる?」
ユカは立ち上がって机の上からノートと鉛筆を取ってくると、白紙のページを開いて大きな字で書き込んだ。
―――1接近、2独占、3接触。
「これよ!」
「はあ? なんだよ、この接近独占接触って」
「つまり、恋する女の子はねえ、親密度を上げるために、まずは『接近』しようとするわけ。それが叶ったら次は『独占』しようとする。サナエちゃんが唐突にカズヤんちに付いてくるって言い出したのも、今朝カズヤんとこに押しかけて来たのも、きっとこれよ。この第二段階の『独占』は告ったり告られたりするまで続いて、そして第三段階に行くわけ。普通は、ね」
ユカはそこで言葉を切って、少し言い淀んだ。それでも顔を赤らめて話を続ける。
「最後の『接触』ってのは、つまり、そのー、……身体的接触よ! 手をつないだり、キスしたり、そして、それから……まあ、つまり、そういうことなの!」
最後は照れ隠しにキレ気味になっていた。自分で言ってなに照れてるんだ。これがテレ切れってやつか。しかし、ユカの女子恋愛行動論はなかなか的確で興味深い。
「ふーん、なるほど。勉強になるわ。接近・独占・接触かあ。たしかに思い当たるなあ」
思い返してみると、サナエちゃんの当初の行動目標は、僕への接近だったとしか思えない。そして近頃の行動目標は独占だ。なるほど。ユカの言う通りだ。僕は感心してうなってしまった。
「一般論だから多少個人差はあるけどね、サナエちゃんはだいたいそのパターンで行動していると思わない?」
「思う。確かにそうだったな。あー、ニ学期の席替えで、俺の隣の席を狙ったのは接近欲なのかー。料理覚えて食べてみてくれって言ったのも。うーん、なるほど。でもさ、ユカ。それとしばらくサナエちゃんの思い通りにするのとどう関係あるんだよ」
僕は頷いてユカに先を促す。ユカは少し得意顔になって話を続けた。
「サナエちゃんがまだ第一段階だと思ってるなら、話は簡単だったんだよ。カズヤがそっけなくしてればそのうち諦めちゃうからね。けど、もうその段階はサナエちゃんの中ではクリア済みなのよ。それも第二段階も終わりかけ、すきあらば第三段階にジャンプしようかというレベルで」
「うん。それは分かる」
「そんな今のサナエちゃんにね、カズヤの方から離れて行こうとするのは逆効果でしかない」
ユカは、妹のミホちゃんがコーラと一緒に持ってきてくれたカントリーマアムの袋をぴっと破いて、無造作に頬張った。そのままもぐもぐ噛みながら口に手をあてて話を続ける。
「そんなことすると、かえって恋心募らせちゃうのよ。最悪ストーカーになっちゃったり。だから、サナエちゃんの恋心を第二段階で押しとどめておく。これが今回の作戦。いーい? 適度にサナエちゃんの独占したい気持ちを叶えてあげながら、先に進ませないこと。ここがとっても重要だからね。間違ってもホントに手出しちゃだめだよ?」
ユカはストローをくわえてコーラをずずっと飲み込む。口に物を入れたまましゃべんなよ、と思いながら聞いていたが、話の内容はよく理解できた。
「手を出さずに独占欲だけを満足させるってことかあ。そんなことできるのかなあ」
「近いうちにサナエちゃん、カズヤを独占したい的なことを言い出すよ、きっと。それ、すっっごく大事な指定局面だからね。例えばさ、他の女の子と仲良くしないでほしい、とか、二人だけでどこかに出かけたいとか、そういうセリフをサナエちゃんが言ったら、第二段階を終わらせて第三段階に行きたいっていう意思表示だよ。これは要注意だからね」
「サナエちゃんが? 俺にそんなこと言うのか? マジかよ。信じられんなあ」
断言されると疑いたくなるが、あいにくユカの論理構成に対抗できるほど女心が分かってるわけでもない。口では疑義を挟んでいるが、こりゃユカの言うとおりにした方がよさそうだな、と僕は考えていた。
「間違いないよ。カズヤ、今日もサナエちゃん置き去りにしてきたでしょ。絶対、サナエちゃん、明日朝一番にこう言うよ。なんで私置いて他の女の子と帰っちゃうの?、って」
「えー、まじかよー。それ、なんて答えればいいんだ?」
「まずね。カズヤが約束もなしにサナエちゃんを待つ筋合いはないことをはっきりさせといてね。そうしとかないと要求がどんどんエスカレートするから。その上で、何か埋め合わせをする。何するかはカズヤが自分で考えて」
「そんなー、俺、分かんねーよ」
「分かんないじゃないでしょ! 今までカズヤは無意識にそれをやってたんだから。いやだねー、無自覚女たらし。こういうヤツには引っかかりたくないなー、私は」
ユカは割と真剣に蔑む視線を僕に向けて、グラスのコーラをすすった。
「なんだよ、なんで俺、これまでの生き方を全否定されてるわけ?」
「よーく反省しなさい。自分の人生をね。で、私はしばらくミハちゃんの動向を探っておくわ。ショーには……内緒にしといた方がいいかな。手伝ってもらった方がいいかな。うーん、微妙ね」
そう言うとユカは手に持ったグラスをテーブルにゴトッと置いた。そして居住まいを正す。すっと深刻な様子になって僕に告げた。
「でね、カズヤ。もし、ミハちゃんがまーったくカズヤと元に戻る気がなかったら……、その時は、私、アンタにはっきりそう言うから。で、私はそれ以上、口出さないから。……出せないから」
その残酷な響きを伴う宣告は、考えてみれば当たり前のことだ。ユカはさらに重々しく言葉を続けた。
「覚悟は、しておいてね。あと、私を恨まないでね」
僕は圧倒されて息を飲んで頷く。
「……分かってるさ」
「それほど、女の子が一度フッた相手と元に戻るのって難しいのよ。しかも敵はあのイケメンヤローだし。常識的に考えてさ、カズヤの勝ち目は10%もないわね。うちらの学年の女子は、ほとんどイケメンヤロー推しだと思う」
ホント残酷だ。ユカの一言一言が僕のチキンメンタルに刺さってしようがない。悲しい。そして悔しいが、それが……現実なんだろう。僕は肩を落としてうつむいてしまった。
「分かってるって、ユカ」
「それでも、あえてカズヤ推しになるのは、それこそサナエちゃんと私ぐらい……、まあ、それはいいや。とにかく、カズヤは、サナエちゃんの独占欲を上手に叶えてあげること、そして絶対に手は出さないこと。この二つが当面の課題。分かった?」
「分かりました。仰せの通りに。で、ユカはキタウラさんの……、あー、もう、めんどくせー、ミハルの気持ちなんてどうやって探るんだよ」
ユカはにやりと笑った。
「ま、それは女同士のアレでね。まかせといてよ。私そういうの聞き出すの、わりかし得意だからさ」
そしてテーブルの上のグラスを片付けながら、付け加えるように再度宣告する。
「何回も言うけど、カズヤの思い通りの言葉が聞けるとは思わないでね。あとさ……カズヤがこのままサナエちゃんに気持ちが傾くんなら、それもまた立派なきっかけの一つだと思うから」
僕のグラスを手元に引き寄せてお盆に載せながら、最後にもう一言、念を押すように僕に言った。
「もしそうなったら、サナエちゃんと真剣に向き合ってあげるんだよ?」
◇
サナエちゃんは、その日の授業中ずっとはた目にも分かるほどにこにこしていた。相当嬉しかったのだろう。なんか罪悪感で
サナエちゃんは昼休みに「ごめんね。杉津君、今日は日直だから終わってもすぐ出られないの。待っててくれる?」とすごく申し訳なさそうな顔で言った。
「じゃあ日ノ沢駅東口バスターミナルのマックに先に行ってるから。日直の仕事、ゆっくり終わらせてから来てくれていいよ」
僕は渡りに舟とばかりにサナエちゃんに告げる。別に学校でサナエちゃんを待って一緒に駅まで行ってもよかったし、普通はそうするもんだと思うけど、無性に一人になれる時間を作りたくなってしまった。チキンメンタルな僕には、この状況はいろいろと耐えがたい。しかし、放課後マックで待ち合わせ、というのがツボにはまったらしく、さらにブーストがかかった笑顔でサナエちゃんは頷いた。僕はそんなサナエちゃんをまったく直視できない。
その日の放課後。そういう訳で、ホームルームと掃除が終わると僕はサナエちゃんを待たずに、一人で校舎を出た。いわし雲の並ぶいい天気の秋空。それに反して僕の気持ちはイマイチ晴れない。
僕は何をしようとしているんだろう。
僕は結局どうなりたいんだろう。
僕は小学生のように小石を蹴りながら、校門に向かって校庭を横切って行った。
しかし、今日も自転車を置いてかなきゃいけないな。バス代、地味に痛い。一回乗ると二百四十円。割とバカにできない。バス代って、高くね? ユカが定期代チョロまかして小遣いにしたのも分かる。僕もやってみようかな。うーん、アヤネにばれて親にチクられそうだから、やめとく方が無難だ。
そんなことを考えながら自転車置き場を何気なく通り過ぎる。
ふと見渡すと、自転車置き場の影に男女の人影があった。
あ、あれは……。
僕の視線には世の中でサイコーに見たくないものの一つ、にこやかに談笑しているミハルとイケメンイインチョ―ヤローの姿が映っていた。
ぐおおおおっ、これはダメージが……、ダメージがでかすぎる。余裕で死ねる。
暖かい視線でミハルを見守るイケメンイインチョ―ヤロー。
それを、正面から見つめてにこやかに微笑むミハル。
かああああ、ヤなもん見ちゃったよ、ちくしょー。てめーら、見せつけてんのかよ。イベント会場で風船もらいに行く幼女を見守るお父さんみたいな顔してんじゃねーよ、このクソイケメン。うぜー。
僕は逃げるようにその場を離れた。というよりも、逃げた。見なかったフリをして。記憶に一切残さないようにして。しかし、その映像は、超高感度カメラでハイカット撮影したかのごとく、僕の脳裏にしっかり刻み込まれて離れてくれなかった。
ゆるゆると足を引きずるようにやっとのことでたどり着いた西高前のバス停。僕はベンチに力なく腰を下ろす。
あー、現実って厳しいよなあ。いかん、涙出てきた。まじで。今日はもうサナエちゃんどころの話じゃねーや。どうしようかなあ。具合悪くなったって言ってこのままブッチしようかなあ。ああ、青春の痛みってやつか、これが。つれーよ。
しばらくそうやって何をするともなく虚空をぼんやり見つめる。
とりあえず泣き言でも言うついでに、ユカに現在の状況を伝えておこうとスマホを取り出した。
画面のロックを外してアドレス帳からユカを探してタップする。数コールでユカとつながった。
「もしもし、ユカ?」
「しーっ! でかい声出さないで! ミハちゃんそっち行くよ。もう切るからね」
ユカは抑えた声でそれだけ言うと一方的に電話を切ってしまった。
なに言ってんだ、コイツは。
僕がスマホを手に呆然自失していると「杉津くん」と背後で声がする。
振り返った僕の視線の先にあったのは、にっこり微笑んで立つミハルだった。
僕は驚きのあまりスマホを取り落としそうになって、慌てて握りなおす。
「杉津くん、……カズヤくん、日ノ沢駅までいっしょに行っていい?」
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